3.誰を敵にした3
馬鹿にしている、そうとしか思えない。
私は、風荒ぶ屋上でも体温の上昇を実感していた。
「じゃあなんで六英雄の物語に目を通せなんて言ったのさ!」
「目を通せば分かることがあるからだよ。その前に、お前俺のメッセージちゃんと読んだのか? それ先に答えろ」
……そんなもんあーた、読んでないよ。あんな長文、読める気分じゃなかった。でもそれはちょっと言い辛い。なんと答えればいいのか迷ったことが、分かりやすい沈黙を生んでしまった。その意味するところを近藤は即座に読み取る。
「読んでないんだな。もしかして六英雄の物語しか、見てない。俺のメッセージは無視して六英雄の事ばっか調べてた、そういうことか」
調べてたっていうか……簡易版を延々と観て……でもそれが何? 私は言われたとおりにしただけだ!
「あのな佐々木――」
「だって近藤が見ろっつったんじゃん!」
「……最後の最後にな。観ろじゃなくて目を通せと書いた」
「同じことだよ! だから目を通したんだ! それで、それで分かったんだから!」
正当性を訴える私に、近藤は深い深い溜め息をついていた。話になんねーという呟きも聴こえてくる。なんだ、何が話にならないんだよ。
「俺は目を通せと書いた」
「だから、ちょっと順番が入れ替わっただけじゃん。ちゃんと目通したし、それで自覚した」
「順番が大切なんだよ。優先順位が低いから、最後に付け足しただけだあんなもん」
……なんですと。いやちょっと待って。
「それでも、あれ観て私理解した、私が置かれてる本当の状況が。他にも色々ある」
「あっそ。でもごめん、それどーでもいいわ。全然関係ないとは言わないし、全く理解出来ないとも言わないけど本質的にはやっぱどーでもいいわ。優先順位が低過ぎる、というか別に気にしなくていいレベル」
どこまでも単調な声で、近藤はそう言い切った。
さすがに信じられない。そもそもこいつ、自分で六英雄については詳しくないとか言ってやがるし。じゃあなんで観なきゃいけなかった!?
「あのさ!」
本格的に頭が沸騰し、喧嘩腰になった私をなだめるような口振りで近藤は話し出した。
「分かった分かった。えーなんだ、加奈の敵は六英雄ですと」
「何その適当な感じ……本気で馬鹿にしてんの!?」
「そりゃ、話聞いてみないと分からん。だから聞かせてくれ、なんで六英雄が敵に回ったとお前は判断したんだ。なんでそんな危機感持ってるのか、それを聞かせてくれ」
馬鹿馬鹿しい! そんなの説明必要か? 近藤は私を馬鹿にしてるみたいだけど、私からすれば近藤のが馬鹿だ。自分で観ろって言っておきながら、その重要性に気がついてない。
「いいよ説明してやんよ! 耳かっぽじってよく聞きやがれ!」
私は近藤に、順を追っての説明を始めた。
六英雄とはなんたるか、そして甲斐田セイレーンとラビーナの間に何が起きたのかを。その後の悲劇、トカレストにおける唯一のアイテム、狂気の聖典ラジカル・セイクリッドが、闇の主アドナイが、私が光の勇者になったことで完全に消失したことを――。
「甲斐田さんはまだ生きてるんだ。死んでない。ただあの短剣は肉体を腐敗させる。常にダメージを与えて、最後は致死に至る。甲斐田さんにはあれが突き刺さったままなんだ。あれは多分、当のラビーナかラジカル・セイクリッドじゃないと抜けないし、治癒も出来ない」
