第二十二話:ヴァルハラへようこそ3
『敗北を受け止め、似非ヴァルキリーとして生きるか、真のヴァルキリーとして生きるか、選びなさい』
それはとても不思議な響きを持っていた。五感を揺さぶるような、ある種抗い難いものだ。きっとこれは、人の声ではない……しかし、左腕の鈍痛が私の正気を保たせた。
「あのね……ぶっちゃけ、どっちもやなんだ」
『あら……なんで?』
「繰り返しになるんだけど、辞めるんだもの。怪我治してくれたら、考えてもいいかなーとか思ったり」
なんつーか知らねーしさー、なんて悪態はつける雰囲気ではなかったが、せめてもの抵抗としてぷいっと横を向いて宣託を拒否してやった。辞めるんだから基本怖いものはない。大体なんなんだ似非ヴァルキリーって。オーディンでもないのに、宣託とか偉そうにさ。それより治しておくれよ。
だが、私のその一言で彼女の目が血走った。
『実は選択肢は三つある。あなたの存在を否定することも可能なのよ』
「そ、そんな脅しには屈しないぞ! 私はもう辞めるんだもの。め、面倒ごとは嫌だ!」
気圧されて噛み噛みになってしまったが、彼女怖くはないんだ。この人、怖さは感じない。ただなんだろう、なんか不気味なところがある。多分戦闘タイプではないだけで、違う何かを司る存在なのかな。やっぱり、個人情報の神なんだろうか。
『気持ちはなんとなく分かるのよね。傷つき疲れ果てた、か……。けどあなたは戦場で敗れ、死の淵へと追いやられた。それがヴァルハラへとたどりついた現実。そして運よく私がここにいる。幸運ついでに、決断を促す要素を提供してあげましょう』
彼女の冷たい眼差しが、すっと宙へと向けられた。釣られて私も視線を向ける。そして、そこに映像が映し出された。
映像……まるで観戦モードみたいだ。
その映像は先ほどまで私がいた神殿だった。いや、そうは思うのだが何かが違う。神殿は既に半壊状態で、今も何かの衝撃で崩れ落ちている。
「未来の映像?」
『いいえ、現在進行形の現実よ。これを見て、あなたが決断なさい』
現在? なら、ガルさんとザルギインがやり合っているのか?
いや違う、すぐにその違和感を見て取った。
「へ、あ……? なんで、なんでザルギインとハッキネンが共闘しているんだ?」
いつの間にか神殿の内部にハッキネンが戻っている。そしてその隣には、ザルギイン、標的であるはずのザルギインがハッキネンを援護していた……全裸で。
なんで? と思った瞬間に二人は神殿の外へと飛び出した。神殿の外では奇妙な音が一定の間隔で機械的に鳴り響いている。
なんとなく、聞いたことのある音色だ。
その音の正体、その音を立てる正体は――戦車だった。
エリナだ。
どう考えてもエリナしかありえない。あの子、まだ逃げてもログアウトしてもいなかったのか! 何やってんだ! いや、なんでザルギインと行動を共にしているんだ。
砲撃音と共に、また神殿が崩れていく。
『あの三人で、戦っているわけね。なんかおかしなのがあるけど。ううん、四人か。仲間は四人いるの?』
「三人、三人です。もう一人は……マーカス、マーカスはどうしたの?」
映像はぐっと引いたものになって、地下都市の全体が見渡せるほどのものになった。
それは、異様な光景だった。
数多といたはずの兵団が、戦闘不能になっている。一目見て分かる、間違いなく誰かにぶちのめされている。まさか、マーカスとハッキネンでやったのか?
