第二十七話「魔術師の戦い」
「僕は戦るぞぉぉおおおおおお! お兄ちゃんは戦う! 僕達以外の全てを焼き尽くす! 溶かす! 茹でる! 弾丸で論破する! 自白した犯人を崖から突き落としてやる!」
もはや何を言っているのかも分からない猛り具合を見せる黒魔法師を、女子学生はキュートな笑顔でさらに"煽る"。
「お兄ちゃん♪」
「ミク! お兄ちゃんはやるぞ!」
「お兄ちゃん☆」
「ミライ!」
「お兄ちゃん〃!」
「ララ!」
「お兄ちゃん♀!」
「ユイナ!」
「お兄ちゃんカッコイイ!」
何人いるんだ。というかどういう設定なんだ。
あまりの温度差に辟易しながらも僧侶は、
「いいよ、俺もやるわ。拘束解いてくれ」
空気を読んでる場合ではないと躊躇いなく二人の間に割り込んだ。
そしてそれは、覚悟の言葉と言っていいだろう。
しかし、
「誰キミ、僕の妹の何?」
黒魔法師は未だ正気を取り戻していなかった。僧侶の頬に冷や汗が一筋見える。だがこれと話しても仕方ない、彼は向きを変え女子学生と化したプレイヤーに再度語りかけた。
「やるなら今しかない。ノームもいつまで持つか分からない、拘束を解け。今は出来ることをやるしかない」
黒魔法師には全力で萌えを発揮する女子学生だったが、僧侶相手では勝手が違う。一瞥した後、再び下僕と向かい合う。
「お兄ちゃん、約束守ってくれるんだね、そうだよね?」
「勿論だ……お兄ちゃんに二言はない……お兄ちゃんの辞書に、二言という言葉は載っていない……あるのは萌えと妹と僕、そして愛」
何故か低音ボイスで黒魔法師は応じているが、とんだ欠陥辞書である。女子学生は少し俯いた後、ついに黒魔法師の拘束を解く決断を下した。
「よっしゃぁあああ! よく見ておくんだあずさ! お兄ちゃんのマジックショーを!」
「うん! お兄ちゃん……大好きだよ、お兄ちゃん!」
その見え透いた台詞に黒魔法師は衝撃に身体を震わせ、そして集中力を最大限にまで高め詠唱を始めた。女子学生、いや女性プレイヤーはそれを確認してからようやく僧侶と向き合った。
「あなたには効かないんだね、意外だよ。でも戦ってくれるんだ」
声はどこまでも平板で、あまりの変貌振りはアイドルの楽屋裏を連想させる。というかこれが平常モードか。やっとコミックショーが終わったかと、僧侶は強い視線を向けた。
「それしか選択肢がない。学者の野郎なけなしのノームをこっちに寄越しやがった。あれは壁役だぞ。魔導師が防御を度外視してでも俺らを助けるってのに、逃げるわけにはいかないだろ」
すっかりトカレストプレーヤーに戻った女子学生は、制服のスカートを翻し周囲の状況を見渡した。
「そうか、あの人私達を助けようって……」
「拘束を解け、早くしろ。のんびりしてたら"奴"の足引っ張ることになる」
その言葉に、彼女は強く反応した。これでは本末転倒だ。口惜しい気持ちが手に取るように分かる。唇を噛み締め、スカートの裾をぎゅっと握り締める彼女は妹萌えを熱演していた頃より、ずっと儚く見える。だが、そうして出来たほんの一瞬の間すら僧侶にはもどかしいだろう。
「早くしろ!」
「……つまり、自分の過ちを認めるんだよね」
「過ち? なんだ? 判断ミスか?」
「うん、それもある。セーブ硬直のこと考えたら逃げきれたかどうか怪しい、そうでしょ?」
セーブ硬直、それは文字通りセーブする際に発生する硬直時間のことだ。加えるなら、ログアウトの瞬間にも隙がある。二度無防備な状態を晒しそれでも逃げ切れたかは確かに怪しい。無論僧侶にも言い分はあるだろう、対策がないわけではないのだから。僧侶は幾分顔をしかめたが、とにかく今はそれどころではない。
