第二十六話「三者三様、繋がる心と壊れる心」
トカレストはフィールドマップで自由にセーブ出来る。ダンジョン内や強制戦闘中でなければ基本的にいつでも可能だ。ただしフィールドのど真ん中などでセーブした場合、戻ってきていきなりモンスターに襲われても文句は言えない。要するに、罠だ――。
周囲に生命感はなく、木々どころか草木すら見当たらなかった。
あるのは、死に彩られた大地と重く冷たい空気。
荒涼と評するのも憚られる、無の世界。
ラストダンジョンのあるこのゲームの終着点、そこで何故か珍妙とも言える出来事が起きていた。
「何してんだ?」
三人パーティーの一人、回復薬の僧侶が無表情に口を開いた。呆れを通り越し、その顔には侮蔑の念すら滲み出ている。セイレーン、ヴァルタン、そして自分達、それぞれが絶賛戦闘中の最中何をコスプレしてんだと私ですら思う。だが女子学生は怯まない。
「お兄ちゃんは、私のお願いなんでも聞いてくれるっていったよね(涙)」
「……言ってねーし何してんだって」
「お兄ちゃんの嘘つき……嘘つき!」
そうして、わっと泣き出した。熱演である、っていうかそうなんだろう。あまりの急変と理解不能な状況に頭をくらくらとさせながら、それでも僧侶は正気を保ち狂気の女性プレイヤーに応じる。
「……嘘つき呼ばわりはまだギリギリ受け入れられる。仲間なのに希望に添えなかったのは確かかもしれんし。ただ、俺は兄貴じゃないだろ……」
「でもね……私は、お兄ちゃんのこと信じてるよ。どんなに酷いことされても、私お兄ちゃんのこと、信じてる」
「……」
女子学生は、僧侶の言い分など全く意に介さなかった。
まあしかしこれの完成度の程は、女の私には分からない。ただこう、妹押ししてんだなーということぐらいは理解出来る。最近は一人っ子も増えたので、兄妹というものも珍しいのかもしれない。男から見ればその存在自体幻想的なものなのかもしれない。
そうした"ツボ"と現実に女性プレイヤーであるという武器を駆使し落としにかかっているのだろうが、場違いという次元じゃない。第三者的に一歩引いて、いや、一歩引かなくても気持ち悪いと言った感覚しか覚えられない。
「おい、これどうすんの……死ぬぞ俺ら……」
僧侶は心底辟易とした顔で、黒魔法師に問いかけた。
だが返事を聞く間もなく、九尾の狐が敵意剥き出しでこちらに駆けてくるのが見えた。
しかも速い! いや、もう速さなどは関係ない状況だ。
さらに後方でも変化が起きていた。
それは、馬鹿馬鹿しい寸劇とほぼ同じタイミングに訪れている。
最早呆れている場合でもなくなり、絶望に身を浸した僧侶はとち狂った女性プレイヤーに向かって叫んだ。
「死にたいのかお前は! ここはギャルゲーやるとこじゃねーしコスプレなら他でやれよ! トカスレトは戦って生き残ってなんぼの世界だろうが! 意味不明なことすんな!」
しかしそんな説得はもう遅かった。「手遅れだ……」そう零し、僧侶はついに全てを諦めるかのように目を瞑った。これで自分も資格を失う、そもそも資格などあったのか……色々な思いが走馬灯のように駆け巡っていたかもしれない。
――だが、僧侶は無事だった。
被弾による衝撃も身を切られる感覚も来ない。
それでも彼は、目を開くことは出来なかった。
それでは一体何が起きているのか?
