18-7 老モンスターは若者を気遣《きづか》う
山中の一角で、幹を真横に一閃された大木が倒壊していく。
地面から飛び出た岩石が、ガントレットの一撃で粉々に粉砕される。
「リリーム、どこに消えやがったッ!」
すべて、勇者レオナルドによる犯行だ。無断で外出したまま帰ってこない仲間の心配……ではなく、言う事を聞かない仲間にムシャクシャのが動機だった。
昨日、魔法使い狩りに失敗し撤退した勇者パーティーは、市外の山中で体力の回復に努めていた。
勇者レオナルドは身に矢を受けていたが、軽微な負傷だった事もあって既に完治している。『自然治癒力上昇(強)』スキルのお陰で、化膿する事もなく傷は塞がっていた。
一方、相方の僧侶タークスの負傷は、彼等が思っていたよりも深刻だった。片腕に火の玉が直撃していたタークスは、不幸中の幸いにも腕が炭化する事はなかったが、深度Ⅱ相当の火傷を負ってしまった。
タークス本人が治癒魔法を使用して片腕は回復に向かっているが、現在は体力低下による発熱で寝込んでいる状態だ。
戦力的には勇者一人でも再戦は可能である。が、粗暴とはいえ勇者も自制は効く。主様の配下であるオーリンが動き回っている状況で、考えなしに突撃するつもりはなかった。
「出てきやがれッ! 俺が呼んでいるんだぞ!!」
タークスが回復するまでは大人しくしていようと思い、暇を潰すためにリリームを呼び付けたレオナルド。しかし、エルフの精霊剣士はやってこない。周辺を洗いざらい探し回っても姿はなし。
暇潰しにリリームで楽しもうと考えていた勇者レオナルドは、溜まり続ける不満を発散するため、周辺の物体に当り散らしていた。
破壊活動によってやや落ち着きを取り戻し、レオナルドは焚き火の前に座り直す。
喉の渇きを潤そうと、異世界から持参した酒ビンを飲み干す。空ビンは当然、遠くの木に向けて投げ捨てる。不法投棄という悪事を働いて、レオナルドはフラストレーションをコンマ一ミリでも縮めようと努力しているのだ。
次の酒を用意していたレオナルドは、不意に、『第六感』が働いて前方の深い森を凝視した。
コツ、コツ、と杖を突きながら、誰かがゆっくり近づく音が響いてくる。
勇者パーティーは三名で構成されており、補欠はいない。
レオナルド以上の人間族は異世界には存在しないし、タークス程に博学で戦闘もこなせる僧侶は稀である。リリームはエルフ族との協定を使って無理やり連れてきていた。もちろん、戦力としてではなく体目当てである。
だから、勇者パーティーは合計三名である。タークスは寝ているので、現れるとすればリリームである。リリームは杖など突かないが。
「夜分に失礼するぞ、勇者殿」
中腰になりつつ、酒を置いて得物の大剣に手を伸ばしていたレオナルドは、現れた小柄で猫背な老モンスターを見て、鼻で笑う。
強敵ではあるが、腕力そのものはそこいらのゴブリンとさして変わらないミイラ同然を、警戒するのは馬鹿らしい。こうレオナルドは武器を置いて座り直す。
殺せる好機であれば大剣で切り捨てていただろうが、前方の老モンスターが対策もなく現れるはずがない。
「何しに現れやがった、オーリン」
「いやいや。荒れた若者の道を正すのが、年寄りの勤めだからのう。この老体の、気まぐれな気遣いじゃ。気にするでない」
「笑うな。悪巧みが顔から滲み出ているぜ」
乾いた頬を擦って惚け、主様の忠実な配下、老いたゴブリンは笑った。
勇者レオナルドとオーリンの関係は深くはないが、浅くもない。異世界で次々と魔族を狩り、失われていた人間の領土を次々と取り戻している勇者に対して、二度程黒星を付けたのがオーリンである。先日で三度になったが。
レオナルドは局地戦では同レベルの魔族さえも圧倒できる。戦略的にも『第六感』スキルのお陰で、直感的な行動で大敵の思惑を阻む事が可能だ。
にも関わらず、レオナルドはオーリンに連敗している。
『第六感』を上回るスキルを有しているのだろうとレオナルドは考えていた。正直なところ、オーリンはスキルの正体を把握できるまでは戦いたくない相手である。
「荒れておるのう。オークであるまいに、何を猛っておる」
「敵に話す事じゃねえよ。さっさと消えろ」
「そう言えば、エルフの娘がおらんようだが、何しに出掛けておるのか?」
「ちぃッ、知ってやがるなら、回りくどい言い方をするなッ」
オーリンはリリームの不在を熟知していた。レオナルドが手篭めにするはずの女が帰ってこない事に苛立っている、とも知っていた。
「今朝方のう。人間族の街の端でエルフの娘を見かけた。どうしたものか、悩んだものだ」
「まさか、殺したんじゃねよな?」
大剣を握り直して、視線だけで魔族を屠れそうな程の殺意を込めてレオナルドはオーリンを睨む。
当のオーリンはほとんど閉じられた瞼を一ミリも動かさず、寝ているような、微笑んでいるような顔を保ち続けている。
「それがのう。どうも誰かと落ち合っている様子であった。誰じゃと思う?」
オーリンの好々爺のような笑顔に反応して、『第六感』スキルが頭蓋骨の内部からレオナルドに警告を発してくる。
