第三十二話:犯人
荒野に砂埃が舞い始めた。
日の傾きも進み、本格的に夕暮れモードに入っている。髪や衣服、顔にも砂埃が当たり、ただでさえ荒涼とした空気が漂う荒野がさらに荒んで感じられる。だが、ここは本質的に平和だ。下じゃあの世とこの世が入り乱れ、文字通り混沌が横殴りで吹きすさいでいるのだから。まあ上は上で、なんだかおかしなことになってきてはいるのだが……。
「これがバンカーバスターというものか……」
油塗れのエリナは最終兵器の組み立てに奔走していた。枠組みだけでも巨大なそれは、マナ樹を連想させるほどのスケールではあったが、神聖さとは程遠い。完成すれば近代的な軍事施設の一角を切り取ったような、そんなものが出来上がるのだろう。ゲームのコンセプトが全力で破壊されるその様を眺めながら、私は下から連れて来た、いやついて来たそいつと向き合った。
「これがうちらの現実って奴だ。恐ろしい話だね」
苦笑交じりでそう声をかけてみたが、そいつはなんの反応も見せなかった。あくせくと働くエリナも気になるのか、チラチラとこちらの様子を窺っている。
「挨拶ぐらいするべきなのかな。人の身体を好き勝手使ってくれやがってどうもありがとう、クピドさん」
そいつは――宙に浮かぶ有翼の幼児の姿をした少年で、クピドという名前が表示されている。少しふくよかなその姿は、絵画の世界から出てきたようだ。そして定番ながらに全裸なのだが、子供のなりなので規制の対象にはならないらしい。まあ、そもそも何も生えてないので正確には性別不詳と言ったところなんだろう。
……運が良かったな……粗末なもんぶら下げてたら、それを人質に脅迫してやるとこだったのに。あいや、何をアホらしいことを考えてんだと自嘲して、柔肌と敵意を剥き出しにするクピドに今一度話しかける。
「少し話がしたい。時間はないんだが、お前の存在は不安定要素過ぎる」
だが、返事は相変わらず怒気の込められた視線だけだった。「少し下に降りようか」と提案し風穴へと向かうと、誘いに乗ったという風でもなくそいつはただついてきた。
ガルさんがぶち破った穴に風が吸い込まれていた。砂埃もそこに吸い込まれるが、時折風向きは変わる。その都度、腐敗臭とも悪臭とも言い難い不穏な空気が昇ってくる。これだけで下の惨状が理解出来るというものだ。
多少躊躇いながら穴を半分近く降りると、ようやくクピドが口を開いた。
『どこまで降りる。このまま行くのか?』
中性的な、響きの良い声だ。それが逆に不気味なものを感じさせた。
空中制御の力を使い速度を落とし、壁面に短剣を突き刺しそこに片足を乗せる。本来は風の流れが速くて不安定な場所なのだろうが、私もそいつも、微動だにすることなくそこに留まることが出来た。大地の神、ロウヒの加護を受ける存在、それが証明されたと言ったところだろうか。
「行くわけないでしょ。つかさーあんた自分が何やったか分かってんの?」
強風の中、背を壁につけしかめっ面でクピド見るとそのなりに変化が確認出来た。幼児だったその姿が十歳前後の少年へと成長していたのだ。暗くてよく見えないが、身体が大きくなっていることは分かる。一瞬ホーリーアイで全身確認してやろうかと思ったが、そんなことしている場合ではないかなと寸でで自重しておいた。
『何か問題があったのか? むしろなぜ邪魔をした? どうやったのだ?』
「問題大有りだろう? 勝算もなしに、暴走しやがって」
怒気に満ちていたクピドは地下に近づいたからかやけに冷静で、素直に話し合いに応じてくる。
『勝算の問題ではなかろう。貴様の希望は全てに打ち克つ、そうではないのか?』
「トカレストプレーヤーとしてはそうだ。けどまだその段階じゃない。そんなに調子に乗っちゃいない」
『覇王、それにガルバルディという男に含むところがあるのではないのか? だからこそ私が……』
「それだよ! あんた下で何が起こってるのか理解出来てる?」
『覇王ザルギイン、彼奴は神聖なる我らに敵対し、運命に逆らう愚か者だ。ガルバルディという男も、天上の存在に対しなんの敬意も払わない。まるで我らの同属を毛虫か何かだと思っているのではないか? 許し難し』
物凄く正確に把握していて、私は安堵すると共に首を振った。
「で、それで、だからぶっ殺す。そう判断したの?」
