第四話:二つのエンドルート
雑然とした部屋を飛び出し、私は一階の洗面所まで走った。
「とりあえず泣くな、泣いてると話し辛い」
急に感情が込み上げてきて、なんだかコンロール出来なくなって、悔しいんだか情けないんだか、もうよく分からなくなって泣いた。
「もしこれ以上話すってんなら、とりあえずその泣き顔晒すか一端落ち着けるかにしてくれ。でないと俺も疲れる」
「ヒック……泣いて、ないもん……近藤が私の心を弄ぶからちょっとかなり深刻に傷ついただけだもん……ヒック……」
「……顔、洗って来い。結論は変わらない、解決法はある。俺を信じろ、勝てるんだよ、このゲームは」
そう言われて、私は一端席を外すことにした。「明日でもいいけど」と言われたけれど、明日まで待てない。「感情の起伏が激しくなってるな」とも言われたけど、追い詰められた私の気持ちを理解してない近藤が悪いんだ。「なんであの理不尽満載ゲームの詰めまで行った人間がこんなことで泣くかね」などとも言われたが、それがどれだけの苦行だったかあいつには分からないんだ。
洗面所で顔を洗いしばらくじっとしていると、心配したのか母親に「大丈夫?」と声をかけられた。「今卓球男子に心を弄ばれてます」と事実を言うのは憚られたので、根性の作り笑顔で誤魔化して、私は自室へと戻った。まだ目は赤いけど、気持ちはほんの少しだけ落ち着いている。
でも、すぐに近藤と向かい合うのことは出来なかった。しばらくの間呆然と立ち尽くし、相変わらず汚い部屋だ……と落ち込んでから、気持ちを切り替えようとあれを探した。私の、私のクロマグロはどこだ?
デスク下で哀れな姿を晒していた大切なクロマグロを抱きしめ、私はまた椅子へと腰掛け近藤と向き合った。勝てる、という卓球しか能の無い奴の言葉を……信じようと、努力して。
「お、戻ったか。んじゃとりあえず面見せろ、それで判断する」
「それ顔見たいだけだろ、話進めろよ人でなし」
カッカッカッという不快な笑い声が聞こえ、私とクロマグロは口を尖らせる。
「とりあえず落ち着いたみたいだし、説明するけど準備いいな。気になるとこあったら質問してくれ。あと二回も説明すんの面倒だから録音するなり録画するなりしろ。メモも取れよ。詰まるところ、最後に考えて決断するのは加奈、お前自身なんだからな」
むっとしつつも、言われた通り録画の準備を始め、メモ帳も開いた。ペンを持ち「どうぞ」と冷たい声を合図に、近藤は二回も説明するのは面倒だという解説を始めた。
「まず、正攻法と搦め手の違いは難易度と結末にある。正攻法は根本的解決、その名の通り正規ルートを正しく攻略するんだから事故が起きる可能性が低く、誰にも文句を言われないが、難易度がすこぶる高い。
一方の搦め手は、そもそも根本的解決を意味するのか怪しい。ただし、一応の終止符は打てる。手段も豊富で実際はこっちの道しかないのではと俺は思ってる。でもって、挙げた五つの項目は一部を除いて全て実行性があり、即座に動けるって要素もあるな」
見えてはいないだろうけど、私はピッと手を上げ口を開く。
「そこ、事故が起きるってどういうこと? 事故ってどんな事故さ」
メモ帳にもペンを走らせ、手を使い脳を刺激することを意識した。
「そうね、まず俺はお前の見立てに間違いがあると踏んでいる。ルート優先の話だ」
目を細め、どの点だろうと思考を巡らせる。ストーリーに深く関わった者のルートが優先される、このことだろうが、実際そうなっているしこの目でそれを見てきた。間宮もそれで納得していたし、旅団の面子、それにマーカス、エリナもそう解釈しているはずだ。エリナは、分からんか……。
「ストーリーに深く関わったルートが優先される、まあ確かにそういう面もあるかもしれない。ただ現状がそうかというとそうでもない気がするし、もはやそれは問題じゃない」
「なんで?」
「もっとシンプルに考えて欲しい。何故佐々木加奈の選択が他の全ての選択よりも優先されるのか」
「私だけがトカレストの深淵に近づいたから。で、光の勇者になったから、だよ」
「そうかもね。けどそれよりも単に“ハッピーエンドとバッドエンド”の違いなんじゃないかと俺は考えてる」
――ペンを持つ手が、自然と止まった。
そして、ゆっくりとその言葉の意味を考えた。そうか、ああその発想はなかった。確かにバッドエンドよりハッピーエンドが優先されるのは分かる。なるほど、そりゃそうだ。だけど、私の歩いた道はそんな生易しいものではなかった。いや、だからか?
