12-2(黄) 黄色の屈服
黄色い子が活躍(?)するので、残虐な描写がややあります。
「クスクス。こんな夜更けに一人で出歩くなんて、いけない子ねぇ」
天竜川の黒幕共が潜む地下。
土がむき出しの天井を見上げて、スキュラは笑う。
スキュラの検知範囲に、彼女の妹の『魔』が入り込んできていた。スキルで吸収した他人の記憶上の親類であるが、妹である事に変わらない。
「どうしようかしら、どうしようかしら? 無防備が過ぎないかしら?」
六頭の巨大な犬が融合しているスキュラの本体が、のそりと立ち上がる。美味そうな匂いを嗅ぎつけたのか、鋭い牙の間から唾液をこぼしてしまっている。
「妹が不良にならないよう、お姉ちゃんがしつけてあげないと。クスクス」
犬の背骨に下半身を同化させている浅子姉の体が、ぶちぶちと肉を裂きながら、犬の体から抜け出ていく。
浅子姉の体はスキュラのお気に入りであるが、後から追加したパーツに過ぎない。本体と再接続しなければ魔力を回復できない、体が腐っていくという制約はあるものの、必要に応じて単独行動させる事が可能だった。
黒い毛が敷き詰められた背中から、浅子姉は抜け落ちる。
だらりと全身を弛緩させている浅子姉の姿は、生まれ落ちた動物の胎児のようにも見える。ただし産声はない。クスクスと、だらしくなく床に落ちてしまった事がツボに入った笑い声が地下空洞に響く。
浅子姉の体は立ち上がり、肉体の劣化を防ぐために魔法の冷気で身を覆う。こういった小細工ができるところがお気に入りたる所以だ。見栄えが美しいというのも評価点であるが。
とはいえ、浅子姉の体はスキュラが所持している体の中で最も貴重という訳ではない。
「でも、またあのレベル0のような他人に、姉妹の仲を邪魔されたくはないわねぇ。ヘルハウンドを作っても良いけれど、別に死体を一人二人連れて行くのも手かしら?」
主様にも隠し続け、主様に対するリーサルスキルにさえ成りえる『鑑定』スキルの所持者。その死体こそがコレクションの中では最重要である。
老いた男の死体なのが、唯一にして最大の欠点だ。
「それとも、あの不運な子でも使おうかしら」
実在したレアスキル『鑑定』を所持する老人を同化できたのは、スキュラにとっての幸運ではない。『運』が0の化物に幸運など存在しない。ただ、老人にとっての人生最後の不運だっただけだ。
スキュラが老人の記憶をたどったところ、老人は国の政策や人間関係に嫌気がさし、人間の住んでいない土地を目指して放浪していたらしい。
老人はただ一人のお供、孫娘と共に森の奥地を目指していた。魔族の領地に足を踏み入れているとも知らずに、奥へ奥へと歩いていた。
そこに『同化』スキルを持った悪質な魔族がいるとも知らずに。
今は生前の希望とはやや趣が異なるが、人間の世を離れ、孫娘と共に仲良く一体化している。有益なスキルを得られたスキュラが幸せなのだから、同化している老人と孫も幸せなはずだ。
「確か、餓えたオークを使ってレベリングさせていたはず――」
スキュラが寝床としているホールの壁はほとんどが土壁であったが、すべてではない。
土壁のままの内装に似合わない、血で錆び付いた分厚い鉄の扉の軋む音が、スキュラの多数ある耳に届いた。
ホールと監禁部屋を隔てる鉄扉の間から、くすんだ黄色い矢絣が抜け出てくる。
囚われた魔法使い、黄色い服装が特徴の落花生だ。
落花生の足取りは重く、かすり傷は多い。が、致命傷はなく、乱暴された形跡もない。
一週間前に葬られたギルク。彼の手下のオークを、スキュラは何かの暇潰しに使えるかもしれないと、さして深く考えずに監禁していたのだ。昨日まで存在を忘れていた程度の雑魚モンスターだが、落花生のレベリングを兼ねた仕置きには使えたらしい。
三十匹強のオークに一週間近く水も与えず監禁していたので、共食いで半分程度に数は減っていたかもしれない。が、落花生にとって、餓えたオークとの戦闘は決して楽ではなかった。
性的な対象としてではなく、単純に食い物と見なして襲ってくるオーク共に落花生は難儀させられた。得られる経験値は通常のオークと変わらないのに、死に物狂いで襲ってくるオークは不当なまでに凶暴だったのだ。
オークをすべて殺して経験値の足しにするのも良し。
オークの数に圧されて食い殺されるのも良し。
