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海賊と潮流

 リッツ大陸の北側に位置する鉱石の国ヴェルリッツのある港町で、殺人鬼が処刑場から海賊に誘拐されてもうすぐ一年が過ぎようとしていた。殺人鬼はその後海賊になったと噂が囁かれ、賞金首としても名を連ねた。殺人鬼から逃げおおせた最初で最後の証人は、その時の傷が元で半年ほどして病で死んだ。結局殺人鬼に近しかった者たちは皆死に、以前の彼をそれとなく知る者たちは、その首が狩られる事を切に願っていた。

 その隣の大陸の南側にある海洋国家ゴーンブールの海軍では、此処一年ほど貿易商船が忽然と消える事件に頭を悩ませていた。事件と言うほどでもない。原因は間違いなく海賊の仕業と分かっているが、それを防ぐ事が出来ずに居る現状が問題視されている。

「目撃証言が少なすぎます。生存者がほぼ皆無なのもいけません」

「以前目撃されている証言の信憑性があまりにも低すぎます」

 豪奢な会議室で繰り返される押収は纏まりがなく、ただそれがある海賊団についての議題である事以外に、話は紆余曲折していた。それもそうだ。その海賊団については謎が多すぎた。ある一件で襲撃された海軍訓練生を乗せた帆船から、命からがら帰還した少年兵たちは皆口を揃えてこう言ったのだ。

『その瞳に金環蝕の光が宿る割れた髑髏と、背後に銃と爆弾。口元には弾丸と言う意匠のジョリー・ロジャーの船に襲われた。海賊船は超遠距離から強力な砲撃を放って此方のマストを折った。更に接近して来た船からはドラゴンが飛び立ち、上空から攻撃を受け、甲板で爆発が起きた。ドラゴンが甲板に降り立つと同時に海賊が乗り込んで来て、強力な銃で撃たれて人が吹き飛んだし、あっと言う間に船員たちが殺された。救助艇が一隻下ろされて、それに乗って命からがら逃げて来た。訓練船は跡形もなく海に沈んだ』

 海賊船でドラゴンを使役していると言う話なんぞ聞いた事がないし、魔法を使ったにしろ何にしろ超遠距離からマストを折るほどの砲撃が出来るだろうか。幻でも見たのではないかと信憑性が問われた。

「奴等は徹底的に証拠を残しません」

 長い赤髪をゆるめに纏めた男が身を乗り出すようにして声を高らかに上げた。その声には確信を持った力強さがあった。

「商船を襲う際にも、船員は一人残らず殺害し、船は跡形なく沈めてしまいます。そこで略奪した宝石類は足の付かない形で売買されています。確定的な証言や証拠はありませんが、この一年の商船消失事件は、間違いなくヴィカーリオ海賊団の仕業です」

 ヴィカーリオ海賊団。通称死弾とも呼ばれる海賊は、その存在は五・六年前には既に結成されていたと情報がある。しかしこれまで大した目撃情報や被害情報が上がって来る事はなかったが、この一年で急成長を見せたダークホースである。

「金獅子のように大雑把ではなく、また白魚のように無差別でもなく。計画された襲撃を、計画通りに遂行する海賊です。今までの海賊と違って一筋縄ではいかない連中が死弾海賊団です。今後、奴等の情報を徹底的に洗い出し、五大海賊の同行と共にその情報をフレイスブレイユ海軍とも共有すべきだと考えます」

 そう締めたクリストフの言葉は、会議を円満に終わらせるだけの効力を十分に持ち合わせていた。彼の日頃の行いや人柄もそれを手伝い、海賊による商船襲撃によって貿易赤字が嵩む国益会議の場を終了させた。

「お疲れ様です」

「ありがとう、ヴィヤーダ君」

 会議室から出て来たクリストフ提督を出迎えた部下の労いの言葉に、彼はにこりと柔和な笑みを浮かべた。

「死弾について進言が出来た。この場はそれだけで有意義だった」

「そうですか。私は海神に対しての取り締まり強化を進言して頂きたかったのですが」

「それはキミの私念によるものだ。あの場では通らない話だよ」

「やはりそうおっしゃいますか」

 不機嫌そうにそう呟いた青年が、クリストフの足元に素早く自分の足を引っ掛けて、その進路を妨害した。避ける間も無く足を取られたクリストフは腕で体を支える事無く、顔面から一直線に床へと突っ伏した。