「加奈のルートは名付けるなら“ラビーナ、ガルバルディルート”だよな。“異端のヴァルキリールート”かもしれない。まあ呼び名なんてなんでもいいんだけど、とにかくこの先にあるのはハッピーエンドである蓋然性が高い。何せ誰の何よりも優先される、押し付けられるルートなんだから」
「ご、ごめん、蓋然性ってどういう意味だっけ?」
「えーっと、高確率とかそんな解釈でいいってか辞書引けよ」
ごもっとも。
「じゃあ、このままクリアしたらハッピーエンドってか真のエンディングが見れる、そういうこと?」
「そそ。ところが搦め手はそうはいかない。クソゲー相手とはいえ正攻法を放棄してかなり無茶な攻め方をする。勝敗を分けるのはNPC、登場人物で他人任せ。もっといえば、端役の奴らが主役になるんだから結果として何が起きるかなんて想像出来ない」
近藤の言葉には確信めいたものが含まれている。でも、いやでもそれは違うんじゃないかと私は体温が高くなる自分を自覚していた。
「ちょっと待って、おかしいよそれ。近藤今自分で言ったじゃん、ラビーナ・ガルさんルートだって。なら、ラビーナやガルさんがストーリーの最後の部分に関わってきても問題ないんじゃないの?」
「いやいや、あえて名付けるならであって、名前なんてどうでもいい。そもそも彼らはやっぱり、ストーリーには関係ない」
「それは違うよ!」
当然、そんな言い草、解釈は受け入れられない。自然と声も大きくなる。私はガルさんにヴァルキリーの転職証を貰い、そして……ラビーナと共にトカレストを生きた。その付き合いは最後まで続き、ガルさんだって要所で顔出して私にアドバイスをくれたんだ。
「おかしいじゃない! ラビーナとガルさんは最重要人物であって、事の本質はこの二人、このストーリーは二人のものだよ?」
だが、近藤は言下にそれを否定した。
「違う。それはお前が勘違いしてるだけだ」
「なんでさ! じゃあ今なんでトカレストがラビーナに振り回されてるんだよ! 実質ラビーナがトカレストを支配しているようなものじゃないか!」
今私達トカレストプレーヤー、それはメインもサブも、その他も全て含めての話だが、それが直面している問題の本質、元凶はラビーナの暴走にある。そしてその暴走は……私が引き起こしたようなものだ。
「でも、ない。ないんだよ」
「根拠は!!」
「……二人がラスボスとは一切関係ないからだ」
いつの間にか浮いていた腰が、音を立て落ちた。頭の半分は真っ白で、もう半分は……やはり真っ白だった。ガルさんの顔も、ラビーナの言葉も、何も、何も浮かばない。
「二人に思い入れがあるのは分かる。けどお前も知ってるだろうがラスボスは孤立した存在で、まあ孤高と言ってやろうか、そういうもんだ。別に……そんなに落ち込む話じゃないんだが、結局このトカレストにはストーリーなんてなかった、これが答えだろうと俺は踏んでいる」
嘘だ……じゃあ、なんで二人はあんなに、私はあんなに苦しい思いをしたの? あんなに助けてくれたよ、色々話してくれたよ。ずっと二人と、旅をしてきたんだ。それは全部、所詮おまけだったって言うこと?
「話が逸れない内に修正しよう。だからこそなんだが、この二人を無理やりストーリー、つまりラスボス戦に絡めることに意義がある、という考え方も出来る。加奈の拘りを優先すればそれもありだろう。ただし、ゲームとして正しい攻略法とは言えないし、その結果何が起きるのかなんて全く分からない」




