海賊船長と殺人鬼
立ち寄った港町の鍛冶屋にそれを見せると、これは専門の者が見ないことには直せないと、至極端的に返答をもらった。
「魔法がかかってる代物はウチじゃどうにもならん。せめて火薬なんかを専門で見る人間がいないと直せんよ」
「くっそ、なんだよ面倒くせぇなぁ。折角この技術大国くんだりまで北上してきたんだぜ?」
「そうは言ってもなぁ旦那。こっちも技術者の確保に苦労してるんだ。国が工房からして手を回して技術隠匿さ」
「……ってこたぁ、この辺り一帯の鍛治屋だの武器屋じゃ結果は同じって事か?」
返事の代わりに肩をすくめて見せた店主に、思わず頭を掻きながら悪態を吐く。右頭部の古い傷跡を小指が掠めてジワリと痛みが走る。ああ、嫌な気分だ。
愛用の銃の調子が悪い。ついでに言うと船に積んである砲台もろくな手入れがされていなくて、此処のところ飛距離も命中率も悪い。砲台はともかく、愛用の銃はこの街ではどうにもならないと結果が出た。火薬の専門家で国軍に属していない、または監視下に無い者なんぞこの御時世、早々居るものではないと言う事だ。長らく冷戦が続くこの世界情勢の中、技術者の価値は計り知れない。
「仕方ないです船長。次の街までの航路を考えましょう」
「そう悠長に言ってられるか!この海域でようやく名前が知れ渡ってきたってところでよ?小蠅共を追い払う弾が無くて魔弾のラースが名乗れるか?」
その二つ名も自称じゃないですか、と溜息混じりに呟いた男をギロリと睨んでやれば、船医マルトは大柄な身の丈に似合わず小さくなって肩をすくめる。デカい図体のくせに気が小さすぎる男だ。
しかしマルトの言うことも間違いではない。この街で出来ることがないなら、早々に物資補給をして立ち去るべきだ。名前が通り始めたと言うことは、海軍に目を付けられ始めると言うことも意味する。出る杭は打たれるし、要らぬ新芽は早々に摘まれてしかるべきだ。どこぞの海洋国家程ではないが、この国も海賊に目を光らせている事は間違いない。
「チッキショウめ……」
また悪態を吐いて、腰にぶら下げた絹布の隙間から愛しい頭蓋の金髪を撫で、少しだけ気を落ち着けた。
必要な物資を買い付けに回り、手下の水夫たちに荷物を預けて船に戻らせて、俺たちは酒場で遅い昼食を取る。この店の海老のアヒージョ(海老のガーリックオイル煮込み)はなかなか美味かった。プリプリの海老に香ばしいガーリックオイルでエールが進む味だ。
さぁてこの後どうしたもんか。
この一帯の海域でようやく名を挙げ始めた海賊、魔弾のラース率いるヴィカーリオ海賊団。その団長であるラース様が、その二つ名とも言われる魔弾が撃てなくなったなどと、こんな事態に陥って良いはずがない!何処かにモグリの技術者が居るとか、どうにかしてその手の類の情報を集めるしかない。ウチの船員きっての情報通がどんなネタを仕入れてくるか、もはや神頼みにも等しい。
深い溜息をこれ見よがしに吐き出して、テーブルに置いた愛しき骸骨の頭を撫でる。酒場の明かりに金色の髪がきらきら輝く。導いてくれよなぁ?俺の愛しのエリー。
酒場の扉が静かに開閉し、そこを人が通ったと誰も気付かぬ間に、俺たちの囲むテーブルに一人の男が着席した。
「お頭、エリーを仕舞って下さい。海軍が来ます」
影が囁くように小さな声で、しかし逼迫した声色で男は、少年は囁いた。俺はそっとエリーを絹布で包んでテーブルの下に隠す。
途端、酒場の外で民衆が好奇の目を向け、何事かと声を上げる。民衆の視線のその先で、絢爛豪華な制服に身を包んだ国軍将校御一行が列を成して闊歩して行く。それに続くのはどうやら海軍の兵隊のようで、彼らは鉄製の檻を担いでいた。檻の中にいるのが珍獣なら良かったのだが、それはどう見ても成人男性と言った具合で、つまり罪人が引っ立てられたのだ。