『貴様が全てに打ち克つというのならば、そこになんの問題がある』
……ダメだこいつ、分かってるけど理解出来てない。
いや、わざとなのか? どうもわざと臭い。
「問題ってあんた、手順に決まってるじゃないか! 今それが出来る段階にあると思うの?」
『膳は急げというではないか。我らの力を以ってすればあのような輩駆逐するは容易し』
「ありえない。ザルギインはいいさ、殺れるだろう。ガルさんはどうするつもりだった。言ってみろ」
簡潔なその問い対し、少し間が空いたことが明白な答えだった。
「いや、もういいや……馬鹿馬鹿しくなった」
呆れきって首を振る。こいつダメだ、本格的にダメだ。使えないし使うのが怖い。そんな私に言い聞かせるように、クピドは口を開く。
『いいやあるぞ。あの男とて無敵ではなかろう。我らは大地の存在ではあるが、ヴァルハラは別。地の利を生かせば――』
「馬鹿野郎! だからどうやってヴァルハラに飛ばすんだ! 言えるのなら言ってみやがれ!」
呆れと怒りから、私の言葉も荒くなる。当然だ、そもそも論に無理があるのだ。
「ヴァルハラに飛ぶ条件はなんだ? 少なくとも私は半死半生の状態にならないとヴァルハラにゃ逝けなかったぞ? お前はガルさんを半殺しにすることが出来ると、そう言いたいのか?」
この無茶な組み立てには二つの問題があった。一つはヴァルハラに引きずり込んだとして、そもそも勝てるのかという点だ。仮にそうなったとしても、ヴァルハラが火の海になることだけは鉄板で予見出来る。挙句誰が生き残るのかなんて、分かりゃしない。
そうなると最悪「そして誰も、神もいなくなった……」なんてオチがつくかもしれないのだ。
確かにそれはそれで面白そうではあるが、それもうゲームじゃ、トカレストじゃない。最終的にこの世界は「無」になりましたってなんだよ!? 終末論を実践するゲームじゃねえんだ。核戦争ってこんな感じですってか? 馬鹿馬鹿しい、ほっっっっんと馬鹿馬鹿しい。
で、そもそも論のもう一つがどうやってガルさんを引きずり込むのか、だ。
「おい、あの怪物をどうやって半殺しにするんだよ」
『……うん?』
「どうやるのかと聞いてるんだ」
『それは当然……全力を尽くし、努力してだ』
……こいつ、ここで殺すべきかもしれない。クピドの目が真っ直ぐであることが、絶望を深くさせる。真っ直ぐに、間違えている。
『私とてロウヒ様に認められし存在、全てを出し切る覚悟はしていた。策もあった。やってやれないことなどないと、貴様も言っていたではないか?』
人の台詞をパクるな。そもそもそんなものは嘘だ。無理なものは無理なんだよ。
「もういい、ありえないことは考えるな」
『いや、超頑張れば出来るんじゃないのか?』
「何くだけた表現使ってんだ、誰なんだお前は。もうそれはいい。それより今下で何が起きているか、本当に理解出来ているのか? 私の立場に立て。ロウヒの本来の指示は私に力を貸せとか、与えろとかそんなのだろう?」
イラつく私のその問いに、少年クピドは首を捻り、頭を悩ませ始めた。なんでこんな簡単なことが答えられない? まさかとは思うがこいつ……指示を忘れてんじゃ……。
「ちょっと待て。お前もしかして、ロウヒの指示を覚えてないのか?」
『いいや、希望を満たせと指示を頂いた。それだけは覚えているぞ』
アバウト過ぎる。犯人はロウヒか。
「なんでそんなテキトーなんだ! もっと具体的にどうしろとかあんだろ! つかならなんでお前は私の身体を乗っ取ったんだ!」
『私が何をしたというのだ? お前はあの二人に含むところがあるだろう?』
「乗っ取ることないだろ! お陰でガルさん激怒してんだぞ! 希望どころか全力で絶望に向かって前進してんじゃん! なんで乗っ取る必要があんの! 戦い方のアドバイスとか、他にいくらでも方法あるじゃん!」
そう、こいつが敵意を漲らせたせいでガルさんに敵視される結果を招いた。当たり前にして、痛恨の事態である。それに、本来このイベントはそういう流れではないはずなんだ。
私の勢いにさすがに気圧されたのか、クピドが口を閉じてしまった。思わず舌打ちして、出来るだけ穏やかに言葉を選び話しかける。
「どーして、こーんなことしたの? 他に方法あったと思うんだけどー?」
『それは……』
「なんで言いよどむー。はっきり言っていいよー怒らないからー」
