6-3(裏) ただの気まぐれだし……
時間も分からない真っ暗な夜。
中学生が出歩けば補導されて当然な夜。
地球という星は期待未満の世界で成り立っており、夢物語は人間が願った瞬間に儚く散る。こう高々十五年しか生きていない人間が早計に判断して、たそがれるにしては大きく時間遅れだった夜。
そんな夜の天竜川に、美空皐月は本物の魔法使いと邂逅を果たしてしまった。
ゴブリンに襲われていた皐月を助けてくれたのは、その後に皐月から師匠と敬愛され、一年以上付き纏われる羽目になった少女だ。彼女は天竜川の中域という好立地を狩場に活動していた魔法使いだった。
師匠は最初の頃は変な年下を助けてしまったと嘆いていただろう。
しかし人間の慣れとは抗いようのないもので、一ヶ月経過した頃にはすっかり慣れてしまい、半年過ぎた頃には変な中学生を弟子と呼ぶようになっていた。
世を悲観していた皐月が常識外れの魔法使いに憧れるのは当然で、命を救ってくれた師匠に懐くのは当たり前。
魔法使いに永久就職してしまおうと考えたのは少々生き急いだ考えだったが、ともかく、皐月が師匠と同じ魔法使いになってしまうのは時間的な問題でしかなかった。
ただ、皐月が最初にゴブリンを焼き殺した時、師匠と同じ魔法使いになるという気持ちは歪に変化してしまう。戦闘中のアドレナリン分泌が、中学生の少女を荒事好きな性格に変えてしまった。
格好良いヒーローに憧れるお花畑な少女が、戦闘趣向の少女に変貌してしまった事実に、師匠が気付いていたかは定かではなかった。
皐月が師匠から正式に魔法使いの役割を受け継いだのは、中学卒業間際の三月初旬。三歳年上の師匠にとっては学園卒業間際の三月。
遠くの大学への進学が決まっていた師匠が、派手めにアレンジした魔法使いの服を皐月にプレゼントしながら話を切り出した。
「はい、少し早いけど新学園生へのお祝い。火力が三割増しになっちゃうから、着てから一度は試し撃ちしなさい」
「レア装備なのに良いんですか? 返しませんよ、師匠」
「もう丈とか直しちゃったから。私だと胸のあたりが――ゲフンゲフン」
中学生に汚い意地を張る師匠は、危なっかしい弟子を思って様々な品や役割を譲渡していく。
「私にできる事なら何だってしてあげたい。もう危なくなっても助けて上げられないから、それが一番怖い。戦い方は遠距離主体を続けてね」
「レベルはまだまだ下ですけど、私ってそんなに頼りないです?」
「安全マージンを確保しているのに、それを手放す事に抵抗がないでしょ? ボス級が出た時、妙にわくわくした顔付きしていた事があったし」
師匠を見本に、皐月は火力重視、遠距離型のビルドを行っている。属性は火のみを重視しているため、応用の幅が広いとは言い難い。
火力のお陰でレベル差10の敵でも対処可能な反面、からめ手を使う敵相手だといつも苦戦しているのが皐月という炎の魔法使いである。
「お隣さんに頭を下げてきたから、何かあったら助力を求めなさい」
「お隣……? まさか、氷の魔法使いと会ってきたんです?」
「先々代ぐらいから不仲だったけど、昨日和解してきた。あっちも丁度、代変わりするみたいだったから、遺恨を忘れるには良い機会だったみたい」
天竜川では、師匠と皐月以外にも複数の魔法使いが活動している。
基本的には不干渉、一部不仲という状況が続いていたのだが、痛くても目に入れたい程に可愛らしい弟子への不安が、長年のタブーを犯す嫌悪感を上回っていた。
「もっと早く和解しておけば良かった。あっちは妹さんらしくて、私の申し出は願ったり叶ったりだったって」
「氷なんかが近くにいたら火力が下がります!」
「そう言わずさ。聞いたら同じ学園行くみたいだし、一度話し合ってみなさい。師匠からの温かい命令」
魔法使いの弟子となって以来、学校での友達付き合いに興味を持てなくなっていた皐月としては、師匠の命令は難儀である。
師匠に従いはするだろうが、現氷の魔法使いの妹と大親友となるとは思えず、ソロ活動が主体になる。こう皐月は予感していた。
「私だって弟子が現れなければ、魔法使いの役目は妹に無理やり譲るつもりだったけどね」
皐月は師匠の家族構成を前に一度聞いている。皐月と同年齢の妹がいるらしいが、通う学園は全然違う場所らしく、接点はない。
「妹さんと私、どっちが可愛いです?」
「どっちも可愛くないから大好きよ」
その後は、細かな天竜川における魔法使いの心構えを師匠は弟子に聞かせて、言いたい事をほぼ言い終える。