「……ありがとうございますっ」

 痛みに震え、突っ伏したまま声を上げるクリストフには見向きもせず、ヴィヤーダ青年はズカズカと廊下を歩き進めた。その目にはハッキリと海賊への憎悪が滲んでいた。



 ヘァーックション!と声高らかなくしゃみが波間に消える。

「風邪ですか?」

「……いんや、誰かが噂してんだろ?カッコイイ俺の事をさ」

 船長室の椅子に座って、副船長エトワールの読み上げる嘆願書をぼんやりと聞いていた、ヴィカーリオ海賊団船長ラースは、突然のくしゃみにもめげずに持ち前の陽気さでもって笑って見せた。

「……なら、気にせずに次に進みますよ。次は捕虜が欲しいと言う嘆願書です」

「ほりょぉ?」

 海賊船員たちに、今後の海賊活動の上で何が欲しいか、と嘆願書を定期的に募ると、大体は賃金上乗であったり酒盛りの回数を増やせだのと言った下らないものばかりであるが、捕虜を希望するなど珍しい以外の何物でもない。同業船から情報を引き出したりする以外に、捕虜などそう必要になるものではない。

「希望を出しているのは、メーヴォさんとマルトさん、ジョンさんですね」

「何でまたその三人が……あぁー言ってても仕方ねぇや。ちょっと本人呼んで来いよ。直接話聞くわ」

 呼び出された砲撃長メーヴォ、船医マルト、料理長ジョンが船長室に顔を揃えた。

「捕虜が欲しいってのは何でなんだ?各人理由を教えてくれ」

 たまには船長らしく、と言う風にバロック調の豪華な細工の施された机に陣取ったラースが、三人を並べて少しだけ偉そうに言った。

 三人はチラチラと目配せして、まず口を開いたのは船長の片腕でもある砲撃長兼整備士長メーヴォだった。

「簡単に言えば、僕らは人体実験がしたいんだ」

 その口から出て来た言葉に、エトワールは眉根をしかめ、ラースは面白そうだとニヤリと笑った。

「人体実験ねぇ。そのココロは?」

「僕のところは、新しい武器の試し撃ちの的が欲しい。あんまり樽や木材を無駄撃ちの的にしたくはないのと、対人戦向けの武器だからやっぱり的は人間が良い」

 メーヴォの言う『僕のところ』とは、彼が指揮を取るクラーガ隊の事を指す。力自慢の大男五人と手先の器用な五人が、彼の下で砲台や砲銃の整備やとある件で手に入れた書物から新しい技術の検証、武器、道具を作り出している技術者集団だ。彼らの努力の結果、その恩恵が次々に死弾に齎されている。

「時々試し打ちしてたっけなぁ」

「今、コールの為に宝石を使った魔法銃を試作している。それの威力を対人で試したい」

「それならあれだ、襲撃の時でいいんじゃねぇの?」

「いきなり実践投入は駄目だ。特に彼は長時間船外で活動出来ない。夜に船を襲撃したとして、もし銃に不具合が起きても、暗すぎたり襲撃中に再調整したり出来るもんじゃない」

「つまり、的にしてしっかり致命傷を与えられて、かつ精密射撃で急所を外せるのか、とか試したいと」

「出来れば動く相手が欲しいからな。止まっているだけの的なら、子供でも射抜ける」

 ごもっとも、とラースはメーヴォの意見に納得した。

「で、マルトは何の為の人体実験だって?」

「新薬の人体実験です。希望を言えば海軍兵士を捕虜に欲しいです。遠慮しなくて済みますから」

「そうね、お前は本当に海軍大ッ嫌いね!」

 船医マルトは海軍に並々ならぬ恨みを持っていて、普段大人しく争い事や殺戮を嫌うクセに、海軍相手となると一切の容赦を忘れるのがこの男だ。新薬の人体実験などと言えば、とんでもなく不味い薬や効くか分からない薬、更に毒薬の実験まで込みなのだろう、とラースは不敵な顔で思案する。

