第三十話:瓦礫の舞台で踊る戦神
マーカスの重い足音が、地下空間に響く。
彼はただ一人のプレーヤーであり、戦士であり神父である。だが、その一足一足の重量感はモンスターにひけを取らない。その重厚な肉体全てが凶器である。その点から言えば、彼は数多と転がる化け物となんら変わらない。存在そのものが悪質であり、蛮力と言える。
ハッキネンは回復薬を取り出し、いそいそと移動し始めた。柔らかくウェーブのかかった髪は汗で額に張り付き、その足取りは重い。狂戦士の如く暴れまわっていた彼は今、戦闘に参加出来得る状態になかった。マーカスにその役割を託し、自らの太刀を存分に振るうに値する、勝負どころを虎視眈々と待つことになるだろう。
エリナはマーカスの漸進と時を同じくし静かに移動を始めた。戦車の駆動音が微少ながらも聞き取れる。打ち合わせ通りにバンカーバスターを地上に配置すべく、脱出の機会を計っている。この子の兵器が、本当の意味で我々にとって切り札だ。
そして私は、私の身体を乗っ取った者は地上へと降り立ちチクチクとドラゴンを槍で突いている。ドラゴンは激しく反応するが、結界を張られては身動きが取れない。既に勝負はあったのだ。
戦の神々と呼んで差し支えない三者は踊り狂うが、肝心のイベントは一向に進まなかった。
NPCは踊る、だが肝心のイベントは進まない……そんな状態が続いている。
強い……こいつらは確かに強い、覇王も聖剣士も、プレイヤーの手の届く位置にいない。
私を乗っ取ったこいつの強さも、それに比肩する。
だがこいつは標的を殺さない。消滅させたりはしないのだ。
深紅のヴァルキリーのこの行いには恐らく二つの意図があると思われる。一つは戦闘を長引かせること。ここにいる全ての勢力を疲弊させる、そんなところか。二つは、叶うならば従属させてしまいたと考えているのだろう。これは戦力に不安を持つこと、そして業の深さを証明している。
ロウヒにより力を与えられたこいつは、目の前の敵を傍系同属と呼んだ。分裂し続け一つ一つが自我を取り戻せば、誰が敵で味方なのか明確に判別出来るだろう。この血染めの戦神につく可能性は高い。どこまでも推測だが――対ガルバルディ戦での「いい壁役」として使役出来ると考えているのではないだろうか。
当然ザルギインの顔色は冴えない。力の源泉を失い後ろ盾を失くした奴は今、絶体絶命の危機にある。それでもガルさんに三秒で殺されるぐらいならば、三秒以内に降伏し裏切った方が賢明であると判断した。この惨状から言えばさもあらんと言ってやるのが相応しい。
今のこの、惨憺たる状況を打破出来るのは――私、もしくはガルバルディだけだ。
無論後者となれば誰にとっても望まれざる結果をもたらす。
それはそれで面白そうではあるが残念ながらそうなるともうゲームとは言えない。
正しくない、そう言ってもいいだろう。
そして、前者である私はもう答えを見出している。あとはタイミングと、手段さえ間違えなければこの混乱を一方向へとまとめることが出来る、と思うのだが……。何をタイミングとする――。
「さっさと仕留めろ! 聖剣士の後ろになんか来てんぞ!」
マーカスの猛然としたダッシュで、戦場の全てが動き出した。
ガルバルディは影に覆われ黒く染まっている。
さらに、コアを持つ化け物が本格的に分裂を始めた。
腫瘍が腫瘍を生み、癌細胞のように増殖していく。
ザルギインは一瞬捨て身で突撃する素振りを見せたが、結局踏み込むことは出来ない。だが、ようやくマーカスという攻撃役が最前線に来る。覇王は憎々し気にヴァルキリーたる私を睨みつけたが、その表情に一瞬だけ違った色が差し込んだ。
次の変化は地下都市の中央部で起こった。エリナの戦車が突如現れ中央広間、崩落した天井の真下で飛び跳ねる。
何が気に入らないのか、コアを持つ化け物はマーカスではなくエリナの戦車目掛けて超音波での攻撃を仕掛けた。ザルギインは障壁を作り出し攻撃を弱体化させる。だが、弱める程度で精一杯のようだ。結果戦車は吹き飛んだがエリナは即座に戦車から脱出、さらに射出機からワイヤーを撃ち出し先端のフックをなんとか地上へと引っ掛けた。
だが、今のエリナはぶら下がっているだけとも言えた。まるで消防か軍隊の訓練のように器用に上ってはいくが、これでは射的の的と変わらない。
マーカスは当然、それを阻止せんとコアのある化け物へと向かうだろうと思われた。だがチャチな状態異常のブリーズ・スタンと色だけは鮮やかな幻影の障壁での一時的足止めを行った彼は、一目散にヴァルキリーの下へと向かっていた。
「何やってんだテメエ! さっさと始末しろよ! エリナが狙い撃ちにされんだろうが!」
「こっちだって必死よ。こいつ、意外にしぶといもの。槍では限界があるみたい。それよりハッキネンはまだ? 細切れにしてもらわないと、ラチがいかないわ」
ヴァルキリーはそうして舌打ちし、拗ねるように口元を歪ませる。
「あなたの拳で吹き飛ばす? その自信があるの?」
