17-2 押しかけ女房
優太郎との通話を終えた俺は、セーフハウスを出て夜道を歩く。
セーフハウスの名義は俺であるが、俺が本来住んでいた賃貸マンションを解約した訳ではない。セーフハウスは所詮一時しのぎの場所でしかなく、永住するつもりはないからだ。書類に現在住所として賃貸マンションを書いているのであれば、嘘にならないように偶には帰宅すべきだろう。
セーフハウスが一人で住むにはあまりにも広いから、が最大の理由であるのは否定しない。
帰宅途中の道で、賃貸マンションの近場にあるコンビニに立ち寄る。
今日は出来合いのもので夕食を済ませてしまおうと弁当コーナーに立ち寄り、和風ステーキ弁当を手に取った。
「Teaポイントをお持ちですか?」
アルバイト店員らしき男にカードを受け渡す。何ポイント貯まっていて、何ポイント追加されるのか良く分からないシステムだ。
暇を見つけてはバイナリーで資金倍化を継続しているので、本当はちまちまとポイントを貯める必要性はない。
コンビニでの購入を済ました俺は、ビニール袋を揺らしながら天竜川に沿って歩く。
天竜川。見慣れた川の流れに珍しいものはない。川という単語から連想される、ごく自然な街中を流れる川である。
ただ、コンビニ途中の天竜川となると懐かしさはあるか。
「この辺りだったっけ……」
サイクロプスに襲われて、皐月に助けられた場所を俺は通過しようとしている。俺にとっては鬼門という意味で、天竜川の中では一番感慨深い場所だ。
トラウマからやや川辺の方に意識を向けつつも、あまり危険を感じないまま帰宅を継続する。
道の向こう側からも通行人が歩いているので、モンスターがいたとしても今は襲ってこないだろう。
「――久しく出歩いていなかったが、我から見ても珍妙な人間が増えておるな」
通行人とのすれ違い様、耳元で囁かれた気がした。通行人の独り言かと思ったが、妙に気になって後ろを振り返る。
背後を見るとそこには誰もいなかった……なんてホラーはない。
先程すれ違ったばかりの通行人が遠ざかる姿が正しく見えている。通行人は後ろ姿のままなので、やっぱり独り言だった可能性が高いだろう。
一応、顔にマスクを付けたまま公道を歩いていたのではと焦り、顔に触れてしまったが、正しく地肌に触れられた。
先の独り言は、心を突き刺すような綺麗な女性の声だった。
見えている後姿も、オレンジ色のマフラーを首に巻いている女の後姿だ。黒のスカートとの対比でマフラーが映えるが、そう珍しいファッションではない。
あまり注視していなかったが、俺の知らない女性で間違いない。このまま無視してしまっても問題はないだろう。
帰宅路で特別な事が起きなかった分のツケは、賃貸マンションのドアの前に到着した瞬間に利子付きで降り掛かる。
ドア越しにであるが、室内に人の気配を感じる。人の歩く音が響き、何らかの作業に追われている雰囲気が俺の耳に届けられたのだ。
部屋番号を確認する。……間違いなく、俺の部屋である。
午前中戦闘があったばかりだというのに、と心中で溜息をつきながらマスクを顔に装着して、戦闘準備を整えた。守備力がプラス1ぐらいになればという気休めだ。
残弾一発のハンドガンに頼りなさを感じつつ、鍵の掛かっていないドアノブをゆっくりと回していき、ドアを一気に引いて室内に突入する。
「誰だッ!」
不法侵入者は、玄関近くで作業を行っていた。
丁度、煮立った鍋の火を弱火に変えて、一口大に切り揃えたジャガイモを投入している最中だ。
鍋だけではない。グリルも使用しているようで、魚の焼ける匂いが俺の鼻腔を襲う。まさか、この匂い……アジだというのか。
「お帰りなさいませ、御影様」
割烹着を着た長身の不審者が頭を垂れて、俺を出迎える。
日本国内だというのに銃を片手に相手を威嚇している俺と、鍵を手渡してもいないのに堂々と他人の台所で夕飯をこしらえている不審者。どちらがより危険な人間なのだろうか。
「……桂さん、何やっているのですか」
「御影様のお帰りをお待ちしておりましたわ」
俺の疑問に答えたつもりでしょうが、若干食い違っている応答だ。
「とうとう現住所がバレてしまいましたか。流石ですね」
「遅れてしまい申し訳ございませんわ。御影様を大学構内で発見できたのは偶然でした。お姿を発見できたというのに、確認できたのは住所だけ。御影様の隠匿術に勝った訳ではございません」
『正体不明(?)』スキルの効果は桂の魔法を上回っているという事なのだろう。住所が分かるぐらいなら名前ぐらい調査可能だと思うが、桂は未だに俺の本名を突き止められてはいないとの事である。
「魚が焦げてしまいますわ。さあ、どうぞ部屋にお入りください」
夕食を食べていない所為か、桂の不可解な行動を理解できない。
頭を回すためにも、桂の手料理をいただく事にしよう。俺は冷蔵庫を開放し、手にぶら下げているコンビニ袋を奥へと押し込んだ。




