12-10(青) 好きだった、大好きだった姉さんを殺せる訳がない
なかなかに長くなりました。
「赤いのの『魔』が二割を切った。そろそろ動き始めても良かろうて……」
スキュラという化物を構成する、巨大な六匹の犬の背で蠢く死体の群。
その一人、モノクルをかけた老人の白く濁った網膜には、炎の魔法使い、皐月のステータス情報が浮かんでいる。
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“●レベル:68”
“ステータス詳細
●力:26 守:34 速:33
●魔:35/195
●運:7”
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幻のレアスキル、『鑑定』を老人は保有している。彼の前では、本来他者に知られるはずのない個人ステータスが丸裸だ。豪快に魔法を乱発している皐月が、もうガス欠寸前である事実も完全に把握できてしまっている。
老人のつぶやきが切っ掛けとなり、スキュラが攻勢に転じる。
耐魔アイテムが完璧に防ぐ灼熱の火炎魔法の内部で、犬の体の側面が爆発的な勢いで広がる。まるで蛇口を全開にした水道管から放出される水のようであるが、スキュラの体から溢れ出たのは、数種数十体のモンスターの混合物だった。
構成要素はヘルハウンドの割合が高いが、他にもオークやゴブリン、リザードマン、オーガといった下級から中級までのモンスターも数多く含まれている。これ等はすべてスキュラが同化した犠牲者であり、総数は三桁を超えてしまうだろう。
溢れる死体は同化が解かれていない。
同化をあえて解除せず、溢れる死体で連環を構成し、スキュラ本体との接続を保つ。そのため、死体達は肉体の一部と見なされる。
たった一体の化物が演出する百鬼夜行。
耐魔アイテムの恩恵を失わずに、死体の群は皐月の魔法を突破してしまった。
「ズ、ズルいしッ!」
「……サツキはやっぱり役立たない」
「時間稼ぎはできたッ!」
モンスターの死体の群は一本のまとまりを形成し、蛇のような動きで二人の魔法使いへと急速に近づく。
スキュラの講じた皐月攻略法は、肉体を延長するという荒業だ。スキュラにしかできない強引な手段であり費用対効果は悪いが、有効ではある。
低レベルの皐月では迫る死体を燃やして迎撃できない。
「アジサイ、出番!」
「――凍結、崩壊、氷結撃」
仕方がなく、スキュラに対抗可能な浅子が動く。死体の群の進路に躍り出て、皐月を背中で庇って魔法を放つ。
浅子の氷結魔法は近距離に迫った死体群を瞬間凍結させる。モンスターの塊でできた醜い氷像は直ぐにヒビ割れて、粉々になって地面に散らばった。
先頭集団を砕いて進攻を止めた。が、所詮は一時しのぎだ。
チューブ入り歯磨き粉理論に従って、スキュラに繋がっている根元の部分が伸びるため、死体群はまた元の長さに戻るだろう。
体積的には、既にスキュラ本体よりも死体群の方が大きい。それでも群の増加速度はまったく鈍化していない。スキュラにとって下級モンスターとは群生地単位で手に入れるものなので、何百体放出したとしても痛い出費にはならない。
浅子は、嫌がらせ目的で死体群の根元を狙って氷柱を放つ。しかし、敵の炎の魔法に迎撃されてしまい『魔』を無駄に消費するに終わる。
状況は、皐月が到着する前のふりだしに戻った。
苦く顔をしかめる浅子は、頼りない友人をいびるしか手段が残されていない。
「サツキのレベルが低い所為で、状況が悪くなっているのだけど。効果のない魔法を乱発して、時間を稼いで、この次は?」
「御影が遅いのが全部悪い。馬鹿雷相手に手間取ってないで、早く彼女を助けに来なさいって」
