3-5(裏) どこの誰だよ知らないから、マスクの男なんて
「初めまして、謎の人物さん」
「――初めまして。魔法少女皐月」
「……少女は止めて。私が学園に通う年齢だって事ぐらい調べているでしょうに。少女なんて呼称は恥ずかしい」
「……あんな袴姿で街を出歩いておいて、羞恥心はないものかと思っていたが。それに学生ならまだ少女で通じる。若さは有限だ、急いで大人を気取る必要はない」
「余計なお世話だし、そんなマスクしている奴に言われたくはない。さっさと本題に入りなさい」
皐月と液晶画面越しに対峙する人物は、顔上半分を隠す黒いマスクを被っていた。更に頭には黒一色のパーカーのフードを被り、黒が七分に達してしまっている。皐月が付けているのと同じメーカーの黒色ヘッドマイクを装着しているのが、凝視しなければ分からない程だ。
皐月が指摘した通り、男は他人をどうこう言える格好をしていない。
肩幅や首の筋肉から察するに、若い男性である事は確かだ。しかし、マスクとフードの所為で、それ以上は確認できない。
皐月が出会った事のある人物かもしれないが、髪と目元を隠されただけでも個人の特定は酷く難しくなる。
「まずは礼を言わせて欲しい。先程は初めましてと言ったが、俺は一度君に助けられている。サイクロプスに殺され掛けたところを間一髪で救われた。こうして生きているのは君のお陰だ。ありがとう」
「…………ハッ、つまらない嘘ね。あの男の人は溺死している。マスク男を助けた覚えはない」
マスク男の声はデジタル的に加工されている。低音でくぐもった声質が、皐月の耳に装着したヘッドマイクのスピーカーから聞こえている。
個人情報を明かすつもりはない、という意思表示だ。
死人を騙る事だって造作ない。
「…………いや、生きているんだが」
「まだ言うか。ニュースを見てないから、そういう粗が出る。こっちが学生だからって舐めている? 新聞の一面ぐらい読んでいるから」
「ニュース? ――あー、一ヶ月前のテレビで報道していたな」
「白々しい。サイクロプスに襲われた人は溺れて死んだ!」
「……ぴんぴんしているんだがな。たぶんその溺死した人は無関係だと思うぞ」
マスク越しでも男の困惑が伺えるが、そうした演技だろうと皐月は男をこき下ろす。
「下手な嘘なんてどうでもいい。私にとってはアンタが誰だろうと関係ないし」
「人の感謝は素直に受け取るべきと忠告しておこう。そんな態度では、これから話す本題も虚偽と疑い、判断を見誤る事になる。まぁ、ともかく命を救ってくれた恩義を俺は感じている。だからお返しに君の命を救いたい。素直に聞いてくれ」
右の拳を左の手で握り締め、マスク男は緊張を高めてから皐月の不幸な未来を語った。
「魔法少女あらため魔法使い皐月。君は狙われている」
「マスク男に脅迫されているから、確かにね」
「茶化さずに聞け。君は数日以内に殺される」
「魔法使いを舐めないで、これでも死線は何度も乗り越え――」
皐月は反論をしようと口を挟むが、黒いマスクの後ろに表情を隠した男の言葉は止まらない。
「君は数日以内に殺されて、心臓を無理やり動かされて、本人の意思とは無関係に蘇生させられる。暇つぶしに右腕を切られて、殺される。片方だけでは可哀想だと左腕を食われて、殺される。また心臓を動かされて――」
「な、何よ、そのホラーな脅し文句」
「――左足を握り潰されて、死んで蘇って。最後の四肢を失って、死んで蘇って。綺麗な顔も不要だと爪で削がれて、死んで蘇って、死んで蘇って、死んで蘇って――」
「気味悪い。ふざけないで!」
「――死んで蘇って。最後に化物が飽きるか、もうレベルアップの経験値として旨みがなくなるか、心臓が願い叶って完全に機能しなくなるまで、君は何度でも殺される」
冗談でも脅迫でもなく、現時点での未来予想を語っただけ。誇張もなければ慈悲もない。こういった男の事務的な態度は、マスクに隠される事なく皐月に伝えられた。
「殺される理由は単純だ。天竜川の魔法使いを狙う強敵が現れたからだ」
「……何度も殺され続ける理由は? その強敵とやらがサディストだから?」
「君を狙っている奴は暴力的な性格をしていたが、ソイツの趣向は関係しない。一度殺した後でも心臓さえ動けばまた経験値になるから、だそうだ。ようするに、魔法使いはレベリングに最適なボーナスモンスター扱いなのだろう」
ビクリと手に持っていた紙コップの水面が揺れる。
皐月はマスク男に己が動揺した事を気付かせないため、そのまま紙コップを乱暴に掴むと、中身を飲み込む。
麦茶一口分の休憩を入れた後、皐月は反論を試みる。
「簡単に殺されるとか言っているけど。マスク男、アナタは魔法使いの実力を知らないから、そう脅せる」
「レベルの話をしているのであれば、確かに俺は魔法使いのレベルを知らないな」
「ッ! 私のレベルは60を超えているわ! 天竜川にはこれまでレベル50クラスのボス級が何度かスポーンした事があるけれど、今の私ならボス級でも危なげなく倒せる自信がある」
「ほう、レベル60か。苦労したんだろうな」
