4-2 路地の奥にある現実
オークがナタの形状をした刃物を構えたため、俺は望まないタイマン勝負を行う破目になる。
背の低いオークが狙ったのは、程よい高さにある俺の腹だ。縦一直線に斬られれば、帝王切開で温かいピンク色のモツとご対面してしまう。
慌てた所為で足をもつれさせて、背中から地面に倒れ込む。結果的にではあるがオークの一刀は回避できた。
「ブッヒ、ブヒヒヒィ」
腹を抱えて笑う豚面の反応から、遊ばれていると悟れた。一刀を転んで避けられたのは、『運』5のお陰ではなかったらしい。今しがた実績解除されてしまったバッドスキルから学ぶべきだろう。『運』パラメーターなんて信じてはいけない。
オークが活きの良い獲物との触れ合いを楽しむため、当たれば残念という気持ちを込めて刃を下ろした。そうでなければ武道一般の素人が、暴力以外の評価点を見出せないオークの攻撃を避けられる訳がない。
「ブィヒヒヒ」
あまりにもか弱い人間の醜態を目撃したオークは、次の攻撃を忘れてひたすらに笑い続けている。
「笑うな、生姜焼きにして優太郎に食わせるぞ! 暗器解放!」
「ヒィッ、ギッ!?」
倒れた人間は死に体で、一歩も逃げ出せないからもう殺せてしまう。こう俺を侮っていたオークは、死角から突如伸び上がってきた槍の石突に下顎を強打された。
オークの顎を跳ね上げたのは、俺が『暗器』スキルで隠し持っていた三又の槍だ。
刃の方で突き刺せば一撃で倒せてしまっただろうが……。あえて鋭い先端部で刺殺せず、打撃による無力化を試みた。
「俺はさっき夕飯食ったばかりだ。生き物殺して吐くのは夕飯代が勿体ないだろ!」
武器を持っていないはずの相手からの予想外の反撃。
オークの低身長と、元々オークの落し物にしては長かった三叉槍。
何より、現れた当初から俺の警告を無視して馬鹿笑い続けて、舌まで出していたのが一番災いした。
暗褐色の血が吹き上げる。
強制的に閉められたオークの口の端で、噛み千切られた舌がだらりと垂れていた。
「――――ッ!!」
悲鳴が太った腹の中で木霊している。
痛みを叫んでいる間が好機だ。逆上して襲ってくる暇を与えるつもりはない。
前のめりになったオークの顎を、再び槍でかち上げた。
顎は人体急所の一つである。ここを強打されると苦悶して体を折るだけでは済まされず、脳を揺さぶられる事で脳震盪を起してしまう。
首と同化しているとはいえ、化物にとっても顎が急所であるのは変わらない。
白目を剥き、泡を吹く。体を弛緩させると、オークはそのまま前のめりに倒れ込んだ。
倒れる先で尻餅をついていた俺は、とばっちりを避けるために道路を転がる。ギリギリのタイミングであったが、肥満物質からどうにか逃れる。
「添い寝の相手がオークってのは色気がない」
路上で化物と仲良く寝続けるつもりはない。
未練なく立ち上がると、オークが落とした刃物を探して拾う。
刃の部分が妙に油っぽくて汚らしいが、低レベル時のモンスタードロップは貴重だ。遠慮なく貰っておく。オークの腰から鞘も奪い背嚢にしまう。
『暗器』スキルで隠せば銃刀法を恐れる必要はないのだが、どうもこのスキル、一度に隠せる武器は一個限定らしいのだ。このナタ似の刃渡り三十センチ程の武器をスキルで隠してしまうと、もっと長くて目立つ三叉槍を抱えて持ち帰らなければならなくなる。
「死んだふり……はしていないな」
一応、オークの顎を脚で蹴って昏睡状態を確かめる。この顎具合では、当分流動食しか食べられないだろう。人間を襲わずにダイエットに励め。
「勝ててしまったのは良いけどさ、こいつどうするよ」
この後困ったのは、倒したオークの処遇だった。目立つなら、殺してしまおう、このオーク。なんて句を詠むぐらいなら、最初から殺している。
ステータスを確認したが、やはりモンスターの討伐アナウンスはログに残されていない。俺のレベルは1のまま無変化。心臓をとめないと経験値が入らないのは本当の事のようだ。
