8-10(青) 姉さんと私とマスクの男
白い点の正体を察した浅子は、不覚にも体を強張らせてしまう。そのため、回避の機会を完全に逸してしまった。
氷の魔法使いの死因が硬直など笑い話にしかならないが、浅子はそんな皮肉さえ気にならないぐらいに驚いてしまったのだ。
咄嗟に発動させた拘束魔法だったとはいえ、『四節呪文』スキルを使用したにも関わらず易々と脱出されて、反撃すら許してしまった。これは驚愕には値しない。先代の氷の魔法使いに対して、氷系の魔法を使う方がどうかしている。
クスクス笑う姉の顔をした敵に殺される。敵に殺されるのは必然でしかないので、これも驚くには値しない。
「……姉さん」
敵だと分かっている存在が姉の顔をしている。たったそれだけを根拠に、殺されるはずがないと浅子はどこかで楽観していた。
そんな姉を慕う幼稚な心に、浅子は致命的なまでに動揺していてしまったのだ。
ジャベリンが肉を突き破る擬音が、路地裏で鈍く響く。
「…………姉、さん?」
声を小さな口から漏らしながら、浅子は呆然と姉を見つめていた。
「何で……、姉さんの胸に??」
「――魔法で作り出した武器でも『暗器』は有効か。ぶっつけ本番で試す事じゃないな」
心臓に突き刺さるはずだった氷のジャベリンが、刺さる直前で消失したように浅子には見えていた。
消失現象だけでも不思議な出来事だったが、次の瞬間にはベクトルを百八十度反転してジャベリンは再び登場。浅子を襲うはずだった勢いは失っていなかったので、元の方角へと飛んでいってしまう。
元の方角とはつまり、ジャベリンを放った術者がいる方角で、浅子姉が立っている場所である。
「動体の場合は、スキルで隠している間も勢いが残るのか。解放した瞬間、素っ飛んでいって驚いた。うーむ、今度からは気を付けよう」
不快なクスクス笑いはもう聞こえてこない。
妹の代わりに姉の心臓付近に投槍が生えてしまっているのだから、笑っていられないのは当然だった。
「無事か! 確か……名前、アジサイだったか」
「な、なっ! 私の姉に、何してくれた!」
「あの気色の悪……もとい、笑顔が特徴的な女が姉? 化物の親玉じゃないのか?」
「それでも私の姉っ!」
狭い路地裏のどこから湧いて現れたのか、若い男が伊藤姉妹の間に割り込んでいた。
正確には若いと思われる男である。額から鼻までを隠す黒いベネチアンマスクを装着しているため、年齢は肌艶と声から判断するしかない。
「姉が妹を殺そうとするか?」
「偽者だったとしても、心が狂っていたとしても、それでも私の姉なんだ。妹の私が手を下すならまだしも、他人が姉妹の事に口出しするなっ!」
浅子と黒いマスクの男は初対面のはずだが、男の方は浅子を目撃した事があるらしく態度が馴れ馴れしい。
一方的に浅子を知っている程度で、複雑な姉妹仲に割り込んだ。それだけでは飽き足らず、姉に致命傷を負わせてしまったのだから、妹としては激昂する他ない。
姉の事で脳容量が精一杯な浅子が、男に命を救われた事実に気付いていないのも要因の一つではあるだろうが。
「すまない。一人っ子の俺には分からない。まともじゃない姉を持っていると、苦労するんだろうな」
「あんなでも三年前まで完璧だったっ!」
「――あぁ、三年前か。今更ながら嫌になるな」
男の背中越しに姉の美点を語り尽くしたい浅子だが、統制を失ったヘルハウンドが迫ってくる姿を目視してしまう。
優先度は低いが殺したい雑魚である事には違いない。浅子は魔の消費量を無視して二種類の魔法を行使する。
「衝突、隆起、氷柱撃ッ。串刺、針山、氷針平原ッ。どいつもこいつも私達姉妹の邪魔をするな!」
狭い路地裏の地面を氷の柱で隆起させてヘルハウンドを空中に浮かせた後、無数の針を地面に生やして手早く処理した。加減をしなかったので、モンスター以外にも周辺地形に被害を与えてしまっている。
路地裏には図太い氷柱が立ち並び、隙間を透明な針が茂った。別の惑星の地表としか思えない程にボコボコだ。
唯一魔法被害のない安全圏では、浅子姉がダラリと両腕を伸ばして俯いている。胸の中心には氷の槍が刺さったままになっているが、柄に血は一滴も伝わっていない。
「姉を殺した責任!」
「……いや、殺せてはいない。経験値入手のポップアップがないからな」
弛緩しながらも直立している浅子姉。ふと、マリオネット人形のようにムクリと頭を上げて、浅子とマスクの男に健在を知らしめる。
口元は想像通りの形をしていた。
「クスクス。そのマスク、貴方がギルクを殺した御影様ですね。お会い出来て光栄です」
やっと来てくれた主人公。
本作の敵は「残酷な描写あり」タグの付けがいのある敵となっているため、
主人公が現れないとどうも暗くなってしまいます。




