第三十五話:戦場へ2
周囲は暗く、挙句に粉塵が舞い上がって何も見えなかった。
しかし、それ以外の変化は感じ取れない。バンカーバスターが無事にここを通過した、そういうことだろう。
下二人の無事を祈りながら、私はゆっくりと降下していた。準備不足は否めない。ステータスボードを開き、細かな確認をしながら地下を目指す。
地下都市が近づくにつれ、奇妙な臭いがきつくなる。悪臭や腐敗臭、なんとも言えない異臭も漂っている。あの貫通弾のせいだろうか。またそれだけではなく、粉塵も多くなり、そして異様な気配も強く感じられる。これは先ほどまでとはまた違うものだ。下は一体どうなったのだ、何が起きているのだろう。
そして案の定、地下に潜るほど少年へと成長するクピドが弱気な態度から一転、口を開き始めた。
『尋常ではないな。何かが変わっている』
「何回でも言うけど邪魔すんなよ」
『その腕でどうするつもりなのだ。仲間は一人離脱している。腕利きの娘だぞ。まさか覇王を信頼しているのか?』
「さあね。でもお前よりは使える。それより、私はなんで回復したんだ? 寝ちゃったのも困りものだけど、フリーエリアでちょっと寝ただけなのにゲージが回復してるなんて。ロウヒの力か?」
プレイ中目に入るいくつかのゲージ、特に驚いたのはその中のSSゲージが30/150、20パーセント回復していることだった。これは完全睡眠か休息を取らないと回復しないゲージだ。回復薬も簡単には手に入らない。
『ハイパーリカバリーだ。お前はもう以前のお前ではないのだろう』
素っ気無くそう言われて、改めて自分というものを認識する。ヴァルキリーの仕様が変わったのだ。短期休息における超回復が装備されているということなのだろうか。
「まさか睡魔の原因はお前じゃないだろうな」
きっと睨みつけ問い質すと、
『お前の都合だろう。私は知らん』
また興味なさ気な返事が返ってきた。んーだとすると、寝落ち? 時間にして約二分、120秒の出来事。現実なら二十秒程度マジで寝てしまった……。なくはないだろうが、初めての経験だ。リアルの方も相当疲れているらしい。自覚はないが、ゲームのやり過ぎだろうか? くそ、また眠ったりしたら洒落にならないぞ。ダブルビジョンつけとくんだった……リアルとバーチャルの二画面は酔うって聞くけど、こんな時は絶対必要だ。
風穴を半分過ぎると風の流れが変わり、臭いや粉塵が舞い上がってくることがなくなった。この風の流れは、恐らく冥府へと続いているはずだ。あの入り口どうする……いや、前にいたガルさんはどうなっているだろう。まさか死んでるなんてことはないと思うけど、多少の手傷は負ったかもしれないし、怖いのは冥府へと弾き飛ばされたんではないかという点だ。ガルさんならすぐ戻れるだろうが、私の超必と言った手前そうなるとイメージの問題が……。しくったかもしれん……欲かいたか……。
展開上撃たねばならなかったとはいえ、あまりにも大きな不安要素だ。
『怯えているのか? 緊張しているだけか?』
「うっせ! それより仕様が変わったんならどう変わったのか教え……あ、いや確かに変わってる」
ステータスボードのある一角、それを見れば一目瞭然だった。確かに超回復の特殊アビリティが実装されている。そして、神技の項目が明確になり、挙句に数が増えている。これを見て、ようやく一つの確信が得られた。
「やっぱそうか……ここは、このイベントは、ヴァルキリーの強化イベントなんだ」
いや、覚醒かもしれない。どちらにせよ、だからこそヴァルキリーでなければ地図の変化が読み取れないってことか。単純なことだ。だがそれだけではない、この混沌はそれだけでは説明がつかない。
『勘違いするな、強化されたのはロウヒ様のお力だ』
「それは分かってる。けど問題の本質は複数同時イベントってとこなんだよ。お前にゃ分かんないだろうけどさ」
明らかに、複数のイベントが同時に起きている。重なっている。これは間違いない。だから話がややこしく、何をターゲットにすればいいのか分からないのだ。挙句に、今そのイベントは開放状態にある。巻き添えが出なければいいのだが……。
「おい、このミトラスの盾ってのは強いのか?」
ボードを指差しながら、クピドに尋ねる。ヴァルキリーの仕様が変わり、さらに追加項目がある。けれど、何が使えるのものなのかが良く分からなかった。仕様が変更するなんて思いもしないし、そもそもヴァルキリーの情報自体も少ない。
『うん? 神聖なる盾だ。神の名を冠する、強力なものだよ』
そっか……。さらに神技の項目ではないが、スキルの項目に二つ妙なものも追加されている。ミトラスは強力か、信頼していいものか……。首を捻るとクピドがまた口を開いた。
『迷うことはない、巨大な盾で全長10メートルはある』
は?