「……あーあ、可哀想にねぇ」
明日は我が身とも知れぬ男の姿に、哀れみのような皮肉のような溜息が出る。後手に縛られ、檻の中央から吊るされ膝立ちで揺られている男はまだ若い。相当な抵抗をしたのだろう。そこそこのハンサム顔は殴られてボコボコだし衣服も泥まみれ血まみれ。檻の後ろに続く隊列では何人かの兵隊が肩に担がれたり、如何にもアレな袋を抱えている者たちも居る。
「アレは相当反撃したな。に、さん……五人くらいは返り討ちにあってるんじゃねぇか?抵抗空しく、お縄ってか」
「他人事みたい言っていられませんよお頭。彼はこの一帯で連続殺人をしていた者らしいですが……」
「あぁ?何だ同業者じゃねぇの」
「彼、爆弾魔の異名を持つ火器の専門家で技術者、特に火薬については右に出る者が居なかったとか」
「馬っ鹿野郎!何でそれを早く言わねぇんだよ!」
「大丈夫です、情報はあらかじめ集めて来ました」
「よし、でかした!早速作戦会議だ」
また始まった、と頭を抱えた船医マルトを無視して、俺はエールを片手に魔族の少年、情報屋レヴと共に酒場の奥の席へと移動した。
この一帯で体の一部が無くなった死体が発見されたのは半年前の事。死体の右腕が肩からまるっと無くなっており、それが剣や斧によって切断された傷ではないと診断された。切断面は焼け焦げているが魔法を使われた形跡は無く、何をどうしたらそんな風に人を殺せるのかと物議を醸した。欠けた体の一部は何処をどう探しても発見されなかった。それからも体の一部が無くなった死体が街の至る所から見つかり、人々は恐怖に震えていた。
ところが一月ほど前。その殺人者から逃げ仰せた者が現れた。この辺りで海軍の監視下にある、火器を中心に生産する鍛冶衆の一人だった。光る赤い瞳の爆弾魔だ、との証言に、あっと言う間に殺人爆弾魔の名前が広がった。証言した男はとっさに出した左手を吹き飛ばされたが、命辛々逃げ仰せ、そして小さな爆弾によって手を吹き飛ばされたと証言した。
「人間の手を吹き飛ばす"だけ"の精密な爆弾なんて作れるもんかよ」
「精密で美しいほどに正確な爆弾を作る。だからこそ、今回のお縄に繋がったそうです」
同じ鍛冶衆に所属する、メーヴォ=クラーガと言う男が容疑者として浮上した。彼の爆弾、特に火薬に対する思い入れは尋常ではなかったそうだ。
「なるほど……で、処刑の日取りは?」
「明日の夕方、十六時。場所は海沿いの砦の中庭。こっちが砦までの裏道と、内部の見取り図です」
レヴは手のひら程の大きさの地図を二枚、そっとエールジョッキの下へと差し込む。ジョッキの水滴に、無地だった紙に地図が浮かび上がった。
「よし、その爆弾魔とやら、いっちょ強奪に行きますかっと」
俺の背後の柱の影から、船医マルトの深い溜息が聞こえてきた。
酒場を出た俺は、情報屋レヴの調べ上げた裏道や隙間道を通って早速砦へと侵入した。今は使用されていないダストシュートなんぞを調べ上げて来るからアイツの能力は本当に凄い。影を自在に操る能力を持つ魔族の少年。アイツについては今後詳しく語る事にしよう。
強い摩擦性を持った特別製のゴム底ブーツでダストシュートから倉庫へと忍び込み、更に砦の中を壁一枚向こうから縦横無尽に駆け回った。この砦は冬の厳しい地方に合わせて煉瓦が二重に組まれていて、所々に人が通れるほどの隙間を有していた。そこをスルリスルリと駆け回り、爆弾魔の男が収容されている牢屋の壁に辿り着く。
ガコン、と一つだけ外れる石煉瓦をずらせば、部屋の中央に後手を縛られたまま横たわる男の姿が見えた。物音に気付いていたのか、男の視線とバッチリかち合う。驚きに見開いた男の瞳に魅入った。痣だらけの顔の中にあって強い光を放ち続ける、大きな赤い瞳の虹彩が金色に輝いていた。何だ、あの目は?
