第二十五話:鮮血、反逆と深紅のヴァルキリー
漆黒の闇は、思えば居心地の良い空間だった。
粉塵の舞う地下都市は完全に戦場と化している。
それは中世の戦闘ではなく、そして剣と魔法のRPGでもない。
もっとデタラメで悲惨な何かだ。
臭いで分かる。死臭で分かる。死体で分かる。残骸で分かる。
垂直に、壁に張り付く戦車を見ればその異様さがさらに理解出来るだろう。
ずっずっ……と音を立て映像が少しずつ動く。
上下動する度、首が軋むように痛む。
察するに、メットの羽を掴まれマーカスに引きずられているのだろう。
「重い……クソが……」
間違いない、マーカスの声だ。気持ち程度生えている雑草を掴むと、映像が止まった。
「お、やっと目覚めたか」
その瞬間手を離したようで、私はゴロンと仰向けになった。ああ、天井に風穴開いてらぁ……いつでも逃げられる……間違いない、戻ってきたんだ……。
「さすがに疲れた。何があったんだ、説明しろ」「何があったの? 何引きずってんの?」
声が重なり、互いの疑問がぶつかった。
「あのなあ、意識の途絶えた人間は重いんだぜ。自分の身は自分で守ってくれよ。俺はボディガードじゃない。エリナは戦車で遊んでるしよぅ……何寝てたんだ、長過ぎだろ」
「ああ、うん、えーっとね……何してたんだっけなあ……」
互いに息が切れている。マーカスは大きな音を立て腰を下ろした。
私は自分が疲れているとは思わないが、どうも身体は疲れているらしい。肉体と精神が一致していないのか。それとも感覚に異常でも起きたのだろうか。
「疲れた。こっちは単純明快だ、標的が定まった。ザルギインを利用してボーナスステージに持ち込んだ、そう考えればいい」
「なんだよそれ。あいつ殺すよ。端からそういう話だったでしょう?」
そう不満を零し、あれ、と違和感を持った。声がかすれている。いや、多重音というか、音がおかしかった。どうしたんだろう、ゲーム内の問題か、マシンの問題だろうか。
「まあ、殺ってもいいけど聖剣士次第じゃねえのか。ドサクサに紛れて狩ることは出来るかもしれんが、向こうが一段落したら無理な話だと思うぜ」
ノイズのような現象を、マーカスはなんとも思っていないらしい。ごく個人的現象なのか。まあいいや、とにかく仇を討つんだ。確か腕が壊死して、それからゲージ吐いて気を失った。
「マーカス、守ってくれてたんだよね、ありがと。でもやっぱ気失ってた間のことが分からないんだ。もっと分かりやすく説明してよ。ザルギインを殺るのがここのイベントでしょう?」
「いや、そうでもなかったらしい。なんか組めるかもしれないとか言ってだろ、ハックの奴。分岐云々言ってたから、細かいことはあいつに聞けよ。まあ、俺は特に出来ることがないんで見てるだけなんだけどよ」
なんともマーカスらしくない話だ。
獰猛な獣と冷酷なマシンが同居する、暴力神父が傍観者を決め込むだなんて。
私は仰向けのまま、トカレストの空を眺めていた。
そろそろ日が暮れるのか朱色に染まっている。
そうだ、早くしないとと私は思った。
リアルの時間は今何時だろう。
身体を起こし、そこでようやく自分というものに気付いた。
マーカもス同様だった。
相当疲れていたのか、しっかりと私を見てはいなかったらしい。
「あん? テメエどっか怪我してんのか?」
それは確か怪我……どころの話じゃなかったはずだ。
利き腕を残し、左腕が壊死しているはずだった。
ゲージもほぼ全て吐いた。
ああそうだ、瀕死に近い状態になったんじゃなかったっけ?
私は何を、まだ戦う気でいるんだ。
「なあ、おい……女……」
「マーカス、私まだ戦えるかな? 出来れば回復して欲しいんだ。あの人回復してくれなかったの? あの白い人」
「そういう問題じゃない、誰だテメエ……」
そうよ、それ。そうなんだ、私もそれを不思議に思っていた。自意識と記憶が一致しない。頭の中をかき混ぜられたようなこの感覚はなんだろう。
「ねえマーカス、とりあえず回復してよ。左腕、使えればゲージなくても戦えると思うんだ」
「いや待て、それはなんだ?」
はは……なんでもいいじゃないか。マーカスの顔をじっと見て、左腕を持ち上げようとするが、当然上がるわけもなく――そのはずだった。
「ああ、回復してくれたの? マーカスがしてくれたの? ありがとう……」
「いや、俺は何もしてないぜ。聖剣士も何も出来なくてパニックに近かった。だからこうなったわけだが……そんなことより、なんで血を流してるんだ?」
そう疑問を投げかけるマーカスの顔が、少し赤くなった気がした。照れてるのだろうか。ははん、さては私に惚れたな……いやなんか違う、なんだろうこれ。
「あれ? これ何?」
「だから、なんで目から血流してるんだ」
――血の涙、そうか、それで赤くなってたんだ。
どうしよう、眼窩底でも骨折したのかな……いつだ、どこら辺だろう?
