第二十四話:神の意思と停止する選別者
溜め息のように、覚悟の吐息をついた。
結論を出さねば、なんらかの決断を下さねばならない。
そして出した答えは、撤退である。
やっぱり、残念だけど選択肢がないんだ。
私は負けた。そして、巻き返すため、継続して戦うことも出来そうにない。
みんながまだ戦うという点は尊重したい。
依頼者の私が諦めるのに助っ人の三人が戦い続けるなんておかしな話だけれど、仕方ない。
だけど、ううん、だから彼女が何者なのかだけは抑えておきたい。
いや、それだけじゃない、出来るだけのことを抑えておかないと。
ロウヒと名乗る女に見つめられながら、脳裏に刻むよう、今一度ヴァルハラを見渡す。鮮やかな色彩が、汚れのない「空気」が「匂い」が脳を刺激する。そう……変わったのは、目の前の女だけなんだね、やっぱり。オーディン、ヴァルハラ、まがい物……戦えば"勝てる"であろう、代理の存在か……。
「で、あなた誰?」
視線を遥か遠く、何があるかも分からない空中都市へと向けたまま、私はロウヒに尋ねた。
『地下世界、大地を司るもの、そう思ってもらえばいいわ。あなたとこうして巡り合えたのは、地下都市で生死の境を彷徨う羽目になったからだと思う。そういう運命だったのね。神格は比較しようがないわ、私とオーディンは別世界の存在だから』
別、か……。地下、大地と神世界……真逆の世界なのか。
まあいい、いずれ分かる。
「長々と付き合わせてごめんなさい。結論を出す前に一つだけ聞かせて欲しいんだけど、あなた嘘ついていない?」
『ついていないわ。あなたはどうなの?』
「ごめん、一つだけ意識的に嘘ついた。奴隷扱いされてた人達を殺したんだ。理由は言いたくない」
ズキンと胸に痛みを感じる私に、
『そう。それは、隠し事みたいなものね……』
とロウヒは呟いた。怒らない、か。正義やモラルには無頓着、と捉えるべきなのかな。優しいと捉えるべきなのかな……。
「でね、状況がどうであろうと、ガルさんが何を考えていようと、私は初心を貫こうと思うんだ」
『つまり辞める。そういうことね』
「うん、話が早くて助かるよ。半分はそうかもしれない。けどちょっと違うんだ。正確には"何もかも気に入らない"なんだよね。話を総合すると、私ヴァルキリーですらないんだよね? それっておかしくない?」
『つまり、似非ヴァルキリーであることに抵抗を感じている』
「全く。現状に不満はないよ」
『ちょっと待って、何もかも気に入らないのでしょう?』
私は酷く冷めた目で正体不明の代理人を見据えていた。
『諦めて、もう消え去る。それでいいの?』
戸惑い、か。当たり前なのかな。いやそこまでは分からないか。
私が出した結論は至って単純である。
――再戦、もう一度やり直す、だ。
ヴァルハラに魅せられてしまったんだろうな、きっと。正直辞めよう、そう考えていたけれどやっぱりそう簡単には辞められない。その点はなんというか、若気の至りだとは思うけどまあ実際若いのでいいかなと……この性格なんとかせにゃとは思うんだけどまあ今回はさすがに仕方ないと思うし。
その上で間違いのない選択肢は、ログアウト出来るという点を最大限に活用する、だ。手詰まりになった状態でログアウト出来るなんて、こんなにありがたいことはない。
簡単に言うと、リセットボタンを押すのと変わらない。
正直"ここまで恵まれているのは初めて"だろう。
ログアウト出来るという点を利用して、今一度このイベントにチャレンジしようと思う。三人がどんな結果を出すのかは分からないけれど、私は私なりの結論を出す。ほんと呆れるほど確認しなければいけないことが多いんだ……この結末を見逃すわけにはいかない。
一連の流れからヴァルハラに至った事実は大きい。まさか主神オーディンの影響を受けてのことではないだろうが、私も好奇心をかき立てられた。何せ、やりようによっては、オーディンと対面出来るかもしれない。
ロウヒは素直で親切ないい神様、まあ嘘をついていなければなんだけど、今必要なのは事実関係なんだ。私は一体、なんなのだ? その点が知りたい。さらに、オーディンなら一連の流れについても説明してくれるかもしれない。
そこで考えたのがズバリ、もう一度ヴァルハラへ作戦である。
ライフを削ってMPとSSゲージは温存、「瀕死状態」を演出することでこの展開を再現する。そうすれば、どんな形になったとしても「勝つ自信がある」ってわけだ。
