第十七話:腐霊術師と聖剣士6-裏の裏、さらに裏
土煙のような埃が消え去ると、そこにはまだ姫の姿があった。しかし、さきほどまでの怪しくも美しい、何よりプライドの塊だった姿とはまったく違ったものになっていた。
魔導師用の衣装は切り裂かれ、長かったスカート部分は、もうすっかりミニスカート状態。髪もアンバランスにカットされたかのようになっている。「なんすかそのコーディネートはwww」とか言ってやるのも躊躇うほどに、姫は疲労困憊で杖を頼りに立っている。ところどころ見える、流血や打撲傷が痛々しい。
もうやめて! 姫のライフは……! 瀕死、ライフ1。そう言ってもいいだろう。もう、戦える状態ではない。何より、一番印象的だったのは、魔導着を切り裂かれた彼女が、まだ小柄な少女だっということ。あんな小さな体で……。
カラン、気持ちの良い音色が玉座の間に広がる。しかし、当の玉座はどこにも見当たらない。跡形も残らないほど苛烈な攻撃だった。音色の正体は、聖剣士ガルバルディが鞘から抜いた剣だった。姫の眼前に転がっている。
「それで、終わりにしよう」
抑揚のない声、感情を無にした声。何も感じさせない、自分を殺しきった聖剣士。思うところは、色々あるのだろうに感情を抑えている。姫はその剣を見ようともせず、死んだ目で聖剣士を見つめている。気持ちは、分かる。チート野郎を敵に回すと、誰でもあんな目になるだろう。
『殺すの? はっ……』
皮肉にも、もう力がない。完全敗北……打ちのめされた。
「言ったはずだ、陛下には自決したと報告する。それを使え、潔く散るがいい」
明確な殺意。自殺の強要。けど、今後ろでカンカンやりあう音を立て「うぉぉぉぉおおお!」と叫んで逃げている近藤がいる。そして、その敵は姫が……腐霊術により蘇らせた。責任は重い。
私は確認しなければならないことがあると思った。ここで判断を間違うと大変なことになる。出来るなら、生きて償って欲しい。そして、ガルバルディさんと分かり合う努力をして欲しい。無駄な努力でも、そうでなきゃ死んだお付きの人たちが……。重い空気をなんとか切り裂いて、私は口を開く。
「あの、ちょっといいですか?」
『はんっ、害虫女が口を開いたわ。虫けらには虫がお似合いね』
ブチッ、と切れかけたがワンボタンでただの革靴に履き替える。
『……何、貧乏アーチャー』
格好がまともだと、ただの皮肉だけですむのか。なんてこったい! まあでもこれで会話になりそうだ。
「このままだと姫、殺されるよ」
『……それとあんたと、なんの関係があるわけ?』
話してくれた。このままなら会話を続けられそうだ。確かめる、近藤ならどう話しかけるだろう。この姫に、事実を吐かせなければ。同時に、ガルバルディさんにも事実を吐いてもらう。私の推理が正しければ、この話にはまだ裏がある……!
「関係はともかく、従者の人達を腐霊術で蘇らせたのは間違いだ」
蔑むように睨みつけられた。けど、それがなんだ。
「ただ、経緯が知りたい。殺したのかどうか、あなたが殺したのか。それだけ教えて」
「君……そういう問題ではない」
「そういう問題です!」
ガルバルディさんの言葉を遮るように大声を出した。殺して生き返らせたのなら、それは殺人であり死者を道具として扱う救いがたい罪だ。だけど、もしそうでないなら……まだ償える。そして、ここからは私の推測でしかない。自信もあまりないが……。
姫は王様にはなりたくないと言った。しかしこれはおかしい。そりゃ私達が知らないだけで王子様とかいるかもしれないけど、ならその人が王座に座ればいい。とすると基本は姫の一択と見ていい。
王座……近藤はそれを責任と表現した。今の王様はガルバルディさんに心底恐怖している。なら、この可能性が出てくる。姫には女王にならずにすむ選択肢があった。それは……。
「姫、わかんないの? この人が王座を拒絶した理由。それはね、王様は戦場では死ねないからよ」
賭けでもあるが、近藤ならきっとこういう。確信がある。
「仮に戦争があっても、後ろで見て、最低でも指揮を執ることしか出来ない、それが王様だ。王様は王宮で死ぬべきなんだ。のこのこと戦場に引きずり出される王様がどこにいる。でもこの人は、戦場で生きる人間なの」
一人の剣士、海賊で、そして聖剣士、騎士団長、将軍。この異様な強さは戦場でしか生かせない。政治家ではないのだ。
「聖剣士様、王座を断った、そうですよね」
ガルバルディさんは口を閉じて答えない。部外者が入る話ではないということか。でもそうはいかない。
「それを分かって、それでも結婚が嫌だ、女王が嫌だというのならそれはやっぱりわがままだ。少しは責任持つべきだ」
同年代の娘に言うのは酷か。いや、今それを考えてはいけない。相手はあくまで王族だ。
「そんなあなたは、責任と同時に特権も持ってる。だから、殺していない――そう言いなさい」
「君! いい加減にしないか!」
ガルバルディさんの怒声が響く。怖い、すげえ怖い。でも言うべきことは言った。殺していないのなら、まだチャンスはある! 誰も見てない、証拠は一つもない!
