第二十話:ヴァルハラへようこそ
そこには、ザルギインがいるはずだった。いや、ついさっきまでそこにいたのにどこ行ったんだ。逃げたのか?
まるで腫瘍、巨大な塊がひたすら黒い血を流し、光の矢を被弾している。
眩いエフェクトで、ついにその塊すら確認出来なくなった。だけど、もういいや、続けても意味ないし、続けられない。化け物同士、勝手にすればいい。
「大丈夫か?」
ガルさんに支えられ、私はなんとか立っている。けれど、それももう意味がない。なくなった。もうこんなゲーム辞めてやるんだ、討ち死にしたところで一緒だけど、こんな奴に負けるなんて嫌だ。
「全く、無茶しやがって……」
ガルさんは呆れるようにそう呟いた。
うるさいよ、どこのネラーだお前は。もうログアウトするんだ。縁切りだ、こんなおっさん私は知らない。
その時、視界にあるはずのステータスボードが揺れていることに気がついた。いや、視界が狭まっている。まずい、ログアウトの項目が確認出来ない。
そして、意識が遠のく事実を、実感した。ゲージを吐いたんだ、当たり前とはいえ、まだスタミナもライフも残っているはずなのに……これは、これはまずいぞ……なんだ一体……。
「建前というものがあるだろう。陛下に、父親に娘を殺せと進言しておいて、自分は元婚約者だから、過程はともかく気分が悪いのでここで奴に私刑を加える。そんなことが出来ると思うか?」
音も揺れている。聞き取れはするが、クリアとは言えない。耳元で話しているだろうに……。
「あの子に拘ってくれることは素直に嬉しいよ。その点には感謝している。ありがとう」
嘘だ、嘘つきだ。もうこの人、こんなキャラクター信用していない。言い訳なんて聞きたくもないのに、身体がいうこときかねー。意識が薄くなっていくよ……。
「とはいえ、あの娘に足枷をはめているのは恐らくあいつだ。同時に、あれと敵対している事実も調査済みなんだ。であるなら、あれには利用価値がある。そう簡単には殺さぬ方が得策だ。何せ私は忙しい」
私だって、積んでる本が腐るほどあるっつーの。録画したままの昼ドラも、他にやりたいゲームだっていっぱいあるんだ。別にこのゲームに拘らなくても……。
「ただ、君が、君らが殺る分には特に邪魔立てするつもりはない。これが私に出来る最大限の配慮だ。ある種、直情的な君を利用する形にはなってしまったが、苦戦するとは思わなかった」
私を利用するつもりだったのか……この老け顔アラフォー親父……。
「ならば、捕らえて陛下の御前に引きずり出すか。それも出来ない。騒ぎ立てれば、国政にヒビが入る。王家にも面子というものがある。そもそも特秘事項だ」
そんなご託、聞きたくもない……でも耳を塞ぐことは出来ない。ガルさんを振りほどくだけの力も残っていない……。
「あれは三秒あれば仕留められる程度の存在だ。正直に言えば、ラビーナも、捕らえようと思えばいつでも捕縛出来る」
それは、震えるほどに衝撃的な告白だった。
ただ、残念なことに聞き返すだけの力が私には残っていなかった。
そして、二つの景色が重なった――。
二つの声が重なった――。
「まがい物とはいえヴァルキリー、騎士団が作った許可証、転職証だ。勝てぬはずはない。神聖なるものではないかもしれないが、戦闘においては完璧と言っていい。あの程度たやすく仕留められるだろうに、何を躊躇っていたのだ?」
――ヴァルハラへ、ようこそ。
聞きなれたおっさんの声と、聞きなれない女の声が二重に聞こえた。
『三秒か、事実だなあそうだろう、私もそう思う。だからこそ、貴君が必要なのだ』
今度は若い男の声、ザルギイン、生きていたのか……いや、私はまだ生きているのか? 落ちてないのか?
