3-2(裏) スリルは無味乾燥とした現代のスパイスってさ
ホームルームが終わると、美空皐月は職員室に戻る女性教諭を追いかけた。
「先生、あの……さっきの話ですが」
「美空さん、ね。丁度良かったわ、生徒指導室に来てくれるかしら。少し確認したい事があるの」
何故か皐月に用事があるらしい教諭に連れられて、皐月は職員室に隣接する生徒指導室に入っていく。部屋の存在は知っていたが、入室したのは人生初の体験だ。皐月は非行に走っていないので――非行よりももっと刺激的な日々を暮しているので――利用する機会はなかった。
「美空さん。溺れた人を救ったのは貴方ではないかしら?」
机を挟んで対面する教諭が、皐月に問いかける。
皐月は逡巡する事なく正直に答えを言う。
「いいえ、人違いです。私は溺れた人なんて知りません」
本当に身に覚えがないのだから、皐月はこうとしか言いようがない。
美空皐月には人の命を救った英雄譚はない。
ただ、炎の魔法使いの皐月ならば数度、モンスターに襲われた人を助けた経験はある。けれどもやっぱり、溺れた人間を救えた経験はない。
「お礼の電話をした方は、母を助けた生徒は長髪が特徴だとおっしゃられていたわ」
「は、母? 女の人だったのですか?」
「電話した方は若い男性でした。息子さんが代理で電話をしたそうです」
一つ、オカルトチックな妄想が皐月にはあった。
一か月前の夜に、単眼の大型モンスターに襲われていた大学生ぐらいの青年を助けた事がある。しかし青年は助けた後、運悪く天竜川に転落してしまったようなのだ。
魔法を駆使して捜索したが、川に流されてしまったためだろう。悔しくも発見できなかった。
夜が明けてから放送されたニュースで、天竜川下流で男性の死体が発見されたと報じられた。
魔法使いとなってから、皐月が一番後悔した事件である。
「女の人なら……やっぱり私には関係ないかと」
溺死した青年が死者特有の八つ当たりで皐月を呪い、お礼参りという意味でのお礼の電話を学校に掛けてきた。成層圏を突破していそうな論理の跳躍だが、魔法使いが実在する時点でどんな非常識も否定はできなくなってしまう。
「まるで男の人なら関係あったかのような言い方ね?」
「あ、そういう訳でも、ないです」
性別にこだわり過ぎて、論点を見失う訳にはいかない。
皐月が注視するべきは死者の呪いではない。教諭がわざわざ生徒指導室に皐月個人を呼び出した根拠があるはずだ。そこを注意するべきだろう。
「教室ではあえて言いませんでしたが、生徒はサツキという名前を名乗ったそうです」
「……人違いです」
魔法使いは前口上で名前を名乗るのが伝統だ。無意味なだけでなく、今回のように見知らぬ第三者に付け狙われるリスクすら生む悪習とも言う。皐月の同業の一人、アジサイなどは「本名とアバター名を一緒にするなんて子供」と皐月をこき下ろしていた。
学校に入った感謝の電話。美空皐月に宛てられたものではない。
「長髪という特徴も当てはまりますし、美空さんではないかと思ったのだけれど。電話の息子さんは、母が助かったのは魔法のような奇跡だったと絶賛されていましたよ」
間違いなく、魔法使い皐月に対して宛てられた脅迫文だ。
「――今回の件は苦情ではなく感謝でしたし、名乗り出るのも本人の自由です。強要はしませんよ、美空さん」
教諭に顔を見られないように俯かせてから、皐月は犬歯を露出させてニタりと笑う。
雑魚モンスター退治もいい加減マンネリだった。最近はレベルが上がり過ぎて戦闘行為で背筋が凍る事がなくなっていた。
まったく新しい趣向のイベントに、皐月の胸は躍った。
「ああ、そうでした。溺れた方は川辺に財布を落としてしまったそうなのです。大切なモノが入っているそうなので、美空さんもそれらしい落し物を拾っていたなら教えてくださいね」
「はい、見つけた場合は必ずお知らせします」