スキュラとしては、落花生の勝利は期待を裏切るものではなかった。
しかし、落花生が生還したのであれば好都合。スキュラが妹の浅子を襲っている間、他人に邪魔されないための駒として、落花生は適役だ。スキュラの立場から見た感想として、落花生はそういう下っ端でありながら敵をムカつかせる役回りがお似合いだった。
「タイミング良く出てきたわ。さっそく、次――クスクス?」
落花生の疲れ切った様子を目撃した浅子姉のスキュラは、一度天井を見上げた後、落花生に語り掛ける。
「ほら、オークを全滅させたのなら前の失態は忘れてあげる。だから、さっさと立ち上がって私のために役立ちなさい」
疲労困憊の落花生は鉄扉から出てきた途端、地面に両膝を着いて気絶していたのだが、スキュラはそんな怠慢を許さない。
落花生の胸に埋め込んでいる奴隷の証、五センチ前後の植物の種の成長を、ほんの少しだけ促進してやる。
心臓を目指して根が蠢き、少女の柔らかな肉体を穿っていく。
肉体的な損傷で言えばたった数ミリであるが、人間の中枢を犯される類のない痛撃に、落花生は悲鳴を上げて覚醒した。
「ほら、主様の種が発芽したら、血液どころか内臓すべてを吸われてしまいますわよ。嫌なら立ち上がりなさい」
吐く物がないため、落花生は辛い胃酸だけを吐きながらモタモタと地面から腰を上げる。
三秒以内に立ち上がらなかったので、スキュラは再度種に魔力を送り込んで落花生を叫ばせた。
「遅い。妹が待っているのよ。姉が遅れては示しがつかないわ」
スキュラ――浅子姉の体と、六匹の犬が同化した本体両方とも――は落花生に背を向ける。
背後の落花生に対し、天竜川下流の川岸に誰一人近づけさせないように命じているが、落花生が再度の痛みで気絶している可能性は考えていない。
スキュラの現在の興味の対象は浅子であり、落花生ではない。
だから、無防備な背中を落花生に向けてやった。
「ほら、返事は?」
「……本当に、タイミングが良かった、です」
「そうね。そういう不憫なところが、貴方の美徳だわ」
「……本当に、――本当にッ!」
落花生は吠えた。
それまでの死に掛けみたいな挙動が偽りだった事を証明するかの如く、落花生は前傾姿勢になって走り始める。土煙をあげる程の踏み込みの後、天井ギリギリまで高く跳び上がる戦闘機動を見せた。
天井に後頭部の髪を擦り付けながら空中回転し、体勢を跳躍から跳び蹴りに変化させる。
「最後のオークの一匹で、私のレベルが71になったのはッ! 、本当に運が良かったッ!!」
全身の筋肉を無理やり稼動させる魔法の電気が、華奢な体から漏れ出ている。外気にまで影響を及ぼし、ビリビリと唸り上げる。
「――爆裂、稲妻、足蹴、直撃雷火ッ! お前なんか、消えてなくなれぇぇぇッ!!」
この一週間、睡眠さえ許されずにヘルハウンドを狩り続けた落花生のレベルは、鈍足であるが確実に上がっていた。元々がレベル70付近であったため、落花生は経験則からもう少しだけ耐えればレベルが70を超えると予想していたのだ。
落花生が、己をどん底に落とした元凶であるスキュラを屠れる可能性に気付けたのは、憎らしくもカラオケボックスでの皐月の言葉が切っ掛けである。
“いいえ、私を含めて、今後も出現するネームドを相手に勝てる魔法使いはいない。ただでさえ強いのに、奴等はレベル70以下の魔法使いが使う魔法を無力化する装備で対策を怠っていないから”
“レベル70……ですか”
恨めしい皐月を殺したい。
強く嫌悪感を覚えるマスクの男を殺すのも最高だ。
しかし、一番に殺したいのはやはり化物のスキュラである。
レベルアップしたばかりで、いきなりスキュラに逆らうのは慎重さに欠けると落花生も理解していた。が、己に残された体力と、気まぐれに殺されるかもしれない恐怖を照らし合わせた結果、落花生はほんの少しでもスキュラが隙を見せている今を見逃さずに襲い掛かった。
落花生の右足よりも先んじていた電撃の枝の一端が、スキュラ本体の黒い毛皮を突き破り、炭化させる。
電撃魔法は、確かにスキュラにダメージを与えている。耐魔アイテムの影響を受けていない。
落花生の加速的な跳び蹴りがスキュラに届けば、致命的な損傷を与えられるという証明だ。即死させられるかは微妙であるが、落花生にとってスキュラの生死はあまり重要ではない。