『だがそれは、三秒あればの話だろう?』
腹立たしい音色と時を同じくして、そこで、完全に意識が途切れた――。
――やっと事切れたか……そう自覚して、ようやく肩の力を抜くことが出来た。
このゲームに死は存在しない。戦闘不能状態に陥れば病院へと搬送され、多額の治療費を要求される。
私は、ログアウトに失敗してしまった。つまりここは、病院なのだろう。負けたことないから分かんないけど、もう治療はすんだのだろうか。それとも、今から治療するのだろうか。どちらにせよ、もうどうでもいいのだけれど。
しかし、待てど暮らせど、なんの変化も起きなかった。
身体は、一応動く。周囲は暗く、どこまでも闇に包まれていた。私は、私を確かめた。手も足もある。見えてもいる、闇の中なのに……。
だが、壊死した左腕だけが動かなかった。
て、手抜き治療……まさか悪徳病院に担ぎ込まれたのか!
「クソゲー過ぎんだろ! マジで辞めてやるからな!」
間抜けにも自分の声に驚いてしまった。おおう、言葉は出るのか。ゲージはどうなったのだろう。ステータスボードを確かめようとするが、出てこない。
『お目覚めね、少し待ってて』
不意にそんな言葉が聞こえ、同時に周囲の様子が一変した。
暗闇の中にいたはずだった私の周りに、一瞬にして広大な自然が姿を現した。無駄に眩いその自然は、神々しさを感じさせる。
深く大地に根付く生命を感じさせる森がそこにはあった。
悠久の時の流れ中で蠢く深遠なる存在、遥か遠くに見える山々は星の胎動を感じさせた。
天空には翼を生やした、あれは天使だろうか、天使が舞っている。
空中都市、大地から離れた島のようなものも確認出来た。
ああ、凄い病院に担ぎ込まれたんだなあ……あの天使は看護師だろうか。これは、大金請求されんだろうなあ……もうどうでもいいけど最悪だついてねーなー……って天国じゃないのかここは!
マ、ジ、か!?
「クソゲー超えてるだろうが! 聞いてないぞ! 嫌だ最後の審判なんて受けないぞ! 帰らせてもらう! そもそもゲームの主旨から外れてる!」
が、身体が凄まじい拒絶反応を示した。当然だ、こんなとこからどうやって帰るのだ。頼みの綱、ステータスボードを探すがそれもどこにもない。
「ぐぎが、仕様なのか、バグなのか……なんだ、治療が終わるまで帰れないとかそんなじゃないだろうな! 天国で何を治すってんだ! 素行か、素行を正そうとでもいうのか!」
狼狽する私をおとなしくしたのは、背後からの不意の一撃だった。
『やかましい、静かにしなさい』
怪我人殴りやがった。
じ、上等だよ……天国だか病院だか知らんが、ぶっ壊してやる! ぶち切れて振り返ると、透き通るような白いワンピース姿の若い女が、ハリセンを片手に突っ立っていた。誰だテメエは、薄着過ぎんだろ。そんな思いより先に、拳を握り締める自分がそこにあった。
◆◆◆◆◆
左腕は使えない、しかも疲れてはいるが……いいぜ買ってやるよその喧嘩! タコ殴りの実演会だ! と強く拳を握り締めたが、目の前の女、よく見るとそのなりはまるで天女、女神のような神聖さを感じさせるものだった。やはり、ここは天国なのか? それともコスプレなのか!? 天国を模した病院に担ぎ込まれてしまったのか!?
