10.戸惑いの廃業勇者
「リアルなのか? 生活に変化があって、とか。それなら何も言わない。大切なことだ」
「近藤、たとえばだよ、たとえば……私が聖剣士さんと敵対してるって言ったら、どうする」
ガタッ! とチャットに表示されている。だよね、そりゃ驚くよね。近藤は驚愕どころの話ではない表情になっている。
「お、お前何やったんだ……いや、そういう展開なのか? 俺ら選択間違ったのか?」
「だからたとえばだってば。もし聖剣士さんが敵に回ってたとして、壁になってくれる?」
「壁ってお前、豆腐握り潰すより簡単にやられるぞ、俺じゃ」
「いや、気持ちの問題。お前は俺が守る! みたいなのある?」
なんとも無茶で勝手な言い草だが、長い付き合いではそういう役割分担もあった。近藤もその点は大して気にしていないらしい。色々あったのも事実だ。けれど返事は明快だった。
「ない。ないないないないないない! だから聖剣士だけは怒らせるなって言っただろあん時! 敵に回ったら即土下座もんだって言ったろ!」
「が、あえてそれでも私につく、ということはないだろうか?」
近藤の顔を覗き込み、その真意を探ろうとするが、どこまでも冴えない顔になってしまっている。いやそりゃさすがに無理言ってるのは分かるんだけど、この返答次第で大体の察しはつく。
「だ、か、ら! あのな加奈、お前半分ほんとのこと言ってるだろ。マジでガルバルディのおっさん敵に回したな。それか怒らせただろ」
さあ、と惚けて秘書に責任を押し付ける政治家のようにしらーっとした顔をする。当然近藤はそれでは納得しない。
「お前……いいか、あのおっさん敵回すってことはKGBとCIAとFBIとモサドまとめて相手するようなもんだぞ! 意味分かってんのか!」
なんか知らない組織の名前が混ざってて、実感がわかない。
「あれはこの世界じゃ核積んだ移動要塞みたいなもんだ。光の勇者なら対抗出来るのか? お前は勝てる見込みがあって敵に回したのか?」
まさか、近藤より私のが聖剣士については詳しいのだ。それが何を意味するのか私が一番よく知っている。それはつまり、奇跡が起きてもあれにゃ勝てないということなのだが……。そんな中、近藤が低いトーンで切り出してきた。
「指つめて……詫びいれてこい。それですませろ。多少不自由にはなるが、命にはかえられん」
な、なんで指つめないといけないんだ! 何言ってんだほんと。けど近藤は指でダメなら、もう一本。それでもダメなら腕切り落としてでも詫びて来いとしつこい。あ、の、ね。
「だから、そういう次元じゃないんだよ! 詫びとか寂びとか焼き土下座とか強制労働とかそういう次元じゃないんだ! 手遅れなんだよ!」
あまりの無茶な要求としつこさに思わず吐いてしまった。ふーすっきりした。一方の近藤はマジだなこいつ、と零し愕然としている。そしてまた、重々しく口を開く。
「一つ聞かせてくれ……ラスボスと聖剣士のおっさんとどっちが強い」
「多分、同じぐらい……」
ぼそっと呟くように返事をした。
「詰みじゃねーか! 未だに誰もクリアしてないゲームのラスボスと同レベルって時点で、詰んでるだろ! お前何したんだ!」
「なんにもしてない!」
いや、したか。
「だから辞めるのか? 光の勇者辞めたら、おっさんは追って来ないのか?」
「いや、それとこれとは別」
「馬鹿極めてどーすんだお前。せめてゲーム極めろよ……」
失礼な! 私なりに頑張ったら何故かこうなったんだ! 罵声に応じるように私も声を荒げる。
「近藤こそ何さ、二人がかりで最高レベルでさあどうだっ言ってたじゃない。なら、最高レベルまで上げておっさん迎撃するぞってなんで言えないのさ!」
呆然とした顔で「そんな人生かけてまで相手にしないといけないことか……」と、呟いている。全くだ、やっぱりそうだよね。当たり前だけど、少しだけ期待を裏切られたような気がした。
「トカレスト自体やめるのか?」
「わかんない、どうするかまだ決めてないんだ。けどしばらくはログインしない」
「そりゃログインしなけりゃ死ぬ心配はないけど、いつどこであのおっさんと出くわすか分からんぞ」
「それは、運を天に任せてだね……」
泣けてくる……言ってて泣ける。さすがに私も落ち込んだ。そんなつもりなかったんだ、ガルバルディの怖さは身に染みて知っているんだもの。悲観的な光景ばかりが浮かび、光のドレスもなんだかくすんで見えてくる。溜め息が出る。とめどなく出てきそうな勢いだ。