「見捨てない、困ってる人間を助けたいって気持ちは良く分かった」
「本当?」
あまりの疑い深さ、信用のなさ、現状認識の欠如に僧侶が切れてしまってもおかしくないと私は思った。それでも彼は感情を殺し、諭すように言葉を発していた。
「……なんか誤解してるな、俺は支援系のプリーストだぜ。援護するのが俺の役割なんだよ。お前らよりよっぽど"誰かを助けたい"って気持ちは強い。ずっと、そうしてきた、それしかしてないんだよ」
僧侶の真摯な目が、女性プレイヤーに向けられていた。
これが本音か否かは分からない。問題は女性プレイヤーがどう捉えるかだ。
少し補足しておくと上級支援系プレイヤーの彼は「あの二人に援護の必要はない」あの時そう判断したのだと思う。
そしてそれは、正しい判断だっただろう。
二人の鋭く、それでいて困惑も含まれた視線が絡み合う中、
「なんか変なの増えてる……いらない、僕らの世界にあんなものは必要ない! この世界に必要なのは僕と萌えと妹だけだ!」
とんだ危険思想というかキモイ思想というか重病というか、とにかく黒魔法師の準備が整ったらしい。
「僕と可愛過ぎる妹……それ以外の全ては、ゴミだ、クズだ! クズ共が、駆逐してやる……一匹残らず駆逐してやる!!」
見れば、なんと黒魔法師の魔導着がオーラに揺れている。その無駄な気迫に、さすがの二人も若干引いていた。女子学生も少々薬が効き過ぎたかもしれないと、戸惑う始末だ。それでももう黒魔法師は止まらない、止まれない。
「食らえ……! お子様ランチキ!!」
唱えるや否や、とてつもなくデタラメな魔法が飛び散った。
閃光、稲光、風の刃、炎弾、氷塊、そして地面から突如突き出すいつくもの大地の柱!
火力だけは最強クラス、確認した瞬間僧侶は強く声を発する。
「急げ!」
「分かった、分かったよ。でも、お願い、勝って! 私は応援することしか出来ない。そんな私がこんなこと……わがままなのは分かってるの。本当にわがままで、わがままでごめんなさい!」
こっちのが素直で可愛いじゃないか、それに応援だけってのは違うかな……ようやく拘束を解かれた僧侶はそう小さく呟き、とりあえず使える魔法全部つぎ込みました的な派手だが何も考えてない魔法攻撃の効果をじっと観察していた。
そして滅茶苦茶なエフェクトの光を浴びながら、
「ノームなしで戦えるってか……近づかれたらどうすんだあの学者。俺達魔術師はどこまで言っても魔術師だ。打たれ弱さにゃ、定評ありまくりなんだぜ」
また小さく呟いた後、翻り徐々に戦士の顔を見せ始めた。
――その頃、セイレーンの戦闘地帯には爆風が吹き荒れていた。砂埃と粉塵が画面を覆い尽くしている。しかしそれは魔法攻撃によるものではなかった。また、ヴァルタンによる空中からの援護射撃でもない。セイレーンにとっては向かい風、それは敵の特殊攻撃かのような爆風だった。
荒れ狂う風が吹き止むと、徐々に視界が開けてくる。
そうして戦場が露わになると、今までとは違う異様な光景が飛び込んできた。
「どうした、動けよ。それでも伝説上の怪物か」
セイレーンが話しかけているのは、灰色の塊、宙に浮く巨大な物体だった。
「前足がなかろうが首がもげようが、お前らには関係ないだろ。戦え、それ以外何が出来る。何者でもないお前らに出来るのは、それだけじゃねーか」
学者の形をした魔法使いはそうしてクツクツと哂い、時魔法「圧縮の術」を唱えた。
彼が呪文を唱える度、巨大な塊は少しずつ縮小されていく。
潰れ、壊れ、圧縮される度嫌な音が鳴り響く。
あれだけ巨大で圧倒的だった化け物は、もう呻き声すらあげることが出来ない。
