妖狐とチェスと踵落とし
どうしてこんなことをしなきゃいけないんだろう。
目の前の盤面を見て、俺はずっとそう思っていた。
「こら! もっと集中するのじゃ! 母上に言いつけるぞ! 母上はものすごく怖いのじゃぞ!」
「……はぁ」
肩骨が砕けて傭兵稼業を卒業して五年。
俺は自分のやりたいことを、本当にできているんだろうか。
どうして獣人国で側近なんてやってるんだろう。
目の前の小娘はひたすらうるさいし。
この狐幼女、これで俺の数十倍生きているらしい。
信じたくないぞ。
年の功はどこへ行った。
長年の知識の蓄積をどこにおいてきた。
いずれ国を継いで、人の国に害をなすであろう小娘。
そんな奴に人間の俺が手を貸してるんだから滑稽だ。
まあいい、給料はもらってるんだ。
文句は言うまい。
俺は模擬戦争盤である『ちぇす・えくすとら・ぶい』という古代玩具に向き合った。
生まれたての幼子から熟練の軍師まで。
策士や軍師としての能力を培うために、数百年前に開発された発明品だ。
無論、俺もやったことがある。
と言うより、傭兵団においては後衛を任されていたから、この盤に基づいた戦略をよく立てたものだ。
だから、こうやって数手放置していたとしても、簡単に戦局をひっくり返すことができる。
「ちぇっく、なのじゃ!」
「甘いな。ちぇっく返し」
「な、なんじゃとぉ! 余はちゃんと気をつけていたはずじゃぞ! 『どらぐぅん』が一体、どこにいたのじゃ!」
「俺の肘の下。隠してたから見えなかったんだろ」
「な、何て卑怯な真似をするのじゃ!」
いやいや、戦争に卑怯も糞もない。
盤面上だけで勝負が展開されると思ったら大間違いだ。
こうして敵の心を揺すぶったり、妨害工作を働くのは常套手段。
『ちぇす・えくすとら・ぶい』はな。
むしろ盤上の戦いで決着が付くことのほうが珍しい。
かつて俺も団長と戦ったものだが、『チェックメイト』で勝負がついたことなんて2回しかない。
俺の戦績、実に569戦412勝47分け。
勝利の内、411勝は団長や他の団員を殴り倒して得たものだからな。
盤面に意識を集中させながら、槍が飛んでこないか警戒する。
これこそ糞ゲー『ちぇす・えくすとら・ぶい』の真髄よ。
ぶっちゃけ歴戦の俺としては、こいつに負ける要素がない。
今はこいつの母親も居ないし。
叩きのめして上下関係をキッチリさせておくか。
雇ってもらっているからといって、手加減する義理はない。
それどころか、本気で叩き潰すのが礼儀というものだろう。
「『きんぐ』を端に逃すのじゃ! これで鉄壁の守りじゃろう!?」
「『機動要塞ですとろいやぁ』で蹂躙。守りがゼロになったぞ」
「うにゃあああああああッ!?」
甘いな。機動力の高い『ですとろいやぁ』を前にして、守りを密集させるなど愚の骨頂。
7つの駒を全て駆逐してくれたわ。
この勝負も、どうやら俺の勝ちみたいだな。
今日の昼から始めて実に5連戦。
その全てで完敗した雇用主の表情やいかに。
「……う、うう。うぇえ、ひっく」
ヤバイわ。泣いてるわ。
100パーセント俺のせいだわ。
言い訳できないわ。
これヘタしたら首だわ。失職だわ。
やっとこさ見つけた就職先叩き出されるわ。
ちょっといじめすぎたか。
俺より年上の人間を泣かせてしまうとは。
ちょっとは自重すべきだったな。
「あー……俺が悪かった。ほら、『ですとろいやぁ』は元に返すから。こいつは出てくる作品間違えただけだから。以後使用禁止な。さあ再開しよう」
「うぅ……手加減してもらっても、全く嬉しくないのじゃ」
「手加減なんてしてないって」
「嘘じゃ」
「嘘だな」
「ここで認めるじゃと!?」
ピーチクパーチク騒ぐ小娘から視線を切って、水を飲む。
何というか、とんだ期待はずれだな。
傭兵仲間のツテで、この地に来たのに。
