17-7 そして紙屋優太郎は海外に赴く
通行人Aが現れた。
通行人Aは俺を威嚇している。俺は金縛り状態になってしまった。こんなポップアップが脳内スクリーンに投影される。
デフォルメ化された冷血動物の鱗が、女のマフラーの上で怪しげに蠢く。
見た目はただの通行人Aのくせして、マフラー女の視線は心的外傷を負いたくなる程に鋭利だった。こんな爬虫類染みた瞳孔を持つ女が、人間であるはずがない。
外見の完成度はこれまで出遭ったどの化物共よりも高い――外見はほぼ同い年の成人前後の女性。セミロングな髪の先が刺々しいのが特徴――はずなのに、人外特有の危険性は最も高くはないだろうか。
俺を喰うかもしれないマフラー女は、ふと、目じりを歪めて小さく笑う。
「ふむ。珍しいだけの人間に対して、我があまりにも大人気なくてな。道端で拾い食いをするなど品性を疑う」
勝手に脅して、勝手に自制しようとしているマフラー女。
マフラー女の視線を浴びる俺は硬直を続けている。みっともなく足を震わせずに済んでいるが、全身の筋肉が強張っているため腰も抜かせられない。
どれだけレベル差があるのかは測りきれないが、戦闘にならずに済むのであれば何だって達成してみせる所存だ。
何せ、俺の背後の民家には二人の魔法少女がいる。無責任に喰われる訳にはいかないだろう。
「では人間よ。今夜、喰わない代わりに、命の次に大事なものを差し出してもらおうか?」
夜道で出遭っただけで酷い因縁を付けられたものである。不良だってもう少しマシな理由で……あまり変わらないか。金をせびるか命をせびるかの違いしかない。
「……大事な物は携帯しない主義なのだが?」
「ならば喰われろ」
理不尽この上ない。
眉間に9mm弾を撃ち込んでやりたくなるが、携帯火器では致命傷とならないだろうし、今は俺の怒りを和らげる場面ではない。マフラー女の不評を買わないように誠意を尽くす場面である。
ぎこちなく手を動かして、何か持ち合わせないか体中をまさぐる。
「さあさあ、何を出してくれる?」
それにしても奇妙な命題を突きつけられた。命が大事だというのは疑いようはない。が、命の二番手となると、通常は特定困難だろう。
命よりも大事なものという設問であれば、俺は魔法少女と答えられずに喰われるしかなかった。だが、命の次となると難しい。
金と答える俗人もいるだろうし、健康と答える凡人もいるだろう。
俺はいったい何を差し出すべきか。
「まぁ、今更悩むまでもないか」
上着のポケットから携帯電話を探り当てて、液晶画面をマフラー女に向ける。
「……この小人が、命の次に大事な者か?」
「これはただの写真だ。実物はもっと大きい」
液晶上に立っているのは俺の親友だ。二人で写る今更感に苛まれた、苦い顔をしている。
「命の次に大事な者は、俺にとって友人だ」
写真の中では、俺と紙屋優太郎が大学の正門は背景に並んでいた。
「人間の善性を疑う発言よな。……まったく、己の命惜しさに、友を生贄として我に捧げるか」
まったくである。〇ロスは悪い男だと俺も思う。
携帯の液晶上で、優太郎の顔はピンボケせずに綺麗に写っている。が、俺の顔はレンズに入り込んだ指と重なっているため丁度見えない。野郎ツーショットの出来損ない。誰かに見せる機会があるとは思っていなかった。
「魔族の我が言うのも癪であるが、人間も地に落ちた」
マフラー女は俺の回答に対して、何故だか落胆しているように見えてしまった。何が気に喰わなかったのか、眼光が鈍くなっている。
「優太郎が気に喰わないなんて言うなよ。女に残念がられたら、優太郎が可哀想だろう」
「我を見てくれで判断するな。所詮は借り物で紛い物。昔に見た覚えのある村人の格好を借りたに過ぎない」
ほぼ化物確定であったが、確証となる言質も得られた。マフラー女はやはり人間に擬態しているだけの化物のようである。
「人間よ。お前の友は、お前の所為で我の物となった。後悔しても遅いぞ」
「――やれるものなら、やってみろ。化物に推し量れる程に優太郎は簡単な男ではない」
俺の煽りで焚きつけられたのか、マフラー女の眼光が鋭利さを取り戻す。
「我に怯えている人間が、良くぞ言った。絵一枚では発見できないと高を括っておるのなら、一つ勝負をしようではないか。我がこの男を見つけ出せば我の勝ちで、お前を改めて喰ってやる」
一方的に捕食を宣言されていた先程よりも、条件は良くなったと言えるだろう。
マフラー女の勝手に物事を進める性格様々だ。今夜を切り抜けられるだけではなく、俺に勝ち目のありそうな勝負が開始されようとしている。
「まず負けはしないが、我が負けたら、はて――」
「俺が命を賭けているのに、万が一を恐れて、言い訳作りでも考えているのか?」
「――負けぬ勝負だ。安い挑発にも乗ってやろう。我が負ければ、我を自由に使えば良い」
命を奪ってしまっても良い。
より長期的に支配しても不満はない。
百年程度の生涯であれば、奴隷として扱っても誠意を尽くす。こうマフラー女は俺と約束する。
気付けば、マフラー女はイヤらしい目付きになっている。
「借り物であるが、この体は女としても機能はするからな。そこそこの見栄えであるが、肉欲に溺れてみるか?」
あ、いくら外見が格別でも、魔法が使えない子に興味はないので。間に合っています。
約束を終えると、マフラー女は早々に立ち去っていく。玩具を与えられた幼児というよりは、生甲斐を再発見した老人のように頬を歪ませていた。
足取りは軽やかであるが、負けるのがそんなに楽しみなのだろうか。
「精々、身を清めておけよ、マスクの人間よっ!」
前触れなく出ていたマフラー女は、最後まで自分勝手な台詞を残して街の方角へと消えていく。
「――と、言う訳なので、実費は俺で持つから、しばらく海外旅行にいかないか。優太郎?」
『――お前はナチュラルに俺の明日を奪いやがったな。旅費だけでなく、今期分の授業料も上乗せだ。……それで、重要な事だから最初に確認したいのだが、そのマフラーの子は可愛かったよな?』
「魔法が使えれば、それなりに」