10-2(黄) 翻弄される者
雷の魔法使い、こと落花生は高い鉄塔の上から廃墟を見下ろしている。傍に大電流が流れる野太い電線が吊るされているが、雷属性の彼女が電気を恐れる理由はない。
「よりにもよって、何て所に逃げ込んだのです……」
逃走者が廃墟に隠れて十分は過ぎ去った。遠目には動きを確認できないが、内部で良からぬ行為に励んでいたとしても見えないだろう。
敵に追われている最中に、しかも二対一で事に及ぶとは落花生も思ってはいない――その内の一人は協調性のパラメーターが0の氷の人なので間違いない。
「いえ、です。映画でも逃走中の主人公とヒロインがバシバ……しばしばヤッています。戦いの緊張が人間を獣に堕落させるのですか、恐ろしいです」
逃げた場所が場所である。廃業しているとはいえ、以前は恋人達が頻繁に愛を育んでいたピンクな場所だ。皐月本人がマスクの男を恋人と公言していた。
最強の魔法使いである落花生でさえ敵に捕まったと分かった今、性急に恋人と繋がろうと思ってしまっても仕方がないのではなかろうか。こう落花生は考え、頬を赤く染めた。
「どこまでも、どこまでも私を侮辱するのですかッ、炎の人っ!」
落花生は化物に組した悪い人間だ。己が間違っていると認識している。
しかし、落花生の敵もまたラブホテルを利用するような不純な人間であった。
ならばもう遠慮はいらない。今度は体の自由を奪うだけの魔法ではなく、殺傷性のある魔法を使用するのを躊躇わない。
「二人だけではないです。あのマスクのアサシンこそが、私にとっては最大の敵です」
己を救ってくれなかった酷い男。これが御影に対する落花生の評価である。落花生を奴隷に貶めたデア・ピラズィモスなる化物と同等かそれ以上に憎らしい敵だ。
「そうです。あのアサシンを炎の人の前で焦げた死体にしてしまえば、少しは溜飲が下が――ん?」
「と、とめてくれぇぇぇーーーッ!?」
化物の奴隷に成り下がって、心が化物に成りつつある落花生。
落花生の黒い感情を止めたのは、黒い車体の大型バイクだった。爆音を響かせながら、廃墟へと一直線に向かっている。
魔法使いである落花生にバイクの知識はなく、車種の違いは分からない。
ただし、操縦している男が全身黒ずくめなのは分かる。
速度が出過ぎているため、門を模した入口に衝突するのは分かる――その理由が、運転中に携帯電話の液晶を見ていて、操作を誤ったからだとは分からない。良い子のドライバーは絶対に真似をしちゃ駄目だぞ。
入口の柱に衝突して、黒いバイクは部品を吹き飛ばしながら大破してしまい、ついでに操縦者も投げ出されたのだと分かる。頭を地面にこすり付けた平行移動を数メートル続けて、大の字に倒れた。
「…………なに、ですか?」
かなりの速度で突っ込んだので、操縦者の男が即死していてもおかしくはない。
だから、操縦者が片腕を抱えながらも立ち上がったのはホラー映像でしかなく、落ちた魂を探すように周辺を徘徊する行動は、落花生の肌をぶつぶつと粟立たせた。
操縦者の男は落ちていたマスクを取り上げると顔に装着する。そのまま足を引きずりながら朽ちた城の内部へと消えていく。
「マスク? アサシンだった??」
炎と氷の魔法使いの『魔』は廃墟の内部だと特定できている。
一方、マスクのアサシンは『魔』が小さい所為か、または距離の所為か位置を確認できていなかった。一緒に逃走していたので二人の魔法使いと同じ場所にいる。こう疑いもしかなかったが、別行動を取っているとは予想外だった。
「……えーと、ですね」
憎い相手とはいえ、事故に遭った直後に狙うのは可哀想な気分になる。
「マスクのアサシンには覚悟してもらいます、です?」
己を納得させるために言葉を呟いてから、落花生は鉄塔から夜空へと跳び立った。
落花生はマスクのアサシンを追って、堂々と入口から廃墟へと侵入する。罠の可能性は先の登場シーンを振り返る限り、考えるだけ馬鹿らしかったのだ。
当初の襲撃目標である二人の魔法使いは上層にいる。初志貫徹を心掛けるのであれば魔法使いを狙うべきであるが、自爆事故でダメージを負っているのならば、マスクのアサシンを追うのが正解だ。ここで見逃して、肝心な場面で再び邪魔されるのも甚だしい。
落花生個人としても、同じ境遇の魔法使いを襲うよりは、本来は無関係の男を襲う方が人間としてマシなのではないかという気持ちがある。
「アサシンさえいなければ……」
外観はただの張りぼてだったらしく、屋内は色気のない無地の壁と単一色のドアが並んでいる。和風な雰囲気はどこにも見当たらない。
どこかの部屋に、マスクのアサシンが隠れているかもしれない。そういった疑念は落花生の顔からは見受けられない。埃で覆われた通路に、編み上げブーツの独特な文様をスタンプしていく。
一階の一番奥に、微かであるが『魔』の反応を察知している。
雷光で通路を照らせば、通路に引きづった一本線の足跡が残っている。
二つの根拠を前にして、疑う要素はどこにも見当たらない。
「努めて冷静にです」
落花生は気を抜いている訳ではない。生来の鋭い目付きは鋭さを増している。マスクのアサシンは、皐月を助けるために落花生では叶わなかった敵幹部級を倒したのだ。強敵であるのは間違いない。
しかし、化物と違い魔法を無力化される訳ではない。
「だから、大丈夫です」
敵に負けて辱めを受ける経験は一度で十分だった。
マスクのアサシンが在室している部屋の前までやってきた。
部屋とはドアを開いて入室するものなので、当然のようにノブに触れる。
「――っ?! 滑って、気色悪いです!」
ノブには触れた右手に金属の質感ではありえない、粘着力のある水っぽい触感が生まれる。場所柄から、そういう目的で使われるローションが塗られていたのかと想起する。
「でも、いったい何がしたくて、うひぃ!?」
今度は首筋を、冷たく弾力ある違和感が襲う。
首への攻撃は致命傷になりえるため、きた道へと跳び退いた。
「まさか、トラップですか! 罠だったなん、て??」
首を襲った物の正体を確認した落花生は、物体を正確に理解できたがために、疑問符を呟くと、サイドアップの髪を傾かせた。
凧糸で縛られた長方形の物体。本来は食用で、主におでんの具として愛される物。人を驚かせるために、人の頭の高さに吊るされる事は、学園の文化祭のお化け屋敷ではそこそこある。
その名は、こんにゃく。
「トラップ、のつもり?? いえ、それにしては、です――」
意味深にもこんにゃくは空中でくるくると回転している。まるで、天から地獄に下ろされた一本の蜘蛛の糸にすがる人間を図化したかのように。
……そんな意図は一切ないので、ただ意味もなく回転しているだけだが。
こんにゃくの生態を観察する落花生。その所為で無駄に時間は経過していく。
“――防衛体制2抜粋
≪項目:敵が人間だった場合≫
トラップハウス用に物件をいくつか購入しているが、すべての物件に殺傷性のある罠を仕掛けている訳ではない。天竜川の黒幕が人間を操る可能性は十分予想できるためだ。
ポイントLHには、主に時間稼ぎ用のトラップを多数配置している。危険性は皆無だ。
敵が人間だった場合はポイントLHで時間を稼ぐ事を推奨する。
魔法少女だった場合も同様。
判断はまかせるよ、優太郎”