「船長。オレんところの捕虜はな、人数が欲しいねん。五人はいる。あと虎鯨を捕まえてぇんや」

 料理長ジョンが独特なイントネーションで話す。聞けば、食糧事情を左右する実験をしたいと言い出して、ラースはやはり興味深くそれを聞いた。

「虎鯨て、毒持った鯨がいんら?しょっちゅう鯨の群れに紛れ込んでて、時々引くハズレのヤツや。アイツ捌くの練習したいん。前に手に入れた鮪包丁があればイケると思うんや。アレが捌ければ、今後の食糧事情が改善されると思うてな」

 鮪包丁とか言ってるけど、お前それ由緒ある古代人の遺産の武器なんだぜ?十二星座の名を冠したオーストカプリコーノと言う名の大太刀の所持を許されているジョンは、それで調理の難しい虎鯨を調理したいと言う訳だ。

 虎鯨は鯨の群れに紛れ込んで生息する強力な毒をもった鯨の一種だ。その毒と巨体で、対する海洋生物はクラーケンや一部の海竜だけと言われる鯨界の嫌われ者。伝説的な料理人が捌いて食したと言われるが、現在その技術を持つ者はほぼ居ないとされている。

「捌くは捌くでええんじゃが、毒の検査試薬を使うてから試食するにも危険すぎるっちゅうんで、人体実験したいてワケや。ついでにこれに関してはマルトと共同作業なところがあってな。虎鯨の毒の解毒薬の実験も兼ねてんねん」

「ってなると、医療班と料理班で五・六人の捕虜が欲しくて?メーヴォん所も一人じゃ足りねぇよな?」

「欲を言えば三・四人欲しい」

「十人ばかりの海軍の捕虜が必要ってか……んんー……」

 では早々に海軍の船を襲撃出来るような場面が揃うはずもなく、頭を抱えた船長ラースは次に情報屋レヴを部屋に呼び出した。

「お前の情報網で探して欲しいんだが、この海域を航行する予定の海軍の船ってあるか?」

「手元に情報はありませんが、急ぎの使役便を出せば五日……いえ、三日後には」

「よし、頼んだぜ情報屋!後の果報は供物に祈って待ちな」

 こうして船員の希望は早急に叶えられるのだから、死弾と言う船は船員に愛される船であった。



 宣言通り三日で情報を仕入れたレヴの情報を元に、天文学者の吸血鬼コールの指し示す方角と長年培って来た航海術を足して、本来なら避けて通る海軍の巡視船の航路を導き出す。七日後にはヴィカーリオ海賊団は海軍の巡視船の襲撃に成功した。

 遠く微かに見え始めた帆船に向けて副船長エトワールの不意打ちの超遠距離射撃で見張りや甲板に居る数名を狙撃、更に逃走されては困るとセイルに火炎弾を打ち込んで炎上させる。混乱する船に風の魔法で急速接近して強襲すれば、対応出来るような兵士は早々に居ない。船に乗り移って銃を放ち、得物を振るって次々と兵士を切り倒していく。

「全部殺すな!今回は捕虜を捕まえろ!」

 船長ラースの指令に、生きて掴まえられた捕虜がきっちり十人。仕官クラスの兵士も数人居て、それらはクラーガ隊が引き受ける事になり、下士官兵六人が医療班と料理班の元に託される事となった。

 殺戮と略奪の終わった海軍巡視船の甲板で、船長ラースはそこに立ち込める硝煙と血の匂いを胸いっぱいに吸っていた。

「っあー……たまんねぇなこの匂い」

 それが非人道的な行為であっても、一つやり遂げたと言う達成感でラースは満たされていた。

「さて、最後は私の出番ですね」

 血みどろになった甲板や船内を、吸血鬼コールがレヴの影の傘の下で徘徊する。その長い白髪で舐めるように血液を吸い上げ、彼は食事をしていた。血に貴賎なし。惜しげもなく流された血を一滴残らず彼は吸い上げ飲み尽くす。その彼に付き添うように、先日盟約を交わしたレヴが影を操って日差しからコールを護るのだ。消滅しないまでも、太陽光でコールの皮膚は焼け爛れてしまう。その辺りは本当に吸血鬼なのだな、と多くの水夫たちが物珍しげに眺めている。