「グラビディ、コンプレッション……」
重力魔法と圧縮魔法の重ねがけ、その威力は絶大という次元を優に超えている。
ぐしゃりという音が、連続し重なり合う。
あの怪物が、どこまでも潰れて行く様は圧巻だ。
この二つがトドメとなり、敵はついに路傍の石と化してしまった。
本来は、他愛のない誰でも使える低レベル魔法のはずなのに……。
――爆風は、前足を切り落とされた手負いのグリフォン(恐らく)による突進が引き起こしたものだった。
だが、セイレーンは未だ一歩も動かず悠然と立っている。
今や彼は"ギンザーすら"機能させていなかった。
ギンザーは役目を見失いパラパラと地面に突き刺さってしまっている。
つまり、魔術師は一人でグリフォン始末したということだ。
切り離された鉤爪の攻撃だけで盾となるギンザーを貫いたにも関わらず、彼は低レベル魔法で"圧縮"してしまった。
「残り、49ってところか……でけえくせに、多過ぎるな」
戦場を見渡したセイレーンは古びた書物を片手に呟く。
分厚い書物の表紙は赤く、オリエントな装飾が施されていた。
この書物が肝だ。
トカレストにおいては書物も武器の一つ入る。ただ書物自体の攻撃力は皆無に等しい。書物の特徴は特殊効果にある。強化系は勿論特定の種族相手に効果を発揮するものなど、トカレストには多彩な書物が用意されている。使い方次第では切り札と化す武器と言っていいだろう。汎用性の利く杖でなく書物を選ぶ理由はそこにしかない。
ただし、彼が持っているのはそんな限定的な、生易しいものではなかった。
聖典"ラジカル・セイクリッド"は唯一無二のアイテムだ。
トカレスト内において、ただ一つしか存在しない超レアアイテムである。
それだけで、この聖典がどれだけの"得物"か理解出来る。
しかし使いこなせなければ意味がない。
そしてラジカル・セイクリッドは特殊な使用方法を用いる。
その力を発揮するには発動条件があり、それはラジカル、その名の通り過激な行動を取ることだった。
具体的な方法は……、
「時間はかかるが仕方ない、一匹残らず掃除するか……」
セイレーンはそう独りごちると、口角を上げ分厚い聖典をゆっくりと開いた。
中にはびっしりと文字が綴られているが、それがなんなのかは分からない。
そして彼が取る行動は一つ、この世界にある唯一の聖典を"汚れ穢し"台無しにしてしまうこと。
薄笑いを浮かべるセイレーンは聖典に手を当て、最後の呪文を唱える。
ラジカル・セイクリッドは今、発動条件を満たした――。
――一つ目の変化はセイレーン自身に起きた。
肉体から禍々しいオーラが、そして浮き立つ血管はどこまでも黒く、彼の身体は痙攣するかのよう震えが止まらない。
――二つ目の変化は周囲へと影響を与えるものだった。
地震……大地が揺れ、大気が揺れ、天地を揺るがせる。
――三つ目の変化は周囲の戸惑いだった。
それは怪異なるもの達に限らない、セイレーンが喚び出した精霊達ですら固まり身体を竦めている。
だって、彼が唱えたのは……、
「悪魔の侵食」
自らを悪魔へと変貌させる、狭義東方言語魔法究極の秘術だったのだから。
悪魔、プレイヤーが悪魔そのものと化す。
知的な学者風の相貌は崩れ、瞳は赤い輝きを放っていた。
肌は灰色に染まり、口元から巨大な牙が見えている。
これがトカレスト初期で起きたことは、奇跡か、悪夢か。
少なくとも、私は未だに悪魔と化したプレイヤーを彼以外には知らない。
『嗚呼……イイ気分ダ……サア、仕上ゲニ取リ掛カカロウカ……出来損ナイノ貴様ラニ……純然タル無ヲミセテヤロウ!』