彼はまだ、生きている。敗れはしたが死には至らなかった。たかが短剣で、あのメフィストを葬れるわけがない。しかも甲斐田さんにはウンディーネがいる。ダメージは受けるがライフは回復出来るだろう。でもやっぱり、突き刺さった状態であることは変わらない、ライフは常時削られる。回復不能の状態異常、猛毒状態だと思えばいい。
他にも問題はある。彼はメフィスト化したまま、元に戻れなくなってしまった。当然ラジカル・セイクリッドを失ったからだ。そして悪魔は、光の勇者になれない。甲斐田さんはクリアする資格をも失った――。
「甲斐田さんはセーブしてログアウトもしてる。だからまだ現役と言えば現役。けど、意味がない。実質戦闘不能、死ぬより辛いことかもしれない。せっかく手に入れた二つの武器と、最大のチャンスを同時に失ったんだから……」
ラジカル・セイクリッドは使用回数に制限があるアイテムだ。考えてみれば当然のことで、聖典のページ数が使用限度回数、そういうことだったらしい。でもまだまだ余裕があった。そもそもほとんど使っていなかったらしい。
アドナイを手懐け、ラジカル・セイクリッドを保持したままならば彼はクリアしていたかもしれない。このクソゲー最初のクリア達成者として賞賛を受けていたかもしれないのだ。
それだけ、あの二つは強い。甲斐田さん自身も、あの戦いを見ていればどれだけ強いのか分かる。いや、巧いのかが――。
「なるほど……で、六英雄が敵になったと……」
ようやく近藤が納得したような声を上げた。
「そう、甲斐田さん自身は六英雄じゃない。英雄になったのはアーチャーの徳永さん。ラスボスと十二時間戦ったんだ。初期でだよ? 当時の最長記録。私はその徳永さんの大切な盟友が、復活するチャンスを完全に奪ってしまった……」
それだけじゃない、似たような人達はたくさんいるはずだ。私が光の勇者となったことで、何かを失った人達は一体どれだけの数に上るのだろう。
「ふむ……」
携帯越しに、近藤は意味深な声を漏らす。
「分かった? 私はもう、トカレストプレーヤーに顔向け出来ないよ。みんなが憧れる人達を、敵に回した。英雄は六人しかいない。光の勇者は八十人いても、英雄は六人だ。だから憎まれても仕方ないんだ。もう、どうしていいか……分かんないよ」
ようやく、全部話せた。吐き出せた。私、今どんな顔をしているだろう。懺悔するような、悲痛な顔をしているのだろうか。秋風が髪を揺らすが、私の心はずっと震えている。冷たく凍るような寒さが心を覆っている。
絶望、後悔、取り返しの付かない現実が突きつけられている……それでも搾り出すように、口をこじ開けた。
「これが全部。これでずっと悩んでた、分かるでしょ。っていうか、その為に観ろって言ったんじゃないの?」
しかし近藤は、
「……うん? ああ、違う」
あっさりと否定した。
……なんで。じゃあなんで観ろなんて言ったんだ。試していたわけでもない? ほんとに何がしたかったんだ近藤は。まるで支離滅裂じゃないか。
「加奈、お前はそれで悩んでたのか」
「今そう言ったっしょ」
「そうか、ほんと――何言ってんのかさっぱり分かんねーわ」
……? なん、だと!?
