20-1 崩壊する風呂場
御影がリリームを捕らえた日。
天竜川の魔法使いである四人の少女は、炎の魔法使いである美空皐月の実家に集合した。通学路で襲撃されたり、校内で狙撃されかけたりと事件が続いたため、いい加減女学生として生活する事を諦めたのだ。戦力を集中して室内閉じこもった生活を続けている。
そもそも通学を勧めていたのは御影一人だけだった。少女達は魔法を使えない日常を重視していない。
皐月家の宿泊客は氷の魔法使いである伊藤浅子と雷の魔法使いである鈴山来夏の二名に加え、今朝からはもう一人増えている。
美しいというよりも格好良いという形容が似合う土の魔法使い、上杉秋は、友人である来夏に連れられて皐月家を訪れた。秋は裏山から響く発砲音を聞いた後も気乗りしていなかったが、来夏に押し切られて迎合したのだった。
その日の夜。夕食も入浴も済ませて、後は寝るだけとなった時間帯に、皐月は日課になりつつある愚痴を吐く。
「……馬鹿御影、どうして謝りにこないのよ!」
「兄さん、兄さん、兄さん、兄さん――」
「浅子は禁断症状でちゃっているし、あの馬鹿はもう!」
皐月の私室のベッド上には、部屋主である皐月と浅子が並んでいる。一人用ベッドに二人も並べば窮屈になりそうなものだが、浅子は壁に密着してブツブツ呟き続けている。皐月が寝られるスペースは案外広い。
残りの来夏と秋は、絨毯の上に敷かれた布団で横になっていた。
「皐月、流石に四人だと部屋が狭いです」
「やっぱり私は帰ろうか、来夏?」
「だからどうして秋は一人になろうとするのですっ。一番社交的だった秋が、たかだか一週間で孤独を気取るようになってしまって!」
「兄さん、兄さん、兄さん、兄さん――」
「セーフハウスなら広かったのに、親にはそろそろ怪しまれているし、全部あの馬鹿が悪いんだ!」
皐月の両親の態度が日々硬くなっているのも、皐月が荒れている理由の一つだ。
友人と離れるのが嫌で一緒にいたいという言い訳を聞いた皐月母は、娘に気の合う友人がいたのかと感激し、喜んで宿泊を許可した。しかし、泊人数が四人まで増えての連泊となると、疑わしげな表情を娘に向けてるようになってきている。
魔法で幻惑してその場をつくろっているが、魔法耐久性のない親類に魔法を使うのは皐月とて本意ではない。
「そもそも、あの桂という女、何よ!? 御影はどうしてあの女を庇うのよ!」
男を寝取ろうとしている女に対する厳しい視線を、皐月は脳内の楠桂に対して向ける。
「まさか体で誘惑されたとかじゃないわよね!」
脳内の桂は背が高く、一部が豊満だ。
「皐月は桂を知らなかったのです?」
「昨日が初めてよ」
御影の口から皐月に対して、桂の存在を語られた事はない。天竜川で工作活動をしている者の存在は示唆されていたが、それが幸薄そうな美人だとは聞かされていなかった。皐月の御影に対する不満は、飾りを取り払えばそれしか残らない。
先代の炎の魔法使いである師匠の死に関わった女として、桂本人にはかなり強い憎しみを覚えている。が、皐月が御影を本気で嫌うはずがない。
「兄さん、兄さん、兄さん、兄さん――」
浅子については言うにおよばず。
四人の魔法使いは敵を恐れてガタガタと身を寄せて、無為に過ごしている訳ではない。せっかく当事者が集まっているのだからと、自分達の状況や敵について考察を行っている。今回の話題は敵の魔法使い、桂だ。
「兄さん、兄さん、兄さん、兄さん――」
……浅子については言うにおよばず。
「人間の癖にモンスターの仲間になるなんて、酷い女としか思えない。あんな悪女に騙されるなんて、馬鹿御影」
