第三十二話「オーラス、英雄の資格:前半」
二度目の精霊強化は光と闇の精霊愚者火に向けられた。
元は鬼火を意味し、自我なく浮遊する光と闇を有する精霊だ。
腹を抉るような轟音が近づく中、甲斐田メフィストはイグニスの強化を優先する。
前線の防波堤が崩壊しては戦闘自体の混乱を招く。そうした判断だろう。
そして彼は狂気の聖典を開き、
『終ワセラヨウカ……精霊強化――大自在天』
メフィストと化し手に入れた秘術を――叩き込む。
汚された聖典が術者に強い衝撃をもたらすが、構ってはいられない。
すぐさま――暴風のような吐息が届く距離、目と鼻の先にいるダークグリーンのヒュドラ、臙脂色、ワインレッドの皮膚を持つドラゴンに対しスネークバインドを放つ。
気休め程度の足止め、後方に一つ跳び甲斐田メフィストは聖典を開いたまま――哂う。
――衝突。
メフィストの魔法攻撃、さらに特殊スキル「爆散」、激突により空気が破裂するような炸裂音、衝突の衝撃による轟音、魔法攻撃が雷鳴の如く眩しく光り派手なエフェクトが起きる。
再び衝突――。
さらに衝突すると粉塵が巻き起こり視界が霞む。
映像からはもう、三つの影しか見て取ることが出来ない。
だが、衝突は繰り返される。
何度も、何度も――。
幾度衝突を繰り返したのか、不意に粉塵の中から後退する人影が姿が見えた。
甲斐田メフィストが耐えかねるように中心から脱出したのだ。
だが、舞い散る粉塵の端に後退したメフィストを二体のドラゴンが追撃する。
更なる激突、霞む映像からはメフィストが血反吐を撒き散らす姿が見えた。
当然だ、いくら悪魔化しても彼は魔術師なのだ。強化されてもナイトになったでわけはない。せいぜいミドルクラスウォーリアー程度の耐久力しかないだろう。そもそも、無理があるのだ。
またも激突、衝突が繰り返されるかと思われた矢先のことだ。
甲斐田メフィストが再び後退した。
粉塵舞う中心からは完全に離れ、彼の姿ず完全に捉えられる状況なった。
オーガ……悪鬼の如き相貌は焼け爛れ、もはや人のそれとは完全に異なる分厚い左腕の肘が逆方向に曲がっている。更に右膝の様子もおかしい、靭帯が破壊されたかのように彼は足を引きずっている。当たり前だ、ドラゴンと術師が真っ向からぶつかれば四肢を跡形なく吹き飛ばされても文句は言えない。
こんなもの、魔術師の戦いではない。
これは悪魔とモンスターの戦いだ。
――言ってはなんだが、私なら全部かわしてみせる。
そして近、中、遠、超長距離を織り交ぜた通称ワロスコンボを……。
背もたれを軋ませ、私は奥歯を噛みしめていた。
そして視線をモニターから外し吐き棄てた。
「クソ! だから六英雄は嫌いなんだ!」
デタラメなんだよ!
甲斐田セイレーン、いやメフィストとして見てもこの戦いはデタラメだ!
けど、甲斐田メフィストには狂気の聖典がある……。
何より、それ以上に……間違いなく私よりもずっとトカレストというゲームに長けている。
私よりずっと古いプレーヤーなのに!
だから……私では勝てないと……クリア出来ないと……。
両の拳を強く握り締めていた。
見ておけと言われたので、仕方なく……仕方なく私はまたモニターへと視線を戻す。
ああ、ストレス溜まる! ス・ト・レ・ス・が!
近藤め……!