「ありがとうございますレヴ様。私のためにわざわざお力添えを頂けて、嬉しゅうございます」

「普段あんまり食事が出来ないんだから、沢山飲んでおいてください」

「はい、レヴ様」

 デコボココンビは互いを助け合うように、にこやかに惨状の後を歩き回る。その間にクラーガ隊が船底に爆薬を仕掛け、船を沈める支度に取り掛かる。こうして計画された捕虜確保作戦は、滞りなく達成された。


 捕虜を確保したその五日後には、無事に虎鯨を捕らえ、そして各班の捕虜を使った人体実験が始まった。

 筏の上で行われる虎鯨の解体。捌く事は問題なく終わった。それを使用した料理が捕虜に振舞われ、まず二人が中毒症状を起こして早速新しい解毒薬を試されていた。内一人は甲斐なくあっけなく逝った。

「体力的な問題はともかく、あの症状は拒絶反応でした。彼の体に虎鯨と合わない体質的な物があったと考えるべきですね」

「何や、虎鯨ってのは厄介なヤツやのう」

「彼らが食べていた部位は分かりますか?」

「死んだ奴等に食わせたのは卵巣やったな」

「ではそこに拒絶反応を起こさせる毒があったと考えるべきですかね」

「せやな。他の奴等はピンピンしとるワケやし」

 さて次は何処の部位を調理して食べさせようか、と意気込むジョンを前に、捕虜たちはみな絶望に打ちひしがれる。

「大丈夫、皆さんの命は無駄に落とさせません。虎鯨の完璧な解毒剤を作るまでは、付き合ってもらいますからね」

 にこりと笑う船医マルトの目が、薬が完成したら用済み、と暗に訴えていて彼らの希望を儚くも打ち砕いた。


 日が落ちて夜になれば、捕虜が一人足枷を外され甲板に放たれ、それを的に吸血鬼コールが新型銃の射撃訓練をしていた。

「この黄金銃は素晴らしいですね!反動が殆どない上に、自在に弾道を変えられます」

「弾道の変化は貴方自身の魔力の高さだから出来る芸当です。僕の作った銃は貴方の魔力を効率良く使う為の補助に過ぎない」

 何処となく謙遜しているような言い方をするメーヴォに、様子見をするラースは気味悪そうに苦笑する。

 ただその謙遜とも言える発言には確固たる裏付けがあった。メーヴォ自身も弾道を操る術など搭載した覚えがなかったからだ。銃が使用者の能力に合わせて変化した、としか言いようがなかったのだ。

「銃はかつて使用した事がありますが、こんなに自在に使えるとは思いませんでした」

 夜目の利く吸血鬼には星明りとて昼間のように見渡せる甲板に、捕虜が一人。逃げ惑う足元に銃撃を響かせ、時折頭を狙って掠るように撃っては、急所を外していたぶってみせる。この吸血鬼も相当な残虐性を持っているようだ、とラースは思わず口元を歪める。

 揃いも揃って狂人が集まった事だ、とラースは船長の立場からぼんやりと思う。それは自分が相応の狂人だからであって、それに見合った人材が集まった結果でしかない。

 何て素晴らしい海賊団が出来上がった。自画自賛するようにラースは両手を広げて天を仰ぎ見る。満天の星空の下、眠る事を知らない海賊船員が哀れな捕虜を相手に凄惨な実験を繰り返している。この星空をも血で染めようと言う狂った連中が、今こうして自分の下に集まっている。

 漆黒の空と海に銃声が響き、僅かな悲鳴を上げて捕虜が新たな星になった。

「ブラボー!」

 思わずラースは叫んでいた。



 巡視船が消えた、と海軍に伝令が入ったのは、当の巡視船が襲撃を受けた半日ほど後の事だ。最後の魔道波通信は『洋上で狙撃されている』と言って途絶えた。

 巡視航路に堂々と入り込み、そしてやはり何も残さず略奪し、煙の如く掻き消して後には何も残らない。苦々しい顔でクリストフは拳を握り締めた。

「これが死弾か」

 以前沈められた訓練兵たちを乗せた訓練船は彼の管轄の物だった。たまたまその時にクリストフ自身は船での指揮を取らなかった。別の件で立て込んでいて、部下に任せたのだ。その結果が例の襲撃であり、幾人もの部下と新兵を失う結果になった。ヴィカーリオ海賊団の名を改めて調べ上げ現在に至る。奴等は絶対に自分の手で制裁を与える。

