19-1 ジャージ・エルフは笑えない
俺は夕食を桂と一緒に楽しみ、共同で食器を片付けて夕食の余韻も味わってから行動を開始した。最優先目標である勇者レオナルドとの戦闘を想定し、事前にできる準備を今日中に終わらせておくつもりだ。
桂を伴ってやってきたのは郊外にある廃墟である。
バブル崩壊までは男女向けのホテル営業を行っていたが、不況のあおりで廃業し、現在では戦国的な城を模した建築物の老朽化が進んでいる。一部の廃墟マニアの間では、幽霊の出る廃墟として人気があったそうだ。
ちなみに、ここの土地の正式なオーナーは俺だ。金で権利を買い取ったため、俺が廃墟に侵入しても違法にはならない。地下室で誰かを監禁するのは確実に犯罪だろうが。
二時間前に旅立った土地に舞い戻って来た訳であるが、はたして、ロバ耳女ことリリームは大人しくしているだろうか。勇者レオナルドを呼び出す餌にしたいので、あまり逃げていて欲しくはない。
「この『魔』の気配は、エルフで間違いございません。エルフを生け捕りにするとは、改めて御影様のお力に感服いたします」
戦闘だけで言えばわたくしとほぼ同レベルの面倒な女だったのですが、といった感じに桂に言葉を続けられて、俺はマスクの裏側で冷えた汗をかいてしまった。本当に奇襲が成功して良かったと思う。
リリームが脱獄に成功しており、俺の帰りを弓を引きながら待っている可能性について、桂に意見を伺う。
「……少なくとも魔法を使った形跡はないですわ。エルフは狩猟を得意とするので、物理的なトラップを仕掛けている可能性はなくはありません」
地下室の鉄扉は閉じられたままだ。当然ながら内部の様子は探れず、扉越しにざーざーと耳障りな音が木霊しているだけだ。
このまま疑心暗鬼を続ける暇はない。音が響かないように扉を解錠して、慎重に暗い地下空間へと足を踏み入れた。
ざーざーという音は音量を増して、不快さも増していく。
音の発生源は、地下室中央で灰色の砂嵐を中継しているテレビだった。
廃墟に放置されていたブラウン管テレビが、アナログからデジタルに移行しているはずがない。アナログ電波を受信できずに、豪雨が窓を叩きつけているような音と、水銀と墨汁が混ざり合ったかのような独特な映像が流れているだけだ。
デジタル移行後、最近聞く機会のなかった懐かしい雑音には、再会を祝う音色は一切含まれていない。
ブラウン管テレビは時代に置き去りにされた怨嗟を、ざーざーと響かせている。電灯のない暗室では、文明の器具でさえ太古から伝わる呪具と同種の不気味さを発する。
九十五分の上映が終了して、勝手にビデオテープの巻き戻しが開始されただけ。こう理解していても、地下室で砂嵐を映し出すテレビは悪魔崇拝の祭壇としか思えなかった。
そして何より、地下室にはブラウン管テレビの犠牲者が一人――。
「き、気絶している……」
たった一人で地下に置き去りにされて、可哀想にもホラー大作を上映させられたリリームは、体から一切の力を抜いてダラりと背後の鉄骨に寄りかかっていた。
駆け寄る俺を油断させるための演技ではない事は、リリームの様子から即座に判断できてしまう。
彼女の目は瞼を閉じる暇さえなかったのか、白目をむき出しにして停止している。
彼女のロバ耳は下を向き、金色の長い髪は恐怖によって艶を失い散乱している。
彼女は手足を鎖で縛られているのに迫る何かから逃れようと必死になったためか、擦り傷が生じ、酷いところでは白い肌が内出血を起している。
そして、彼女の足元には、地下室を出るまでは存在しなかった水溜りがある。こちらは恐怖だけが理由ではないだろう。監禁して一度もトイレに行かなかったのでは仕方がない。
「流石は御影様ですわ。森の種族は強情な事で有名ですが、それをたった半日でここまで追い込んでしまわれるなんて」
「桂さんには申し訳ないですが、このままだと敵とはいえ不憫なので、服を着替えさせてあげてください」
同性がいるのに俺が出しゃばる必要はない。鎖の錠前を解いた後、リリームの介抱は桂に任せる。
タオルは事務所にストックがあったので直ぐに用意できた。ただし、女性物の下着が備え付けられてはいない。
桂を全面的に信用している俺は、単独で廃墟から外出してコンビニに向かう。近年は下着すらコンビニで売っているから、ホラー映画で失禁したとしても支障はない。
「Teaポイントをお持ちですか?」
男が女性者の下着を購入しているのに、どうしてコンビニ店員は空気を読まずにポイントを迫ってくるのか分からない。
リリームが着ていた緑のワンピースの代わりはジャージで良いだろう。賃貸マンションのタンスから俺が使っていた体育用のジャージを引っ張り出すと、滞在時間一分で再度廃墟へと向かった。
リリームが意識を取り戻したのは、まさかの翌日早朝だ。計算上、実に十時間近く寝ていた事になるが、仮にも敵地でこれだけ長く意識を失っていられるとは暢気な奴である。
徹夜で作戦会議を行っていた俺に対する当て付けだとすれば、なかなかに効果のある嫌味だ。
「私はいったい……ッ、マスクのアサシン、貴様ッ! しかもゲッケイまで一緒だと!」
井戸から出てきた化物に襲われたかのような寝顔は可哀想であったが、起きたら起きたらで騒がしく面倒な女である。
魔法少女側陣営である俺と、主様陣営である桂が机で向き合って楽しげに握り飯を食べていれば、第三陣営たる勇者パーティーに属するリリームが困惑しても仕方がないのだろうが。
己がジャージに着せ替えられている事に気付いたリリームは、口をパクパクと開閉して動揺を見せる。蛆虫に集られたために失ってしまった何かを抱きしめようと、腕を動かして鎖を鳴らしていた。
……続けてリリームはゆっくりと表情を変えていき、俺のマスクに対して凶悪な笑みを浮かべる。
「人生の最後に、森の種族を手篭めにした気分はどうだった! この体には毒性植物の種を仕込んであった。触れた部位から腐り落ちていく程の猛毒がな!」
「……エルフの女にはそういう噂もありましたわね。純潔を奪った男のモノから血を噴出しながら悶死した。植物に詳しいエルフであれば、そういった報復が可能なのでしょう」
桂が捕捉してくれて、俺はリリームが誤解していると把握する。捕まえた当初から声を枯らす程に挑発していたのは、体を犠牲に俺を毒殺したかったからかと合点がいく。
リリームは服を脱がされる行為が意識を失っている間に行われたと勘違いしているのだろう。くっきりした瞳の端から涙を流しているのはそのためだ。
異世界はどれだけ殺伐とした世界なのだ、と他人事のようにリリームの笑みを受け流す。
身にまったく覚えがない俺は健康そのものだ。仮に俺が寝込みを襲う変態だったとしても、『耐毒』スキルを持っているので効果はなかっただろうが。
「そこの自ら罠をバラしている天然なリリーム。笑っているところ悪いが、まだ利用させてもらうからな」
まったく苦しんでいない俺の言葉を聞き、リリームの笑顔が凍結する。
「勇者レオナルドを誘き寄せる。あいつの潜伏場所を教えろ」




