1-3 オーク
もう何年も刈り取られていない川辺の雑草地帯は、冬場でも身を隠すには丁度良い。昼間は野球が行われるぐらいに人気が多いが、夜の一時ともなれば誰も寄り付かない。やや遠い場所に架かる橋をたまに車が通行するぐらいだ。
街を貫き、最大幅が八十メートルに達するこの川の名は、天竜川。
大昔に竜が住んでいた事が名前の由来らしい。一ヶ月近く監視を続けているが、まだ竜は目撃していない。
だが――。
「……川の中が光った? ッ、二本足の生き物!?」
本日、俺はとうとう未確認生物を発見してしまった。
「サイクロプスほど大きくはない。寸胴で、三つ又の槍を持っている?」
地面に直接うつ伏せした格好のまま、暗視スコープで対象の監視を続ける。
スコープ越しに確認できる情報は限られるが、川の中央付近に突如出現した未確認生物の体格は人間の大人よりもやや低く、横幅がある。顔の部分で一対の目が光っているので、サイクロプスとは別種の生物なのだろう。
三メートル級のサイクロプスと比べれば威圧感は小さい。それでも武具を装備した危険度の高そうな生物だ。
下半身が川に浸っているため、未確認生物の動きは遅い。しかし鈍重な体格を生かし、水流に流される事なく岸を目指し続けている。
このまま川辺に上陸するようであれば警察に通報する必要があるか。
通報は魔法少女が現れなかった場合の最終手段だ。俺がこうして隠れて監視を続けている意義の一つである。
「魔法少女が魔法ですべて解決してくれるなら、未確認生物の出現そのものを解決できている訳だ。逆説的に、魔法は何事も解決できる万能薬ではないと」
俺には魔法少女から逃げおおせた実績がある。未確認生物も同様に魔法少女から逃れ、人を襲うという危険予測は十分に成り立つ。
「まぁ、そのための俺なんだけどね」
未確認生物が、俺という存在に気付いた兆候は一切見受けられない。ケチらずに高価だが高性能な暗視スコープを購入した甲斐があったというものだ。
安物の暗視装置の場合、赤外線を照射して対象を映し出しているそうなのだが、この方式では赤外線を視認できる生物にとっては懐中電灯を向けられているのに等しい。赤外線照射元から俺の存在がもろバレする。
未確認生物の可視領域が人間と同じなどとは期待できまい。あの俺を救ってくれた炎の魔法使いを自称した少女も、炎系統の応用で赤外線を感知してしまうかもしれない。
よって、俺は一ヶ月分のバイト代をすべて注ぎ込んで十万円の高級品を選んだ。
俺が今覗き込んでいる暗視スコープは赤外線を一切照射しない。スコープに入ってきた微かな光をデジタル的に増幅し、映像化する方式を採用している。
その性質上、完全に光源のない洞窟では役に立たないが、寂れているとはいえ街中にある天竜川には電灯がある。運用に支障はない。
「岸まで距離十メートル。そろそろ通報するか」
懐から携帯電話を取り出す。スマートフォンではなく、長期の潜伏作戦に向いたガラケーだ。バッテリー切れで通報できませんでしたなんて冗談で被害を出したくはない。
ちなみに、俺自身の手で未確認生物を討伐するつもりは一切ない。
何故なら……、無駄に死にたくないからである。
「――うわぁ、豚面だよ。あれってオークじゃないか」
未確認危険生物が近づき、その凶暴な顔付きを確認できた。
口元からはみ出た牙と大きな鼻が特徴的な、豚のような面構えだ。豚のモンスター、オークの想像図と完全一致する。
ゲーム上は雑魚キャラとして登場する事が多いが、現実に現れたオークは重厚な皮膚と筋肉を供えたパワーファイターだった。
オークで想像し辛いのであれば相撲レスラーに置き換えれば分かり易い。
相撲レスラーVS一般大学生。素手で勝てる相手ではないし、素人が武器を持った程度で敵う相手でもない。
「あの野生的な脂肪の塊は、警察の拳銃でも貫通できない可能性も……」
警察の善戦を祈りつつ、携帯電話であらかじめ電話帳の先頭になるように登録してある『あ、警察』を選択する。
……彼女が現れたのはまさにその瞬間だ。