第十三話:さよなら、ありがとう1
私の町から近藤のいる病院まで、電車で一時間。バスに乗り継いで二十分。今日は近藤が退院する日だ。私はもう冬になった街並みを眺めながら、自分の気持ちを何度も確認した。
病院の前で近藤の携帯にメールを送る。そろそろ病院を出るらしい。なら、正面玄関の前で待っていれば来るだろう。私はベンチに腰掛け、じっと人の出入りを見ていた。少し肌寒い。
十分後、一人の色白な高校生が病院から出てきた。少し大きなスポーツバッグを担いで、だるそうに歩いている。眼鏡か……近藤だ。私は立ち上がって、近づいていった。
「退院、おめでとう近藤」
目の前に立ち、そう声をかけた。だるそうな近藤は一瞬驚いた顔をしたが、それから怪訝な表情を浮かべた。
「えー……どなた?」
「ちょ、あの、あんたの退院祝いに来る中学生の女子なんて一人しかいないでしょうが、多分。つか見たら分かるだろ」
ああ! と近藤は声を上げ、だるそうな姿から一転生気を取り戻した。
「なんでここにいるんだ加奈! さっきメールしてた時はそんなこと言ってなかったじゃないか!」
「ヨガでテレポートしてきた。マスターしたよ。タワーも出来るし火も噴けるようになった」
「長旅だっただろう。金大丈夫か?」
突っ込めよ! 真顔で人の懐具合心配しやがって……別にそんなひもじく、いやひもじいです。まあそんなことはいいのだ。
「近藤、入院生活お疲れ様。今日はね、大切な話があって来たの」
その言葉、私の真剣な眼差しで、近藤はゆっくりとバッグを置いた。うん、と溜めをつくって頷いている。
覚悟を決める。この一言を言うために来た。悩んで、迷って、それでもこれしかないと思った。ちょっと小心者みたいだったけど、胸を二回拳で叩いてから、私は近藤の目を真っ直ぐと見た。そして口を開く。
「私、色々考えて決めた。近藤離れするよ。それが一番だって思ったんだ」
俺離れ? と、首を傾げてから、はいはいと近藤は納得したような顔をした。そうして少し笑みを浮かべる。
「なるほど、そう考えたのか。いい結論だと思う。同時に、思い切ったな、加奈」
「うん。これが一番だと思う」
これだけで伝わった。やっぱり近藤だ。入院してもリアルでも、眼鏡かけけてても近藤だ。私の知ってる近藤だ。近藤は、嘘なんかついてない。つかない奴だと思う。私は嬉しくて、蹴りを入れたくなった。
「何故蹴ろうとする……」
「歓喜のローキックだ。もう嬉しすぎて、病院に火つけたいよ」
「……少し歩くか、加奈」
冗談だってば。でも、冗談に見えなかったのかもしれない。
喫茶店でも行くか、疲れたろうし。近藤はそう言って歩き出した。ありがたい、緊張で喉も渇いてるし、喫茶店なんて最近まったく行けてないよ。涙出そうだ。
「髪が短くてなー最初分からなかった。何このでかい人って」
コートだし、と近藤は付け加えた。確かにトカレストとは違う格好だけどさ、お互い様でしょうに。
「でかいは余計だ。女としてはちと大きいだけさ。髪はね、普段はショートなんだ。軽くてさ、楽なの。手入れも同じく。で、トカレストぐらいは少し伸ばしたいなって。まさかあんなロングになるとは思わなかったけど……最初に言わなかったっけ?」
遠い昔の話過ぎて思い出せないよ、近藤はそう笑った。言われてみればあの頃はまだ夏だったもんなー。私も近藤が最初どんなことを言っていたか、正確には思い出せない。でも、眼鏡かけてるって言ってたことは覚えてるぞ。
「なんか眼鏡が変な感じなんだ。ああこれが近藤なんだーと思ったりもするけど、似合わねーって思ったり」
その言葉で、近藤は眼鏡を外した。
「これでどうだ。なんか違和感あるか」
「ううん。近藤だ、私の知ってる近藤。けどやっぱ顔色悪い」
屋内スポーツやってるし完全な病み上がりだからな、と近藤は自嘲した。眼鏡を外しても特に問題ない程度の視力の悪さで、普段はかけないことも多いという。似合ってないからそれがいいと思う。近藤とそんなこと話しながら、二人して冬空の下を歩き続けた。
近藤が連れて行ってくれたのは、ちょっと入りにくそうな洒落た喫茶店だった。なんか、普段なら絶対こない感じだと感想を述べると、俺も気後れしたけど旨さに負けた。そんな風に説明してくれた。珈琲が美味しいのかな。寒いしホット頼もう。
店に入ると温かい空気を感じ、二人は笑顔になった。店員さんにお好きな席へどうぞと言われたので、私達は眺めのいい席を選んで向かい合って座る。キッチンが見渡せて、内装も手入れの行き届いたいいお店だった。道路側の一面がガラス張りで、外がよく見える。
「完全に冬に入ったな。本番かあ、空もどんよりしてる」
「うん、寒いの苦手?」
あんまり好きじゃないかな、と近藤は答えた。私はこたつとみかんが好きなので、嫌いじゃないぜと笑う。店員さんがメニューを持ってきて色々と説明してくれた。
「ここのサンドウィッチは旨いから、腹減ってるなら頼めよ」
「いいの? 遠慮しないよ? じゃあ、オムレツサンド下さい」
セットで、と近藤が付け加えて、自分はチーズーバーガーを注文した。二人はホット珈琲を選択。オムレツサンドもチーズバーガーも少し時間がかかるらしいので、珈琲先にと近藤が店員さんに伝えた。珈琲が届くまでは無言になってしまったが、その間近藤は何か色々と思案しているのか、終始目が真剣だった。待望のホット珈琲が届き、二人は口を開く。
「ありがたいよ近藤。こんな店普段来ないよ」
「いざ座ると案外普通だろ。まあ俺だってたまにしか来ないさ。サンドが旨くて、食べたくなるんだよなあ。けど今日はバーガー、これも旨い」
楽しみだね、そう言って珈琲に口をつける。近藤はブラックのままだった。
「さて、時間もある。せっかく来てくれたんだ、事の経緯を説明してくれるかな」
うん、私は頷いてカップを置いた。正直珈琲の良し悪しは分からないし。
さて、どう説明するか散々考えたけど、入り口はこれだと思う。
「あのね、私も色々考えた。で思った、私はラビーナ姫にはならない」
近藤が少し身体を反らした。ほう、と少し感嘆するような声を出し、そうしてにっこりと笑った。




