17-5 雷の魔法少女の苦悩
黄色い服装の来夏が、屋根の上に着地する。矢絣の柄と、頭の横から伸びるサイドアップが良く似合っていた。
「来てくれてありがとうな、来夏」
「御影は二階の窓の奥から、二人が睨んでいる事に気付いているですか?」
マスクに阻まれて、二体の魔性から放たれる眼圧は感じない。冷戦の最中に国境付近に敵機が出現すれば、緊張が高まるのは自然である。
「ラベンダーの家に案内するです」
来夏の『速』は65と、俺達の中では最高速度を誇る。民家の屋根から屋根へと跳んでいくたびに大きくなびくサイドアップを追走するのは、『速』重視のアサシンであっても難しい。
一応、背後を確認してペースは維持してくれているので、離されてはいなかったが。
「天竜川最速と聞いていたが、本当に素早いな。来夏は格闘術が得意とも聞いている」
「……そうです」
「俺と来夏が最後に戦った時、格闘術有りで戦っていたら結果は違っていたかもしれないな」
電撃砲台と化していた来夏も十分に強敵であったが、彼女が一番得意とする距離は足蹴が届くクロスレンジである。遠距離攻撃という魔法使いの長所を捨て去った奇抜な戦法であるが、ハンドガンで戦闘不能に追い込めた自信はない。
「頼られてからでは遅いですから、御影にも伝えておくです」
だが、来夏は苦渋に満ちた顔で告白する。
「今の私は、格闘術を使えないです」
味方の戦力分析を怠って勝てる戦はない。
詳しく話を聞く必要がある。一軒の民家の屋根を借りて、俺と来夏は立ち止まった。
「体に異常があるのか。俺が脚を撃ったから、とか」
「御影と戦う前に、嫌な思いをしてしまってからです。脚が竦んでしまって、動かなくなってしまって」
討伐したはずのスキュラが残した置き土産に、来夏は一人で苦しんでいた。
同化されていた無垢な少女の頭蓋を蹴り潰し、飛散する血肉を浴びてから、来夏は直接敵と触れ合う距離での戦闘に拒絶感に覚えている。
「頭では分かっているです。あの子もスキュラの一部でしかなかった。……そう理解しているのに、肉を潰す感触が蘇りそうになると窒息してしまいそうで、本当に苦しいです。……こんな今の私も、きっとスキュラは想像していたに違いないというのに」
いわゆるトラウマを来夏は抱えていた。
魔法は使えるし、モンスターとも戦える。けれど、近接戦闘については不可能な状態に陥っている。無理をしてクロスレンジに跳び込んだとしても、吐気を伴う強烈な頭痛に襲われて戦闘どころではなくなってしまう。
「遠くから電撃を放つだけなら問題ないはずなのに、最近になって命中率が極端に下がってしまって……。トラウマを恐れて、手でも震えているのですかね、私――」
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“実績達成ボーナススキル『不運なる宿命』、最終的な悲劇の約束。
実績というよりも呪いに近い。レベルアップによる運上昇が見込めなくなる”
“助かる道を自ら断った実績により(強)に悪化。『運』のマイナス10補正が追加される”
“ある人物に救援を渋々妥協して受け入れた実績により、現在は無効化されているが、あまり積極的ではなかったため『運』のマイナス補正は残存している。
中途半端な無効化により、非表示属性は解除された”
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「こんなスキルまでいつの間にか得てしまって! 私は、もう壊れかけの魔法使いなのです! 皐月達を一度でも裏切った報いとしては当然です。でも、こんなに弱々しい私では、許してくれた友人達のためにも戦えないじゃないですかっ!」
『不運なる宿命(強)(一部無効化)』の存在は皐月達にはとても明かせず、来夏は一人で悩み続けていたらしい。トラウマの件と合わせて二重の苦悩に、来夏は人知れず耐えていたという事になる。
助けたつもりでいた魔法少女にも、また深刻な問題が存在した。
処理しなければならない課題ばかりが山積みになっていくが、来夏が責められて良いはずはない。
泣き顔を見る機会の多い来夏は、今夜も俺の目前で泣いている。
「……今、俺が頼っているのは来夏だ。格闘術ができない事やバッドスキルを持っている事は知らなかったけどさ。それでも、俺は来夏を頼る」
どう慰めたものか大いに悩んだ。二人の魔法少女に愛されていた経験はあるが、あれは今、破綻している最中だ。イケメンの真似事をマスクの男がするべきではない。
「無責任な希望は語らない。俺は結局、来夏を追い詰めて自殺させてしまった男だから、俺は頼りにならない」
「もう少し、格好の良い事は言えないのですか」
「本当にな。来夏にまで見捨てられたら、俺にはもう後がない。全力で頼るから、戦闘で足手まといになるぐらい気にしないさ」
持っていたハンカチをヒラヒラ広げて、『暗器』スキルで簡単なマジックショーを見せてから来夏に渡す。涙を拭くために渡したはずだが、鼻をかまれてしまった。
本当に仕方がないマスクです、と苦笑してくれたので気を紛らす事ぐらいはできたようと思いたい。
移動を再開して十分前後。
庭の広い民家の手前に来夏は降り立った。どうやら、この家が目的地のようである。表札には“上杉”と書かれている。
「ラベンダーは上杉さんか」
「御影は私の苗字を覚えているのです?」
「鈴山さんも覚えているよ」
即答してやったら、来夏が満更でもない顔をして俺を褒めてくれる。
「ラベンダーは在宅か?」
「――『魔』の気配は感じるですが、ラベンダーは本人そっくりの土人形を作る魔法を使えるので、本人かどうかは分からないです」
思っていた以上に、ラベンダーは器用な魔法使いのようだ。友人である来夏であっても、肉眼で確認したとしても判断はできないと言う。
だが、家にいるラベンダーが偽者だったとしても、本物との連絡手段は残している可能性はある。夜分に申し訳ないが、玄関以外から忍び足で上がらせてもらおう。
「……不審なマスクは何を言っているですか。向こうも私の『魔』に気付くはずです。ほら、二階の窓が開きました」
俺はアサシンだ。泥棒のように本人の許可なく女の子の私室に入った前科はない。遠慮や配慮ぐらいは心得ている。
マスクをコツコツと小突き、来夏に伝える。
「最初は来夏だけで行ってくれ。俺が行くと話がこじれる」
来夏の時とは状況は違うが、また魔法少女と戦う破目になるのは御免だった。
俺は軒下から動かず、二階の窓に跳んでいく来夏を見送った。