「提督、出航の許可が下りました」

 ヴィヤーダ青年が執務室の扉を開けた。

「伝令ご苦労。ヴィヤーダ君。キミも船に乗ってもらえるか?恐らく彼らと遭遇する事は無い巡視任務でしかないがな」

「了解しました」

 何処か不服そうにも見える表情のヴィヤーダ青年の後ろで、扉がノックされる。

「入りたまえ」

「クリストフ提督、死弾に関する情報について幾ばくか通報がありました。信憑性の高いものを選別してきました」

「ご苦労、ケイン君。そうだ、キミも今回の出航に乗船してくれ」

「は、了解しました」

 敬礼した部下を見送り、纏められた資料に目を通す。ドレもコレも信憑性にかける物ばかりだったが、数週間前にある港で目撃情報があった事が記されていた。南の観光地だが、例の巡視航路から考えると、次の行き先は東の方に思えた。

「次は東か、死弾海賊団……魔弾のラース、蝕眼のメーヴォ。絶対に捕らえてやる」

 怒りの炎を腹の底に燃やし、クリストフは執務室を後にした。



「進路は東、アジトに帰るぞ!次の港で土産でもたんまり買ってやれ!」

 そう言った船長の言葉に、ヴィカーリオの船員たちは少しだけ浮き足立った。

「アジトがあるんだな」

 船長室で海図を広げたラースに、相棒のメーヴォが何処か不思議そうに話しかける。海洋国家ゴーンブールと南の諸島国家コスタペンニーネの間の拡大海図を眺めながら、点在する島々と潮流が示されたそれを指でなぞる。そこに一際線の入り乱れる海域がある。ついでに書かれている航行注意海域、の赤い文字が躍る。此処だ、とラースはアジトの姿を地図の上に幻視した。

「お前が来てから調子が良かったからな。全然帰ってなかったんだ」

 成果が上がらない時は懐が寒すぎてよくアジトに帰っていたが、メーヴォが加入した後のヴィカーリオ海賊団の航路はいつでも順調だった。

「帰らなくてもいい状況が続いてたからさ」

「なら、突然どう言う風の吹き回しだ?」

「……お前にアジトを見せておきたくなったって所かな」

「そうか。それは光栄だ」

 勇敢なるカモメの運んできた風は自分たちを押し上げてくれた。ラースは何時の頃からかメーヴォに信頼を寄せていた。技術者として、気の合う仲間として、相棒として背を預けられる存在に巡り合えた。机の上に鎮座する愛しい頭蓋の髪を撫で、彼女の導きと勝手に決め込んでいた出会いの必然性を噛み締めた。

 捕虜たちのおかげで吸血鬼コールの黄金銃は無事完成し、更に虎鯨の調理法も、毒の解毒剤も順調に実験が進んでいるらしい。黄金銃の実験は比較的余裕を持って終わり、余った捕虜は虎鯨実験班へと回され、残り五人になっていた。今日も捕虜たちは美味い鯨料理を命がけで食べている。

「アジトに着くまでにはあの捕虜たちも死ぬだろ」

「次の港までもつかな」

「賭けるか?」

「どうせお前も僕も、もたない方に賭けるから意味がない」

 その通りだ、と笑ったラースの声を掻き消すように、捕虜の悲鳴が船内に響き渡った。



 漂う紫煙のように、匂いだけを残して消え去る。そこには血と硝煙の臭いが残る。まるで死神のようだと商船たちは噂する。出会えば終わりを意味する。五大海賊と並んで、恐れられる名として死弾の名はこの所急速に広まりつつあった。

