7.廃業の決断とパートナー
――広く輝ける世界に一人立ち尽くし、大きく息吸い込む。緑の匂いが心地よく香っている。大空を見上げるとそこには透き通る青い空が広がっていた。鮮やかな空が晴天に演出され、今私の目の前に広がっている。外の世界も、こんなにいい天気だろうか。こんなにも美しく、心打たれる風景が広がっているだろうか。
現実を超えた現実。現実を模したはずの仮想空間は、もはや現実では手が届かないほどの魅力と神秘性を宿している。
こんなにも素晴らしく、こんなにも魅力的な世界で生きた私は、一つの決断を下した。
こうなった以上、勇者を辞めるしかない。
唯一無二にして、特別で最上の存在。最後の肩書き。
トカレストストーリーにおいて、光の勇者は格段の重みを持っていた。創られた世界の創られた存在だが、それは私にとって、このゲームで生きる一部の者にとって全てを意味する。
その肩書きを、外さざるを得ない状態になった。無論本意ではないし、出来ることなら自分でケリをつけたい。だが、事態はそんな私の思いを踏みにじるかのように進行している。もう、このまま居座ることなど出来ない。
一方で、辞めたところで何が解決するわけでもないことも事実だ。それでも他に責任の取り方があるのだろうか。大よそ選択肢は二つある。一つはこのまま勇者の肩書きを携えてラスボスへと特攻をかける。まあ負けるだろう。次が勇者辞める、だがなんの解決にもならない。
もう一つあるとすれば、全てのデータを消し去ることだ。だがこれは随分と分の悪い賭けに思える。それに、どうして自分がトカレストストーリーから消えなければならないのか、どうしても納得出来ないのだ。今まで積み上げた苦労を全て消し去って、しかも分の悪い賭けでしかない。こんなものは選べない。
考えた末に出した結論が、勇者を辞めた上で最後の足掻きに出るということだった。
全ての責任は「製作運営」にある。これだけははっきりとさせたい。その上で彼らが対応すべきであると、皆に納得してもらうのだ。私は私なりにこのゲームと戦った。楽しんだのではない、戦ったのだ。敵とですらない、トカレストストーリーそのものと戦っていたんだ。
だが、それですら分の悪い賭けであると、私は知っていた。
それでもプレーヤーの決起を促すことに成功すれば、流れは変わる。
きっと変わる、そう信じたい。
しかし――せっかく勇者の肩書きを手に入れたのに、手放すことになろうとは思わなかった。今までずっと、このために頑張ってきたと言っても過言ではない。いつかくる最期の時、私はゲームをクリアするに相応しい自分となって、最終決戦へと挑む。このゲームの過酷さから言って、勝ち負けまでは考えない。それでも一区切りつけられる、ちゃんと最後までやりきったと。だが、今ではもう負けられない状況にまで追い詰められている。私が負けたらどうなるのだろう? さらなる不安が募る。
しばらくトカレストストーリーから離れるしかない。この一年以上、トカレストストーリーという仮想空間に浸り続けていた。その時間は現実における時間とほぼ等しい。ここまでくるとトカレストは私の生活の、いや人生の一部、青春の一ページであると言っても過言ではないだろう。
目の前に広がる光景が、やけに眩しく見えてくる。五感を刺激する一つ一つの要素が、私を失望へと誘う。悲しさ、虚しさと不安が急にこみ上げてきた。ここまで一体何をしていたのだろう。私はただゲームを、VR世界を楽しみたかっただけなのに……。
そうした不安が、一人立ち尽くす私の孤独感を肥大させ、唯一その孤独を共有出来る者を求めるに至らせた。
「あいつ、元気にしてるかなあ……」
丘の上を、一陣の風が吹き抜けた。風と共に髪が揺れ、さらさらと額を撫でた。その髪は細く、肩にかかる程度の長さで、きめ細やかな私好みの髪質だった。
――空から降りると、大草原が広がっていた。遠くにはまだ雪解けを終えていない山脈が見える。しかし、本来穏やかなはずの大草原がピリピリとした空気に包まれ始めていた。見渡す限りの草原に暗雲が立ち込め、強い稲光が見える。そしてついに、雷撃が縦横無尽に走るまでにいたった。召喚された雷神がそこら中の敵という敵を焼き焦がしているのだ。
だが、それでも敵勢は怯まない、相当な数だ。敵編成の中心は、妖術師に召喚された悪鬼どもか。鬼を模した妖獣、それに妖術師が背後に控えている。援護するべきか悩み、私は一歩踏み出した。
「わが身に宿れ、鬼紳士、黒き拳闘士デッドグラス!」
腹に響く音だった。草原に一人立ち尽くしていた近藤はそう叫ぶと、自ら黒き拳闘士へと姿を変えた。あいつ、こんなものまで手に入れていたのか……感心して、一歩後ずさる。
「さあ、始めよう……」
近藤の呟きと共に暗雲が去り、一輪のバラが中空を舞った。無駄に華麗だ。
目には目を、鬼には鬼を。鬼の様相と化した近藤は無数の妖獣へと襲い掛かる。その踏み込みの速さは尋常ではない。遠目だからようやく目で追えてはいるが、目の前でやられたら何が起きているか把握も出来ないだろう。
「フンフンフンフンフンフンフン!」
マシンガンのように乱打される近藤の攻撃に敵勢がなぎ倒されていく。圧巻だった。
妖術師は防戦一方となり慌てて大型魔法の詠唱を始めたが間に合うまい。気がつくと周囲の敵は一掃されて、近藤は妖術師へ向かって走り出している。妖術師は慣れない打撃で対抗しようとしたが、ダッキングからの右ストレート一発で顎が吹き飛ばされた。勝負あった、もう動けない。いやあの妖術師は一生流動食しか食べられない身体にされただろう。
そうして勝負はもうついているのだが、近藤がその身に宿したのは鬼だ。紳士ではあるが鬼でもある。踊るようなステップで倒れた妖術師に近づくと、両手でかち上げるような技を食らわせた。空中を舞う妖術師と共に一輪のバラが舞っている。無駄に華麗だ。
「終わりにしよう……コークスクリューブロー……!」
ジ・エンド。妖術師は粉々にされ、見るも無残な骸となった。




