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トカレストストーリー  作者: 文字塚
第四章:廃業勇者
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1.猛者達の襲撃

 深い森の中で、私は自分の書いたメッセージを読み直す。何度目だろうか。空中に浮かび長文が表示されているモニターは、風の流れにも影響されずただ浮かんでいる。濃い緑は孤独を感じさせ、苔の感触は時の流れの残酷さを印象づける。

 心を落ち着けようとここを選んだのだが、自然の中に埋もれいく自分を体験することになるとは思わなかった。これを書いたのはいつだったか。覚悟を決めて書き連ねた私が勇者を辞める理由、痛々しくも情けない話ばかりだ。

 これにはどこの誰とは書いていない。だがスカレストストーリーに関わっている者、メインストーリーの猛者達ならこれがなんなのかすぐに気付くはずだ。そしてその意味するところも正確に把握してくれるだろう。あとは時間との戦いが残るのみ、そう信じたい。


 私佐々木が勇者を辞める理由を書き連ねたメッセージ、これを公式の掲示板に叩き込む。当然運営の悪質な対応により改竄か削除の憂き目には遭うだろうから、次は隔離板へと叩き込む。これで事態が公になる。

 正直に言って公にはしたくない。そのつもりもなかった。だが、こちらのSOSに対し製作運営はなんの反応も見せていない。もう一ヶ月にもなるのに、事態は悪化する一方だ。このままでは仮想空間、トカレストの世界が壊れてしまう。


 こうなってしまった以上、この世界生きる者として数の力に頼るほか術はない。ならばこの口をこじ開け全てあからさまにするほかないではないか。あと一日、もし運営が対応しなければ私はこれを公にする。数多のプレイヤーが決起することは間違いない。運営もそのプレッシャーに重い腰を上げる、そう信じたいしそうあるべきだ。


 ヴァルキリーの長い銀髪が揺れた。思わず苦笑してしまう。私にヴァルキリーたる資格はあるのだろうか。艶やかな銀髪にヴァルキリー専用装備の銀色の兜。その神聖な出で立ちは些かもくすんではいない。しかし、私の心は深く沈んでいる。その行状を鑑みれば……なんとも情けない、これでヴァルキリーだなんて。


 木々に囲まれながら、仮想世界の自然を慈しむ。今はそれぐらいしか、自分を慰めるものがなかった。大木に寄り添い少し眠ろうかとモニターを閉じたその時、私は完全に動きを止めていた。明確な違和感、風の流れが変わっている。同時に人の臭い、血の臭いも混ざっている。私の五感はこの仮想現実の世界で限界近くまで研ぎ澄まされていた。


「こんなところにどうして人が? 戦闘? いや、この森には……」


 小さく呟き、口元に握り拳を当てる。人となればプレイヤーであることに疑いはない。NPCはこんな所には来ない、ここは森の深部だ。しかし間違いなく人がいるという事実、そして血の臭いからすれば戦闘中の可能性もある。


 だが、この深い森にはそもそも何もない。


 ただ自然を満喫したい森林浴が目的の人間か、或いは仮想自殺でも味わいたい奴ら以外は来ないはずだ。はっきりと言える、数が多い、集団で行動している。そしてモンスターの臭いはそこにはない。あるのは、謎めいた敵意だ。


 危険を察知した私は、移動を開始した。適当な場所を探さないと。こちらはすぐに逃げられ相手の姿は確実に視認出来る。木々の隙間が広く開いたスペース、窪地、ここらが理想か。どこの誰かは分からないがあれだけの敵意を持っていれば穏やかじゃないのは理解出来る。誰もいないのに敵意が存在する、それが意味するところは……考えるまでもない。


 しかし、このゲームにプレイヤーキルは存在しない。だとすれば、なんだ? そう思案していると、


「ヴァルキリー! どこだ! いるのは分かっているぞ!」


 随分と遠くから声が聞こえた。野太い男の声だ。当然ながら、溜め息が出る。なるほどね、やはり私が標的か。しかしどうしてここが分かったのだろう。同じく疑問、目的はなんだ?

