第二十九話「屹立する炎獣」
――メフィストが陣取る場所から100m向こう、その戦場はモンスター同士の激突と化していた。
炎獣イフリート、人型ながら巨躯に黒炎を纏うサラマンダーの強化版、もはや精霊の域を超える戦神、炎神と評していいかもしれない。
そのイフリートに立ちはだかるはドラゴン、ベヒーモス、ハルピュイア、ワイバーン、キマイラなど大型モンスターの代表格達だ。ただし紛うことなき出来損ない、得体の知れない失敗作達でもある。
イフリートは100mラインを守るため単騎その怪物との戦いを挑んでいる。ハイイェー・ルベーにより足止めを食らった敵は49体、効果が切れた今標的は敵意を剥き出しにするイフリートへと定まっている。
果敢に敵陣へと切り込み四方の敵を迎え撃つイフリートは勇敢とも言えるが、無謀にも見えた。並の召喚獣イフリートならば間違いなく瞬殺さているだろうが、強化され黒炎を纏う異形のイフリートには更なる武器があった。文字通り、それは武器と言える。
死の大陸、ハイイェー・ルベーにより灰色の荒野と化した大地に激しい足音が鳴り響く。飛ぶことをやめた竜ワイバーン、さらにベヒーモスがイフリートに対し挟撃を試みる。その姿勢は食らうが如く、まるで飢えた野獣のようだ。散々食い散らかしただろうに!
だがそんな狂獣の突進に待っていたのはあまりに巨大な黒斧と白く輝く聖槍による一撃だった。
圧倒的体躯のワイバーンが喉を晒し大口を開けて襲い掛かるとそこに白い一閃が走った。呻き声を上げ、それでも前進を止めない姿勢は大したものだが隙を狙い後方から襲い掛かったベヒーモスが見るも無残な姿になることにさして時間はかからなかった。
黒炎に包まれたイフリート、その異様に肥大した右腕には黒い戦斧、ダークブローバーが握られていた。聖槍ホーリーランスを突き刺し即座に手放したイフリートは振り返るや否や、両手持ちで突進するベヒーモスの頭部に強烈な一撃を加える。
刹那の咆哮――それは炎獣イフリートによる怒りの発露、もはや精霊という次元ではない。ベヒーモスの頭部は不快な打撃音と共に吹き飛んだ。あの怪物の分厚く強固な頭部がただの一撃で完全に消え失せている。頭部のないベヒーモスは奇妙に身体を揺らし、そしてスローモーションのようになり轟音を残し力尽きた。
一方のワイバーンはホーリーランスが硬い皮膚を突き抜け下半身から突き出していた。それでも尚前進を試みるが取って返したイフリートがホーリーランスの追加魔法ホーリー・エクスプロージョンを発動させると身体中から白い閃光が突き出す。白い聖槍が全体から弾けるように突き出ると激しい痙攣を起こした。それから数秒後、完全に動きが止まり、全てが終わったことを告げている。
炎獣イフリート、そして光と闇を有する凶悪な武器と化したイグニス・ファトゥスは得体の知れぬ狂獣をも凌駕する。
だが、そもそも頭数が違うのだ。
一つ目巨人の亜種、水色の肌を持つスプリガンによる大木が如き棍棒が不意をつきイフリートに直撃、更にライオンの頭部と山羊の胴体、毒蛇の尾を持つキマイラが毒の付属効果を持つテイルアタックを繰り出すとイフリートは弾けるように横殴りにされ吹き飛んだ。
たたらを踏んだイフリートだが、それでも炎神は倒れることを拒絶する。何よりも驚異的だったのはスプリガンの棍棒が燃え盛りスプリガンへと飛び火、更にキマイラの尾の毒蛇は黒炎により完全に消し炭となっていることだ。
何者でもない怪物達が今、躊躇いを見せている。
炎獣イフリートと向き合うことのリスクを肌で感じたか。
単騎、四方を囲まれて尚、イフリートは悠然とそびえ立つ炎柱のようだった。
――甲斐田メフィストは意外な光景を目の当たりにしていた。
迫りつつあった敵が攻めてこないのだ。ギンザーの攻撃を回避しながら自分との距離を詰めようとはしない。ギンザーの攻撃は確かに苛烈極まるものがある。だがタフな奴らに致命傷を与えるほどではない。これでは捕えたアンドラポタ、スキアポデスを壁として使えないではないか。
『警戒心ガ強イ……カ』
犬頭人キュノケパイロ、キマイラに似たマンティコア、気持ち悪いとしか言いようがないブレムミュアエの三体、怯えているようには見えないがそれでも仕掛けてはこない。まずはこの三体を始末、そこから前線との挟撃に入るつもりだったのだろうが少々当てが外れた形になる。
しかしこれは好都合とも言えた、何せ彼は魔術師だ。
