第二十九話:鮮血、反逆と深紅のヴァルキリー5
光明が見えた。こうすれば、こうなればいけるという道筋は掴めた。だが、手段が分からない。口惜しいが、核心までもう一息足りない。他力ではなく、自力で解決する方法は、どこにある!?
今みんなが戦っているのはザルギインが、その軍団が冥府で仕留めた化け物共だ。
そしてあの野郎が異様にタフなのは、不老不死という点だけでなく「飼い犬連中の命を盾とし糧としていた」からだろう。いや、不老不死というものの本質は、そういうことかもしれない。
私が頭を吹き飛ばそうと、弓矢で貫こうと、幻想世界の怪物達には蜂の一刺し程度でしかないのだろう。どこまでも余裕こいてられるはずだ。自分が倒した存在全てを正に血肉としているのだから。
それがどれだけの戦力となるかは状況を見ていれば分かる。そしてそれは始まったばかりに過ぎない。ザルギインはこの状況の最終的形態を地獄と表した。つまり、もし一つ一つの存在にまで分裂すれば、我々の手には負えない! 二千年に渡り冥府で戦い続け仕留めた化け物共が、今一同に会している!
[エリナ、仕掛けるから最後の援護射撃やってくれ]
[オーライ。次は外さない]
マーカスが仕掛けるらしい。とすると、エリナは地下都市からの脱出を図り、最終兵器の準備にとりかかる。話から推測するに期待値は相当高いと見ていい。この一帯を破壊し尽くす最後の切り札という奴なのだろう。だが三人は最悪それでと言っていた。つまりまだその段階ではない。あくまで保険だ。これからどう転ぶか、本当に、本当に分からないのだから。
けれど、まずエリナを逃がすのは正解だと思う。二人も恐らく、それを主目的としているはずだ。どうなるにせよ、私次第ということか……。
[というわけで、時間がなくなった。理解してもらえただろうか?]
ハッキネン……返事出来ないのがもどかしい、もどかし過ぎる。だが、流れは分かった。ガルさんが今何と戦っているのかも、何故そうなったのかも分かった。
恐らくハッキネンも気付いているであろうが、ザルギインが嘘をついて小癪な演技をしていることも分かる。
けど、肝心の支配権を取り戻す方法についてが、一押し足りないんだ。もしメッセージを送ることが出来れば、一発で解決するのに!
「ファイア!」
可愛らしい掛け声と共にエリナの戦車が主砲を放つ。いつの間にかまだ無事なビルの屋上に陣取り、そこからの狙い撃ちだ。機動性はもはや戦車のそれではない。ドラゴンはまた素早く反応し、ザルギインは離脱を試みる……だろうと思われた。
「馬鹿の一つ覚えだな、おい!」
マーカスの大声が地下都市に響き渡る。
気が付くと、ドラゴンの身体には刺の生えた蔦が絡まっていた。サイクロプスもどき戦でも見せた、マーカスの援護魔法だ。ドラゴンの動きは幾分制御され、エリナの主砲がコア近くに命中した。
しかし、致命傷には至らない。完全に制御出来なかったとはいえ、ドラゴンはコア自体を移動させたのだ。爆炎は広がるが、肝心のコアへのダメージはあまり期待出来そうにない。状況を正しく理解しているであろうザルギインが軽く首を振っていることからも、これは間違いないと思われる。
この一連の流れは、グロテスクさを一段と増加させた。ドラゴンは、もうその原型を留めてはいない。かつてのザルギインがそうだったように、肥大した腫瘍の塊に、わずかにドラゴンの残影が残るだけだ。
マーカスは露骨に舌打ちしたがすぐに自信満々、戦闘狂の顔つきへと戻った。そして力を溜め込むように前傾姿勢を取っている。何度目のザラトイドラゴンだろう。これで、マーカスも前線につく。至近距離、懐に飛び込み戦うマーカスにとって、あの化け物は相性が悪い。それでも彼は、超接近戦を挑むつもりなんだ。殴り合い、徒手空拳のスペシャリストとしての矜持がマーカスを突き動かしている。
一方で、そんなマーカスから届いたメッセージは至って冷静なものだった。
[女、キリアだったかな。お前が今どういう状況にあるかはハッキネンに聞かされてなんとなくは理解してる。いくつかパターンがある中で、俺らはお前が乗っ取られることもあるだろうと想定はしていた。当然これはザルギインからの情報だ、経験からくるものだとよ。まあ俺らがそんな想定出来るわけねーしな、こんなイベント知らんし。けど戻ってきたお前は普通に話してたろ、途中まで。だからいけるだろうと思ってたんだが、残念な結果になっちまったな]
ザルギインはヴァルキリーと対峙したことがある。正に戦神と化すその姿を、目の当たりしたことがあるのかもしれない。奴は今、このパーティーの頭脳のような役割を担っている。腹立たしいが、その予測が当たっているだけに歯がゆさしかない。二千年の経験が、パーティーを混乱から救っている。
落ち着くマーカスは、さらに続けた。
[正直こっちは余裕がない。それに見た感じ、ヴァルキリーは遊んでるように見えるしよ。強いのは認めるが、土壇場で遊ばれるのは不愉快だ。これが致命的なミスに繋がることだってあんだろ。だからよ、さっさと戻って来いや]
分かってる、私もそれは理解しているんだ。あいつは、あのヴァルキリーの標的は黒血を吐きもがく二頭のドラゴンではない。あいつはまず、ザルギインを試している。口先では威勢のいいことを言っているが、本音は違う。何せ自分でそう白状していた。
つまり、あの二人は互いに牽制し合いながら共闘しているのだ。その理由も分かる……けど、戻る方法がまだ分からんのだよ!