「……坊主も随分やるようになって来たなぁ」

 酒場でそんな噂話を聞いていた商船船長ジェイソンはプカリと煙草の煙を吐き出した。

「『次は日出る方角の大船で会おう』か。そんじゃあ俺も帰るとしますかね」

 傾けたグラスで氷が涼しげな音を立てた。



「東に進路を取るのは良いんだけど、海軍の巡視がきつくなりそうでね。まあ自業自得って言ったらそれまでなんですけどねぇ」

「で、アタシらの出番と言いたい訳かい?」

 食えない男だねぇ、と妖艶な笑みを浮かべる女は、パタンとその本を閉じた。

「嫌いじゃないよ、そう言う分かり易い話は。これだけの本だ。アタシらも相応の礼をしてやらなくちゃ借りが出来ちまう」

 アジトに帰る前にと最後の補給をした港で、既に連絡を取り合っていた白魚海賊団の船長オリガとテーブルを囲んだ。先日とある屋敷の探索をして持ち帰った大量の書物の中にあった、乙女文学の原本を手にオリガの指先が艶かしくしなる。

「しかし、海軍の巡視艇の妨害だけじゃ、ちょいと安くついちまうね」

 え?と聞き返したラースに、オリガはくっくと喉を鳴らせて笑った。

「それだけこの本がお宝ってこった。男共にはこの価値が分からないって、悲しいねぇ」

 あまりの事にラースが横のメーヴォへと助け舟を求めるように顔を向けると「言っただろう?」と彼は苦笑した。

「僕は言っておいたぞ。競売にかければ相当な額になるって」

「競売かけたら足が着くから嫌だっての!いいんだよ、本当に価値の分かるお嬢さんらに読んで貰えれば本だって本望だろ?」

「あっははは、だからアンタらは面白いんだ!」

 ほらよ、とオリガが一本の反物を投げて寄越した。おっとと、とお手玉したラースが不思議そうに顔を上げる。

「アンタらンところに新しく吸血鬼が入ったんだって?そいつはウチの娘たちも世話になってる遮光魔布。紫外線をほぼ完全に遮断出来る代物さ。それで一張羅でも作ってやんな」

「助かるぜ姐さん」

 手に取ったエールグラスで乾杯をした両船長の横で、差し出された書物に目を輝かせた女海賊たちが、一斉に死弾海賊団の男たちに色目を使って絡んで行った。お前たち羽目を外し過ぎるなよ!と叫んだのは船長ではなく両海賊船の副船長たちだった。



 程よい風が海上に流れている。航路は東側の巡視航路、それを少しだけ西にずれるように航行している。

「読みが正しければ、この航路上に死弾の船が通るはず」

 呟いた希望的観測を打ち砕くように、見張りが声を張り上げた。

「海賊船です!白魚のジョリー・ロジャーです!」

 白魚海賊団。四大海賊の中でも最も好戦的で、最も賞金額の多い女海賊オリガの武装船だ。

 血の貴婦人とまで揶揄される、強いて言えば一番出会いたくなかった海賊団を前に、抗戦する事も考えたが、クリスフトは進路変更の号令を出した。

「よろしいのですか?」

 海賊を前に背を見せるなど、とでも言いたそうな顔のケイン青年を宥め、遠くに見える海賊船へ投げキスでもしてやろうかと悪戯心が湧いた。

「あの白魚、恐らく……死弾と何らかの契約を交わしたに違いない。まったく、何処までも賢しい奴等だよ」

 つい先日海賊によって海軍の船が沈められたばかりだと言うのに、こんなに都合よく巡視航路に侵入するような馬鹿は早々に居ない。そんなに暴れたければ他を当たってくれ、とクリストフは内心でまだ見ぬ女海賊に毒を吐いた。

 女海賊と言えば彼女は今何処で何をしているのだろう。きっと私の元から奪い去った宝石を売り払い、少しだけ静かに暮らしているのかもしれない。その内きっと金銀財宝を求めて海に出てくるに違いない。

「ああ、蒼い薔薇の君よ。また再び君と見える事を夢見ているよ」

 恍惚と呟いたクリストフの後頭部に、デッキブラシの頭が飛んで来て直撃した。グハァ、と声を上げたクリストフが甲板に突っ伏した後、すみませんねぇ、と棒読みの謝罪と共にヴィヤーダ青年がデッキブラシの柄をクリストフの背に突き立てた。