「……皐月、それは少し違うです。モンスターにレベリングされた魔法使いが、正気を保ったまま人間を裏切るはずがないです」
敵幹部に捕獲され、レベリングされる寸前だった来夏が口を開く。吐気が込み上げる体験で思い出すのも辛いが、桂がどういった境遇にあるのかを知る唯一の人間であるため、来夏は語った。
「モンスターの人間に対する扱いは、私達のモンスターに対する扱い以上に苛烈だったです。拷問されてから裏切れと命じられれば、誰だって人間を裏切るはずです」
「桂にも同情するべき点があると言いたい訳?」
「同情ぐらい良いじゃないですか。桂という魔法使いは、救われなかった私達の成れの果てです」
来夏は桂を許せとは言っていない。ただ、同情もしないのは同じ魔法使いとして冷徹過ぎないだろうかと思っただけだ。
「……そうなっても、私なら人間を裏切らない。裏切るぐらいなら命を投げ出す」
「皐月は強いね。私は、死ぬのは怖いよ」
桂を直接知らない秋はこれまで口を挟んでいなかったが、皐月の無責任な発言に反応した。
「眠るようだとか、そんな安らかな表現がされているけどさ。死ぬって何もないんだよ。真っ暗で、まるで海の底で体が溶けていくようで怖い。……もちろん、裏切りについては別問題だけどさ」
暖房の利きが悪いのか、秋は身を震わせる。
「――死んだ事のない私が死を語るのも可笑しいよね」
秋は暗い話を横に置いて、桂の動機について一石を投じる。
「その桂さんとやらは何世代にも渡って魔法使いを育てては、主様に献上している。傍から聞く限り、呪いみたいなものを感じるな」
「ラベンダー。どういう事? 桂は脅迫に従っているだけじゃないと」
「脅迫されたから何年も働いています、ってのは違和感があるだけさ。拷問で心が磨り減り続けた人間が、主様の要求に答えられるはずがないと思う」
人を長期的に行動させるにたる原動力は、温かな感情ではなく、陰気な黒い感情だけである。
桂の場合は主様を恨む事で気力を維持できたとしても、モンスターに対する黒い感情は人間を裏切る罪悪感を封殺するためのエネルギーに変換されない。
もっと直接的に、桂は魔法使いに対して真っ黒な感情を抱いていると仮定すれば、桂の長期的な裏切り行為は酷く納得できるのでは。こう秋は感想を締め括った。
「強制にしろ自主的にしろ、桂が敵側の魔法使いである事に間違いなくない?」
「ただ戦う分には無駄な考察だと思うけど、皐月のマスクの彼氏さんがどうして敵の女に入れ込んでいるのかは重要ではないかな」
「そっち方面だけで考えるなら、ラベンダーの考察は間違っている。魔法使い嫌いな女に、魔法使い趣味の御影が好きになるはずないじゃない!」
秋にとって桂はまだ見ぬ敵でしかないが、皐月にとっては女としても魔法使いとしても不倶戴天の敵。彼氏を取り戻すためにも、敵の事情を推し量ろうとするのは当然の行為だ。
ただ、御影本人に聞けば、魔法使いだから、と一言で解決する問題を他三人を巻き込んで議論するのは建設的とは言い難い。結論が出るような議題でもなかったため、眠気で瞼が重くなるにつれて自然に議論は収束していった。
「兄さん、兄さん、兄さん、兄さん――」
……浅子が不眠症なのは言うにおよばず。
朝日が昇り始めた早朝。
街の外周にある廃墟で戦闘が開始された頃、最初に目覚めたのは秋である。
他人の家に泊まった初日だったため、眠りが浅かった。だから、隠匿されているがために無視できる程に僅かな『魔』に対しても、反射的で目覚める事ができた。
「ッ! 皆起きてッ! 魔法攻撃がく――」
奇襲の初弾は空から落ちてきて、皐月家の屋根瓦を突き破って風呂場を破壊した。