――後退するメフィスト、だが次の衝突はすぐには起こらない。
二体のドラゴンは確かに前進、メフィストに対し追撃を試みようとはしていた。しかし、遅々として進まない。ダメージの蓄積により、もう足がまともに前に出ない。違う、既に半死半生――、
『見難イ……』
その一言で風が舞い、粉塵があっという間に消え失せる。
そうして露わになった二体のドラゴンは、それだと知っているから見分けられる程に"壊れ果てて"いた。
『タフダナ、オ互イ……』
身体中にダメージを負いながらも、甲斐田メフィストはそう、また哂った。
ワインレッドのドラゴンは……頭部が半分失せていた。自慢の尾も中ほどから千切れている。あれではテイルアタックもまともに打てないだろう。
九つの首を持つヒュドラも、もう首が二つしか残らない有様だった。何より胴体が吹き飛んでいる。あるのは首の下が少しだけ、これでは蛇の化け物だ。
犠牲を払いながらも、メフィストは強靭なドラゴンを追い詰めた。普通の敵ならとっくに絶命していてもおかしくはない。だが、この二体はまだ諦めてはいないようだ。
這いずってでも、胴体を失おうとメフィストに食らいつく……。
だが、それももう無理に見える。そもそも、最初の一撃は完全にカウンターで2倍のダメージ、さらに衝突を繰り返したのだから中には1.5倍のダメージを食らっていたこともあるだろう。
猪突猛進を繰り返した結果がこれだ。
ただ最大ダメージを求める、知恵のないモンスターの限界が露呈した形と言っていい。
では一方のメフィストはどうか?
彼は今、傷ついた身体でまたスネーク・バインドを唱えさらに大型魔法の詠唱を始めているが、術師があの超近距離での攻防に耐えられるなんてのは本来ありえない。
しかし、それもこれも全てはメフィスト化したこと、そして狂気の聖典による力技で解決してしまったのだ。
一連の攻防はドラゴンの突進、物理攻撃と魔法攻撃によるぶつかり合いだった。だが、魔法攻撃は標的に着弾する際周囲に残滓をばら撒く。強力な魔法であればあるほど、その残滓も破壊力を増す。それはもはや残滓と呼べる代物ではなく、一つの魔法攻撃と捉えてもいい。あれだけの近距離で魔法攻撃をぶつけていたということは、間近で大爆発が起きているのと変わらない。
彼はそれを――コラスターにより無効化したのだ。
魔法の無効化、コラスターは狂気の聖典により力を増し封殺、さらにすり抜けた物理攻撃はメフィスト化した肉体に賭け耐える。有言実行、力技以外の何物でもない。
もう、メフィストの詠唱を邪魔するものはいなかった。
ダメージによりメフィストはふらつくように立っている。
その彼が立つのは中距離とは言えないが、近距離でもない。
ダメージを負っているとはいえ、串刺しの光景が浮かぶ。
それでも二体のドラゴンは最後の抵抗を試みようと最後の力を振り絞る。
だが、それは許されなかった――だって、
『嗚呼……来タカ!!』
敵で最も巨大なクラーケンに轢き潰されてしまったのだから。
更にオークが続く。
軟体の化け物クラーケンは、迎撃の構えを見せるメフィストの目の前で――跳ねた。
シンプルならがもその巨大な身体を生かしたダイブアタック!
宙を舞うクラーケンが空を覆い、そして真っ直ぐと――、
『反重力』
上空へと飛んで行った。
――支援魔法アンチ・グラビディ。
重力の頚木を解き移動を容易くするための魔法。
だが今回は、対空魔法として使用された。
『ナンデ跳ブ……タコ過ギル……イヤ、凧カ』
呆れるメフィストには、文字通り余裕が見られた。
それもそのはず、クラーケンの後ろから迫っていたオークは今、巨大な蛇に完全に捕獲され身動きが取れない。
状態異常魔法スネーク・バインドの上位クラス「オロチ」
体長20mはある巨大な蛇による、拘束魔法。
敵のサイズ次第では、そのまま絞め殺すことも可能だ。
大型魔法の詠唱と同時に、ドラゴンを完全に拘束するため準備した魔法が役に立った。
『ソウソウ死ヌマイガ、一生ソウシテイロ』
たかが体長4mのオークでは、強化されたオロチに抗うことなど出来ない。
メフィストは無慈悲に告げると、そこでようやく表情を歪ませた。
ダメージを回復しなければならない、MPも消費し過ぎている。
だが最前線にはまだ敵がいる。今は足止め出来ているが、突破してくる奴がいるかもしれない。
加えて、見られている。
ずっと、そうずっと見られている。
三体、異形の人型モンスターに彼は見られている。
彼は視線を遠く前へと向けた。そしてギンザーがまだ機能していることを知り、安堵すると共に"狂気のオーラ"を溜め込んだ。
『タダジット見テイタダケ……俺ヲ解析出来ルトデモ思ッテ……ナンダ?』
そこで初めて、彼は気がついた。
見られているということに。
そしてそれが三体の歪んだ人型ではなく、"完全な人型"の存在であることに――。