「ゴハァっ……ありがとうございますっ」

「……海賊たちめ」

 憎憎しげに遠くに消え行く海賊船を睨みつけたヴィヤーダ青年に、ケイン青年は一つ溜息を落とした。



 青い空に朱が指す。東西で空の色が異なる僅かな時間。

 甲板ではメーヴォがその空を眺めていた。

『あるじ様、ヴィカーリオのアジトはどんな所でございましょう。楽しみですなぁ』

『島一つ丸々彼らの島だと聞いた。かなりの規模があるらしい。詳しい事は楽しみに取っておけってみんな詳細を話してくれないよ』

「メーヴォ、こんなトコにいたのか」

 左耳の上に陣取った魔法生物と会話をするメーヴォの背に、ラースの声がかかる。

「そろそろ飯だぜ?」

「あぁ、分かった」

 食事の時間だと呼びに来たはずのラースが、甲板に靴音を響かせて船の縁へ並んだ。

「おぉー綺麗な空だなぁ」

 夕闇の紺と、夕日の紅色がその境界線で滲むように分かれる。何度か見た光景だが、見る度に美しいと思う。

「街頭に浮かんだ血まみれの女の死体を思い出す空だな」

「ヤダーメーヴォさん怖ーい」

 棒読みで茶化すようにラースが笑う。その笑う顔の奥に闇を伴った邪悪が居る。その存在にメーヴォは心底安堵する。

「なあラース。少し話をしても良いか?」

「どうぞどうぞ」

「僕は、あの処刑場でお前に命を拾われた」

 メーヴォの指す処刑場、と言うのは二人が出会ったあの鉄工の港町の砦だ。もうずっと前の事の様にも思えたし、つい先日の事だったようにも思える。

「その後セイレーンの呪いで、僕は一度死んだと思っているんだ」

「へぇ。生まれ変わって海賊としてやっていく覚悟がついた?」

「そうだな、お前に命を救われて、この命をお前のために使おうと決めたんだ」

 そう言ったメーヴォの言葉が思いもよらぬ返事で、ラースは驚きに目を丸くし、次第に照れたように顔を歪めた。

「やめろよそう言うの。ケツが落ち着かなくなるわ」

「お前が僕を『宝の鍵』と言って必要とする限り、僕はお前のために命を張る覚悟がある」

 この船の船員たちが少なからずラースに命を預けているように、メーヴォにはそれ以上に彼を押し上げる風でありたかった。

「ってかよ、お前は自分のお宝を探したいんだろ?燃える水に爆発する水!」

「ああ、それなんだけどな……」

 実はもう見つけた、とメーヴォはさらりと口にした。驚愕のあまり声を裏返してラースがメーヴォに向き直った。

「待てよ!いつ?いつそんなお宝見つけたんだよ!俺が知らない間に!」

「蝕の民の技術書に、それについての記述があった」

「えっ?マジかよ!」

「そう、お前は僕のお宝を見つけて、既に僕に寄越してくれたってワケさ」

 ただ材料や技術研究や機材、材料と全然足らないから、まだ僕の旅は続きそうだよ、と言って笑うメーヴォに、ラースは呆れたよう笑った。

「何だよ、そうならそうと言えよ!」

「言ったところで、僕らの航路は変わらない。そうだろう?蝕の民の技術を解析、解明して、例の十二星座の武器を出来る限り探し出す」

「そんでもって、蝕の民の謎を解いてやろうってか」

「壮大な冒険譚になるぞ」

「そう来なくちゃな!見てろ、俺たちは偉大な海賊王アランのように登り詰めるんだ!」

「あ、僕はそう言うのには興味ないんだけどな……」

「ノリが悪い!」

 笑い合って、二人は甲板を後にした。食堂では料理長自慢の夕餉を仲間たちが食べていた。



『ご覧下さい、これが貴方様の御子孫であらせられます。昔々のあるじ様。わたくしは今、素晴らしいあるじと、その仲間と大冒険の日々を送っているのでございます』

 誰にも聞こえない声で、もう届かないかつての主へ。かつて主に命を拾われた魔法生物が、祈るように言葉を投げ掛けた。


 航路は、一路南東へ。



おわり

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