8.佐々木は勇者を辞めます
「ここは俺の土地だ、お前らの好きにはさせん」
「私も、入っちゃダメなのかい?」
私の声に、鬼の容貌の近藤が振り向いた。凄まじい形相だったが、すぐに表情は和らぎ元の姿に戻った。近藤は何故かつなぎの作業着で、炭鉱労働者のように見える。これじゃさっきの戦闘が嘘のようだ。
「よう! 久しぶりじゃないか! どうしたんだ? 見てたのか?」
二人で組んでいた頃にはあまり聞けなかった気持ちのいい、少し低めの声だ。実際こうして彼の声を耳にするのは久しぶりな気もする。元は明るく前向きな性格がしっかりと反映されている。
「どうしたってログインしてるから会いに来たんだよ。いけなかった?」
近藤は大きく首を振ってまさかと笑った。大きなスコップ片手に、周囲にはツルハシが転がっている。
「何してんの? 鉱石発掘? さっきの連中は、何?」
「ああ、さっきのは妖術師ラビニアールって一派の残党だ。ここらを縄張りにしてたんけど、親玉が死んで以降野盗みたいなことをしてる。まあ俺が殺ったんだけどな」
「あはは。でもソロプレイのあなたをなんで集団で襲い掛かるのさ」
近藤は笑って大草原を指差す。
「何してるかって言ってたよな、井戸掘りだよ。ここら辺は水不足でさ、水源がないか探してるんだ。で、残党共は元々ここを仕切ってたわけでよ、とにかく入ってくる奴は手当たり次第襲い掛かるんだ」
それで作業着姿なんだ。水源探しかあ……私は苦笑して、近藤の目をじっと見た。
「なんだ?」
「いや、あまりに見事な戦いで、驚いたよ。召喚魔法を二種類も使うんだもの。攻防一体で凄いなあって。でも今は……」
作業着姿。さっきまで鬼だったのに。なんだかおかしくて、またじっとつなぎの近藤を見つめてしまう。近藤がそんな私を不思議そうに見つめ返す。
「どしたよ? お前もやるか? 掘るの結構大変だぜ? あ、いや、そんな暇ねえか、お前は今や伝説に残ろうとしてんだものな」
「勇者になった、最後のミッションに挑むよ」そう報告した時の近藤を思い出す。「驚いたな、けどやり込みようから言えば当然か。前夜祭でもするか?」そう提案を受けたがクリア出来たらねと丁重に断った。あの時の私は当然クリアに挑むつもりだったし、勝ち負けはともかく全て報告するつもりだった。だがそれすら至らず廃業を決意してこうやって訪ねることになろうとは。人生何があるか分からない。
「光の勇者ねえ、名前はともかくいよいよ締めの作業か……まさか加奈がなあ、いや加奈だからなれたんだよなあ。加奈ぐらいじゃなきゃ、ありえんよなあ」
分かったような分からないような物言いだった。近藤の目には私はどう映っているのだろう。
「ついにこのゲームが終わる、かもしれないわけだ……」
感慨深げに近藤が呟いた。光の勇者がラスボスを倒す。そうすることで、このゲームはついに終わりを迎える。ゲームクリア、それは光の勇者にしか為しえない。そのはずだった。
「メインストーリーの陥落……してやったりだな。ざまあないね」
近藤は苦笑いを浮かべ、遠い過去を思い出すような目をしている。
「陥落かあ、いい表現だね。しっくりくるよ」
「だろ? 俺もまだ、メインストーリー派の気持ちが抜けてないのかもしれないな。まあそこそこ頑張った口だし」
少し寂しげな目で自嘲する近藤に、私は首を振った。
「そんなことないよ。メインストーリーに深く関わった人たちはみんなそうなると思う。逆にさっさと切り替えられたら、それはそれで凄いよ」
「はは、違いない。あれは、あれは本当に……酷過ぎた」
全くだ。酷いの一言がトカレストストーリーを表している。
だが、残念なことにメインストーリーは陥落しない。そして、私は勇者を辞める。
「近藤、あのさ……」
「そういや珍しい格好してるな。なんか眩しいけど、それは光の勇者にしか装備出来ない代物なのか?」