「どうしようもないなお前は。だから俺がいないとダメだったんだ」
「それとこれも別、だと思う」
それは言っちゃダメだろ、近藤。近藤もまずいと思ったのか、舌打ちしたそっぽを向いている。そうしてボソッと聞こえてきた。
「……分かった、付き合ってやる」
へ? 驚いて近藤の顔を見つめる。渋い顔だが、冗談は言っていない表情だ。
「姫クラスならそりゃレベル上げて迎撃だ、って言ってやるよ。けど聖剣士だろ、無理ゲーだ。いいよ、一緒に死んでやる。で、このゲームから足洗う。あんなおっさんの的になったらもうゲームになんねえだろ。夢の世界へようこそじゃなくて、悪夢の連続をご堪能あれになってんじゃねーか。やめだやめ」
そうして近藤は、最後にこう言った。
「丁度いい。お前がどうするかは知らん。けど俺は足洗う。色々ありすぎた。最後ぐらい付き合うよ。いつでも連絡寄越せ。それまでに、ゆで卵ぐらいの堅さにはしとくから」――。
――これが、一ヶ月前か。近藤とこうして話し、それから私は勇者を廃業した。目の前のモニターには私と近藤の二人が映っている。近藤に言われた観戦データを私は見ていた。
「ゆで卵ぐらい、ねぇ……」
近藤ももう終わらせるつもりだったんだよな、このゲーム。いや違う、私に付き合ってくれるつもりだったのか。どっちだろう。低レベルとはいえトカレストでは聞いたこともないアサシンというジョブを手に入れている。それもこれも、全て放り投げて、
「あたしと一緒に死んでくれる、か……」
勝ち目なんてどこにもなく、ただの自殺と変わりない戦い。それでも近藤は準備万端その時を待っていた。ああしてすぐ助けに来てこれたのは、ガルさんがいつ来るか分からないから、私がいつログインするか分からないから、ずっと待っていてくれたのかもしれない。
少しだけ胸が熱くなり、そして痛くなった。
私はまだ最後のあがきを試みるつもりだったんだ。まだやれる、まだ手はある……そうして長文まで用意して覚悟の投稿をするつもりだった。結局それは出来なかったし、今ではもう意味もないようだけど、私はこのことを近藤に知らせていない。一人で考えて、一人で決めたんだ。
まさか近藤が本気でガルさんと戦う覚悟を決めていたとは思わなかった。あたしは……近藤の気持ちを踏みにじったのだろうか。
「本当に詰んだか確認してやる、か……偉そうに。誰に言ってんだ、これでも元光の勇者様だぞ……廃業したけど……」
観戦データを渡すとなると、私は近藤にトカレスト内で何をしてきたか全て晒すことになる。その行動の全てが記録されているのだ。
親指で下唇を撫で、考える。
確かに、近藤は頼りになる。私とは別の視点で私の歩いた道を観察し、そして全く違う結論を導き出すかもしれない。データを渡してみるだけの価値はある、と正直思う。ポイントを記して、重点的に見てもらえば効率よく、意外と短い期間で別の選択肢が見つかるかもしれない。
だが……私にだってプライバシーというものがだね……。
特に、見られたくないところが結構ある。
いや、むしろそこを見てもらわないとダメなのか?
分からない……どうすればいいんだろう。
溜め息も、出なかった。顔をしかめ、両手を強く組み握り締める。
私には今や、敵がいる。それは他のプレーヤーだ。いつかは彼らの知るところなると思ってはいたが、まさか敵意を向けられるとは思わなかった。何故ああまで真っ直ぐな憤りをぶつけられるのだ。私にはもう、味方は……、
「近藤しかいないのか?」
あいつ……約束守ろうとしてたんだよな……一緒に死んでくれるって。
怒ってたな、すげえ……。
でも、でも……。
窓の外はもう真っ暗だった。日も暮れ、街灯の明かりだけが住宅街を照らしている。ぐしゃぐしゃと音を立てて部屋の中を移動しカーテンを締め、私はそれを強く強く握り締めた。
トカレストを守らないと。そのためには協力者が必要だ。私だけではもうどうにもならない。だからこそ、あの長文を叩き込むつもりだったんだ。私には、今目の前に手を差し伸べてくれている協力者がいる。でも……、
「近藤にだけは、見せたくない。っていうか、見せられないよ……」
ズルズルと腰を落とし、溜め息と共に私はへたり込んでいた。




