4-5 ギルクと青いの
青い子にも活躍の場を!
ギルクが手下のオークを発見するのと、その手下のオークが世界から消失するのはほぼ同時だった。
肥満の体付きが端の方から霞のように曖昧化して、ほんの数秒で体全体がなくなる。
肉の支えを失った重量鉄骨が転がって、周囲にけたたましい音を奏でた。
「おっ……お前等……っ」
この世界からオークの死体が消えたのはファンタジーな法則が働いたからではない。情報漏えい阻止のために仕掛けられた予防処置である。
残った死体が間違いで息を吹き返し、魔法少女が二度も同じモンスターから経験値を得てしまう事で、世界というシステムにも不具合があると気付かせないためだった。化物を殺し続けて管理外のレベルアップをされては面倒。養殖場に天然物は不要だ。
モンスターの死体は出身地である異世界に戻っている。
転移は心臓の鼓動が止まる事が条件だが、死体の損傷度合いで消えるまでの時間は異なった。体が激しく損傷した場合は一瞬で、外傷が少なく心臓が無事ならば五分程度で転移現象は発生する。あまり厳しい設定にしてしまうと不整脈になっただけで転移してしまうため、こういう条件に落ち着いていた。
「苦しんだだろうに……ッ」
死体が残らない事は、モンスターの存在を人間社会から隠蔽する効果もある。
ただ、難点がない訳でもない。
ギルクがもう少しでも遅れて到着していたならば、死んだオークの行方を捜す無駄な労働を強いられていただろう。
「いったい誰に、殺されたァァーーーッ!!」
ギルクは同族オークの低能具合を嫌っていた。が、すべてはレベルが低い所為だと理解し、許容している。己に従わない同族は冷酷に虐殺する反面、付き従う同族には甘い態度を取る事も多い――ギルクの主様を模倣した行動である。
消えたオークは軟弱な人間しか生息していない異世界でさえ殺されてしまう、酷く役立たずな手下だったのは確かだ。
確かなのだが、ギルクは心からの怒りに震え、額に血管を浮かばせ、同族の死を叫んだ。
ギルクの叫びは、散々響いた鉄骨の落下音と合わせて地域住民の恐怖をあおる。通報を受けて駆けつけていた警察車両も、男の怒号を頼りに現場を特定しかけている。
高レベルのギルクにとって、警察など何人集まろうと脅威にはなりえない。その代わり、排出できずに溜まり続ける鬱憤を解消する相手にも成りはしないだろうが。
「この槍は……ッ、ギーオスのものか? どうして奴の槍がここにある??」
ギルクは足元に放置されていた三叉の槍に気付く。
オーク族の扱う槍に間違いないが、手下のオークは誰も装備していなかった。となれば、三叉槍は犯人の持物である可能性が出てくる。
オーク族が持つにしては長く、頑丈だ。木を削って錆び付いた穂先を付けただけの雑な量産品とは異なる、力あるオークに贈られる一品物。
槍の持ち主に、ギルクは心当たりがあった。
「ギーオスは異世界送りにして魔法使いの餌にしてやったはずだ。まさか、生きていやがったのか!?」
三叉槍の持ち主、ギーオスはギルクの主張に正面から反対した最後のオークだった。
主様に同調し、禁忌の土地である異世界にまで赴いてレベリングを繰り返すオーク族は、必ず滅びる。人間族を必要以上に追い込めば手痛いしっぺ返しをくらうだろう。
こうギルクを諭したギーオスは、オークとしては知能指数が高く、未来を見通す力があった。
しかし、ギルクに反対した時点でギーオスの天命は潰えていたのだろう。
例え彼が、ギルクの実の弟であったとしてもそれは変わらない。
「きさまか、きさまなのか、ギーオスッ!!」
ギルクの叫びへの返事はない。
その代わりではないだろうが……。
「――串刺、速射、氷柱群ッ」
冷たく、鋭利な衝撃がギルクは全身に襲いかかる。
五センチの円錐形に揃えられたツララの群れが、路地の斜め上空から放たれた。
初速は秒速五百メートルを越えている。近代の重機関銃にも劣らない面制圧能力を持った氷系の攻撃魔法だ。
「……あの人間みたいな化物は、何??」
見晴らしの良い電柱の上に降り立った短髪の青い着物の魔法使いが、殺傷性の高い攻撃魔法を放った術者である。
「氷の魔法使い、アジサイ。往く!」
ツララを再生産し、魔法使いアジサイは攻撃を続ける。
大男ギルクに何本もの氷の魔法が直撃して、氷の破片と路地にたまった砂埃が煙となって立ち込めていく。
アジサイは天竜川以外で検知した魔力を、内心魔法の誤作動と思いつつも出動していた。買い物の帰り道でなければ確実に見逃していた地域だ。
気付いた魔力も微少で、いたとしてもゴブリン未満の大したモンスターではない。そうした彼女の楽観は、眼下で叫ぶ大男の魔力を直接視認した途端、粉々に崩れ去っていた。
「化物め……」
どうやって隠蔽していたのかは定かではないものの、大男の『魔』総量はアジサイ本人よりも多く感じられたのだ。天竜川に人間の姿を模倣する化物の出現例はないが、オークの死を憐れむ大男が人類の敵でないはずはない。
即決即断したアジサイは、大男に対して魔法攻撃を敢行した。
「無傷?!」
完全な不意打ちであった。
並のモンスターならミンチと化す魔法を、連続で放った。
だというのに、大男は体の原型を留めてしまっている。アジサイの本人さえ訝しく思う直感は、正しかったと言えるだろう。
「――魔法使いめ、こんな時に現れるか!」
空を忌々しく見上げて、ギルクは決断を迫られていた。
魔法使いの魔法はギルクに一切のダメージを与えていない。主様の呪具は正常に機能している。
戦えばギルクの勝利は揺るがない。
しかし、準備もなしに魔法使いを一人倒してしまうと、残りを逃がしてしまう危険性が高まる。それでは主様に申し訳が立たない。
「………………潮時だ」
熱し易いが、冷めるのも早いのがギルクだった。理性で引き際を見極められるオークが、本能のまま低能に殺されるオークよりも有益であることを、彼は熟知している。
ギルクは落ちていた重量鉄骨を片手で握り潰しながら持ち上げると、アジサイが乗る電柱目掛けて投げつける。その投擲は、重量や重心を完全に無視した異常なものだ。レベルアップによるステータス補正が、物理法則を凌駕した光景だった。
住宅地への被害を気にしたアジサイが氷の塊で鉄骨を受け止めている間に、ギルクはどこかに消え失せている。
「逃げた……見逃された?」
ギルクの不可解な逃走に首を傾けていたアジサイも、けたたましいサイレンの鳴動音の接近に気付いて、その場から跳び去っていく。




