17-3 世界の滅びを救い続ける、月の魔法少女
桂の用意した夕食を小さな机に並べて食する。男一人暮らしの食器棚にはペアの食器は用意されていないため、俺と桂では茶碗の柄が異なった。
桂と知り合ってからそれなりに経過しているのに、こうして見詰め合える距離で食事を共にするのは初体験である。美人だ、別嬪だ、と会うたびに感じていた女性との夕食が楽しくないはずはない。
たとえ、桂が魔法少女の敵であったとしてもだ。
「そんなに注目されては、恥ずかしくて口を開けませんわ……」
箸をおいて、頬に手を添えて恥ずかしがる桂。
戦前から主様に仕えているはずの桂であるが、かなり年上の癖して可愛いから不思議だ。桂の瞳は希望を失ったままの暗い色をしているのに、白い肌を赤く染めているのは器用なものである。
アジの開きを箸先でほぐして、身をつまんで白い飯と共に口に含む。
幸せのひと時を続けていたいが、そろそろ核心に迫ろう。
「桂さんが俺に良くしてくれる理由は、魔法使いを助けているからだと前に教えてくれましたね」
「その通りですわ」
「一方で、魔法少女を生贄にする悪事も止めないというのも、以前のままですか?」
「はい、わたくしの意志は変わりません」
食事の終わりを悟った桂が一度立ち上がり、お茶を入れた急須を片手に戻ってくる。やっはり、寒い季節は玄米茶に限る。
「……桂さんは矛盾していませんか?」
「いいえ、わたくしが反逆するのと、御影様が自らの意志で主様に挑むのとではまったく異なります。少なくとも、主様はそうお考えになるお方ですから」
陣営が異なるとはいえ、桂も魔法少女という大枠から外れていないらしい。
主様には決して敵わないという、不運な宿命に愛されている性質は失われていないようだ。桂の場合は自覚があるから、意識的に逆らっていないという特殊性はあるようだが。
「桂さん自身は、魔法使いを犠牲にしたくないのですね。だから、桂さんに代わって魔法使いを助ける者が現れたのなら、そいつがマスク付きのアサシンであっても惚れてしまうぐらいに応援したくなる」
推し量った桂の心情を、直接本人に確認する。
他人の心を解釈する。不躾にも程があるが、桂がどうして主様に仕える選択をしてしまったのかを知るためだ。遠回りをしないで、一気に桂の現状に詰め寄りたい。
「御影様にわたくしの未熟な乙心が伝わっていて、本当に嬉しく思います」
午前中に告白されたばかりの女性と、男女二人で狭い賃貸マンションにいる。夕食を食べて、他にする事はない。
そして、桂の後方には鉄の骨組みベッドが一つ。
据え膳? いいえ、桂が据えてくれたご飯は完食したばかりです。
「わたくしは愚かな女です。こうして御影様の迷惑を考えずに押しかけて、夕餉の仕度にさえ幸せを感じている。そんな、資格はないと知っているのに」
勇者パーティーや主様の件を抜きにしても、俺は桂という魔法少女が陥った状況を知る必要がある。天竜川に関わるすべての魔法少女を救いたいと思っている俺ぐらいしか、もう桂を救える人間はいないと思うからだ。
桂自身が言う通り、桂は救われない女だろう。彼女の暗躍によって多数の魔法少女がモンスター共の犠牲になっている。俺が知る浅子の姉や、皐月の師匠も、桂が働かなければ未成年のまま死ぬ事はなかったはずだ。
桂の裏切りに大儀があったとして、それで救われる死者はいない。
桂にしても光のない瞳を見る限り、理由があった程度で罪が軽くなるとは思っていないだろう。
「桂さんが魔法使いを生贄に仕立てる理由、教えていただけますか?」
「主様がお望みになられたからですわ」
俺の質問をはぐらかそうとする桂。俺との問答を楽しんでいるだけかもしれない。
「では、桂さんが主様の望みを達成できなかった場合、どうなりますか?」
微笑む桂の目の温度が氷点下まで下がる。
「必要な経験値を取得できなかった場合、主様は地球上の全人類を狩り始めますわ」
異世界が絡む事件だ。ワールドワイズに話が広がってもそう異常じゃない。
追加の玄米茶を湯のみに注いで貰い、一杯分のブレイクタイムを挟んでから話を再開する。
「主様が異世界から地球に渡ってきた時代は分かりませんわ。ただ、主様が人間を使ったレベリングを開始したのは大正元年。文明の発達に可能性を感じるまでもなかった時代に、最悪の方法を想起しました」
主様を代表とする多種多用な魔族が実存する異世界では、人間がモンスターを殺せばゲームのように経験値を得られてレベルアップできる。
しかし、一方のモンスターは人間を殺害しても経験値を入手できない。人間達は神様の慈悲によるものと勝手に思い込んでいるが、定かではない。ただ、事実としてそういう法則が働いている。
「最初の数年は試行を繰り返し、主様はどう誘導すれば人間がうまくレベルアップするかのノウハウを蓄積しました。そのころはまだ少女に限らず、男子を使った実験も行っていたそうですが、本筋ではないので割愛いたします」
ただし、地球上にまで異世界の法則は通用しない。
他種族の心臓を停止させる事で経験値を得られる、この原理のみが正常動作し、モンスターはレベルアップしないという絶対則は不良を起こした。
異世界から連れてきたモンスターを原住民に殺させて、主様は世界の不具合を確認しながらほくそ笑んだ事だろう。
「わたくしが主様に敗れたのは大正十三年です。その頃の主様は、人間を使ったレベリングを評価しつつも、もっと恐ろしい別の手段を考え始めていました」
当初、主様は人間に扮して世に溶け込み、有望な人材を選出し、適切な強さのモンスターと戦わせて経験値を稼がせていたようだ。今の桂が担っている役割を、主様自らが行っていたのである。
主様に直接見出された少女の一人、桂は現代の魔法少女達と同じように、夜な夜な出現する怪物を倒す日々を仲間達と楽しんでいたらしい。
技術が発達しつつも未解明の現象が多く存在した一九二四年。異能の力に目覚めた少女達は、主様の思惑に気付かないまま素直に成長を続けた。
「高レベルの人間を狩る方法は、低レベルのモンスターを一気に成長させる手段としては確実でした。ですが、レベル上昇によって次のレベルアップまでに必要な経験値が増加するにつれて、主様はもっと効率の良い方法を模索したのです」
そして、桂の最盛期はその年の春に終わる。
本性を見せた主様は次々と仲間の魔法少女を狩っていき、桂も捕らえられてしまう。
その後の非人道的な日々についての桂の口は重い。
結果として、桂の仲間の魔法使いは全員経験値を搾り取られて死亡。
桂も意識が朦朧とし、次に心臓が止まれば二度と蘇生できない状態にまで追い込まれる。
「あの時代、世界人口はどんどん上昇していましたわ。現代ほどの数になるとは、主様以外は予想していなかったでしょうが」
瀕死の桂は、これ以上殺されずに済む事に安堵したはずだった。
だが、主様の一言が桂のその後の運命を決定付ける。
「主様は仰られました。『この世界には人間族が潤沢だ。一人あたりたったの一の経験値であっても、百人殺せば百となる。この国だけでも一千万以上とは、数日仕事になるであろうな』と」
主様は労力を苦としない魔王だった。そうでなければ人間を養殖するなんて面倒な手段を実行に移しはしなかっただろう。
だが、それはつまり、地球上の人類を一人ずつ丁寧に殺していく労力も苦としないという事実にも繋がる。