「見てないですよね、聖剣士様。ご自分の部下を案じられていたのは、何も見てないからだ」
「もういい、黙るんだ」
分かった、黙る。でももし姫が殺していないと言ったら、あなたは姫を……殺せますか? まだ、私と年の近い幼い彼女を、戦場の鬼は殺すのか。勝負だ、私の読みが当たっていれば……!
私は崖を飛び降りる時より、辻斬りしていた時よりも緊張していた。ガルバルディさんの表情は硬いが、姫の返答次第ではチャンスはある。ズタボロにされ、幽玄さの欠片も失せた姫君が、目を細め私を見ている。何を思っているのだろう。こんな小娘に意見されて腹立たしいのだろうか。私だって色々思うところはある……けど助けたいんだ。そうして、姫君はその口を開いた。
『殺してないわ』
勝った!
『ただ捧げただけ。これで満足かしら』
捧げた……魔王に、捧げた? ――ま、負けた!
なんてこったい、言わなくていいそれ! 意味ねーじゃねーか! せっかくチャンスあげたのに、せっかく助けてあげようとしたのに! 天を仰ぎ、私は悔いた。喋らせるんじゃなかった! ただ頷かせればそれでよかった!
「これ以上口を挟むな。もう充分だ、これで言い逃れは出来ない」
ガルバルディさんの決意も固まった。もう、これで……私は狼狽した。今までの人生で、ここまでうろたえたことはあったろうか。これは私の責任だ。私が誘導したに等しい!
『あなた優しいのね。気持ちは嬉しいけど、受け取れないわ』
姫……諦め、あ、諦めて責任を取るつもりなのか……。今までない穏やかな声。それは死を覚悟した者の、諦観を感じさせるに充分だった。
『私は捧げた。これが事実。嘘をつくなら、初めからこんなことしないわ……一つ、聞いてもいいかしら?』
崩れ落ちるように膝をついた姫が、聖剣士に話しかける。
「……なんだ?」
『どうして、断ってくれなかったの?』
澄んだ声だ。姫の淀みない瞳に、聖剣士も少し躊躇っている。
『婚約自体を断ってくれれば、こうはならなかった。私が断れないのは分かっていたでしょうに。あなたにも、野心があった? それとも、本当に私が必要だった?』
覚悟の言葉に、聖剣士の逡巡が見て取れる。
「断れる状況ではなかった。王位の禅譲ですら、ただならぬものを感じるのに、婚約まで断れば決定的に対立する」
やっぱり! ここだけ当たってた……意味ないです……。地団駄を踏んでももう遅い。もう、見ているしかないのか。私は自分の無力さを痛感し、成り行きを見守るしかないのか……。
『素直に王座についていれば、私達、こんなことになっていなかったのにね。不思議ね、欲しいものは手に入れればいいのに』
「私はいつ死ぬかもしれない。こういう生き方だ、どこで死んでも仕方ないだろう。どちらも――必要ないのだ、本来」
はっきりと言った。それは、嘘偽りのない言葉なのかガルバルディさん。お互い望まない結婚……待った、陰謀、計略? ここで姫を殺せば!
『ないわお嬢さん。この人が言ってるのは、自分の身ではなく国や、民衆、騎士団のことよ。お父様は冷静ではなくなっていた。頼りすぎたツケね。この人を排除しようとすれば、周囲の人間が黙っていない。彼ではなく、彼の周囲とお父様の対立を招くのが怖かったのよ』
私の考えがあっさりと見抜かれた。それに分かってるんだ。そこまで分かってどうして?
「君が選べぬ立場にあるとは考えられなかった。そうだな、まだ子供だ……浅はかだった」
後悔……聖剣士が悔いている。目の前の責任は自覚していた。そして、それに巻き込まれる人間がいることも分かる。けど、姫の気持ちを考えることまでは出来なかった。ガルさん……。
『不思議。あなたは昔、そんな人じゃなかった。粗野で、乱暴で、何にも囚われない自由な人だった。今では責任感の塊みたい』
――覚えているのか。ガルバルディさんが、驚愕するかのように零した。
『覚えてるわ。あなたが世界中を荒らして回ったお話、私好きだったな。儀礼ばかりの騎士たちと違って、あなたは私を、ただの子供として接してくれた』
「人は変わる、必要に迫られれば……」
『それを教えて。どうしてそんなに変われたの? どうして、私のことが忘れられたの?
