17-4 ガチョウは魔王に仲間の肝を差し出し続ける
「あの時代、わたくしの家族もこの街で生きていましたわ。愚かなわたくしが死ぬのは仕方がない事です。けれども、家族や友人知人にまで被害が及ぶと聞かされて死ねる程に、私は愚かではありませんでした」
桂は主様に提案をした。善意という感情に訴えても魔王は聞き入れてくれないから、残酷な提案を示すしかなかった。
「弱いモンスターでも、気に入れば長く飼い続けるという主様の趣向は、オーリンの存在で把握していました。ですから、わたくしは魔法使いを使ったレベリングを継続すべきであると主様に言い放ったのです。安全に新しい配下を育てるためには、適切なレベルに調整した人間は必要になると」
被害者が、被害者である事を捨てた瞬間だった。
このまま魔法使いの養殖を継続するか、早々に大量殺戮を開始するかの二択で心が揺れ動いていた主様も驚いただろう。
体から肝を抜き取れて踠くガチョウが鳴いたのだ。
硬く筋張った大量の肉を暴食するよりも、美味しい肝を厳選すべきである。だから仲間のガチョウをもっと肥さえてから殺すべきだ。こう、泣きながらガチョウが懇願してきたのだ。
冷徹だが、気が触れたとしか思えない桂の発言を、主様は笑いながら快諾した。論理的である事を除いても、魔王である主様にとってガチョウの願いは愉快過ぎたために、断り切れなかったのだろう。
「主様はわたくしの主張を尊重する代わりに、三年周期で新しい魔法使いを用意する事を命じられました」
主様は特別、桂に仲間になれとは命じていない。これまで主様が行っていた面倒事を桂に負担させる、たったそれだけを命令した。簡単ではないが、できない事を桂は命じられてはいない。
悪魔との契約では必須である、契約を反故にした場合のペナルティーも主様は明示していない。
魔王にしては気性が穏やかな主様だからこその慈悲……であるはずがなかったが。
契約を破って魔法少女を揃えられなかった場合は、たった一人の少女の怠慢で、人類が滅びるだけである。言葉での取り決めを必要としない、完璧な従属を主様は桂に課した。
「桂さんはいつまで主様との契約を続けるつもりですか」
「わたくしの心が完全に壊れる日まで」
主様の加護により『不老(強制)』スキルの呪いを受けている桂は、寿命で死ぬ事はない。
魔法少女を犠牲にする日々に心が磨耗して、救われない己を救わない人類を憎み始め、人類の滅亡を望むその日まで桂の挺身は続くだろう。
「――ご納得いただけましたか、御影様」
事のあらましを言い終えた桂は、同情が欲しい訳でもないのに俺に問い掛ける。
桂の感情の消え去った瞳の症状については、酷く納得できた。
「納得、できるはずがないじゃないですかっ!!」
ギルクやスキュラといった配下の残忍さが目立ち、これまで主様を憎む具体的な例示が抜けていた。
だが、それも今日までだ。
俺は主様を葬るにたる理由を発見した。アサシンという職業について常々不満を持っていたが、胸の内に芽生えた殺意の重さを思えば、実は天職であった可能性が高い。
感情に任せて桂を抱きしめたくなる。が、床から立ち上がった中腰体勢からは進まず、俺は悔しくて奥歯を噛み締めるだけである。
世界を救うが故に、非道に手を染めた魔法少女を救うのは決定事項だ。だからこそ、主様を裏切れと説得するタイミングは見極める必要がある。
俺はまだ、世界を滅ぼす魔王を暗殺できる程の暗殺者ではない。世界という荷が片側に乗った天秤を、己が救われるという逆側に揺れ動かすだけの具体案を示さなければ、桂は俺になびいてはくれないだろう。
「……夜も更けましたわ。そろそろ、お暇いたします」
まだ勇者に関しての情報提供や、優太郎提案の共闘要請が残っている。
優しい桂は俺が話を切り出せば残ってくれるだろうが、奥歯を噛んでいる状態では口は動かない。
いつの間にか夕食で使った食器の皿洗いを済ませていた桂にも、もう居残る理由はなかった。
ゆっくりと頭を垂れた後、長身に反して質量を感じさせない足取りで玄関の向こう側に去っていく。
「また、明日も来て下さい!」
「御影様はお望みになるのであれば、よろこんで」
今の俺にできたのは、桂との間にできた接点を維持する事のみだった。
「――来夏、今電話しても大丈夫だったか?」
桂が帰っていった後、俺はすぐに行動を開始した。
現状では主様に対してできる事はない。気持ちは急いているが、優太郎に明かした優先順位を入れ替える程に心を乱してはならない。
冷静に、目の前の問題を一つ一つ解決していく。鈍足ではあっても、これが魔法少女全員を救う最短ルートだと俺は信じている。
そのための第一歩として、俺は来夏の携帯に電話を掛けている。
『……私よりも、炎と水の人に謝ったらどうですか』
「桂さんを許せない皐月達の気持ちは否定しない。だけど、それでも俺は桂さんを救いたいと思っている。上辺だけの謝罪はできない」
『…………そんな理屈だけじゃないです。これだから男はです』
小声でブツブツ呟いている来夏。
小言を聞き流して、俺は連絡目的を告げる。
「ラベンダーから返事はあったか?」
『まだ、ないです。圏外にずっといるのか、電源を切っているのかは分からないですが』
「無事を確かめに、今晩中に直接家を訪ねてみよう」
ラベンダーの家を知っている来夏に同行を求める。
明日の朝を待っていられてないので、今から迎えに行くと来夏に伝えた。
『住所ぐらいメールで教えられるです』
「マスクの不審者と会ってくれるとは思っていない。ラベンダーの説得も頼みたいんだ」
『……私を選んだ理由は、ラベンダーが目的なだけですか?』
ラベンダーと一番親しい来夏を頼っているのは確かである。来夏自身が分かり切った事をワザワザ聞いてくるとは不思議だ。
そうだ、と事実を手短に答えてしまっても良かったが、何か不誠実な感じがしたので言い方を変えてみる。
「俺が頼りに出来るのは来夏だけだ。頼む」
来夏は、仕方がないマスクです、と言ってから通話を一方的に切断した。