「ごめんまた回復、してもらえるかな。なんか怖いよ」
少し怯えた声で、神父にそう話しかけたが、彼は固まっていた。
「いや回復のしようがない。ゲージが壊れてる。気付けよ、俺もなんで気付かない、なんでもっと早く気付かない」
「なしたさ、回復してよ……」
「……お前は、なんで全身から血を流しているんだ?」
それ以上話し合うことは、出来なくなった。
私の中の何かが、話し合いを無意味だと判断した。
もう一つ理解していることがあった。
ここで待ったをかければ、私は死ぬ。
それは時の針を、神の意思に反し戻す作業を意味するのだろう。
こうなれば、全てを無意識に委ねるしかない。
マーカスが後ずさった。チャットで二人に連絡を取っているらしい。
[女がおかしくなった。ジョブ変わってないか? ヴァルキリーだったよな、こいつ]
[ボスの意識戻った? 今話せる?]
[もうそれでいい。全然ボーナスステージじゃない、こっちは既に手に負えない。聖剣士殿はともかく、ザルギインは問題視していないし、大丈夫だろう]
……なんでだろう……最悪の気分だ……私も混ぜろよ……なぁ……二人と話し合いたいことがあるんだ。特にハッキネンに、伝えないといけないことがあるんだ。
「エリナはどこだ。巻き込みたくない」
口からついて出たのは、自分の意思に明確に反してはいないが、優先順位の低いものだった。エリナなら、巻き込まれるようなヘマはしないだろうに……。だが、マーカスは答えない。
[話せるかもしれないが、まだ完全に意識が戻ったわけではないらしい。それより、見えないのか?]
[いつものボスだよ]
[どうしようもないらしい。まあでも元からしておかしかった。というわけで、僕は巻き込まれたくないので一時退散する]
オープンチャットなのでこちらにもそのやり取りは見えている。私はエリナに謝って、ハッキネンと話そうとした。しかし、それは半分しか叶わなかった。
「ハッキネン、ちょろちょろすんな。そいつ逃がすなよ。エリナ、構わん派手に撃て。そっちの都合に合わせる。心配すんな、マーカスは私が守ってやるよ」
[聞こえたかエリナ? 派手にやれとか言ってるぞ]
[イエッサー]
[こちらはザルギインが聞いてるので、問題ない。それよりマーカス、ちょろちょろすると伝えてくれないか?]
そうして「うわぁ、酷ぇ……」と呟く声が聞こえた。それがマーカスのものなのか、私のものなのかは分からない。だが、次の瞬間の激痛で、私は完全に意識を、自分を取り戻し全てを変質させてしまった。
――それは赤い翼だった。
今、青く統一されていた私の姿は、鮮血に染まっていることだろう。
そして全てを思い出し、自覚した私はその流れに対し抵抗を試みた。
別に、無理に戦わなくてもいいんだ! 何やってんだ私は! ちょっと待て待て!
しかし、僅かな抵抗は意味を成さなかった。
そして異質な地下空間にいる二人の怪物と、本当の化け物共が私を刮目していた。
一人は私の変化を歓迎していた。
一人は殺意を明確にしている。
化け物の群れは、戦意を喪失している。
そして――ハッキネンの近くにある何かは、私を標的に定めた。
――全部、全体的に思い出したぞ、くそロウヒが! あのボケ何してくれてんだ! 人のヴァルキリーを勝手に赤基調のイメージに変えてんじゃねーよ! 何が地下の神だ! 一生かび臭い地下でうろついてろ馬鹿野郎! ――そう言ったつもりだった。
「あは♪」
嗤っていた。誰でもない私が嗤っていた。リアルDQNのように、恥ずかしげもなく嗤っていた。蔑まされていることに気づきもしない、頭の弱い存在になったかのような……何も分からない愚かな存在に……"ただ戦うことだけに特化した何か"になっていた。
「これで少しは楽が出来るかな。ハッキネン君、彼女は何かに魂を売ったらしい!」
轟く罵声はザルギインのものか。そして、それに反応した声がある。
「ねぇ服着なさいな、変態」
「おおぅ……そうだなそうしよう」
どうも私が言ったらしい。ダメだ、記憶を取り戻しても身体がいうことをきかない。地下空間の呪縛に、あっている。ロウヒの力が私を縛り付けているようだ。やられた、どこでしくじったんだ。三人はまだまだ闘る気なんだ。私は私をコントロールすることが出来ない。巻き込まれる、巻き添えを食うぞ。いや、そもそも、私はどこにあるのだろう?
背中には、赤い翼が生えているはずだ。
それはヴァルキリーの翼ではない。
いや、正確に表現するなら、翼とは言えない。
これはただの骨組みだ。
ヴァルキリーに寄生したロウヒの力により、植えつけられた深紅の翼だ。
それはいい。この際どうでもいい。
ザルギインが全裸だろうが、私がリアルDQNになろうが別にいい。
何かが私を標的に定めたのも、別にいいんだ。
問題は、私の身体が殺る気に満ちているということ。
そして、ガルさんが私を敵とみなしていることなんだ。
切れてるだろ、あれ。
詰んだろ、これは。
なんで、こうなった?
――地下都市の中央右奥、そこには冥府へと繋がる扉があった。
赤く染まるそのゲートの前に、白装束の男が立っている。
その周囲には、冥府から溢れた連中の死骸が積み重なっている。
地下都市の最深部、神殿があった場所にはハッキネンとザルギインが立ち、そして薄気味悪い何かが蠢いている。
壁に張り付く戦車の中にはエリナが、私は暴力神父が引くほど赤く染まり、今鮮血のヴァルキリーと化していた。
無駄に美しい翼とエフェクトは見る影もなく、ただギシギシと背中を軋ませ、深紅のヴァルキリーは「全てを駆逐」せんとしていた。
誤字脱字など修正しました<(_ _)>