魔術師の得意分野は中長距離での打ち合い、そもそも近接は避けるべき状況である。そして前線を任せた二体の精霊が取り逃がした敵が数体見える。これは計算された事で、全て抑えられるとは彼も考えてはいなかっただろう。
何より、魔法攻撃、遠距離攻撃を持たない奴ら相手にこの状況なら一方的に攻撃し続けられるではないか。
魔術師本来の戦いに持っていけることは良い意味での誤算と言えた。とはいえ完全に近接を棄てたわけではない。先ほどのようなやり方もあればまた違ったやり方、距離が近ければそれなりにやりようはある。
『ヤルカ……シルフ、攪乱モ頭ニ入レロ』
そう言うと、甲斐田メフィストはただデカイ置物と化したアンドラポタとスキアポデスにグラビディとコンプレッションをかけ潰しにかかる。消えてなくなるのも時間の問題だろう。
そして彼は、ついに前へと踏み出した。
前進、同時にスキルボードを開いている。
まず魔法命中率up、魔法攻撃加速、魔法防御率up、MP消費軽減のスキルを全て外した。次に魔法連続攻撃のスキルを装備する。次にメフィスト化したことで手に入るスキルを探しボードをスクロールさせていく。その中の一つを見て、彼は凶悪な笑みを浮かべた。
『エエヤン、ハヨ終ワリソウヤ……』
オーガの牙を剥き出しにし、彼は愉悦に浸るかのようそう呟いた。
100mラインを越えたのはドラゴン、ヒュドラ、ハルピュイア、クラーケン、オーク、バジリスクに見える。
『ハハッ!』
魔導着を揺らしまた哂う。
少ない、話にならない、そう言いたいか。
突破したのは計六体、元々いた三体はギンザーである程度の抑制が可能、ではこの七体をどうするか。彼が導き出した答えは至ってシンプルなものだった。
ラジカル・セイクリッドを閉じた彼は聖典を宙に浮かせ、両手に強烈なオーラを放つ塊を創りだした。そして隊形も何もなく突撃を開始した六体の内、ドラゴン、ヒュドラ、ハルピュイア、クラーケンを標的に定めた。
『鳥蛇野郎トオークノ足止メ、頼ンダゾ』
指示を受けたシルフは正に疾風の如くその場から消えた。強化されたシルフは今、単体でも戦えるだけの力を持つ存在に見える。攪乱だけなら確実にこなすだろう。しかも疾い、すぐに援護に戻って来れる。
妖しく妖艶なウンディーネを従え、メフィストは両の手を開いた。
オーラは今、七つの塊となって彼の前、聖典と共に浮く。
風、水、火、土、光、闇、そして雷属性の魔法が術者の周囲を激しく巡った後、
『イケオラ』
放たれる。
――突進中の敵は猛スピードで甲斐田メフィストへと向かっていた。知恵のないモンスターはこの状態で攻撃を受けた場合1.5倍のダメージを受けることを知らない。さらに弾速が速ければ速いほど、ダメージは増す。下手すれば二倍のダメージを受けることにもなりかねない。
一方、魔法攻撃には例えば私が使うような弓矢の物理攻撃とは違った弱点がある。
まず一般的に魔法攻撃は弾速が遅い。
挙句あまりに敵が遠いと威力が落ち、命中率も下がる。
更に全体化、単体攻撃共に完全ロックオンではない。完全ロックオンスキルをつける事は可能だが威力が落ちてしまう。弓矢などの物理飛び道具も自動照準をつければ同様だ。
範囲攻撃、全体化攻撃、状態異常付加効果など多様性など魔法攻撃にも秀でる点はあるが基本中距離戦に用いるのが魔法攻撃のセオリーと言えた。
その点で今回の彼の判断は妥当に感じられるが、その攻撃は恐ろしいほど弾速の遅いものだった。このレベルの敵ならば、下手すればどころか余裕で避けられそうなほどのスローボール、そんな代物だ。言うなれば、黒魔法師のデタラメ魔法と酷似している。
七つの塊は正面で距離を取るブレムミュアエの傍を低速で通過していった。それを見た甲斐田メフィストの目元が歪んだ。それから彼は、肩を抱き恋人のように寄り添うウンディーネに向かい笑みを見せた。
『アノ魔法師ハ、役ニ立ッタ』
その言葉にウンディーネが妖しく嗤い、長い髪がメフィストの狂気を隠すように舞っている。
100mラインを越えた攻防、オーラの塊、メフィストに向かう後続との接近に気付くとブレムミュアエは中央から離脱、他の二体もそれに合わせるかのようさらに散開した。
様子がおかしい事には彼も気付いているだろう。手前の三体は他とは違う、明らかに見て感じ考え行動している。これは、駆け引きの発生予感させるものだ。
歪な人型モンスターに多少の知恵がある、或いは今それが生まれたかもしれないと警戒しながらも、異形のメフィストは術師の戦いを開始した――。