「人の話聞いてなかったの! それとも舐めてんの!?」
「いやだから、六英雄について俺は詳しくない。それに、んなことのために目通せっつったわけじゃねーし」
「じゃ、なんのため? 他に何があるの? もしかしてラビーナ? あのラビーナはもういない。あれはきっと、ガルさんに捕まえられてその後……」
「その後なんだよ? まあでもそれも違う」
「はあ?」
「いや、六英雄が敵に回ってるって点は、まあなくはないだろうと俺も思う。一応本旨にカスってるし、てんで的外れってわけでもない」
「じゃあ何、はっきり言ってよ! なんで観ろなんて言ったの? 今以外のとこだったら攻略法がどうとかそんなことしかないじゃない!」
一気にまくし立てると、勢いに気圧されたのか近藤は沈黙してしまった。聴こえてくるのは風きり音と、こんな寒さでも校庭ではしゃぐうちの生徒達の歓声、そして吹奏楽部の下手な演奏ぐらいのものだ。結構、やかましいか。
でもなんかおかしい……どうして黙るの? 当たってるから? いや、近藤も気付いてない事実だったから? そうすると、計算が狂う……近藤の組み立てが、根本から崩れる――。
「近藤、もしかして……」
「加奈、自分で言ってておかしいなと、思わないのか?」
……何が? 遮るように割り込まれ、私は一瞬息を呑んだ。
「俺には加奈が、何に怯えているのか、不安に思っているのか、もっと言えば責任感じてるのかがさっぱり分からない」
抑揚なく、近藤はそう言い切る。
信じ、られない。近藤は不感症なのか。人の心というものがないのか。いや違う、トカレストを理解しようとしていない。ううん、それも違う……違う……忘れてた、すっかり忘れてたよこいつの本性を。
「攻略には関係ないからそんなことどーでもいいだろ。そういうこと……」
意図せずに、私は冷たく言い放っていた。それでもそれは、私の意思に反する事ではない。だって、だとすれば近藤は私の気持ちも、トカレストプレーヤーの気持ちも"そんなのどうでもいい"と言っているのと変わりないのだから。
攻略魔――近藤はずっとそうだった。私と組んでいた時、近藤は攻略のことばかり考えていた。古い話だから、忘れてたよ。近藤、あんた、
「冷たいんだね」
思わず唇を噛み締め、私はそこまで言ってしまった。
しかし、
「冷たいとかあったけーとか、どこに論点置いてんだよ。違うだろ」
近藤はまだ、私の憤りを察していないかのように応じる。
「あんた……」
そう零すと「どうも無理くさいな……」という呟きが聴こえてきた。
「ちょっと、どういう意味。事と次第によっちゃあ――」
「佐々木、俺は所詮トカレストのメインをドロップアウトした半端者だ。深い所までは分からない。それでもお前の言ってることに矛盾があることぐらいは分かる」
矛盾? どこに? 攻略にか?
「シンプルな問いをいくつかするから簡単に答えてくれないか。手間は取らせない。時間もないからな」
確かに、昼休みの時間も残り少なくなってきた。けど、私はまたどーせ保健室に行くわけで別に遅れたって……まあいいや、言いたいこと言わせてやろう。でも、認識と立場のズレは、もしかしたら埋め難いものがあるのかもしれない。そんなことを思い浮かべながら、私は「いいよ」と返事をしていた。
「一つ、六英雄ってのはそんなに凄いのか」
「凄い」
あくまでシンプルに、近藤がそう言ったから私は素っ気無く答える。
「お前とどっちが凄い」
「……向こう」
「間宮君とどっちが凄い」
「それは……先発組だから情報がない中で戦い抜いたんだよ、間宮も凄いけど六英雄のが凄いさ」
「そう。"俺は"そう思わないけどな。で、その凄い英雄様ってのはどうやったらなれるんだ」
もう、呆れて哂ってしまいそうだった。なんだその初歩的な質問は。苦笑しながら、私は応じる。
「近藤、アンタそんなことも知らないの? 信じらんない。だからそれはラスボスに――」
……。
「どうやったらなれるんだ」
あ……。
「教えてくれよ。お前が何に怯えて何に不安を覚えてどんな責任感でパニくってんのか、半端者の俺に分かるように説明してくれ」
こ……これは、あれ、えっと、なんだ、え……えええええ!
「う、嘘!」
「嘘じゃない全部現実だ。死んだ英雄だけが良き英雄。システム上ある意味そうなってる。ただ単に強い、凄い、テクニカル、やり込んだ、そんなの関係ねーよな。しかもラスダンに挑むだけじゃ英雄にはなれない。ラスボスに挑んで善戦した奴だけが英雄と称えられる。でも確か誰もクリアしてないんだよなこのゲーム。でもってラスボスに挑んで負けたらどうなるか……俺でもそれぐらいは知ってる。つーことはだ」
……あ、嗚呼……そうだ、その通りだった……あたし、何を……。
「で、誰を敵にしたって?」
私は何を考えていたんだ……。
六英雄、全滅してたわ……。