『妖狐』は獣人の中でも、飛び抜けて学習能力が高いと聞く。
ところがどうだ。俺の雇用主は精神が幼くて、ただのワガママ幼女じゃないか。
獣人というのも、大したことないのか。
俺は若干がっくりしながら、コップを傍に置いた。
「も、もう一回じゃ! 最初からやってくれれば、今度は勝ってみせるのじゃ!」
「そのセリフも6度目だな。いいだろう、こっちも仕事だ。何度でもその心をへし折ってやる」
俺は盤面に肘をつきながら、再戦の火蓋を切ったのだった。
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俺がこいつを徹底的に苛め抜いて、2日が過ぎた。
まず突っ込みたい。
お前の集中力は化け物かと。
母親も全然帰ってこないし。
幼女を置いて外出たぁどういう了見だ。
そう思ったが、この小娘は一応、長い時を生きてるんだったな。
むしろ俺が若造なんだっけ。
でもな、知っての通り俺は人間なんだよ。
一日経過した次点では「お腹すいたな~」「眠たくてやばいな~」「ヒゲ剃ってないな~」とか呑気なこと思ってたけど。
もうここに至った今、俺は死活問題だよ。
目の前の幼女は、ツヤツヤとした顔で不敵に微笑んでいる。
やばい、殺意が湧いてきたよ。
俺の疲弊を知ってて、休ませることなく試合を強要してきているのだ。
「……そろそろ、寝ていいか?」
「ダメじゃ! 余が一回勝つまで、絶対にやめないのじゃ!」
だよなぁ。
こいつの負けず嫌いのスイッチを、俺の『肘で駒を隠す戦法』でオンにしてしまった。
軽率だったなと今更後悔。
妖狐と人間じゃ生命力からして違う。
だったら早く負ければいいじゃないか、と思うかもしれない。
だがダメなのだ。
俺がここで雇われている理由は『王女に兵法を教えるため』。
この国には謀略家や軍師が居ないので、外から招くという形をとっている。
そこで俺が選抜の末に教育係に付いたのだが、なんとこの小娘に負けると失職してしまう。
冗談でなく。
俺に勝つということは、実力のある軍師を打ち負かしたということ。
自分で言うのもなんだが、俺は大陸では名の知れた謀略家である。
傭兵として、よく国家間の戦争に参加してきた。
その戦歴あっての雇用である。
ならばクビになっても、他に雇い手がいるのではないか。
そう思うことだろう。
その通りだ。
まさしく、それが真理。
だがな、俺は嫌なんだ。
こんな人の迷惑も顧みず、勝負を要求してくる幼女に負けるなど。
俺の全プライドが許さん。
だからこそ、こいつが音を上げて母親に泣きつくまで『ちぇす・えくすとら・ぶい』をやってきた。
だが、それもそろそろ苦しくなってきた。
「ちぇっく、なのじゃ!」
「……ぐッ」
こいつ、上手くなってやがる。
いや、もちろん俺が疲れてきたってのもあるんだろうけど。
何度負けたか数知れない、この小娘。
いつの間にか、俺を苦しめるまでに腕を伸ばしていた。
高等な戦術を次々と盗んでいき、独自の陣形まで構築し始めた。
何ていう学習速度だ。
妖狐の名に偽りなしか。
「――『ろーどろーらー』じゃッ!」
「……ぐぉ。おのれ、俺の『ないと』と『さいくろぷす』を。良くもやってくれたな」
くそ、『きんぐ』の守りが次々やられていく。
なぜだ、今まで俺が積み上げた経験は、こんな小娘に負けるものだったのか。
数日教えただけで、覆されるようなものだったとでも?
認めない。
俺の本気はこんなものじゃないはずなんだ。
なのに、何故負ける――
そこまで思考して、気づいた。
思わず乾いた笑みがこみ上げる。
なるほどな、簡単なことじゃないか。
俺は少しばかり、優しくしすぎだったのかもしれない。
そりゃあ負けるはずだ。
俺は本来、場外乱闘で真価を発揮する策謀家なのだから!