己を不当に扱った輩に、窮鼠が猫を噛むように一泡吹かせてやれる。
「ハハッハッ!!」
十秒後、落花生の反撃に激昂したスキュラに殺されるとしても、落花生はスキュラを足蹴にする欲求には、笑える程に逆らえなかった。
背中を見せていたスキュラの巨大な本体。その背中に生える多数の死体達は緩慢な動作で振り返る。
彼女達は、クスクス笑う。
「笑い方が汚らしい子。クスクス」
スキュラは落花生の跳び蹴り魔法から避けようとしていない。
何故ならば、避けるよりももっと素晴らしい名案があったからである。
犬の尻尾の付け根の辺りで、肉が隆起していく。肉は人の形を成していく。
最終的には完全な人間と化し、背丈から想像するに小学生低学年程度の少女となった。
その少女は、落花生の跳び蹴りの軌道上にいる。
「なッ! ど、どいて!」
「お姉ちゃん?」
あどけない子だった。迫る落花生の恰好が珍妙だったためか、可愛らしく首を傾げていた。
落花生は魔法を緊急解除し、同時に軌道を反らそうと無駄な努力を試みる。
少女はスキュラに同化された犠牲者の一人で、可哀想だが既に死人である。そうだと頭で理解していても、突発的な事態に直面した落花生は幼い少女への攻撃を躊躇ったのだ。それが、どれだけ心が摩耗していたとしても、落花生という魔法少女の本性である。
……落花生の優しさを、スキュラは予想したからこそ少女を体外に出現させたのだが。
電撃魔法のローレンツ力で最大加速していた落花生は止まらない。
少女の体を、先行していた多数の野太い電撃が穿ち、焦がし、肉を弾け飛ばす。
次に直接、足の裏から脳髄へと、頭蓋骨が陥没し、行き場を失った中身が溢れる柔らかい感触が伝っていく。
「い、あ、ぁぁ、アアアアアアアアアアアアアアあッ?!」
落花生の叫び声は少女の小さな体を吹き飛ばす崩壊音を、完全には誤魔化せなかった。
多少とはいえ、少女の体が緩衝材となった事で、落花生の攻撃が減速する。落花生本人が魔法を中断させた事もかなり影響していた。
スキュラ本体に落花生のブーツが届く前に、あらかじめ別途背中に生やしていた爬虫類型の魔物、リザードマンが落花生の横腹を殴る――殴ったリザードマンの片腕が、残留していた電撃に触れて弾けてしまったが、スキュラにとって、レアではない魔物の片腕程度を被害とは言わない。
ハエ叩きで落とされた羽虫のように迎撃された落花生だったが、彼女にとって撃墜された痛みは考慮に値しない。スキュラへの攻撃が見抜かれていた事も、もう重要ではない。
「アがっ、あ、ゲフォ。あ。うゲ。あァァ」
落花生は己が何を潰してしまったのか。その理解を避けようと床に額をぶつけ続けていた。
あまり効果はないらしく、頭突きをしながら胃酸を吐き続けている。
そんな不憫な落花生を、化物は笑いながら眺めている。
「クスクス。本当に可哀想な子だったわねぇ」
「まったく、ワシの可愛い孫に酷い事をする。同化しても、壊されればもう直せないというのに。やはり人間は野蛮な生物だ」
「あら、その子は悲惨が過ぎて、回りまわって可愛いぐらいだわ。食べてしまいたいぐらいに可愛い」
浅子姉は、本体の背中にいる死体達の一人、モノクルをかけた老人と会話する。
「その娘のレベルが71になっている事は、『鑑定』スキルで分かっておった。ワシの視界に入ったのが、その娘の不幸だった」
「背中を向けただけで襲ってくれるなんて、本当に可愛いわ」
「ワシの孫娘を悪戯で破壊する程であったか?」
「何の取柄もない孫なんて、もう要らないでしょう?」
「それもそうだ」
浅子姉と老人の会話は、子供が行う人形を使ったママゴトと変わらない。人形ではなく人間の死体というところが、化物らしくて醜悪であるが。
「さあ、そこの黄色い子。吐いていないで足止め役を全うしなさい」
スキュラの本体は床で四つん這いになっている落花生に近づいていく。
六つの犬のアギトが開かれ、落花生を噛み付く寸前で停止した。
「命令を守れたなら、今回の粗相は許してあげるわ。でも、守れなかったのなら、経験値のための肥やしになりなさい。レベルが71もあるなら十分遊べるわ。クスクス」
落花生には、もう、スキュラに反逆できる気力は残されていない。
作者は別に落花生が嫌いではありません。
全部スキュラが悪いんです。