 いくつかの可能性を考慮し、私は理想的地理条件のもと、足を止め木陰に隠れる。標的を私に定めたのならある程度事情を理解出来ている連中という可能性がある。この場合、プレイヤーキルが存在しない以上話し合いになる公算が高い。無論問答無用もあるにはあるが、それはそれで構わない。周囲を見渡し、戦い方を組み立てる。相当の手練が揃っていなければ、一方的に勝つだろう。元勇者の称号は伊達ではない。

 もう一つはあまり考えたくないが、人間関係から発生した問題だ。この場合は即行でログアウトする。相手が小細工をしない限りは可能だろう。つまらない争いごとをしている場合ではないのだ。


 さて、どちらか。私は息を潜め彼らがこちらに到着するのを待った。


 集団が窪み近くにまで迫った。薄暗い場所から正確な数を確認する。三十人程か。多い、付け加えるなら手強い。相当な猛者プレイヤーが顔を揃えている。派手なレベル表示は威嚇のつもりだろう。


「待ち伏せか! 出て来い! もう逃げられんぞ!」


 怒声が森の深遠に響き渡る。相手も気配を感じ取れるらしい。やり込み具合に多彩な面子が揃っていることも理解出来た。そして声もそうだが、言葉からも確かに伝わることがある。あとは表情を確認すれば、彼らが何を目的にここに来たのかが大体分かるだろう。


「出てこないつもりか! 俺らを敵に回すことになるぞ! それでいいんだな!」

「知らない人間に対して、敵がどうこうとは言えないね」


 ありきたりな脅し文句を機会に姿をさらし、彼らの前に立った。この際必要なのは観察眼と交渉能力だが、さてうまくいくか、若干の不安が残る。そんな思いを抱える私を前に、数人のプレーヤーがわざわざ窪みへと降りていくのが目に入った。迂闊過ぎる……正気を疑う。数の力に酔っているのか?


「来たか。クソが。コロコロ名前変えやがって、なんて呼べばいいのかも分からねえ」


 声を張り上げているのは一人、これは無視していい。残りの面子の表情を確認する。それなりに冷静か。興奮と恐怖、冷静さを失った人間もいるにはいるが、全体的には落ち着いていると判断していい。これなら話し合いへ持っていけるかもしれない。無論、彼らの主目的次第にはなるのだろうが。


「クソネカマが、接触手段全部切りやがって」

「アンタはいいや、誰がなんの用?」

「ああ! なんだと!」


 肉体を超える斧を担いだ戦士が吠える。さっきから一人で興奮しているところを見ると、薬でも使ったか? これと話しても仕方ない。


「用件だけ聞くよ。こんなとこまでわざわざ来たんだ」

「ざけんな! テメエは全部飲むんだよ! 言うこと聞いてりゃいいんだ!」


 やはり要求あってのことか。とすると、状況を把握出来ていると見ていい。これは好都合だ。内心ほっとして、心に余裕が生まれた。


「名前が分からなくてね、まあアンタで勘弁して欲しい。用件を伝えるよ」


 僧侶風の男が前に出た。やけに色白で、まるで病人のようだが知的な顔立ちをしている。獣のようなあいつとは随分と対照的だ。彼はいきり立つ戦士を抑え、窪みの淵で私と向かい合った。さてどう答えるべきか……いや、そう悩むところではない。そう判断し出来るだけ丁寧に、自然に振舞うことにした。


「ええどうぞ、お聞きします」

「結論を出して欲しい。アンタがやったことは分かっている」

「結論? 出しましたけど」

「いや、それをこちらは飲めないんだ。勇者を廃業したからって、何も解決しない」


 やはり理解出来ている。想定していたとはいえ、これにはさすがに驚きを隠せない。どこで知ったのだ? それに、どこまで理解出来ているのかには不安が残る。さらにそこから話し合いに持っていけるかとなれば……判断の難しいところだ。自然と眉間に皺ができ、さてどうするかと考える私よりも先に、向こうが口火を切った。


「こちらの要求は一つ。クリアするか、この世界から消えるか、だ」


 病的に見える僧侶の視線に揺るぎはない。口調にも淀みがない。

「なるほど」と小さく呟き、私は少しだけ失望を感じ、首を振った。言わんとするところは分かる、私もそれは考えた。だが意味がない。仮にそうしたとしても、それは状況に流されているだけで根本的解決には至らない。何より博打的要素が強過ぎる。彼らの気持ちは分かるが、事の本質まで理解しているとは言いがたい。だが話は通じる相手と見た。説明も議論も得意ではないが、どう切り出せばいいのだろう。まずは素直な意見をと、私は返答した。