ただ一つ問題もある。いや、我がままに考えれば問題ですらないが、今すぐログアウトすることが出来ない。魂だけヴァルハラに移動したので、ステータスボードが出せないんだろう。というわけで、
「諦めるわけではないんだけど、説明しにくいんだよね。ごめんね、わざわざ代理務めてもらってるのに。私の希望としては三つ目がいいかな。私の存在を否定してくれていいよ。好きにしてもらっていいんだけど、アーチャーに戻ろうと思う。都合悪いかな?」
『三つ目は消え去る、よ。諦めるわけではないのなら、それはよした方がいい』
猜疑心の込められた視線と、ドスの利いた声が返ってきた。なかなかおっかない。只者じゃねーとは思っていたが、ほんとは怖い神様なのかな。でも、こう決断した以上どんな形であれ戻れれば、ログアウト出来る状態に持っていければいいのだ。
「そっか。じゃあ任せる、あなたが決めてくれていいよ。お願いします」
つくり笑顔と明るい声で、私は最終結論を代理神、大地の神ロウヒに委ねた。心の中で「また違う形で会えるといいね」そんなことを呟きながら、神の選択を待った。
――だが待てど暮らせど何も起こらない……こう思うのは今日だけで二度目だ。
閉じていた目を開き、代理の彼女に確かめる。
「あの、ロウヒさん、決められないなら私決めるけど、どした?」
『あぁ?』
ガラわりぃ……ってかなんで怒ってんだこの人。思わず顔を背けてしまうほど、ロウヒの身体からダークなオーラが放たれている。いや、その「闇」とかそういう意味じゃなくて「憤怒」とかそっち系のオーラなんだけど。
「あの、私が決めるよ。うん、そうしよう」
何度も頷き、指を立てて提案する。何が気に障ったのかは分からないが、こんなところで躓くわけにはいかないのだ。マーカスにだって限界があるだろう。
『……ねえ、別に無理して決めなくてもいいのよ。ゆっくり考えてもいいし』
急・か・し・て・た・のはアンタじゃねーか。
「よし、ヴァルキリーになるよ! 似非なんて嫌だ。ガルさんの思い通りにはならないぞ! 私は神聖な存在になるんだ!」
突っ込みたいところだったが時間がない。右手を突き上げ、決意のほどを主張したが、ロウヒはだるそうに首を回していた。なしてや。
「あの……ヴァルキリーになりたいんだけど?」
『ああん? なんつーかさー気持ちが全然伝わってこないのよねー。ううん、伝わってこねーなーおぃ』
ガラわりぃ……ってかなんでそこに拘るんだこの人。思わず言われたとおりに動けよと言いたくなるほど、ロウヒからは覇気が、威厳が、やる気が失せている。
なんでこんな土壇場でやる気とかそんなこと言い出すかなこの代理人は!
「やる気の塊だよ! なんで通じないかな、ちゃんと私を見て! ホントの私を! ありのままの私を!」
修造のように熱く語るが、ロウヒはつまらなさそうに髪をいじり出した。キューティクルがどうのこうの呟く姿はアラサーのお姉さまにしか見えない。
「わ、ワルキューレだな、ワルキューレと言えばいいんだな! そうさ、ワルキューレになりたいよ私は! オーディンに認められるような存在になって、えーと、アスファルト? で仕事がしたいです!」
角度を変えて説得を試みるが、ロウヒは文庫本を取り出して読み出した。しおりが挟んであるところを見ると、読みかけの本らしい。なんの本だろう、小説好きなのかなぁ……ほうほうって人の話聞けよ!
「――ああそうさ、殺ってくるよ、姉さん。あのザルギインって野郎知ってんだろ? 冥府でも暴れまわってるって噂、姉さんの耳にも入ってるんだよな。つまりあいつ、神殺しでもあるわけだ。同属殺されて気分が悪い、そういうことだよな。ああ、任せてくれよ、あれ粉々にしてやっから。私も個人的に恨みあっしさー、ぶっ殺してやんよ!」
エリナのように器用にはいかないが、私なりに映画っぽく振舞えたと思う……深作映画みたいだったと思う! いい演技だったと思う!
だが、ロウヒは携帯を取り出して株価をチェックし始めた。なんで神様が株取引しているんだ……株なんて要素このゲームにあったっけ……ってそういうことじゃない!
「いい加減にしてよ! 人の話聞けやよがくそロウヒ!」
『聞いてるわよ。でも意味ないじゃん、やる気ないんだから』
携帯片手にむーと口を尖らせる姿はやさぐれた幼稚園児のようだ。もう――自分でも何を言っているのか分からない。このくそガキ親父女なんなんだ一体!