現実の不可思議、レベルの事まで知られていたのは予想外で、つい、己の実力を漏らしてしまい、皐月は後悔する。
この正体不明のマスク男は警告をするために現れたと語っているが、顔も見せようとしない人間の言葉を全面的に信じる訳にはいかない。敵かもしれないマスク男に魔法使いの情報をくれてやるのは、見ず知らずの男の家に女学生が上がり込むぐらいの危険がある。
「一番苦労したのはゲッケイという女だろうが。レベル70になる手前とは、うまく調整したものだ」
「ゲッケイ? レベル70? 何の事?」
だが、皐月が反射的な反抗心で己のレベルを明かしたのは正解だった。
「君を襲う敵はレベル80相当の難敵だ。しかもただの化物と異なり、言語を解する知性を有し、性格は暴力的」
「レベル20差は確かに脅威だけど、絶対的とまでは言えないから」
「ソイツがレベル70以下の魔法を無効化する装備を持っていたとしてもか? 君は魔法使いだろ、魔法以外の攻撃手段を所持しているのか?」
マスク男に皐月のレベルを開示していなければ、後日、皐月はより一層の後悔をしていただろ。そう思わせるだけの説得力がマスク男の言葉に含まれていた。
天竜川にスポーンするモンスターが特別なアイテムを所持していた前例はある。
魔法使いの奇抜な服装も、過去に討伐したモンスターが落としたアイテムを材料に作成され、代々の魔法使いに受け継がれている。皐月が恥ずかしながらも紅袴をはいている理由は、紅袴ほどに耐久性と魔力上昇効果のある代替装備がないという消極的なものだ。
「君以外でもいい。他の魔法使いの中でレベル71以上の者、魔法以外の攻撃手段を持つ者はいるのか?」
先も考えたように、皐月はマスク男の言葉を信じるつもりはない。
しかし、マスク男にはレベルの事以外にも天竜川の魔法使いが複数いる事実さえも知られている。彼の話が真実であれ虚偽であれ、戦う前から皐月達魔法使いの首根っこを押さえつけられているのは確かだった。
「天竜川は君達魔法使いにとってはモンスターの狩場だったのだろう。だが、真実はまったくの正反対で、天竜川は魔法少女の養殖場だ。たまに現れるモンスターは稚魚に与えられる餌でしかない」
情報量でマスク男に負けている事も皐月は認めなければならない。
皐月は天竜川にモンスターがスポーンする明確な理由を知らない。昔からそうだという決め付けをただ鵜呑みにしたまま、疑問視する事を忘れていた。マスク男の騙りを暴く些細な材料さえ、皐月は持っていないのだ。
「そして成魚に育ったのなら、養殖場の主は魚を出荷する。求める者に身を捌いて振舞うだろう」
「すべて真実だとしたら、確かに脅威ね」
「ついでに警告しておくなら、養殖場の主は魔法使いの様子を監視している。定期的なものなのか使い魔でも放っているのか、手段は分からない。少なくとも街中での接触は危険と判断した。このネット喫茶店に君を招いた理由だ」
マスク男の言動は今もって確証に欠けるが、マスク男の行動には説得性が生まれ始めている。
「マスク男、アナタ……」
皐月は、顔も見せてくれない男を信じても良いかなと楽観し始めていた。
「――ここまで無遠慮に警告しておいて何だが、俺の言葉を真に受ける必要はない」
だというのに、これまでの培った説得性をマスク男は自ら否定した。
真剣味が増していた皐月は「ハ?」と口をあんぐり開けてしまう。緊張感という蒸気が彼女の口から空気中に拡散して消えていった。
「何、言ってんの? このマスク?」
「君からすれば、俺は正体不明のマスク男でしかない。人間に擬態した化物が、脅威となる魔法使いから情報を得ようと画策している。それぐらいの可能性は考慮して欲しいな」
「自分の口で言うの、それを!?」
「俺の口から俺が不利になる発言をすれば、深読みして敵ではないと判断するのではないか? だが、それこそが裏の裏を読んだ虚偽の可能性もある」
「ああああああ、この男は! クーポン券で呼び出された頃から気付いていたけど、やっぱり面倒、まわりくどい、偏屈!」
混乱しながら結論を出す必要はないし、結論は他人から得るものでもない。こう真っ当な言葉を耳元のスピーカーから垂れ流す配慮も含めて、皐月はマスク男が苛立たしくなってしまった。
ネット喫茶店内という公共の場でなければ、皐月は延々と遠慮なく喚いていただろう。
「俺の話の裏を取ってみろ、魔法使い皐月」
「ああ、そうね。言われなくとも調べてやる……」
「俺の言った脅威が現実となった場合、君は敵に屈服するだろう。だが、その心が折れる直前で良い。俺に助けを求めろ、助けてみせる」
皐月はキザな発言が嫌いだ。歯が浮いて気色悪い。が、マスク男はもう嫌いな人類に分類されているため、マスク男の評価は下がらずに済む。
「はいはい、藁にすがるのもマスク男に救助要請するのも同じだから、その時はお世話になります」
「……そのマスク男という固有名詞はどうにも格好が悪いな」
タキシードを着ておらず、オペラ座館にも生息していないのなら、マスクを被った怪しい男なんぞマスク男で十分だ。
「そうだな、俺の事は御影とでも呼んでくれ」
「了解、マスク男」