「……貴様、何者だ」
大方の予想なりは付くのだろう。外の見張りの兵士に聞こえぬように細い声で男が問う。
「おーいおい、助けてやろうかって来た相手に、その言い草はヒドくねぇか?」
「誰だ。貴様に助けられる由縁はない」
ピシャリと言い切る辺りに芯の強さを感じる。悪くない。小さな隙間から覗き込んで話を続ける。
「お前に無くてもコッチにはあるんだなぁ。火薬大好きな爆弾魔さんよ」
「……何者だ」
「しつこいねぇ。俺はラースタチカ=フェルディナンド=ヴィカーリオ。海賊船長だ」
海賊、と聞いて男は怪訝そうな顔をする。
「長い名前だな」
「そこかよ!」
「で、その海賊が僕に何の用だ」
クールなんだかボケてんのかわかんねぇヤツだな!しかし信用されて無いねぇ。そりゃそうか、壁の中から少しだけ見える顔だけで話をしてるんだからな。ふぅっと息を整えて、本題を切り出す。
「お前の火薬に対する知識と技術が欲しい。砲撃手と銃砲の整備士としてな」
その言葉にぴくりと男の眉根が反応する。生存への道と最も興味のある事を同時に突きつけられれば、嫌が応にも反応してしまうものだ。
「……今すぐ此処から出してくれるのか?」
返って来た言葉に思わず言葉が詰まった。
「あ、あー……今すぐは、無理だ」
今はあくまで偵察に来ただけだからな、と告げると、男はまた不審そうに眉根を寄せた。
「ああー待て待て。話を聞け。お前さんの夢は何だ?爆弾で街を壊すのか?それとも国に背いて自由に生きる事か?」
あまり不振がられて兵士を呼ばれても困る。何とか話題を逸らし此方に興味を抱かせようと口を開く。
「夢が何であるにしろ、俺のところに来れば叶うかも知れねぇぜ?海賊は自由に生きようとする者を歓迎するんだ」
不審そうな顔はそのままだが、男はほんの少し目を細めた。何かに思いを馳せる顔だ。ほんの少しだけ殺人鬼の顔に、人らしい夢や希望を語る明るい光を垣間見た。
「…………僕の夢はな、人工生成出来る燃える水と、爆発する魔法の水を手に入れる事だ」
「ヒュゥ、スゲェじゃん」
なかなかの野心の持ち主と見た。技術者らしい未知の物を求める夢。竜の体液でもなく人工生成出来る魔法の水なんて聞いた事がない。相当なお宝じゃねぇか!
「……おい、今僕を助け出すのが無理なら一度退け。そろそろ巡回が来るぞ」
「マジでか。おっし、供物にお祈りして明日を待ってな」
じっと此方を見つめる目は何処までも力強く、生きる力に溢れている。この状況にありながら自分は死なないと信じきっている愚か者の目だ。これだけの逸材は早々にないぞ。絶対にモノにしてやる。
ガコン、と石煉瓦を元に戻して程なく、巡回の兵士の「異常なーし!」と言う暢気な声が牢屋に響いた。
翌日の空はどんよりとした曇り空だった。今にも雨が降りそうな空の下、甲板で一人愛しのエリーの髪を綺麗に梳いていた。爆弾魔とのこの巡り合わせ、エリーの導きに違いない。美しい並びの歯にキスをし、優しく絹布で覆って腰へ下げる。昼飯にウチの料理長が景気付けにと作ってくれたバジル味の揚げ魚のゲップを一つ落とすと、突然後ろからど突かれた。
「いってぇな!」
「品がない」
眉間に皺を寄せて渋い顔をして後ろに立っていたのは副船長のエトワールだった。上等なコートに身を包んだ綺麗好きでお上品な雰囲気の男。手入れの行き届いたツヤツヤの長い髪を潮風に靡かせている。
「海賊相手に下品だ上品だとか、無粋だと思わねぇか?」
「無粋で結構。まったく、無茶な作戦を立ててくれましたね」
渋い顔の原因はそれか。確かに爆弾魔奪取の作戦は中々に危険を伴う作戦だった。
「俺の頭が冴え渡ってる感じの良い作戦だろ?」
「此方の労力と危険度を考えると、ちっとも良い作戦じゃありませんよ」
無茶ばかり言う、とエトワールは本人を前に堂々と愚痴を零す。困った副船長様だ。此処で言い合いをしていても作戦は変わらないし、変える気もない。
よし行くか、と気合いを入れたその背中を、エトワールがダメ押しに一発平手を入れた。イテェ!