[お姉ちゃん、すぐに戻ってくるからそれまで頑張って! 一緒にこのミッションクリアして、こいつら全部片付けちゃおう!]
エリナからのメッセージが目に留まり、私はどこにあるかも分からない胸が苦しくなった。この子はほんと……いいんだエリナ、戻ってこんでいい。気持ちだけ受け取るから、バスターとやらを設置してそのまま上に避難しててくれ。もう、エリナが戦うことなんてないんだ。
[やっぱ見てるだけってのは、つまらんよな。一応ゲームだぜ、これ。テメエが復活するまで暴れてやっから……さっさと一緒に楽しもうや]
またマーカスからのメッセージが届き、これがゲームであると改めて自覚する。こんなに辛くて理不尽でも、これゲームなんだよね。なんかほんとに命懸けで戦ってるような気分だよ。自分を乗っ取られる経験なんて、現実では絶対ないもの。
今私は、現実を超えた経験をしているんだ。
キャッチコピー通りの現実を超えた現実、夢の世界……じゃなくて過酷な現実だが。
けどマーカス、ほんとに楽しんでくれてるの? こんな意味不明なイベントなのに、めちゃくちゃなことばっかりなのに、奴隷殺しとかいきなり天井が崩落したりとか酷いこともいっぱいあったのに……ほんとに楽しいの? 楽しめるの?
[みんなね、お姉ちゃんがどうしてもって言うんなら、あの白いおじさんぶっ飛ばしてもいいって、言ってるんだよ。私も、しっかり撃ち殺すから頼りにしてね!]
[いや、それは待て]
[エリナ、冷静になろう。ノリで仕掛けていい相手じゃない。というかそもそもそんなこと言ってないぞ、僕は……]
エリナの無理のある提案に、男二人が冷や汗をかいている姿が目に浮かび、私は少し可笑しくなった。それでいて、胸が締め付けられ、熱くなる思いも感じていた。
痛いな……これはリアルな痛みだろうか……私は、諦めてさっさとログアウトするつもりだったのに……みんなは、なんとかしてこのイベントをクリアしようとしている。
私の都合でこんなことになったのに、みんなやる気満々じゃないか。
どこにあるのかも分からない自分の意識の中で、私は後悔と悔しさ、そして責任を感じていた。
私が、私が諦めてどーすんだ。
あるんだ、現状を打開する方法が一つだけはっきりしているんだ。
けど、それはあまりに無理がある。
遠いんだ、今の私には遠過ぎる。では他に何がある?
考えろ、何かあるはずだ。
くそザルギインが支配権を取り戻せと言うからには、それは可能であるはずなんだ。
何故なら、この展開が続けば奴は死ぬ!
私に、深紅のヴァルキリーに抹殺される!
今やあいつは裸の王様でしかない!
そしてヴァルキリーの次の標的は――ガルさんだ!
同時にそれは、ガルさんにしても同じなんだ。
聖剣士ガルバルディは神を信じていない、信仰心がない。
神聖たる、超越者たるこのヴァルキリーをガルさんは絶対に認めない。
彼にとって、神と魔は同義なのだ。
私は、これは、この地上世界において、ただ秩序を乱す異物である――。
これがガルバルディの解釈だ。
ありえん、いくらヴァルキリーが強くてもガルさんと戦うなんてありえない。理由がないし、勝ち目だって1パーセントもないだろう? 姫のことでなんかちょっとむかついたから殺されに行くなんて考えられない!
それでも、このヴァルキリーがなんとしても、なんとしても勝つためにもしヴァルハラにガルさんを連れ込むなんてまねされたら、マジでヴァルハラが火の海になっちまうよ! オーディンは兎も角、ロウヒなんて私ですら瞬殺出来るなと思うぐらい弱っちいのに! ロウヒにはその自覚がないのか? 自分が何をしているのか……いや、そこを考えても仕方ない。考えるべきは目の前の現実だ。
だから考えろ、私は、今の私は――ザルギインと変わらないという事実から、答えを導き出すんだ。
[僕も疲れが取れたら敵につく。君には色々と不満もあるのだろうが、僕はこのイベントを最後まで見届けたい。頼りにしているよ、ヴァルハラの落とし子]
その言葉で、ハッキネンのメッセージで私は私を自覚した。
それだ、私はヴァルキリーなのだ。
核心はそこか、そこなんじゃないのか?
浮遊する意識の中で、血管が沸き立ち早鐘のように脈打つ鼓動を感じ、私は確信した。
そうか、私とザルギインの違いはそこか……。
神の意思に逆らうことは可能だ。
あの一瞬を除けば、それは可能だった。
いや、今こうして思索していること自体が神の使徒たるものの、反逆ではないか。
戦場に目を向けると、マーカスが異形の存在に放った蔦は、もう完全に払いのけられていた。
ザルギインは攻撃のリスクを背負えない自分を口惜しむかのように浮遊し、防御を固めてしまっている。
深紅のヴァルキリーは結界という名の拷問を愉しみ、不快な笑みを浮かべていた。
そして聖剣士ガルバルディの背後、赤く染まる空間には、巨大な影が迫りつつあった。




