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先行するナズナの右斜め後ろを、文也が着いて行く。
歩幅が文也の方が広い為、ナズナとの距離感を計りながら歩いていた。地理に疎い文也が前に出る理由はないし、上機嫌なナズナに任せておこうという思惑だ。
と、ナズナが立ち止まる。
視線は前方。並木道から右に逸れた所に、長い階段があった。
左右を林立する樹々は針葉樹。左に置かれた碑石には、森禅寺、という文字が。石造りの階段には所々苔が生えており、作られてからどれ程の年数が経ったのかを想像させる。
「えっと、ここの階段の上が森禅寺。階段は三百段ぐらいはあると思うよっ! てわけで登るよね、登るんです、登ろうよ!!」
言い切り、階段へ脚を運ぶナズナ。
どういう訳なのか分からなかったが、しかしまあ、いいか、と訳もわからず納得し、文也も後に続いた。
ナズナは既に十段先へ。はしゃぎながら駆けて行くその様は、まさに子供の様。それを微笑ましいと思いながら、文也も小走りでナズナの横に。あははー、と笑いながら、ナズナは文也の方に向き直る。
「こういうのって、久しぶりだねー」
「だな。あっちはこんな所ほとんど無かったし、俺が六歳の時にお前、こっちに行っちまったからな」
「そっか、もう、十年経つのかー。懐かしいねー。どう、私、成長したかなーっ?」
言い、身を寄せてくるナズナ。
文也は、右腕に抱きつこうとしたナズナを振り払い、階段を数段駆け登る。
「あれれ? ひどいなあ、そこまで逃げる事ないじゃんよー」
「黙れや馬鹿。いきなり何しようとしてんだよ!」
「ええー、ほら、何というか、お姉さんからのサービス? …………あ、それとも、昔のままの方がよかった? 文也ってロリコン? ペドフィリア? もしくは大穴でショタコン?」
本気の眼差しで聞くナズナ。
文也は一瞬笑い、次の瞬間、目だけを笑みから戻す。
「ふざけるな! 俺はロリでもペドでもショタでもねえよ。普通に普通な男子高校生だっつうの」
「むう…………ならば何故避ける? 通常の男子高校生ならば喜ぶ筈だが?」
「五月蝿え。てか口調変わってるぞ、お前」
笑いながら、ナズナが文也に追いついた。
位置的にはまだ二割。神社まで後四倍もの道のりがある。
照りつける太陽の下。もうすぐ梅雨だと言うのに雨雲は空になく、透き通る様な青の天蓋が姿を現している。雲の数は少ない。それは、日光を遮る物のほとんどが地上にしか無いということ。毎年この日の光に慣れているナズナはともかく、室内に居る事が多い文也には、少しきついものがある。
「あちぃ。つーか、まだ六月だろ。んでこんな暑いわけ?」
「はいー? 別に暑くないけど…………って、いやいやいや、その格好じゃ暑いっしょー。自業自得だねー」
文也の服装を指して言うナズナ。文也は自分の服装を見下ろし、溜息。
「しゃーねえだろ。あの地震の所為で家ぶち壊れちまって、ほとんどの服がダメになったんだからよ。残ってる奴もほとんどは荷物で送っちまったし」
だからと言って、その服装はおかしい。
しかし、ナズナは納得したのか、それとも別の事が脳裏を掠めたのか、少し思案顔になり、
「あー、そうー。…………というか、大丈夫だった、体?」
「ん? ああ、大丈夫じゃなかったら、退院出来ねえだろ。まあ、体力はけっこう落ちてると思うけど」
「うわ、そんな言い方しなくてもいいじゃん。心配したんだからねー。初めの一ヶ月は意識無かったんだしさ」
その一言で、文也は思い出す。
白い天井。自分を見て驚く看護婦に、走り駆けつけた医師。
後で聞いた話では、意識を取り戻す事は絶望的だったらしい。
――――中京を襲った、東海大地震。
震度六強の揺れによって崩れた家屋の中で、文也は発見された。
当初、その家には男の子供が居らず、またその家の住人は全員死亡していた為か、身元不明扱いだったが、一週間後、家族だという水嶋牧菜が病院に現れた事で、その家に住んでいた深山司の友人、水嶋文也だと判明。