「なんてこったい! なんでもありなのかトカレストは!」
頭を抱え込みそう叫ぶと、
『だから静かにせい』
またハリセンで叩かれた。
「二度もぶった、親父にもぶたれたことないのに!」
そんな独創的かつ斬新な台詞をものともせず、白い女は神秘的な笑みを見せている。
『ヴァルハラへようこそ、新たなるワルキューレ』
「あん?」
頭をさすりつつ、その女を睨みつける。
誰がワルキューレだ。私は女子高生だぞ。偏差値はあえて、あえて言わないが聞いたら度肝抜かすほど、頭の出来は普通なんだ。だがそれでもあえて自分をDQNに見せることで、いずれはトップアイドルへの道を駆け上がろうというこのあまりに大胆かつ精緻な野望を図に描いて説明してやろうか!
と、いう意味も込めて睨みつけるが当然伝わらない。女はさらに続けた。
『今、あなたの主神オーディンはいないのね、だから私が代理』
「挨拶する時ぐらい、名前名乗れよ。勝負してやんよ表出ろや」
『誰に物を言っているの。オーディンの代理よ。少しは弁えなさいな』
誰って、看護師だろう? それともこいつが主治医だろうか。コスプレ病院になんぞ連れ込みやがって、ただの受付嬢だったらぶん殴って顎外してやる。
「あのさ! 私治療なんていらないから! 帰るってかもうこのゲーム辞めるから! ほっといてもらえる!」
『ううん、何言ってるのか分からないわ。オーディンの代理として、あなたに伝えることがあるのよ、佐々木加奈。名前合ってるかしら?』
ああ、大体ってか完全に合っている……最近ゲーム内で名前呼ばれることなかったから、ちょっとだけ引いてしまった。なんで、知っているんだ。人の個人情報を……まさかこいつは、個人情報を司る神!?
「あの、さーせんけどあなたどなた?」
『あまり重要じゃないんだけどね……私は"ロウヒ"どうせ名前は忘れるから気にしなくていいわ』
都合の悪いことは記憶しない性格まで調査済みなのか……ほ、本物の神かもしれん……。
「リアルで天国に来てしまったのか……いつ死んだのだろう……」
日頃の行いの賜物で天国に来れたのはいいが、いつどうして死んだのかが分からない。そうして頭を悩ませていると、
『死んでないわよ。死にそうになっただけ』
しれっとした顔で、女はそう告げた。
「ん、じゃあまだゲームの中なの?」
『ううん、何言ってるのか分からないわ。私は代理として、あなたを新たなるワルキューレと認めないといけないのね。用事はそれだけよ』
「ううん、分からない……ワルキューレって、ヴァルキリーだよね?」
『あのさあ、そのタメ口なんとか……まあいいか代理だし。そうね、でも違うわ。微妙に違うの。というかあなた、何?』
いやそれは私が聞きたい。
『オーディンがいないから私にはよく分からないんだけど、あなたワルキューレじゃないと思うのよね』
「だってヴァルキリーだもの」
『似たようなものよ、微妙に違うけど』
「じゃあその微妙な点を、教えておくれよ」
その問いかけで、もうちょっとで透き通りそうな衣装に身を包む女は勘考え込んだ。ハリセンをバンバンと叩きつけながら、思案している。そして出した結論が、
『名前?』
「知ってる」
当たり前過ぎたので私も困ってしまう。女は眉をひそめ、
『あのね、ここヴァルハラよ。自覚あるわよね?』
そう尋ねてきた。ああ、さっきの声この人だったんだ。ようこそとか言ってたけど、ヴァルハラですね……はいはい、北欧神話ぐらい調べたさ。呆れた表情をわざとつくり、返答する。
「あのさあ私だってそれぐらい知ってるよ。ヴァルハラって神世界のことでしょ? 通天閣のあるとこじゃないよね?」
まさか彼の有名な夜の街ではなかろう。
『後半は分からないけど、自覚があるのならそれでいいわ』
「よかないよ、なんでそんなとこに担ぎ込むのさ。私まだ戦え……戦わないってか、もう辞めるよこのゲーム?」