「なんだそれどうやって持つんだ! いくら女にしちゃやや背が高いっても私は巨人じゃないぞ! 意味ないだろ!」
『持たない。手に持つ盾ではない。お前そのものに宿るものだ。腕一本で戦うのなら、使ってもいいのではないか』
ああ、なるほど確かに。つまりオート防御か、これはかなり便利かもしれない。しかも今の私にぴったりじゃないか。こいつ、初めて役に立った。いや、二回目かな。
「じゃあこいつは?」
『さっきから何を見ているのだ? そろそろ出るぞ。覚悟を決めろ、集中するんだ』
何を偉そうに。役立たずに毒づきつつ、私もついに来たかと拳を握り締めた。
視界が開ける箇所にたどりついたその時、我々が目にしたものは、あまりにも悲惨で異様な光景だった。思わずクピドにストップをかけ、停止せざるを得ないほどの惨状が、そこには広がっていた。
一面に、骸が転がっている。びっしりと埋まっているのだ。
渋滞、コンサートの意味が今分かった。これでは死骸を避けて降りるのは難しいだろう。黒い血が大量に流れる、あまりに残酷な光景だ。こんなもの、エリナにはとても見せられない。いくら子供使用の別ゲーだとしても、これは見せたくない。連れて来なくて正解だった。
嫌な熱さを持つ汗が身体から噴出し、改めて自分達が巻き込まれている混沌とした状況を認識させられる。私がそうして心を凍りつかせる中、奇妙な響きが耳に入ってきた。
『凄まじい威力ね。あの子は一体なんなのかしら』
あまりに不意な出来事に、全身に悪寒が走った。
ぞっとした後、恐る恐る隣を見ると、先ほどまで少年だったはずのクピドの姿に変化が見て取れた。完全に成人へと成長していたのだ。そして声も中性的なものから、より女性的なものへと変化している。容姿にしても、顔は影がさしていて分からないが、見た目は女に思える。
さらに驚くのは、どこまでも全裸だったこいつがいつの間にか甲冑を着込んでいることだった。シャープで動きやすそうな軽鎧は、ヴァルキリーと酷似している。そして、それは当然赤く染まった甲冑であり、赤く染まった頭髪であり、そして赤いオーラだった。
表示される名ももはやクピドではない。イーサリアル・レイスと変化している。これがこいつの、本当の姿なのか……。
また、不安要素が増えてしまった。
横と下の異様さに混乱する中、女は悠然と口を開いた。
『さて、どうするつもりかしら。片腕では、弓矢の類は使えない。彼らはそれなりに生き残っているわ。半死半生のものもいる。あれを食らって生き残った者達。ミトラスを使ったとしても、苦戦は必死ね』
こいつが変化することは当然想定していた。だがクピドから戦士へと変化するとは思わなかった。天使みたいになるんじゃないかと思っていたんだ。
『何が何だか、説明出来なくはないけれど、どうする?』
未だ戸惑い迷う中、クピド、いやその女はそう言い、地下都市の一角を指差した。そこでは上半身裸の見知ったプレーヤーが拳を振り回している。
「マーカス! もう戦闘再開してるのか! けどほぼ無傷じゃん凄い!」
『相手は……悪鬼騫駄ね。神の座から引き摺り下ろされた哀れな鬼神。元はこちら側だけど、今はあちら側。躊躇いなく狩れる』
右足に比べて左足が短い……気持ち悪いが、あれでも元は神、名前もついている。つまり分裂しきった存在、オリジナルということか。一瞥しただけで分かるとは……これがあのダメクピドだったとはとても思えない。受け入れ難いが、大地の神ロウヒの力はやはり本物のようだ。
威圧感をも備えるそれを傍に、同時に私は自身の変化も自覚していた。また、背中に痛みが走っている。翼……いや、これはただの骨だ。またぞろきたか……。
『痛むの? ねえその痛み、私が引き受けるわ。いくつか次元の違うものが混ざってる、その腕では無理だろうし、そうしましょう』
次元の違う、か……同感だ。それに、奇妙だ。色々と分かることがあり、そして分からないことがある。けどその全てを理解しようとしている場合ではない。
『悪いことは言わない……もう怒らせることはしないから、私に任せて』
こいつからは、生命感が感じ取れない。怒らせるも何も、人の感情を持っているとも思えない。だが、これほどのものならば別の捉え方をしてもいい。
「……私の考えていること、分かるか?」
そいつは『ええ』と容易く答えた。
「言ってみて」
『皆殺し』
……正解。表現はともかく基本全ての敵を倒すつもりだ、これは正しい。では……。
「一人で戦う。その決意は理解出来ているか?」
『まあね。けど理由が分からない。負けるかもしれないわ』
なんの問題もない、責任は自分で取る。これは私のゲームだ。
「同化は出来ないけれど、アンタはアンタで戦えるんだね」
見下すような目が、返答の代わりか。無駄な質問だと言っている。
決まりか、もう私が言うことはない。
「いいだろ。好きにしろ」
『好きにって、ザルギインはどうするの?』
私はその問いには答えず、女、レイスをじっと見つめていた。だが目が合うことはない。顔のない女、戦士……考えても、目を見ようとしてもどうせ何も分からない、よな。
ああそうだと思い直し、確認のためにいくつか質問をして、その答えを求めた。レイスは時間の無駄だと首を振りつつも、その問い一つ一つに答えてくれた。結果、私とレイスの間でいくつかの取引が成立した。
『まさかあなたがそんなことを考えているなんてね、不思議。けど、本当にこれだけでいいの?』
「いいよ。お互いにとって有意義だったろう? なら、それでいいじゃないか」
その答えを聞き、レイスの口元が薄く歪んだ。
私も大して変わらないだろう。
考えていたものとは随分違ったが、これで準備は整った。
狩りの時間だ。