頭を強く打っていた為か、意識は戻らず、回復は絶望的だと見られていた時の生還。
文也自身に自覚は無いのだが、それは驚愕に値する事だった。
だが、文也としては、唯我独尊で通っている姉が、泣いていた事の方が驚きだったらしいが。
そしてそういえば、あの時既に、ナズナは見舞いに来てくれていたな、と文也は思い出し、
「それか、うん。確かにびっくりしたな。目覚めたら何時の間にか二月だったんだから」
「そんな簡単に済まして良いもんなの!? あああああ、もう、私の心配返せー!」
腕を振り上げ、せまるナズナ。
それをいなしながら、文也は口を開く。
「悪かったって。第一、夢見てたようなもんだからな、起きた直後は覚えてたかも知んねえけどよ、もう記憶に残ってねえよ。…………それに、ある程度精神的に休まったのは事実だし。ほら、あれから色々あっただろ? 覚えてねえからって、やっぱ一ヶ月空いてたからか、そんなに取り乱さずに済んだしな」
そう、と頷きナズナは立ち止まる。
ん? と振り向き立ち止まる文也に、ナズナは問うた。
「えっと、そのさ、もう大丈夫なの? 体じゃなくてさ、あの地震の事」
ああ、と文也は応じる。
東海大地震が起きてから半年。
五ヶ月も入院していたら、大体の傷は治るだろう。そう文也は思ったが、ナズナが聞いているのは体の事ではなく、
「大丈夫。半年も経ったんだ。だいぶ心の整理はついたさ。牧姉もいるから、別に独りって訳じゃないし」
地震の二次災害。文也が住んでいた地区を襲った大火事で死亡した、両親の事だろう。
総死者数二万人を記した原因不明の大規模な火災。それも一箇所では無く、三箇所で発生した。その内の一つが文也が住んでいた地区であり、市内にある友人の宅に行っていた文也だけが難を逃れて、家族は全員焼死。東京の大学に行っていた姉と文也だけが助かったのだ。
「そっか、うん。文也がそう言うならいいよ。本当の事だろうしね。――――てことで、家事の分担は、公平かつ盛大かつ粛清に行いさせてもらいまーす」
「んな!? てめっ、俺が一切家事出来ないの知ってて言ってんだろ!」
「あはははは、大丈夫、大丈夫。私も家事出来ないしー。それにね、それにね、それにね、牧菜さんから、文也をびっちり、ばっちり、ちゃっかりと立派な主夫にして、って頼まれてるんだよねー!」
「ふざけるなー!? てか、あの人、何頼んでくれちゃってんのー!」
きゃはは、と笑い、階段を駆け上がるナズナ。
文也は、ナズナを追いかけながら、心中で溜息を吐く。
マジで心配させてたな、ありゃ。
思えば、ナズナの明るさには、助けられてばかりだ、と苦笑。
そして、だからこそ、言わないでおこうと、決意する。
――――――――自分が、両親の事を、まったく覚えていないという事を。
正確には、両親と、地震が発生する一ヶ月前からの記憶。
故に、文也は心の整理などつけていない。覚えていない人物の死など、別に悲しくとも何とも無い。葬儀の時にみた遺体も、焼け爛れていて、何の感傷も抱かせなかった。
この事を知っているのは、文也の担当医と僅かな看護士、それから文也の姉である牧菜だけ。牧菜に聞いた知識から、一応誤魔化す事は可能。特に文也自身が思い出そうとしていないのだから、別に問題ではない。少なくとも文也はそう思っている。
ただ、その事を伏せていた方が良い、と言うことは、文也は何となく直感していた。
だからこそ話さないし、余計な心配を掛けたくないとも思う。
「おーい、何してんのー、早く早くー」
ナズナが大きく腕を振って、文也を呼ぶ。
どうやら、もう既に階段を登りきったようだ。
「ああ、今行く」
返事をし、駆け上がる。
自分の事を気にかけてくれる幼馴染を待たせるわけにはいかない、とペースを上げて走る文也。
その代償は、吐き出される二酸化炭素と、思った以上に体力が落ちてるなという再認識だった。