私の声が小さ過ぎたのか、近藤は私の格好を見てそんな疑問を口にしている。改めて自分の装備を確認すると、確かに派手かもしれない。私自身は凹んでいるのだが。
うーん、今となるとどうでもいいことなんだけど、一応と答える。
「まあ、そういう感じ。光の勇者は肩書きでもありジョブでもあるんだ。つまり二つのジョブに同時になれる。で、これは全部光って頭につく装備だね。実際強いし、別のでもいいんだけどせっかくだからって今も着てるよ」
「ほーそんな仕様か。で、そいつでラスボスに挑むわけね……煌びやかなもんだ。それに鎧じゃなくてドレスなんだな。加奈らしい。元ヴァルキリーだからな、無骨な鎧よりはドレスのが加奈らしい」
私らしいか……。勇者を辞める羽目になったのも、私らしいのだろうか。なんとも言えない気持ちになって、そうして意を決することが出来た。
「期待してる。頑張れよ、お前なら倒せるだろ」
「近藤、私、勇者辞めるわ」
遮るようにボソリと呟いた。
地表を撫でる穏やかな風の音がだけが、大草原を包んでいた。
暗雲は既に去り、きれいな青空に雲が浮かび、ゆっくりと流れていく。あれはきっと夏の雲だ。大きな雲が遠くに見える。山が連なり、雲が頂上をかすめていく。そんな風景を堪能出来るほど、時間はゆっくりと過ぎていた。
――どうやら、私が言った言葉の意味を近藤は理解出来ずにいるようで、きょとんとした顔で固まっている。もう一度言えばいいだろうか。二度も言うのは本意ではないが、伝わらないのでは意味がない。
「近藤、あのね、私佐々木は、この度勇者を廃業します」
ガタッ。そうチャット欄に表示された。椅子から立ち上がる程の衝撃を受けた、という意味らしい。古典的なネット用語みたいなものだ。彼はいつもこうする。
「はあ? 辞める? なんで?」
近藤は怪訝な顔を浮かべ、距離を詰めてきた。私は少しだけ後ずさる。
「いや、なんでと言われると……」
「だって、まだクリアしてないんだろ? クリアしたら、全員にクリアデータが配布されるし、ゲームクリアが世界中に知らされる。あれ? 俺が知らないだけなのか?」
「ううん、まだクリアしてない」
「じゃあダメじゃないか、勇者じゃないとラスボス倒せないんだろ?」
そうだね。勇者じゃないと倒せない。厳密に言うと最終地点、勇者の称号を得た猛者達ですら返り討ちにされまくってるんだけど……。私は少し視線を逸らした。
「なんでだ、今辞めたら全部無駄に、なんにもならないじゃないか。勝ってから辞めればいいことじゃないか」
それが叶わないから辞めるのだ。いや、それだけではないんだけど、それも一つだ。
「こんなこと言うのもなんだが、もうお前しかいない、そう聞いてるぞ。目ぼしい連中は全員やられて、最後の希望だって……なのに何があった? おかしいだろ」
率直な疑問をぶつけられて、私は戸惑った。まるで本当のメインストーリー派の人間に責めたてられているようだ。近藤は、もうトカレストのメインとは関係ないのに。口ごもる私を見て、近藤は少し落ち着いた声をかけてきた。
「満足、したのか?」
「ううん、むしろ失望した」
「ん?」
近藤の頭にはてなマークが浮かんでいる。意味が分からない、そう言いたいのだろう。
「何に失望したんだ。まさか自分ってわけじゃないんだろ?」
自分に失望か。そういう発想はなかった。自分は悪くない、そうは思うがなるほど、自分に降りかかった理不尽な要素すら突破出来るだけの力、それがあれば失望することもなかったのかもしれない。
「ちょっと分からんな。お前何しに来たんだ?」
「ぶっちゃけ、それは私にも分からないよ……」
二人の頭にはてなマークが浮かび、草原を駆ける風もぴたりと止んだ。
本当に、この世界は何があるか分からない。
視線を上げると、夏の雲はもう見えなくなっていた。