まず、九尾の狐はまたぞろ女子学生の闘牛プレーにいなされていた。
そして、周囲を囲む敵は三人に近づくことすら出来ずにいた。そして、
「あ、ああ、あああぁぁぁぁ……」
黒魔法師が異様な声を出し始めことで、僧侶は強く閉じていた目蓋を開いた。
「大丈夫か!?」
被弾を案じそう声をかけたが、真っ先に目留まったのは上半身が肌着一枚のみの姿になった女子学生と、それに対し異様な食いつきを見せる黒魔法師の哀れな姿だった。
「おい……」
とりあえず僧侶は突っ込んでみたが、誰も反応しない。
どうもこの世界観は、もう止められないようだ。
隣では、小刻みに震える黒魔法師が口元も震わせ女子学生をこれでもかという程に凝視していた。
「ぼ、僕が悪いのか……」
「こら」
「そう、お兄ちゃんが……ううん、違う私が悪いの。私が可愛くないから、そうだよね?」
「あ、ああ、違う、違うんだよ、そんなことはないんだ」
「ごめんね、お兄ちゃん……(涙)」
「やめい」
「まだ僕を、お兄ちゃんと呼んでくれるのかい?」
「待て、俺も呼ばれてたぞ」
「だって、お兄ちゃんはお兄ちゃんだもん……」
そうして、殺伐を超えた死の大陸に雄叫びが轟いた。
「ああ、ああ、あああぁぁぁぁぁぁぁぁ! お兄ちゃんは、お兄ちゃんは一体何をしてるんだ!!」
……馬鹿馬鹿しい、なんだこれ。ここは飛ばしていいんじゃねーだろうか。近藤に目通しとけと言われたから頑張って見てるけど、さすがに意味が感じられない。そもそもこの三人六英雄じゃないし。
やってらんない見てらんない、そんな気持ちは私と僧侶の一致するところだろう。だから僧侶は周囲を見渡した、何故、自分達は"無事"なのだと。冷め切っているからこそ彼は冷静だった。色々と不可思状況を疑問に思い僧侶の目に映ったのは、考えもしない光景だった。
「ん? て、敵が増えてる!? なんでだよ!? あ、いや違う……ありゃなんだ?」
自分達は相変わらずモンスターに囲まれている。狐は女子学生がいなしているとはいえ、その他のモンスターだっていつ襲ってくるか……いや既に向こうは襲い掛かってきてきていたのだ。しかし彼らに被害はない。答えは一つ、敵の攻撃を防ぐ者がいるのだ。
「ゴーレム? 違う、ノームか? なんで? あ、あの学者っ!!」
――甲斐田セイレーンはサラマンダーとイグニス・ファトゥスに指示を出している。敵が左右に展開出来ないよう、挟み込めと。そしてもう一つ指示を出している、ノームに「あの三人を守ってやれ」と。
「舐めた真似してくれるじゃないか!!」
その身を案じられた事実、自分達の不甲斐なさに憤りを感じながらも、強い、敵も強いがあの学者は相当ハイレベルな魔導師であると僧侶は深く自覚しただろう。この得体の知れぬ化け物を、ただの精霊が封じ込めているのだから。
同時に問題点もすぐに把握した。
「まだ戦闘が続いてる……野郎、こっちのこと構う余裕あんのか?」
はっきりと視認出来ずとも、戦闘が継続していることは分かる。地上も空も、まだ戦いは終わってはいない。だとすれば、あれだけのプレイヤーがてこずっていることに他ならない。
助けられたと安堵している場合ではない。
拘束されながらも僧侶は決断を迫られていることに気がついた。
今なら、逃げられる!
だが残る二人はどうだ? 馬鹿やってる二人がどうしてもやりたいというのなら勝手にやればいいが、恐らく勝てないだろう。こうまで近づかれては魔導師でどうこう出来るものじゃない。ならば距離を取って……そう言えるだけのスタミナも足も彼らにはない。
もう援護など出来ない、そうなれば出来ることは二つに限定される。
どうする? どうする?
僧侶が追い詰められ逡巡する中、黒魔法師はまた耳をつんざくような雄叫びを発していた。
うざいうるさいにも、程がある……。