「ヘマしないで下さいよ」
「へぇーへぇ!供物に祈りな!」
有難い厄落としの一発を背に、船から下りて港へ足を運べば、港中が噂の爆弾魔の公開処刑に沸き立っている。ついにあの殺人鬼が捕まった。これで安心して寝れるとか何とか。そんな人々の会話を耳に掠めながら、情報屋レヴの集めて来た爆弾魔に関する話を思い返す。
爆弾魔の最初の餌食になったのは、実の父親だったらしい。表の顔で惜しい人を亡くしたと嘆いていたその実、親殺しをやってのけた恐ろしい顔を持っていた。次々に殺されていったのは、殺人鬼の周辺の人間たち。相当な私念があったのだろう。真面目そうなやつだったのに、と。街の人々は真面目な青年が豹変したとでも言うように噂を口にしていた。
そう言う一見真面目そうなヤツほど、奥底に黒くドロドロしたものを抱え込んでいるってもんだ。良い子を演じる裏で、あの爆弾魔は黒い殺意を溜め込んでいたに違いない。その殺意に似た何かを知っている。
ギラギラと生きる事にしがみ付こうとするあの瞳を思い出す。真っ黒な汚泥を底に沈めて抱え込んでいるような、畏怖すら感じる力強い瞳。腰に下げた頭蓋の眼孔でかつて輝いていた力強い瞳を思い出させるアレを、是非とも手に入れたい。俺は静かに決意を新たに砦への裏道へ忍び込んだ。
午後三時の鐘を時計塔が打ち鳴らしたのを合図に、俺は再び砦の壁の中を駆け回った。見張りが巡回に行く隙を見て爆弾魔の男が没収された所持品を拝借し、更に砦のあちこちに仕込みをする。逃げ道の確保も念入りに。偵察済みの砦内部を、短い時間で正確に回り切る。そうして辿り着いた中庭の見える塔の上から、男の姿と周囲の民衆、そして海軍の兵隊の姿を確認する。
「んっんー!いいねぇ、派手で実に良い。供物への祈りが届いたかな?」
思わず拍手が出てくる。さぁて、素晴らしい舞台が出来上がった。あの爆弾魔、メーヴォ=クラーガを頂戴に上がるとしよう。
「これより、我らの民を脅かした殺人鬼の処刑を執り行う!」
国軍将校の高らかな宣言と共に、爆弾魔メーヴォが処刑台の前に連れて来られる。彼の足取りはしっかりとしていて、時折抵抗するように身を捩るし、付き添う兵士の腕を払うように肩を揺らした。そんな抵抗も意味を成さず、その首が処刑台の上に置かれた。見届け人がメーヴォの首に墨で一直線に切取線を書き込む。メーヴォの上に重石が載せられて身動きが出来なくなったのを確認すると、目隠しをされた巨人族と思わしき処刑人が、別の見届け人に連れて来られる。フラフラとした足取りで処刑台の横に立った処刑人は、一気に巨大な首狩り斧を降り上げる。が、振り上げた途端に処刑人は横を向いてしまって、慌てて見届け人に向き修正を食らっていた。
「そんな手元で大丈夫か?っとぉ!」
皮肉を口にしながら、俺は右腿に下げたホルスターから愛用の魔法銃と別の、もう一丁の銃を構える。愛しのエリーの遺品でもある魔法銃の魔弾は一直線に処刑人の手元に命中した。
「うぎゃあぁ!」
目隠しした処刑人がその衝撃に錯乱し、斧を振り回す。見届け人の一人が頭を吹っ飛ばされて絶命したのを皮切りに、その場の混乱が始まった。続けざまに銃を撃つ。民衆の手前に三発、処刑台を囲むように五発。着弾した魔弾はその場で巨大な氷の柱を生成し、民衆と処刑台を分断し、そして処刑台を囲ってそこを孤立させた。
もちろん中庭は大混乱。手に氷を纏わせて斧を固定された処刑人を押さえるのに軍の連中は必死で、コチラに目をやる者は少ないし、ましてや分断された処刑台を気にする者すら居ない始末だ。
俺は背負っていたボウガンを構え、分断された処刑台に向かって発射した。氷の壁に刺さったアンカーに繋がるロープを手早く塔の壁に打ち付け、ボウガンを引っかけて滑空する。ズシャ、と足下で砂利が鳴って、俺は処刑台の横に降り立った。振り返った先で再びあの輝く瞳と視線を交わす。
「よう、ご機嫌いかが?」
「最高だよ、海賊船長」
重石の下でメーヴォが苦笑する。待たせやがって、とでも言いたげな顔だ。
「随分待たせてくれたな。来ないかと思ってたよ」
「あ、本当に言いやがった。流石の俺でも牢屋の中からは出してやれないんでね、表に出て来るまで待ってたわ」
「派手な登場には恐れ入ったよ」
減らず口が絶えねぇ男だな。嫌いじゃねぇが。
感心しているのも束の間、どうやら処刑人が取り押さえられたらしく、氷の壁の向こうを国軍海軍入り乱れた一群が一斉に囲み、それを崩そうと攻撃を始めていた。
「なあ、ところでよ。メーヴォって言ったな爆弾魔。お前、好きな女いるか?」
「それは今答えるべき質問か?」
「もちろん、そうでなきゃ聞かねぇよ」
「僕の好きだった女は……初恋の相手は、両親の次に吹き飛ばして殺した」
それを聞いて思わずゾクゾクと背筋が震えた。
「お前サイっコーだな!」
笑って重石を蹴り上げれば、身を擦られる痛みにメーヴォが顔を歪めた。自由になった体を起こし、腕の枷を撃ち抜いて割ると、助かった、と口にする。
「ホラよ、お前さんのだろう?大事にしろよ」
「……言われずとも」
メーヴォの所持品だった眼鏡と真っ赤な鞭を投げてやると、奴はニヤリとその口元を歪めた。やっぱりコイツは相当な同類だ。
「で、脱出はどうするつもりだ?」
「そうだな、このアンカーをもう一度向こうの壁に撃ちたいんだが……」
「どうやってアレを外すつもりだ?」
塔の壁に固定されたままのロープを顎で差してメーヴォが問う。
「ほら、それはお前さんの初仕事だろ」
食えぬ男だ、と鼻で笑うと、メーヴォはその真っ赤な鞭を振るった。何がどうなったのか、バチバチと火花が走ったかと思うと塔の上で爆発が起こり、更にもう一振りで氷の壁の上部が吹き飛び、アンカーがロープごと俺の足下に落ちてきた。
「えっ、凄くね今の」
「早くしろ、海軍が壁を壊すぞ」
あらヤダ、実は威張りん坊なの?