映像の中で動くものは限られている。だからそれを見つけるのは容易かった。
マーカスだ、あの分厚く隆起した肉体はマーカスのそれに間違いない。そのマーカスは、何かを担いで逃げ回っている。
「あれ、わ、私?」
『良かったわね、仲間が助けてくれたんじゃない』
ど、どうなっているんだ? 私はここに、ここにいるのに。そもそもなんでみんなまだ残って、戦っているんだ。
「なんでザルギインとハッキネンが肩並べてんだ!」
心臓の高鳴りは痛みを感じてもおかしくないほど激しくなっていた。
『ザルギイン、なんか聞いたことあるわね』
「魔王、覇王、なんとか王朝の建国者で自分で冥府に突撃した大馬鹿野郎! そのくせ負けて帰ってきた、負け犬野郎!」
大声で叫ぶものだから、隣の彼女も少し驚いた顔をしている。だが、すぐに興味無さ気に視線を映像へと戻した。
「なんで、どうなってんの? なんでログアウト、離脱してないのさ!」
『負けを認めていないから、でしょうね。大した根性だわ。あなたとは、大違いなのかしら?』
私は、音が鳴るほどに、強く歯軋りをしていた。馬鹿にするなら、蔑むなら好きにすればいいさ。けど、エリナがなんで残っているんだ。ザルギインはエリナとマーカスを手に入れようとしているのに!
『どちらにせよ、主導権はあの奥の男ね。そうか、あれがガルちゃん……ああ、そういうことか、なるほど』
一体何に納得しているのかは知らないが、彼女の呟きで映像が地下都市の中央の奥へと切り替わる。そうだよ、ガルさんはどうしたんだ。ガルさんは何をしているんだ?
それを探す必要は、ほとんどなかったと言っていいだろう。マーカスと同じく、それはすぐに見分けがつくものだった。これを見間違えることは――不可能だろう。
それは、そうして、そこに映った映像は――"今まで見た何よりも壮絶且つ凄惨なものだった"。
確かにそこにガルさん、聖剣士はいた。
そしてその傍らには、見たことも無い無数の怪物の死骸が転がっていた。いや、正確にはまだ死んでいないものもある。切り刻まれ、血を流し倒れてはいるが死んではいない。それでも、それに意味がないことは見ただけで分かる。
ガルさんの目の前には赤い光を放つ空間があった。今までなかったものだ。蠢いている、その赤い光の中で何かが蠢いている。
『冥府の入り口、あんなところにあるなんて。でも、意味ないわね。あの門番、あの男がいる限り頭出した時点で自殺と変わらない。爪の先でもダメ。連中は簡単に死ねないだけ、消えることが出来ないだけ余計に恐怖心が増す。勝負にならないわね』
嘲るように、彼女はそれを見ていた。
しかし、一人で、一人であの化け物共を始末したのか? 一体、何が起きているんだ?
『さて、どうする』
「どうって、私ここにいるんだよ? なんでマーカスが担いでるの!?」
『魂と肉体が分離しただけ。おかしいのは壊死した箇所までヴァルハラに持ってくるあなたよ。やっぱり、あなたは異質ね』
「そんなこと言われても……」
戸惑う私に対し、悪意は感じられなくとも、他人事を愉しむような口ぶりで彼女は言った。
『オーディンじゃなくて良かったわね。ほんと、そう思うわ』
いや、そんなことないんだ。北欧神話の主神オーディン、彼がいれば、もし手を貸してくれるのならどれだけ心強いか。この人は戦闘には長けていない。違う、この人じゃダメだ。
「オーディンは、オーディンはどこ? オーディンじゃないと、収集つかない。だって私、負けたんだ……なんか色々、色んなことに負けた気がする……オーディンどこさ!」
声を荒げる私に対し、彼女はハリセンの先を口元に当てて、また思案顔を浮かべた。
『どこ? って言われても、小鳥を追いかけて出て行ったとしか聞いてないのよね。どこかしら?』
馬鹿なのか、私の主神は。
「ど、これどうなってんの? 分かんないよ!」
『それを確かめるために、どうすればいいか考えれば。負けたって言うけど、まだあなたには"仲間がいるでしょう"』
仲間……だってログアウトするって……なんでみんなまだ戦ってるんだよ。私、役に立てないよ、腕もこんなだし……何より気持ちが……。
『じゃあ改めて、宣託します。似非ヴァルキリーとして生きるか、ヴァルキリーとして生きるか、消え去るか。選びなさい』
分からない、意味が分からない。
消え去ることを除いた二つの選択肢の意味が、ほんとに分かんなかった。