レオナルドはオーリンが何か企んでいるだろうなと理解しつつも、『第六感』はあまり当てにしなかった。オーリンの行動はすべて企てを起因としているだろうから、今更警告されてもカンが巧く働かない。
「さあな、異世界にリリームの知り合いがいるとは思えねぇが」
「マスクのアサシンじゃよ。あの男と密会しておったわ」
「……ハッ、俺を謀りたいのなら、もう少し面白い嘘をつけよ」
「いいや、本当の事じゃ。青臭いエルフの娘は、アサシンと共におる」
今度は『第六感』の警告がない。
欺瞞情報だけではないようだと、レオナルドは耳の穴をほじくりながら、姿勢を前方に傾斜させる。
「不思議じゃと思わなかったか? そもそも、昨日の戦闘でエルフの娘はアサシンを射っておったが、まるで勇者殿の邪魔をするかのようなタイミングだったのう」
「邪魔だったとは俺も思うがよ。難癖に近い。もう腹は立てねえよ」
「完全な不意打ちであったエルフの矢が、アサシンの心臓を穿たなかったのもかのう」
「……なるほど、少しは面白い事を言ってくれるな、オーリン」
レオナルドは先日の戦闘を思い出す。
アサシンを後一撃で始末できる段階まで追い込んだ時、リリームは己の獲物だからトドメを譲れと執拗に迫った。
エルフ族は魔法にも秀でているが、本性は狩猟を生業とする血の気の多い種族である。森を愛しているからと主張して農耕を否定するあまり、森に住み着いている動物を殺す事にまったく躊躇いを持たない。
仕留め損なった獲物に固執する事自体は、狩猟民族らしいと納得できる。
しかし、その結果、レオナルド達は撤退した。
「エルフの娘が異世界に渡ってきたのは今回が初めてじゃ。そこはこの老体も保証しよう。じゃが、それがアサシンを救わない理由にはなるまいて。勇者殿を排除できる可能性がある人間は、誰でもエルフの協力者となる」
「昨日はアサシンに恩を売っておいて、今朝は取引に出掛けたとでも言いたいのかよ?」
「その通り。聡明じゃな、勇者殿」
「……リリームが、毛嫌いしている人間族を頼る理由は?」
「さあのう、より気に入らぬ人間族が傍にいるのか。族長から人間族の力を削ぎ落とすように命令されておったのか」
リリームの介入が、先日の戦闘を撤退に追い込む切っ掛けとなった。無謀な解釈を行えば、そう考えられる。
更に疑えば、エルフ族の魔法であれば、隠匿しながら接近していたオーリンとゲッケイを察知できた可能性がある。
「俺を異世界で始末しようってか。アサシンに暗殺させるってのは、陳腐が過ぎるぜ。そもそもよ、人間族を殺すために人間族を頼るか?」
「毒を持って毒をなんとなら。皮肉が利いておるではないか」
「フザけるなよッ、オーリン。矢を射った相手とどう取引するってんだ。体で誘ったとかいう冗談はなしだぜ」
「そう喚かれてもな。事実、肉体を使って誘惑しておったからのう」
オーリンとの相対距離を測りつつ、ギリギリの瞬間を狙って、意図的に心臓を外してアサシンに矢は放つ。その後、狙撃を何故か諦めて接近し、時間稼ぎのためにレオナルドと獲物の取り合いを演じる。
すべて推測に過ぎないが、リリームであれば可能だった。
「リリームは俺の女にするつもりなんだぞッ」
「なんじゃ、まだ手を出しておらんかったのか。お優しい勇者殿に、エルフの娘は惚れてくれたか? 処女かどうかぐらいは確かめ……ておらんかったとは、エルフの初物は貴重だろうて」
「黙れよッ」
「あのアサシンは、今朝の内にエルフの娘の体を弄っておったぞ。仕方があるまい、エルフ族に迫られて誘惑に勝てるオスは――」
勇者レオナルドはついに大剣を振り投げて、オーリンを突き刺してしまった。
オーリンの老いた体は脆い。たった一撃でグズグズに崩れていき、鮮血を流さない代わりに透明な液体と化し、地面に散らばっていく。
やはり、オーリンは偽者の体でレオナルドの前に姿を現していたのだ。偽者だから、経験値は1も入手できていない。
狙っていた女を寝取られた勇者は激高して、オーリンの名を叫びながら本物を探す。
「勇者殿よ。その怒りはアサシンに対するものじゃろう。この老体に当たるでない」
「全部お前の出任せだろうがッ!」
「ならばどうしてエルフの娘は返ってこんのか。今もきっと、絡み合っておると――」
「黙れって言っているだろうがッ!」
レオナルドは頭痛にまで発展した『第六感』を無視して行動し続ける。
投げ付けて、地面に根元まで深く突き刺さっていた大剣を引っこ抜く。そして即座に、オーリンの声に向けて再度投擲する。怒り任せの無茶苦茶な戦い方だ。
「そこまで頑なにこの老体を疑うのであれば、エルフの娘の居場所を教えてやろう」
「聞く耳ねえよッ!」
無茶苦茶であったが、やはり勇者の力は強大だ。
レオナルドは短時間でオーリンが手配していたすべてのダミーを破壊する。これでようやく、オーリンの枯れた声は停止してくれた。
しかし、レオナルドは止まらない。仲間のタークスが目を覚ましてやってくるが、まったく相手にしないで一人で山中を駆けていく。
オーリン本人がリリームを捕らえている可能性がある。
リリームがドジにも異世界を彷徨っている可能性がある。
レオナルドの呼び声を無視している可能性はもっと高い。
――結局、朝日が昇ってもレオナルドはリリームを発見できなかった。