皐月の奥の手が御影と判明し、浅子の可愛い顔が更に崩れる。
「そういうアジサイは? 一人で飛び出したぐらいだから、何か勝算があったんじゃないの?」
「……姉だけが相手なら完勝できたけど、目の前の不純物が多過ぎ」
浅子にしても本体を投入してきたスキュラに勝てる当てはない。
「ならプランBでいくしかないか。『魔』の残量から言って、機会は一度しかないからそのつもりで」
「まだそのB案を聞いてない……」
「私が足止め、アジサイが止め。私が字数的に多い方をやるから、よろしく」
勝手な皐月に終始振り回される浅子だが、しかめた顔をしているのに素直に従う。
妹特有の受身気質の所為もあるが、何だかんだで浅子は皐月を信用しているのだ。
「しくじったら制裁。主にサツキの彼氏に対して」
「何その非道!」
浅子は危険な距離まで再度接近していた死体群を凍結させるが、今度は砕かずに放置する。重くなった先端部が地面に落ちているのに後ろから続々と追加されるため、死体群は絡み合って動けなくなる。まるで大蛇がとぐろを巻いているような形だった。
スキュラの攻撃の合間を縫って、浅子は『インファイト・マジシャン』スキルの所持者らしく、高い『速』パラメーターを生かして疾走を開始する。
浅子の接近に反応した先代の炎の魔法使いが、迎撃のために火の玉を発射する。これは浅子の想定内だ。
「――氷結、隔絶、絶対防御、氷防壁!」
作り上げた氷の分厚い壁を盾にして走る浅子は安全だ。四節の防御魔法は強靭で、火の玉が直撃しても水蒸気が発生するだけで貫通を防いでくれる。
とはいえ重さが邪魔なので、浅子は炎を防いだ後、未練なく氷の壁を投棄する。
もう随分と近づけている。
スキュラに到達するまでの残りの障害は、やはり浅子姉である。
妹の接近を心底喜ぶ醜い顔をしながら、浅子姉は掲げた片手の上に氷のジャベリンを形成していく。同時に、背後からそびえ立ったのはオーガ百パーセントで構成される二柱。彫りの深い無数の顔が、浅子を睨む。
浅子姉の魔法だけなら皐月の魔法で相殺できただろうが、追加されたモンスターの柱には浅子自身で対処が必要となる。
しかし、魔法使いの攻撃手段である魔法は同時運用できない。敵を迎撃すれば、スキュラ本体への攻撃が遅れる。
……攻撃が遅れたら、スキュラの次の攻撃への対処が遅れる。次の次の攻撃では対処そのものが間に合わなくなる。
それが分かっているから、浅子は魔法を使わない。
姉から放たれたジャベリンを体術のみで避けきる。シスコンにとってここまでは容易い。
続いて、虹のように弧を描いて頭上から迫る二本のオーガ柱も体を捻って避けようとする。が、左から落ちてきた柱が頬の皮を切り裂く。右から落ちてきた柱に脇腹を打たれ、浅子は回転しながら地面に転がった。
「大事な体なのに、無理しちゃ駄目よ。浅子、クスクス」
浅子は血を吐きながらも健気に立ち上がり、姉を見る。
少女の脂肪のない脇腹が熱を発して傷みを主張するが、痛いだけなら軽症だ。脇腹が円形に欠損してもいない。オーガ柱が直撃していれば質量に潰されてミンチと化す……事もできず、スキュラの肉体に取り込まれて同化されていただろう。
それはつまり、浅子の回避がギリギリ間に合ったという証明である。
浅子の得意な近距離でスキュラを捕捉したという成果だ。
「――サツキ、今ッ」
「――加熱、融解、熱崩壊ッ! ここで決めて、アジサイッ!」
スキュラの群体が傾き、犬の半身が大地に埋まっていく。
砂と雑草の地面が、皐月の魔法でブクブク煮え立つ赤色に変貌していた。
皐月が発動させた魔法は地面をマグマに置換する高熱魔法だ。耐魔アイテムの所為でスキュラにダメージこそないものの、そういった耐魔アイテムを過信している強敵の虚を突くには有効であるとギルク戦で試行済み。