私の警護をしていたことなんて、すっかり忘れてあなた完全に騎士、私が一番嫌いな鉄の仮面つけた人間になっていた。本心がどこにあるのか分からない、本当はどう思っているのかも分からない、嫌な大人になっていた!』
心が許せる人は、海賊あがりのガルバルディさんただ一人。そうだったの? 姫……ガルさん……。私の感傷はピークに達しようとしていた。涙だ。私、涙が……その時。
[佐々木、限界。スタミナ切れた。薬も切れた。はよしてくれ]
こ、近藤! マジで? 振り返ると息も絶え絶えな近藤が、袋叩きに遭っている。ま、まずい!
『危ないみたいね、あの血染めのお兄さん。助けに行って、あげなさいな』
「もういい。仲間を助けに、行ってやるんだ」
そ、そんなあ……涙目になりながら、私は選択を迫られた。いや、最後まで見届けるんだ。でも、これじゃあ最後に残るのは悲劇になってしまう。もう少しで、二人は分かり合えるのに!
「近藤! もう少し頑張れ! あともう少しなんだ!」
[マジか。殺す気か、お前なにのいんにのそもしり!]
もう、チャットもまともに打てないらしい。でも気にしない。
『あなたは私にとって、自由の象徴だった。圧倒的で絶対的だった。海上にまで逃げなければいけなかった私達家族を、守って、そして愉しませてくれた。でも今は、違う意味で絶対者になってしまったのね。終わりにしましょう。私も、疲れた』
ダメだ! 私は身体を張って止めに入った。
「ガルさんダメだ! ここが始まりなんだ! ここから始めよう!」
悲痛な声だった。自分がこんな声を出すなんて。それでも聖剣士を説得しようとする。
「君は、仲間を助けなさい」
あっさりとした否定だった。なんで、近藤はああ見えてタフなんだ! すげえタフだからまだいけます。腹の中でそんな言葉がのた打ち回っていた。
[俺にだって限界はあんぞりのらなくなま]
「姫、あの死霊たちを止めて! もういいでしょう!」
『ごめん無理なの。もう限界だし、止める術はないわ。ほんとに死ぬわよ、行ってあげて。あなたの気持ち、嬉しかったわ』
そんな感謝のしつけて返す! いらない、生きろ! けれど、そんな私の気持ちとは裏腹に、姫は剣を手に取った。やめて! そう飛びかかろうとしたが、聖剣士に止められた。
「仲間を見殺しにするような非道は、騎士道に反する」
騎士じゃねーよ! アーチャーだ! っていうか学生だ! っていうかお前がいったら一瞬だろうが! それでも背中を押され、二人から引き離された。もう、もう止められない! 近藤、私、私どうすれば!
[俺を助けろぼけかすのとまとになとりれ]
『はあ、なんでこうなるかな……自分じゃ無理かな、よろしく、絶対者さん』
覚悟を決め、姫は目を閉じた。そのまぶたに映るのは一体どんな思い出なのか。そんな姫を、ガルバルディは見ていられないのか、はっきりと俯いた。そして……。
「……情けない話だ。くそガキ一人の気持ちも分からん結果が、こうまでなっちまうとは」
ガルバルディ? まるで別人みたいな喋り方……。
聖剣士は、俯き肩を落としているように見えた。
そして、再びラビーナと向かい合う。
「城に戻って、裁きを受けろ。俺も同じく……裁かれる」
「ガルバルディさん!」
「自分の部下も守れん、ガキの人生も守れないんじゃあ、格好がつかん。こんなもん、力技でなんとかなる。俺ならな。陛下も俺に貸しが出来たと喜ぶだろう。"下手を打ったな"そう言って小躍りするさ」
まるでならず者、あの頃……私の知らない海賊あがりのガルバルディ! きっとそうだ、こんな奴だったんだ。いい加減で、自由で無責任! だけどそれが、姫には憧れだった! やったよ近藤! ガルバルディさん、分かってくれた!
『本気?』
「今はな。どう足掻いたって海賊あがりなのは事実だ。自由も都合も力で手に入れてきた。元々そういう人間で、何もかも失ったわけじゃねえ」
そう言うと、ガルバルディさんは鼻で笑った。笑っている、気がつくと二人とも笑っていた。楽しそうに、笑って……。私も涙流して笑っている。一緒に、三人で笑ってるよ。笑ってないのは近藤ぐらい……。
『あははは、困ったな、どうしようかな……』
「テメエのことぐらいテメエで決めろ。ガキが」
なんて品のない……解決した……あとは、近藤を助ければ……。
『――どうして、そうコロコロと変われるのかな』
「ん?」
え?
『だから――お父様はあなたを恐れるのよ』
姫はそう零し、素早く剣を取ると、自らの胸を貫いた。
「お前!」
「姫様!」
[許さんとかそのしくままいの]
『これで、これで全部終わり……これだけはしたくなかった、嫌だったのに――契約、完了!』
そして、玉座の間に禍々しいオーラが充満した。