「どちらも飲めない、という結論になった」

「それは困る。どちらかだ」

「残念だけどそれ意味ないのよ。クリアは出来ない、データを消し去ることも出来ない。ほんと意味がないもの」

「そんなことはない!」と、大勢が一斉に喚き立てた。僧侶がそれをなだめ、窪みへと降りていく。戦意はないと言いたいのだろう。こちらに近づきながら話しかけてくる。


「時間がない、どちらかにしてくれ」

「意味がない。分かってると思うけどそれは博打でしかないんだ。だから無理」

「そんなことはない。これは個人的見解だが、この世界から消えることをお薦めしたい。みんなアンタに対して怒り心頭だ」


 僧侶の病的な顔がまるで死人のようなものになっている。彼は彼なりに、追い詰められているのかもしれない。何せこの集団をまとめねばならないのだ。気持ちは分かるが……それに流されるわけにも行かない。


 しかし、何故皆が怒っているなどと言えるのだろう。私は別に不正な手段を取ったわけではない。怒るにしても、標的は違うはずだ。確かに自分に関わりのある話ではあるが、事はもうそういう次元ではない。なんとも不思議な状況に、私は一つボールを投げてみることにした。


「一つ聞きたいんだけど、誰が煽ってるの?」


 その言葉に、僧侶の足が止まった。僅かながら、表情にも変化が見て取れる。


「みんなって誰? 残念だけど私の期待するみんなは誰も怒ってないのよね」


 付け加えるように、私は再度確かめる。怒ること自体はいい、怒って当然だと思う。言ってはなんだが私だって怒ってる。だからこそ、私に対してというのは強引で無理があるのだ。無論全て承知の上でとなれば話は変わるが「みんな」というのはどうしても引っかかる。やはり答え辛いのか、僧侶は戸惑いつつ口を開いた。


「分からない。誰が煽っているのかまでは。とにかく結論を出してくれ」

「だから出したよ。辞めたじゃない」

「そうじゃねーんだよ!」

「お前には聞いてない!」


 戦士の横槍に私は声を荒げた。

 その瞬間――彼らの戦意が高揚していくのを、目で確かめ、肌で感じ、本能が察知した。


 反射的に声を荒げたのは迂闊だったか。だがこんな些細なやり取りでほぼ全員が殺る気になるとは……一体彼らは誰に踊らされているんだ。気乗りしないが、致し方なく私も戦闘態勢を取る。地の利は我にあり、だ。そうして告げる。いいや、これは忠告だ。


「本意ではないんだけど、やるってんなら受けましょう。でもこのゲーム死ねないよ。意味分かる?」

「何様だテメエは! クソネカマが! 殺す!」

「数を揃えれば勝てると思ったの? 伊達で廃業勇者やってんじゃないんだ、一応ね」

「何が廃業勇者だ! 逃げただけじゃねーか! マグレにビビるかクソが!」

「待て! お前らやめろ! アンタも煽るな!」


 慌てて僧侶の彼が割って入る。だが、もう遅い。彼の気持ちは分かるが、ここまで明確に戦闘態勢に入られれば、こちらとしても引くに引けない。何せ私に非はないのだ。話しの通じる彼の顔は覚えておくが、この場は力の差という奴を見せつけてこいつらを黙らせる。そう決断せざるを得ない。いざやって手強いとなれば、全員吹き飛ばし退散だ。どちらにせよ今背中を見せるよりリスクが少ない方法と言える。特段恨みがあるわけでもないが……気分は悪い。


「復帰戦がプレーヤー相手とは……思わなかったよ」


 自嘲して、そう呟いた瞬間のことだった。背後に、凄まじい違和感を覚え私は咄嗟に飛びのけていた。


『口ごたえが過ぎるな、貴様』


 それは、この世のものとは思えない恐ろしい声だった。いつの間に背後を取られたのだ、という疑問よりも、ただそれがなんなのか、私はそれに恐怖していた。

 振り返ると、そこにはこの仮想世界の仕組みからは絶対にありえない、あってはならないものがあった。死霊騎士、ゴーストナイトの禍々しいオーラが森の深部を黒く染めていた。

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