足場全体が液状化した所為で、スキュラの体勢が大きく崩れる。
二人の少女が必死にかき集めたのは、そんな体がふらつく程度の僅かな隙。
「――静寂、氷塵、八寒――」
けれども、スキュラに致命傷を与えられる唯一の勝機を得た浅子。
浅子は温存していた魔法を、最大の威力で発動させるために呪文を唱えていく――。
「浅子――」
スキュラの重心上にいる浅子姉が懇願する。
追い込まれてからの最後の手段が人間の情を過信したものであったなど、浅子は酷く呆れて詠唱を中断するのを忘れてしまう。まるで化物の方が人間の善性を信じているようで笑えない。
「それで良いのよ」
なのに、浅子姉は最後に優しく笑ったのだ。
これまで散々見せてきたクスクスと発音するワザとらしい笑い方をせず、三年前までと同じ表情で浅子に微笑みかけたのだ。
「――ッ」
「さあ早く私を眠らせて――」
「ッ! できないッ!! 姉さんッ! 姉さんを討つなんて、私にできるはずがないッ!!」
浅子は呪文ではない言葉を吐露してしまい、魔法は完成直前に霧散してしまう。
己が間違った選択をしてしまったと浅子は分かっていたが、それでも妹としては決して間違っていなかった。どれだけ意志を固めても、結局浅子は姉を葬れない愚かな妹でしかなかった。
千載一遇のチャンスをふいにした浅子。
「――浅子は本当に愚かだわ。愚か過ぎて、クスクスと笑いが込み上げちゃう。クスクス」
そんな愚かな妹を襲ったのは、スキュラという真性の化物の純粋な悪意だ。
「――放熱、宝剣、刺突炎。クスクス」
浅子の心は、蟻の巣穴の前に置かれた砂糖の粉のように甘く、美味そうだ。
己の命よりも姉を優先する妹の心を壊す誘惑を、化物が自重するだろうか。浅子姉の死体は確かに近年のお気に入りであるが、より完成度が高い妹の体が手に入るのであれば執着する必要はないのである。
だから、浅子姉の腹を突き破って、刃の形をした炎が外気に触れる。
炎の刃は浅子姉の体を貫通しただけではおさまらず、高熱で体の油を燃やしていく。
浅子姉の背中を魔法の炎で突き刺した先代の炎の魔法使いは、浅子がガクガクと震える様子を見てクスクスと笑っていた。が、腹から立ち上る炎に燃やされている浅子姉の嘲笑と比べれば格別に劣るだろう。
燃える姉と、何も出来ない妹。
あ、とか、え、とか。単語でしか現状を発音できない浅子は焦げていく姉の体を呆然としながら見上げている。脇腹の痛み以外の理由で立っていられなくなり、両膝を地面に付く。
心が壊れていく少女を最上級の餌と認識した六頭の犬が動き、マグマの大地を犬掻きして接近、六つの顎を開く。浅子姉が燃え尽きると共に喰らって同化するつもりなのだろう。
後方にいる皐月は、別働しているモンスターの死体の群から逃げるのが精一杯で、友人を助ける余裕はない。
形勢はスキュラに大きく傾き、消化試合染みてしまった。
……そんな天竜川下流で響いたのは、運動会の徒競走のスタート合図のような破裂音だ。それが二、三発続いて、その内の一発がスキュラ本体の上にいる先代の炎の魔法使いの頭部に命中する。
術者の体に重大な欠損が生じた事により、浅子姉の体を貫いていた炎は収束していく。
浅子姉はもうほとんど燃え尽きていたので、炎が止まったところで浅子にとってさしたる意味はない。
ただ、スキュラにとっては有力な魔法使いを二人も失ったという悲惨な意味を持つ。
そして、川辺の雑草地帯から這い出るアサシンにとっては、奇襲成功という戦果があった。
「……アジサイ。お前の姉には手出ししなかったからな。そういう約束だ」
黒い仮面を装着したアサシンは、銃口から紫煙が立ち上っていそうなハンドガンを構えてスキュラに迫る。