「あるっつってんだろ!」
『口ではなんとでも言えるわよねー』
「んじゃどうしろってんだ!」
ステータスボードどころかチャットも出せない。メッセージが送れないから三人に私の決断を伝えられない! ロウヒの野郎がイベント進めないとどうしようもない! 身動き取れねーんだ!
イラつき頭を掻き毟っていると、やっとロウヒから話しかけてきた。どうも物憂げな雰囲気だ。コロコロ雰囲気変えやがって、気分屋すぎんだろ! 私ですらそこまで気分屋じゃない!
『あのさぁ、あなた私のこと我がままだって思ってるでしょ?』
当たり前だろ!
『気分屋だと思ってるでしょ?』
分かってんじゃねーか!
『話の通じない子供みたいな奴だと思ってんでしょ?』
自覚あんのかよ!
「ううん……思ってないよ、ただ早くしないとみんなに迷惑かかるし、あなたにも負担がかかるから困ったなって、ただそう思うだけなんだ……」
全ての不満を心に仕舞い、純真な乙女のように振舞う。慣れていないので我ながら不細工だったとは思う。けど、キーワードは押さえているだろう。文系ながら体育会系のノリを得意とする変わり者だが、これでいいはずだ……。
『あのさあ、なんであなたそんな堂々と嘘つけるの?』
はは、ワロス。完全にバレてらあ……なしてだ!
「ううん、実は私ね、生まれつき嘘がつけない病気なんだ」
『それが嘘じゃない。あなたが嘘ついてることぐらい分かるわ。諦めてないのも分かる』
「そ、そこっすか……いや、そこは説明し辛いんだよ……」
目の前にいるのが神様じゃなきゃ舌打ちどころか不意打ちでぶっ殺してるとこだぜ。これでもかつては通り魔としてならしたんだ! つっっっっか、リセットしてやり直すからまたね、なんて言えるわけないだろが! 言ってもいいけど、言い辛いじゃん!
『一応、責任者だからさ……事情は知っておきたいのよね。なんで嘘つくの?』
「だって、他人には言えないことってあるじゃない!?」
この時の私はもう、西洋人だか舞台俳優だか分からないほどのオーバーアクションになっていた。全身を使って伝えるしか、手段が思い浮かばないのだ。
『神だから、気兼ねなく言っていいよ。ちゃんと聞くから』
「そういう意味じゃねーんだこれが!」
もう殴りたい! 殴り倒したい!
わなわなしつつ神殿に残した肉体部分の私が気がきじゃなくなり、ロウヒが創り出したモニターもどきに視線を送ると、マーカスの逃げ回る姿が映されていた。だが、魂の抜けた私を、もう担いではいなかった。片足を掴んでひきずり回している……。
あいつ、殺す。
「あれ見てよ! いくら追い込まれたからって私の身体になんてことしてくれてんだ! ボコボコってか、ズタボロじゃん! 早く帰りたいんだよ!」
『うわぁ、顔に傷とか残りそう……酷いわ、酷い話ね。ありえないわ』
「だろう? 帰るから、早くしてくれ! 早くしないとあいつ殺せない!」
『までも、引きずられてるの私じゃないし、ある意味面白い画よね』
お前も殺してやろうか。
「どうしたんだよ急に! はよせいはよせい言うてたのあなたじゃん!」
『そんなこと言ってないもん。堂々と嘘つかれて、気分が悪いとかそんなんじゃないし、別に嫌がらせしてるわけじゃない。怒ってもないし、拗ねてるわけでもない。暇潰しの相手が欲しいとか、そんなんでもないもの』
そう零すロウヒの姿は、私よりずっと乙女だった。
物憂げな雰囲気が、とても儚く愛らしかった。
私が男なら今すぐ抱きしめてそのまま絞め殺してやるとこなんだが……。
――多分、今吐いたこの中のどれかが本音なんだろう。
もしかすると全部かもしれない。
なんか、全体的に面倒になってきた。早く戻らないとマーカス殺すってか、マーカスに殺される。魂が抜けた状態で肉体が朽ちたらどうなるか全く分からないのに超リスキーで怖ぇよ。
「さーせん、許してくれ。諦めてくれ。帰してくれ」
そうして――気がつくと私は土下座していた。
もう、プライドとか形とかキーワードとか、どうでもいい。
こんな面倒な女の相手、してらんない。
ぶっちゃけ、逃げたい。
そんな思いから、地面に額を擦りつけるほど頭を下げていた。
『やめてよ、そんなことされても興奮しないわ』
ロウヒはそうしてぷいっと拗ねるが、誰も興奮させようと思ってやってんじゃねーから。そんな趣味ねーから。
「頼む。せめて後にしてくれ、今はただ黙って帰してもらえないだろうか?」
『後っていつ?』
「そりゃ君一回ログアウ……マーカスとザルギイン始末してからにしてくれ、後生だ」
『無理ね、無理だわ』
「いや、やってやれないことなどない。平成の哲学者修造が"頑張れ、頑張れ、絶対出来る"という名言を残しているじゃないか」
『本気?』
「マジさ、だから全部その後にしてくれ。お茶でもお花でもアロマでもネイルでもサウナでもマッサージでもクルージングでも付き合うから、今は勘弁してくれ」
ほんともう、自分でも何言ってんのか分からなくなってきた……。
『分かった』
やっぱ無理か……って通じたよ! なんなんだこいつ! でも!
