13-4 姉離れ
スキュラの消滅を確認したため、もう海中での用事はなくなった。上で待たせている少女達に早く元気な顔――正確には元気なマスク――を見せたいところである。
だが、俺は海上に戻るべきなのだろうか。海底の方が親和性を高く感じるのだが、自分で自分の顔は見られないので定かではない。
魔法少女から裏切り者と罵られた俺は、いっそうの事、消えてしまった方が良いのではなかろうか。
「いやいや、君は上に戻りなってっ!」
俺が降りてこないように、幽霊な魔法少女が浮上してくる。
知人ではないが、雰囲気はどこか皐月に似ている。色は皐月と同系統だ。
「乙女をヘッドショットしてくれた癖に、覚えてないって酷いでしょ。私は先代の炎の魔法使いで、皐月の師匠やっていました。で、こっちが先代の氷の魔法使い」
幽霊は一体だけではない。皐月の師匠を名乗る少女に率いられて、もう一人、髪の長い少女が浮上している。
先代の氷の魔法使いの顔はスキュラの所為でお馴染みである。
本物のアジサイ姉はクスクスを笑わない美人だったが、本物は本物で難がありそうだ。
「――浅子のいないあの世なんて考えられない。可愛い妹と離れ離れで死んでいられる自信がない。呪っての無理心中? そんなの許されない許されない許されない、浅子浅子浅子浅子、恨めしい恨めしい恨めしい」
アジサイ姉は長い髪を垂らし、幽霊らしくブツブツと呪いの言葉を紡ぎ続けている。
「あー、その子は理性とかそういう大事な箇所のネジがないだけだから。気にしないで」
リフレイン気味な台詞以外は、そう妹と変わらないので免疫は若干ある。顔も体格も似ていない姉妹だと思っていたが、性格は似通っていたようだ。
浅子、と誰かの名前を唱える頻度が高い。スキュラもアジサイをそう呼んでいた事があった。きっとアジサイの本名なのだろう。
「――浅子浅子浅子浅子、浅子の匂い??」
ふと、アジサイ姉の目線が俺に向けられる。ぬいぐるみを屠るメスライオンの瞳みたいだ。
足をバタつかせながら急浮上してきたアジサイ姉は、俺の胸に顔を埋めて深呼吸し始める。
「くんくん。浅子の成分―っ」
アジサイを地面に押し倒していた時に体が密着していたから、体臭が移っていたのだろう。んな馬鹿な。空港の麻薬探知犬でもなかろうに。
「浅子ーっ、もうー。お姉ちゃん辛かったよーっ。あははー、胸が成長していなーい」
先程までの悪霊特有の陰の気は消え去っているのに、朗らかな邪念を感じる。
妹の事となると正気ではいられなくなる残念な美人幽霊に取り憑かれて、俺は若干引き気味だ。確かにアジサイの胸は姉よりも少なく感じる。見た目だけでなく、今感じているから明白だ。とはいえ、流石にアジサイの胸は俺よりもあったし、柔らかかったぞ。
「あの、皐月の師匠さん。この人どうにかなりませんか?」
「妹が絡むと、そこの子はどうしようもない」
「浅子の匂いだけでもご飯三杯いけるー」
「良いじゃない、役得だと思ってさ。その子は最後辛かったはずだし……。辛かったのは私もだからさ、ちょっと胸貸して」
アジサイ姉に続いて、皐月の師匠まで俺に抱きつく。
両胸に花の名を関していた魔法少女達。祝福の時間の到来であるが、片方は鼻を押し付けて匂いを嗅いでいる所為で気持ちが萎えるし、もう片方は鼻声になりながら震えているので不謹慎ではいられない。
「遣り残しだらけの人生だったけどさ、皐月が救われてどうにか報われたと思う。だから、君は上に帰ってあげてよ」
「……分かりました。今日は上に戻ります」
「ん、可愛くない弟子をお願いね。良い男かは……マスクの所為で分からないけど、弟子が気に入るぐらいだから良い人なんだろうね、君」
海上で待っている魔法少女達のためにも、俺は戻るべきなのだろう。……優太郎って誰だっけ。
「あーあ、私も弟子のように恋したかった。残念っ!」
叶わない夢を嘆きつつ、皐月の師匠は俺から離れていく。取り憑いていたアジサイ姉を忘れずに引っ張っていってくれたので、一安心だ。
二人の魔法少女の幽霊は何もない海底へと沈んでいく。
今回は呪わしい敵がいたから海面付近まで上がって来たのだろうが、スキュラはもう存在しない。彼女達はもう二度と浮上できないだろう。