「星一徹クラァアアアアアアアッシュ!」
「な、なにをしておるのじゃあああああああああ!」
俺は『ちぇす・えくすとら・ぶい』をひっくり返した。
盤は駒をまき散らしながら虚空へ吸い込まれる。
そして高い天井に当たると、見事に砕け散った。
「行くぞ、ここからが本当の『ちぇす・えくすとら・ぶい』だ」
「こ、雇用主に対してその態度! お仕置きなのじゃ!」
「やってみろやゴラァ!」
ふはは、お前のような小娘に何ができる。
俺はこれでも団長と互角に拳を交えた男だぞ。
俺の拳はスライムを突き抜け、ゴーレムで骨折する。
少なくとも、お前のような幼女に負けるはずはないわ。
「ふは、ふははははははははははは!」
俺は悪役のような笑いとともに、幼女に襲いかかった。
すると小娘は俺を見て、初めて獣のような笑みを浮かべた。
そして、9つの尻尾を限界させる。
「秘技ッ『ナイン・テイル・クラッシュ』!」
「なんのこの程度……って、痛い! 思った三倍痛い! あだだだッ!」
思わず顔周辺を腕でガードする。
しかし、それがいけなかった。
空中旋回した妖狐は肌をさらけ出すのもいとわず、俺の脳天に踵落としを決めたのだった。
そのまま、俺の頭をグリグリと踏んでくる。
瞬殺だった。
「……ぐふッ」
「ふふ、正義は勝つのじゃ!」
いや、正義の味方は倒した相手踏みつけにしないからね?
お前の中のヒーロー像どんだけ歪んでんだよ。
「さあ、『ちぇっくめいと』をするとするかの」
そう言って、もう一度足を高く掲げる。
まずい、更に踵落としを決めるつもりだ。
あんなものを食らえば、間違いなく失神する。
そうなれば俺は負けとなってしまう。
仕方がない。
これは使いたくなかった手なのだが。
もう、いいだろう。
もはや外道と言われても構わん。
敵を怯ませるため、あくまで敵の戦意を喪失させるため。
俺は最終兵器を使うとしようか。
高く振り上げられた足が、ついに最高点を迎える。
その瞬間、俺は懐から『かめら』を取り出していた。
「フラーッシュ!」
「ひっ、な、なんじゃ?」
「フラーッシュ、フラーッシュ!」
俺が何枚も絶対領域を撮影する。
俺の趣味ではないのだが、街の連中には高く売れるだろう。
もはや失職しても構わん。
俺はこの写真で、さらなる高みを目指す!
しばらくすると、『かめら』から何かが出てきた。
にゅ~、っと。何かが描かれた写真が。
「なんじゃ、今の光と関係があるのか?」
そう言って、妖狐はそれをひょいと拾う。
そこに写っているのは、世にも美しい絶対領域。
それと三角地帯。
「…………」
しばしの沈黙。
そして、すべてを悟った小娘は、絶叫しながら足を振り下ろした。
「ちぇ、チェックメイトぉおおおおおおおおおおおおお!」
ゴキャッ。
およそ生きてきて最大級の破壊音が、俺の頭から聞こえた。
ドクドクと、生きた証が流れ出てくる。
朦朧とした意識が、身体を蝕んでいく。
だが、その絶体絶命の危機の中。俺は腕を突き上げて叫んでいた。
「我が人生に、一片の悔いなし!」
「ひぃ、まだ意識があった!? も、もう一回、チェックメイトなのじゃぁああああああああ!」
都合三度目のおみ足が側頭部にヒットした瞬間、俺の全てが終わったのだった。
この後――ある商人が、ある写真を引っさげて闇市場に登場し、巨額の富を築くことになる。
誰もが羨む成功への架け橋を歩んだ男。
彼はある時、栄達の秘訣を聞かれてこう応えた。
「んー。チェックメイト、かな。あとは狐幼女」
笑顔で語った青年は、全身に包帯を巻きながらも自信に満ち溢れていた。
きっと彼は、良い商人になることだろう。
記者は益体のない確信を、新聞記事に記した。
ちなみにその数日後。
獣人による手入れで、その商人は捕まることになるのだが。
それはまた別の話ということで。
――了