言うまでもないが、当然嘘だ。
しばしの沈黙の後、そっと視線逸らしたクピドは囁くような声で呟いた。
『まあそのなんだ……現世は久しぶりだったし、なんとなく、暴れたかった。自由を満喫したかった』
……そうか。
ああ、風が、強いなあ……別にそんなのなんともないけど、やけに心が、冷えるなあ……はは。乾いた笑いが、私の中だけで響いていた。
結論――ロウヒに馬鹿を押し付けられた。
どうもこれが答えらしい。
むかつき怒り狂おうにも先に込み上げてくるのは虚しさだ。ただの粗悪品だったとはね……はは、笑えない。そんな余裕どこを探してもない。疲労とかそんなものではなく、身体の力が抜けていった。それでもクピドの視線だけは真摯なままだ。それが余計に虚しさを増加させ、私のやる気を奪い取っていった。
身体は微動だにしないが、決意が揺らぐ。これからやろうとしていることの全てが、くだらなく思えてくる。いっそこいつ殺してログアウトした方がすっきりするんじゃないだろうか。こいつを血祭りに上げれば意外と「アハ♪」体験が出来るかもしれない。こいつも「あは♪」とか言ってたし。身体に「アハ♪」を刻んでやろうかしら。
……やめよう、意味がない。
姿勢だけは真摯なクピドは、私にとって物凄く不安定要素だった。こいつが邪魔をしないよう、そして私自身の気持ちを今一度確かめるために、伝わるか否かはともかくとして、今の私の気持ちを説明した。話すのも億劫だけど、口にしないと風呂入って寝てしまうかもしれない。それぐらい、変に追い込まれていた。緊張の糸が、ほつれてほどくのも面倒になっている。
「アンタは私の希望を満たすんだよね」
『そうだ』
「はぁ、まぁあのさ……お前の言うとおり私はガルさんが憎い。嫌いだ」
『ああ、知っているぞ。よく知っている』
胸を張り答えるクピドの翼をむしりとりたい。何が知っているぞ、だ。今の状態を確かめるためパネルを叩きつつ、私は続けた。
「けれどね、ガルさんは強い、だから憧れてもいるんだ。だけど怖い、なんか信用も出来ない。そうなんだけど好きだったりもする。私には優しいし、かっこいいし渋いし。
でも結局分かんない、あの人が何考えてるのか。無茶苦茶強くて何やっても様になるし頼りになる。けどけどでもやっぱり怖いし海賊上がりだし気分屋さん。肩書きだらけだけど小さな女の子に振られる悲惨な人。その上最悪の結果になったのにどーでもいいとか言う人でなし。
でも、仕事とか大変だろうなと思うし、いつも私のこと応援してくれる。素直に嬉しいし、私だって応援したい。応援してんだ、ほんと……私のガルさん対する気持ちは、そんなだ。あんた、これをどう解釈する」
『……』
「私にも良く分からないんだ。神聖なんだろ、希望を満たすんだろ。アンタの意見を聞かせてよ。私のこの気持ちは、何なのさ? なんなんだ一体」
『それは……非常に複雑であり……』
「もっと簡潔に言ってよ。私は答えを聞いてんだ」
しばし俯き考え込んだクピドは、うんと一つ頷き徐にそっと顔を上げ口を開いた。
『……恋?』
急に風の流れが変わり、私の髪とスカートを舞い上げる。
この演出じみた展開は、仕組まれたものなのだろうか。
だとしても、私の感情は完全に動きが止まっていた。
『ああ、恋だったか。そうか。いや、そうだろう。そうなのだ。なんと迂闊な、私としたことが……』
……もう、それでいいや。
こんな奴の相手してらんない。
私は再度パネルを叩き、この清々しいほどの馬鹿を忘れようと努力する。しかし、ステータスボードに表示される自分の状態はやはり芳しくなく、落ち込む気持ちに拍車がかかった。ゲージは修復されているが回復しているわけではない。分かっていたことだが左腕の壊死も治っていない。むしろ徐々に悪化していた。
やばい、気分が……最悪に悪くなっていく……。
それでも奥歯を噛み締めそれを抑え込み、下に降りれば治るのかとクピドに尋ねると「同化すれば治る」という意味のない返答が返ってきた。誰がテメエと同化なんぞ……! 怒りの鉄槌を振り下ろそうとしたその時、目の前にメッセージが表示された。
[本格的に無理ゲーくさい。バンカーバスターはまだか。ザルギインも涙目になってる、俺も大して変わらん]
それは、マーカスからのSOSだった。