結局、近場のゴミ捨て場にあったカラス避けと思しきブルーシートを利用する。公道の往来を邪魔するオークを路肩まで転がして、ブルーシートを上に被せて誤魔化した。
暫定的にオークを処理したが、本当に暫定でしかない。
隠したオークの扱いにも困っているが、それよりも先に憂慮すべき事案があるだろう。
「……そういえば、魔法少女が現れないな。いつもなら銀河の警備隊よろしく、五分程でどこからか跳んでくるのに」
魔法少女は未確認生物が出現した際には、毎回欠かさず登場していた。魔法が使える彼女達である。未確認生物を検知する魔法でも使用しているのだろう――未確認生物と異なり、俺が魔法少女から隠れられる理由は『魔』のパラメーターが0だからではないかと推測している。
だが、今日に限って魔法少女は現れない。
理由は、ここが天竜川ではないからだろう。毎回特定の場所にしか現れないモンスターのために、街全体を見張るのは非効率だ。魔法少女の検知網が天竜川付近にしか設置、機能していない可能性は十分に考えられる。
「それならそれで問題だ。今度は、このオークは天竜川でスポーンしなかったという仮定が成り立ってしまうぞ」
天竜川でオークが発生して街中まで移動したのではない。
最初から街中で発生したとすれば、魔法少女から逃れる事は可能かもしれない。
「このオークも『魔』が0だったとか、あるいは魔法少女の検知網にも穴があるとか。理由だけならまだまだでっち上げられるから、無意味な仮定かもしれない」
魔法少女が既に全員黒幕共に狩られた、という懸念もある。が、深く考えると現実になってしまいそうなので意識して忘れる。
「……いや、黒幕共が魔法少女の狩りを決定した今、もう天竜川にオークをスポーンさせる必要がないはずか。なら、このオークは黒幕共が手駒として連れてきたと考える方が自然なのか」
オークやサイクロプスを含むすべてのモンスターは、間違いなく天竜川の黒幕共の思惑によって出現している。
空想上の生物が実存する異世界か何かがあって、魔法でワープでもしているのか。とりあえず手段は問わない。黒幕共に世界間移動の方法があり、己の意思で移動できるという前提が欲しい。
最初にオークが出てきた暗い路地に目を向ける。
「手下を幾人か選抜して、身の回りの世話をさせているのか。部下への報奨として、魔法少女を使ったレベリングに参加させるつもりか」
現実はゲームではない。無用心にもラスボスがたった一人でダンジョンから外出して、物見遊山のついでに主人公の前に現れるはずがないだろう。江戸時代の縮緬問屋だってコミカルな家来を連れて全国を行脚していた。
異世界移動に制限がないのであれば、黒幕共のようなボス級以外にも、汎用モンスターが現実世界に渡っていたとしても不思議ではない。
「調べないまま帰るってのは、ないな」
一瞬、夕方に手に入れたばかりのJKのメールアドレスが頭を過ぎったが、下手をすればこの場で皐月が狩られてしまうかもしれない。不用意に呼び出すべきではないだろう。
俺単独で動くのも十分に危険だが、目覚めの悪い明日を迎えるぐらいであれば永眠していた方がマシ。死の実感がともなわない内でなければ思えない、俺という人間の本意である。
……なんて、俺は他人の不幸を予見できない、能天気な人間なのだろうか。
壁に背中を密着させ、頭だけを通路に出して路地の奥を確認しようとする。
路地は一本道で視界を邪魔する遮蔽物はなかったが、外の光が届き難い地形だ。ただ、一ヶ月以上夜の闇に慣れた者であれば、暗視スコープが無くともどういった状況かぐらいは見えたかもしれない。
路地奥までは距離があるため、ブヒブヒという鳴き声は聞こえないし、泣き声は聞こえないし、そもそも血溜まりに顔を浸している人間は声を出せる状態ではない。
生存者ならば一人いる。ただし、複数のオークに囲まれ、強要され、苦しみの渦中にいる彼女にはもう助けを呼ぶ気力さえ残ってはいまい。
――後悔した。
見なければ後悔しただろうが、暴力が支配する現場を目撃して愉快になれるはずがない。
「反吐が出る」