「ほんとに!? ありがとう!」
『ただし、一言忠告しておくけど、約束を守れなかった場合天誅、正に神の鉄槌が下るわよ』
……おっかねーが、やっとうまくいった。ギリギリ……マーカスに殺されることぐらいは回避出来たか。あいつマジ許さんぞ。その筋肉に切れ目入れて弾いてやる。
「うん、分かった」
心はもう、ログアウト後の展開へと飛んでいる。正解は、どの道筋にある。それを考えていた。
『本当に分かってる? "やり直そうと思っているんだとしたら、大怪我じゃすまない"と言ってるのよ?』
――それは心象風景に過ぎないのだと思う。
実際にそんな画が見えたわけではないのだと思う。
だが、私には見えていた。
世界が止まる姿が、見えていた。
全ての時計の針が止まり、そして崩れ去る画が、見えていた。
『やっぱりそうなのね。どうやってそんなことするつもり?』
「ちょっと待った。今なんつった?」
『よく分からないけど、いいわそうしてみればいい。ただし、私は嘘はつかない。約束は、守らせてもらうから』
「違う、そこじゃない。なんでやり直すと、思ったんだ?」
だが返事は言葉ではなかった。全ての映像が、消え去った。
いや、ヴァルハラが消え失せていた。
ロウヒも消え去り、声だけが四方に響いている。
『――加奈、あなたの希望、重すぎるのよね。正直オーディンは、わざと留守にしていたんだと思う。手に負えないと、逃げたんじゃないかしら』
「待て、そんなことは聞いてない。大体私に願いなんてない」
『さすがに、オーディンに同情する面もあるのよね。彼、ニーズ・ヴァン・ガルバルディを超える力を求められても応えることは出来ないわ』
「何言ってんだ?」
『ザルギインにしても、同じだわ。彼、異常よ。あれいくつなの? 私より年上とかありえないわ。彼に勝ることは出来ても、仕留めることは困難に過ぎると思うの』
「ロウヒ、あんた何を言ってるの? 私は一言もそんな頼みごとしてないだろ?」
『だけど、限定条件付きならばある程度は叶えてあげられる。当然、リスクも高い』
「違う、そんなこと聞いてない。勝手に話進めないで、私の話聞きなさいよ!」
『私は地下世界を司る存在。だから、大地の奥深くに留まる限りはそれなりのものを与えてあげられる。けどこれ、ちょっと強くなるとか技や魔法を一つ覚える、便利な道具や武器が手に入る……そんなのとは次元が違うの』
「違っ――」だから、なんで私にカマをかけたんだ! ゲームのキャラクターが、AIがなんでプレイヤーにカマをかけるんだ!
そう声をあげたつもりだった。だけど、私の喉はもうなんの音を立てることもなくなっていた。
そして、思考が凍りついた。
『加奈、ここで仕留めなさい。二度はないわ。あなたが覚えていれば、私も覚えている。それが何を意味するのか、分かるでしょう?』
ブラックアウト、だと……。
寒い……冷たい……痛い……頭の中……背中だ。
いや違う全身……どうして真っ暗になったんだ……。
『加奈がなんなのかは分からない。だから私なりに好きにさせてもらうわね。私の影響を受けるということ以外責任持てないから、好きに名乗っていいわ。ヴァルキリーでも、ワルキューレでもプレジデントでも、戦神でも阿弥陀如来でも自由よ』
全身が縮まる。
何もかも引き伸ばされ、何も見えない周囲が回転を始めた。
時間と空間が飛び跳ね、宇宙が揺れている――なんで、そんな風に思うんだ?
『勝てるとは言えない。でも地下に留まる限り、負けることもないとは思う。あとはあなた、加奈次第ね』
私はもう、人ではないのか?
自分の存在が曖昧で、物体であるのか思念体であるのかも判然としない。
『さようなら。そうならないことを、祈るけれどね』
神が誰に祈るんだ。そうとだけは、浮かんでいた。
それ以外はただ赤いな、そう感じるだけだった。