俺は、無意識に手を差し伸べる。俺の手で彼女等を引き上げて、海上へと連れ去って行きたくて、海底に伸ばしてしまう。
だが、俺の手は何も掴めずに握り絞められるだけだった。
己の無力感に体が重くなるが、それでも俺は海上に戻らなければならない。
「――寂しいけれど、妹をお願いします」
遠くなった海の底では、享年相応で、妹狂いもしていない顔で、アジサイ姉が微笑んでいた。本当に、姉として芯のブレない女性だ。
「――妹を大事にしないと、呪う。男の癖して、大事に育てた妹を、大事にできる立ち位置にいるだけでも呪わしい。浅子、ああっ、浅子浅子浅子浅子……」
アジサイ姉は今後も浮上してきそうで怖い。
川岸の冷たい夜風を、現世に実存する体で感じ取る。
妙に重い瞼を開いていく。
目を覚ました先で待っていたのは、アジサイだ。皐月かと勝手に思っていたが、案外、俺は嫌われていなかったのかもしれない。
アジサイは膝枕に俺の頭を置いて、俺を上から覗き込んでいた。
マスクにポタポタと感じる冷たい雫は、アジサイの両目からこぼれ落ちた涙だ。アジサイは泣いてばかりだな。
「――――アジサイ、また姉が恋しくて泣いているのか?」
「……違う。もう、御影は欲しい言葉を間違えてばっかりで、嫌になる」
「まったくだな。ごめん」
アジサイは俺を気遣い泣いていた。裏切り者の死を泣いて喜んでいたなどと曲解はしない。好意に鈍感でいるなんて、そんな勿体無いマネは俺にはできない。
スキュラに同化された後の顛末を訊ねる。
「御影を取り込んだ犬が苦しみ始めて、影のように黒くなって消えていった。残っていたのは御影だけ」
「こっちではそうだったのか。それは良かった」
「御影が何かしたの?」
「いいや、俺は特別な事は何もしていない。悪い物を食ったスキュラが、食あたりで自滅しただけだろう」
アジサイ以外の魔法少女の安否を気にして、俺は目線だけで周囲を観察する。体は妙に消耗しているため、首を動かすのも辛い。
最愛の皐月は、両手を地面に付いて嗚咽を漏らしていた。が、俺の目線が動いている事に驚き、這いながら近寄っている。
落花生はそんな皐月を邪魔するように手の平を広げて、慎重論を投げかけていた。
「スキュラが化けていない保証はないです」
散々スキュラに痛めつけられた魔法少女の言葉は重い。苦い経験は少女を慎重な大人に成長させていくようだ。
ただ、スキュラについてはもう気にする必要はない。
「いや、スキュラは消えた。心配しなくて良い」
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“レベルアップ詳細
●スキュラを一体討伐しました。経験値を四○○入手し、レベルが1あがりました
レベルが1あがりました
レベルが1あがりました”
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“●レベル:22”
“ステータス詳細
●力:21 守:7 速:41
●魔:0/0
●運:10”
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スキュラ討伐のポップアップを、俺達四人は同時に確認する。
一度にレベルが3つ上昇して、俺もとうとう20台だ。ギルクの時のうざったい程のレベルアップと比べるとやや物足りない。
経験値が四等分されている所為も影響しているが、ボスの撃破報酬が思ったよりも多くないらしい。
雑魚での経験値稼ぎができないままボスラッシュが続くと思われる今後に、一抹の不安を感じる。
「アジサイ……いや、浅子が本名だったか。浅子の姉の事は申し訳ないと思っているのに、俺は何もしてやれない」
「もう、いい。姉さんがいなくて辛いけど、もう、いい」
「ただ浅子の姉から、正式に願われたからな。姉の代わりが務まるとは思わないが、頼りたくなったら俺を頼れ、浅子」
膝枕されている側の人間が言っても、説得力は無かったかもしれない。
それでも浅子に何かをしてやりたい。俺は弱弱しく伸ばした指先で、浅子の目じりを拭う。
「姉さん、また会う日まで、さようなら」
浅子は俺の手にしがみ付いて、姉離れを口から漏らした。