『まだ終わっていないというのに? 死ぬ思いまでして、負けたまま逃げ出そうというの? それではワルキューレとして認めることは出来ないわ』
女は神々しくも透き通る可憐なワンピースを揺らし、口を尖らせた。どうも仕草は人間くさい。それに、ハリセンを肩に置くその姿は大喜利でもやるのかいと言いたくなる。
私は大きく溜め息をついた。
別にいいもの、別にいいんだ。やってらんないんだよこのゲーム、付き合ってらんない。ガルさんってかあのくそ親父ってかまだ三十代らしいけど自分勝手でさあ、ちっとも姫のこと考えてないんだ。何が悲しいって私はそれが悲しいよ。
私がこのゲームで感情移入出来るキャラクターって姫ぐらいしかいないんだ。でも、出てくる連中は誰も彼も姫の気持ち考えてないしさ、むしろ軽んじてるって感じだよ。
特にガルさんは張本人の一人なのに「どうでもいい」とか平気で言うし、さすがにこれは切れていいとこでしょ。
いっそガルさんと一戦交えたろかしら。そんなことすら考えてしまう。いや、辞めるんだけどさ。
『ねえ、あなた何者なの? 人の暗部、そうまるで奴隷商人、いえ奴隷狩りかしら、そんな嫌な臭いがするのよね。それでいて、ワルキューレを思わせる。微妙だわ、臭うわ』
失敬な、毎日お風呂には入ってるし、愛用の入浴剤も使ってるし、実はこっそり香水も持ってるし、いや使ってはいないんだけどね臭くないから。若いし、あえて強調はしないが若いし!
『ねえ、あなた身に覚えないかしら?』
「ないなあ……気のせいじゃない?」
『そっかあ……なんでだろうなあ、無知な残虐性と血の臭いがしてならないのよね』
うーんと、二人して頭を悩ませる。奴隷とか血の臭いとか全く記憶にない。誰かと勘違いしているんじゃないだろうか。
「あのーでね、どうするの? 私本当にゲーム辞めようと思うんだ。負けでもいいんだ、つーかさあ負けてないけどね、気分が悪いの」
『ちょっと何言ってるのか分からないけど、負けてないってことと気分が悪いのは分かるわ』
「でしょ? ガルさんがね、勝手なんだよ。姫を助ける気あんのかっつーとこに根本的な疑問が生じたんだよね」
『ガルって男? そうよね、男って勝手よねー事情は分からないけど』
「でしょ!? ついてけないんだ、近藤も勝手にリタイアするしさーああ、近藤ってのは私のペットの名前なんだけどね」
『へえ、ペット飼ってたのね。オーディンもそうなのよ、挨拶に寄ったら出かけてていないって言われてね、少しは待ってもいいかなってヴァルハラにお邪魔したらデカデカと"代理頼む"って書置きがあった時はドン引きしたもの。私じゃなくてレンポやアヤッタラが来てたらどうすんのって話よ』
「なんかよく分からないけどほんと馬鹿だなあ、頭の悪さが伝わってくるよ」
『まあ、あなたの主神なんだけどね』
「ちょっと教育が必要かもしれないね。私が一言いってやろうか?」
『んー私が言ってもきかないから、あなただとどうだろう』
「じゃあ殴ろうか? 身体で覚えさせた方が早いかもよ?」
『んー暴力はなあ、意味ないと思う』
「いやあ、たまにはガツンとやんないとダメじゃないかなー」
意味もなく和気藹々とした会話が弾んでしまった。この女性もどうやら男には苦労しているようだ。私も随分と苦労させられているので、気持ちは良く分かる。どうも親近感が湧いてきた。そのせいか、ここがどこで何がどうなっているのとか、気にもならなくなってくる。
「はあーいいとこだなあ……ここがヴァルハラかあ……」
神聖な大自然に全身が包まれる感覚は、心の澱をきれいに流し去ってくれる。ずっとこうしていれば、私は怒りや腹立たしさから解放され、私自身を取り戻せるかもしれない。そんな柔らかな気持ちになっていた。