「お前、船長に命令するんじゃねぇよ!」
とは言え、海軍の連中も俺の顔を見て驚いて居るみたいだし?ココはそろそろ潮時だ。手早くアンカーを塔に向けて発射する。ガチンと石を噛む音がしてアンカーが固定されるのを確認し、特製ボウガンの糸巻きを起動させる。
「メーヴォ、俺の船に来い!」
差し出した俺の左手を、短い小指の左手が力強く握り返した。
「厄介になる」
俺たちの体はロープを巻き取る滑車付きボウガンに引かれて宙を舞った。一瞬の事で軍の連中もとっさに対処出来ず、俺たちは塔の壁を駆けるように上ってその身を隠した。まだ塔の上に兵士は居ない。塔のあちこちに仕掛けた魔弾が時間通りに作動し、通路を氷漬けにしているから当然なんだけどな!
「で、どうするんだ?」
「どうするんだって、飛ぶんだよ!」
幸いココは海沿いに建つ砦の塔の上。そして海の上には?
「せぇぇぇぇぇんちょおぉぉぉぉぉ!」
海から大きな声が響く。波の音にも負けない、巨人族らしいデカい声だ。
「いぃやっほぉぉ!ココだココだ!」
塔の端から身を乗り出して手を降れば、砦の下の海に我らがヴィカーリオ海賊団の海賊旗が見えた。海軍の船に気付かれず、時間ぴったりにこの崖の下に待機しろと言う無茶な要求を無事にやり遂げてくれた訳だ。
「間に合いましたよ!さあどうぞ!」
副船長のエトワールが舵を握りながら、この無茶な要求に対しての文句を溜め込んでいる顔を向ける。おうおう、文句なら後で幾らでも聞いてやらぁ。
「アレに飛び移れと言うのか?この高さを降りろと?」
メーヴォが当然のように抗議するが、軍の銃撃が始まってそうも言っていられなくなった。
「俺と俺の仲間を信じろ!そしたら供物にお祈りしな!」
「……くそっ!」
悪態を吐きながらも、メーヴォは俺の横に並んで塔の端に上った。
「いっせぇの!」
掛け声に合わせて、俺たちは石煉瓦の壁を蹴った。その背に海軍の兵士たちのどよめきを聞きながら、風を纏って俺たちは船めがけて落下していった。
ぶふわ、と本当に風が下から俺たちを包んで落下速度を殺し、パンパンに張ったセイルへと着地、滑るように風に乗って俺たちは甲板へと到着した。その時のメーヴォの顔を見たか!眼鏡の奥の大きな瞳がこぼれ落ちそうだった。
「……何が起こった」
「何って、アイツの吐息に乗って降りてきたんだよ」
アイツ、と指差したところに、顔を真っ赤にして倒れ込む船医マルトがいた。巨人族にして風の魔法に長け、超人的な肺活量を持つ男の吐く息と風の魔法で、俺たちは受け止められたと言う訳だ。
「……は、はは……何てやつらだ」
メーヴォの苦笑を後目に、俺は高らかに声を上げた。
「行くぜ野郎ども!撤退だ!沖に向けて舵を取れ!」
夕日が沈み掛けた大海原へ海軍が追う間もなく、新たな船員を確保したヴィカーリオ海賊団は出航した。
おわり