16-11 主様の暇日《かじつ》
ラスボスの暇潰し回です。
天竜川の某所は、仄暗く湿っている。
無人の地下空間では音一つしない……のが正解であるが、広い空洞の一角からは低い電子音が響いている。太陽の光の届かない大地の下だというのに、ブルーライトが瞬く。
ここ数日で買い揃えたワイド液晶ディスプレイ群には、異なるアクセス手段によって中継される、午前の街並みが映し出されていた。
「…………外は愉快な事になっているな」
家庭用のライブカメラ。
コンビニエンスストアの監視カメラ。
天気番組の背景として使用される俯瞰図。
本来、物理的に広域ネットワークから隔絶している映像の数々だ。ハッキングで得られるものではない。
「憎らしい勇者であっても、この世界に現れるのであれば歓迎できる」
一人でいる暇を潰すために、主様は天竜川近傍の中継を蒐集していた。
会話可能な配下は外で暗躍している。会話不可能な配下もオーリンの付き添いで出払っている。主様はたった一人だ。
太陽が輝いている時間帯に出歩ける配下を羨ましいと感じつつ、主様はランニングコースとなっている土手の映像を注視する。
「勇者め、禁忌の土地に足を踏み入れるのを辞さないか。エルフの生娘まで連れ込んでいるが、森の種族が異世界渡りの禁術を解禁するとは……実に面白い」
戦禍によって局所的に崩れている土手の上では、マスクの青年が両手を地面について付いて崩れていた。
「禁忌。禁忌か」
一人でいると自由に独り言を漏らせて気楽だと、主様は低く笑う。
「人間族にとっての禁忌とは、邪教に塗れたという意味を持つ」
大昔の話だ。まだ、主様も生まれていない頃の言い伝えである。
川に寄り添うように人々が集まって出来た集落があった。気候に恵まれた土地だったためか、そこそこの人口密度を誇った。
しかし、その住人の多さが災いする。
日照りが続いたある年、多くの人々が乾きに苦しんだのだ。頼りであったはずの川さえもほとんど干上がり、極限状態に追い込まれる。
……そんな時である。憎く晴れた空の向こう側から、翼ある蛇が集落に降り立つ。
異形の化物の登場に、枯れ果てていた人々は完全に生きる希望を失ってしまう。
とはいえ、絶望したのは人間だけではなかった。翼ある蛇の視点からも、乾燥した生贄しか住んでいない貧相な土地は絶望に満ちていた。
だから、翼ある蛇は渋々と人々に提案する。
『雨乞いを行い、川の流れを蘇らせよう。その代わり、一年に一人、死ぬはずだった人間族を生贄として差し出せ』
翼ある蛇は宣言通り雨を呼び、人々を救った。
それから、人々は翼ある蛇を天竜と呼んで敬い、滞る事なく生贄は毎年天竜に差し出された。
律儀な人々に困惑した天竜は、その後の方針を完璧に誤る。自然災害が起こるたびに甲斐甲斐しく働いては更に信仰を集め、百を超す賊の襲来には身を広げて立ち向かい、更に敬愛を受けてしまう。
悪意で始めた出来事の所為で、天竜は土地神として祭れる破目になってしまったのだ。
「天竜が我の世界のドラゴン族であるのは確実だ。魔族を神として崇めるこの世界の人間族は、我の世界の人間族からして見ればカルト集団でしかないな」
天竜の憂鬱は、勇者が世界を渡ってきた事で終わりを告げる。
丁度、今朝暴れた勇者レオナルドのような男が過去にもいて、天竜を見事討伐したのだ。天竜本人は無念ではあっても、ようやく終わる場違いに安堵して死んだ。
これでやっと、人間族を普通に恨める、と――。
しかし、愛する土地神の敵討ちのために集落の人々が暗躍し、勇者を謀って殺害してしまったので、結局天竜は悪霊と化す事はなかった。
天竜の信徒たる集落の人々は、悪のドラゴン討伐の宴を開催し、毒の混入した酒を勇者に振る舞った。下手にレベルがある所為でなかなか死なない勇者は、集落全員の協力でバラバラにされてしまう。
そして恨み先を失った天竜は、とうとう、本物の神となってしまった。
めでたし。めでたし。
「邪教の土地という意味でも、勇者の死んだ土地という意味でも、ここは禁忌の土地である。ふむ、この禁忌は我等魔族にもあてはまるか」
魔族でさえ神に昇格させられてしまう。
不本意な大役を押し付けられるという意味で、地球は禁忌の土地として語り継がれているのだ。
「……だが、禁忌の本質とは、天竜の伝承を元とする観念的なものではない。天竜となった翼ある蛇も、本来はそれを目的にこの地へと遠征した」
主様が実践している、人間を使ったレベリングこそが禁忌の正体だ。
正確には、本来レベルの上がらない魔族でも、地球上であれば人間を狩る事でレベルアップ可能な現実こそが禁忌の本体である。
レベルやスキルという法則が存在しない物質世界には、魔族への経験値加算をブロックするというセーフティー機能も存在しない。世界を越えて初めて実体を現す不具合であった。
「魔族は人間族の心臓を、人間族は魔族の心臓を止める事で経験値を得る。これが真実なら、我が世界こそが誤っているのかも知れぬな」
乱立する液晶ディスプレイには専用のコネクタケーブルは繋がっていない。地中から飛び出ている樹木の根っこの先が端子となって、電子情報をやり取りしている。
植物がケーブルの代わりになるはずはなかったが、百年間、科学技術の発展をその目で眺めてきた主様にとっては造作もない。
「禁忌の土地ならば、アサシン程度の法度は有り得ても不思議ではない。が――」
未だに何かを失った悲しみに打ちひしがれているマスクのアサシンに、主様は注目する。
配下のオーリンが勇者を狙うのであれば、暇な主様が別の人間に注目するのも悪くはない。桂に一任している手前、主様自ら動くのは褒められた行いではなかったが。
「――卒業式は近い。そろそろ、我も動くべきか?」