「本当はね、大学に行かなかったとしても魔法使いはもう無理かなーって思っていた」
「師匠は強いじゃないですか」
「レベルの話じゃなくて。んー、何ていうか、私って終わりの見えないゲームに飽きる人間だから」
師匠のレベルは55前後。安定してモンスターを狩るのに十分なレベルだ。
「レベルアップの恩恵はすごいと思う。このお陰で海外ジャーナリストって夢も叶いそうだって思えるようになった。けどね、ある程度のレベルになって人類超えちゃうと、レベルを上げる意味が見えなくなる」
何のイベントも開催されず、過疎化が続いたネットゲーム。師匠にとっての天竜川はそんなツマラナイ場所でしかない。魔法使いを正式に受け継いだばかりの皐月では分からない心境だ。
学園卒業する歳になったら分かるよ、と師匠は皐月に微笑んだ。
魔法使いを引退したとはいえ、師匠と皐月の間に生まれた縁は今後も続いていく。
いや、続かせていく。皐月はそう思う。
「じゃあ、任せたからね、弟子」
「はい、師匠!」
改まった両者は、小っ恥ずかしい気持ちを隠しつつ、魔法使いの継承は完了した。
「――あ、一つ渡し忘れていた」
「……? なんです、この赤い心臓みたいな宝石?」
「『火竜の心臓』っていうみたい。使い捨てのレアアイテムで、使用した瞬間から数秒だけレベルが10加算した状態になれるのよ。ピンチになったら使いなさい」
「師匠って、全回復アイテムを使いそびれたままRPGを全クリするタイプですね」
「良い物あげてるのに、何て言い草だ! この弟子め」
夕食という口実で師匠との電話を一旦止めた皐月。
「あんなマスク、もう信じていない。これは……そう、師匠の美声は後世に残しておくべき遺産だからであって――」
機械音痴の皐月は四苦八苦しながらも、録音アプリをスマートフォンにダウンロードする事に成功する。
やけに時間が掛かったため、丁度、師匠との会話を止めてから一時間ほど経過していた。
再び連絡を取るのには都合が良い頃合だろう。
「あ、師匠。皐月です」
『――さっきの続きね。何話していたっけ?』
「師匠ってどこの大学に行きましたっけ。●●大学です?」
『――違うって。■△大。国際科で言語とか世界情勢とか勉強してる。前に私の夢が海外ジャーナリストだって教えなかった?』
「ッ、はい、覚えています! 師匠の事を忘れる訳がありません」
皐月の妄想的な恐怖は、師匠との会話を重ねるたびに消え去っていく。
万が一、マスク男の言葉が真実だった場合の魔法使いの末路を思うと、心臓を鷲掴みされたかのような痛みを感じてしまう。
しかし、日々の生活に充実している人間にしか喋れない声質で師匠は皐月に語り掛けてくれている。
師匠しか知りえない個人情報や夢を、皐月が促す事なく語ってくれている。鎌をかけるのが申し訳なくて仕方がない。
「弟さんはお元気です?」
『――妹ならいるけど。微妙に間違えているから、失礼な弟子』
空が落ちてこないように、先代の炎の魔法使いである師匠が何者かに屈服しているはずがない。
すべてが皐月の杞憂であった。
「では、これで。師匠、今後は頻繁に電話しますね」
『――まったく。魔法使いの引継ぎは必ずしなさい。じゃあね』
通話前の不安など忘れてしまい、皐月は楽しい気分で通話を切る。
次にマスク男を見つけたら絶対に絞めてやろうと心に誓いつつも、ウキウキと電池切れ寸前のスマートフォンのために、充電器を探した。
「……あ、こんなアプリ起動していたから電池の減りが早いのか」
通話前に起動していた録音アプリ。
尊敬している人間の声をいつでも好きなタイミングで聞けるという、やや変態染みた高揚感に皐月は浸っていた。
だからなのだろう。何の心構えもなく、無用心に、再生ボタンを押してしまう。
“「あ、師匠。皐月です」
『――この電話番号は現在使用されておりません』
「師匠ってどこの大学に行きましたっけ。●●大学です?」
『――電話番号が間違っていないかお確かめになってから、再度通話ボタンを押してください』
「ッ、覚えています。師匠の事を忘れる訳がありません」
「弟さんはお元気です?」
『――この電話番号は現在使用されておりません』
「では、これで。師匠、今後は頻繁に電話しますね」
『――電話番号が間違っていないかお確かめになってから、再度通話ボタンを押してください』
『――電話番号が間違っていないかお確かめになってから、再度通話ボタンを押してください』
『――電話番号が間違っていないかお確かめになってから、再度通話ボタンを押してください』”