「テメエの飛び道具なら吹き飛ばせるだろ! ゲージぶっ壊れてんだ、加減なしで粉々にすりゃ解決すんだろが!」
「じゃあ、エリナを地上に帰すまでこいつを足止めして。ザルギインが逃げないように見張っててよ。それがここの一番の目的なんだから。私の思いを踏みにじったら、さすがに怒るよ?」
今度はマーカスが舌打ちする番だった。そうしてヴァルキリーの傍へと歩いていく。ヴァルキリーはマーカスの機嫌を損ねたとでも思ったのか、少し警戒する素振りを見せたがマーカスは努めて冷静だった。
「傷口見せろ。飛べるかどうかそれで判断する。エリナに万が一のことがあったら、テメエだって洒落にならんだろ。無理なら俺が行く、ザルギインに逃げられても困る。時間がねえ、早くしろ」
傷口ってもねえ……とヴァルキリーは呟いたが、思案するだけ無駄と判断したのか渋々それを受け入れた。傷だらけのその姿を改めて確認し、マーカスは首を振る。
「無理だろ、そもそもなんでお前これで平気なんだ」
「それは後でいいでしょ? エリナ頼んだわよ。かすり傷でも負わせたら、責任取らせるからね」
不意に襲い掛かってきた悪鬼の群れを二人は瞬殺し、ヴァルキリーはザルギインを、マーカスは結界に縛られるドラゴンをねめつける。マーカスの右手の甲には黒い血糊が、ヴァルキリーの槍には二体の悪鬼が突き刺さったままだ。
「なんであいつ逃げないのかな」
ヴァルキリーはそう小首を傾げ、もがき苦しむ悪鬼を振り払う。
「どこに逃げるんだ。それよか結界に綻びが出てんじゃねーか。欠陥住宅じゃねーんだ、手抜きすんなよ」
マーカスはドラゴンから零れ落ち、襲ってきた悪鬼について不満を零した。
「失敬な、手抜きなんてしてない。さっさとエリナを助けてやって」
「念を押すが、お前は本当に大丈夫なんだな?」
二人のしつこいやり取りに業を煮やしたザルギインが、エリナを護衛するように高度を上げた。コアとエリナの射線に入るその姿はまるで仲間を想うパーティーの一員のようだ。だが、これでコアは躊躇いなく分裂出来る。切り札の配置に伴うリスクが今露見していた。
「ご心配なく、ハッキネンが復帰したら全部片付くって」
この時、ヴァルキリーは冷笑を隠せずにいた。
一方のマーカスは「そうか……分かった」とまるでらしくない冷淡な反応を見せている。
「じゃあさっさとして。弱めてはおくけど、仕留めるのは難しいんだ」
そしてこいつは、滴る血を舐め、背の翼骨を軋ませた。薄気味悪いそれは、とても私の仕草とは思えない。決してそれが仇となったとは言わないが、躊躇う気持ちを薄める効果は充分あっただろう。
……もっと、もっとうまくやるべきだったな。
暴力神父は何もかも仕方ないと言った顔で、ワイヤーをつたって上るエリナに視線を送った。その眼からはなんの感情が読み取れない。
「まあそういう意味じゃねーんだけどよ」
「どういう意味か聞きたいとこだけど、エリナがマジでやばいよ。急いで。私は大丈夫、信用してくれていい」
「ん、そうか、そういうもんか……」
マーカスがそう呟いた次の瞬間、轟音と派手なエフェクトが地下都市を染めた。
誰が見たって分かる、いくらなんでも派手過ぎる!
「勘違いすんな、いい加減にしとけって意味だカスが!!」
その快心の一撃の壮絶さと言ったら!
クリティカルのエフェクトは眩しいほどに地下都市を彩った。
だがこのてんでちぐはぐな光景からは、誰もが目を背けたくなるだろう。
――深紅のヴァルキリーは衝撃と共に猛スピードで空中を舞っていた。
暴力神父の鳩尾打ちをまともに受けた深紅のヴァルキリーは、自分が何をされたか理解出来ていたのだろうか。仲間に、しかも筋肉馬鹿と見下したマーカスのフルスイングの一撃を予見出来ただろうか。
ある種ヴァルキリーに相応しく空を駆けるこいつは理解の範疇を超える状況、そして不意の出来事に驚愕の色を隠せない。
それでも咄嗟に背の翼骨を泳がせ、打開の手立てを打とうとしていることは分かる。
深紅のヴァルキリーは今一直線に崩落、風穴の開いた天井へと向かっていた。
その表情には、マーカスに対する憎悪ではなく明らかに焦燥が見て取れる。
危機を察したそれの反応と対処は正確なものだった。
だが"剣風"がそれを遮る。
ヴァルキリーは第二の裏切りに愕然とした。
四方を囲われては逃げ場がない。
自分と同速度の剣風が軌道の変更を認めない。
それでもギリギリ、手を伸ばし聖剣士が崩落させた天井の風穴、その壁に爪を立て踏みとどまろうとしている。
しかし、それが"左腕"であることは致命的だった。
手首から先が削れ失せてもおかくしないほどに壁面を引っかき、地上寸前で深紅のヴァルキリーは停止した。
焦燥、憤怒、困惑が右手に黒槍を握り締める戦神を包み込んでいるだろう。
そして土壇場で命拾いしたヴァルキリーに地上から差し伸べられたのは、優しく愛らしい救いの手と――コルトパイソンの銃口だった。




