第二十話:「vsネクロマンサー」
アーチャーの挑戦が長時間に及ぶ最中、その入り口付近で予期せぬ出来事が起きていた。
ラビーナの襲撃である。
雷光が、爆散する紫炎が、そして腐った風塵が場の空気も読まずに吹き荒れる。
言葉で説明すればその絵面は容易い。ネクロマンサーが高レベル魔法の雷撃、炎弾、風刃をとりあえず全てつぎ込んだだけだ。しかも狙い撃ちされた二人が回避することに必要な距離、範囲を潰すため広域に放たれている。
全体化魔法は完全ロックオンではない。あくまで目標の全てを攻撃するだけであり、回避不能攻撃とは限らない。そしてこの手の大技は、一度放てば修正も利かず、失敗したとなれば不意を打った意味もなくなる。それを理解した上で範囲攻撃を選択した。
結果、同じ場所にいる二人を始末するためだけに、街一つ破壊するかの如き爆撃が行われたと思えばいい。あまりに無駄が多いと思えるが、確実性が飛躍的に向上するのも事実だろう。もしそれが可能で許されるのではあれば、私だってそうするかもしれない。
豪奢にして美麗、惨禍にして醜悪。
だがラビーナの不意打ちは、成功に至らなかった。
長時間かけて消化される花火を、一瞬で使い果たしたかのような歪な光の残滓と地表を焼き焦がし燻る炎弾の残りかす。だが粉塵の舞う地上には確実に人影が見て取れた。そして、翼を持つ彼の姿はもうどこにもない。
「誰だテメーは……」
混沌の中央に陣取るも微動だにしなかったセイレーンは、未だその表情すら確認出来ない段階において"少々苛立った"程度の声を上げた。濃い影と紫の混ざった魔導着を纏うネクロマンサー、宙に浮かぶラビーナの表情が特性に関係なく歪むのも無理はない。
「誰だ、というよりなんだおい、何がしてーんだ」
――惨禍が落ち着きその姿が明瞭に目視出来るようになると、何故彼が無事なのかが分かる。
本来の意味で言えばセイレーンは海の怪物であるが、トカレスト内では術師のバランス系ジョブに当たる。強力な攻撃魔法は使えないがほぼ全ての属性魔法と精霊魔法が使用でき、さらに一種限定で特殊言語魔法が完全に体得出来る。
彼の周囲にはトカレスト世界の狭義東方言語魔法の一種、ギンザーという名称の「見えない障壁」が姿を現していた。通常魔法ではグラスウォール、スキルであればインビジブルブロックがこれに当たる。どれも「目視出来ない、し辛い」という点で共通しているが、彼の使用したギンザーは対魔法防御に特化していたらしい。
どこを伸ばすかはプレイヤーの選択次第だが、問題はその数だ。
防御に成功しその役割を果たしたギンザーは破壊され散っていくがそれ自体がもう数えることすら出来ない。また、もはや"隠し立て"する必要がなくなった生きたギンザーも数える意味を感じられないほど存在していた――。
精緻な六角形をした障壁は見た目に薄く、特徴的な銀灰色は魔法というよりもその無機質さから機械的なものを連想させた。高レベルオート防御とでも呼べばいいのだろうか、鉄壁の防御網に守られたセイレーンは見上げながらも見下すような視線で宙に浮かぶラビーナを捉えていた。
「ここじゃあ……どこに行ってもイベントなんぞ起こらなかった……確かにあるのはその入り口だけで、それ以外は大体ぶっ殺したはずなんだが……俺らの勘違いか……?」
幾重にも重なる障壁の向こうから自問するように口を開くセイレーンに、しかしラビーナは反応しない。むしろその視線は、周囲を警戒するように激しく移動していた。
「隠しイベントに当たったかな……。それとも、どっかで会ったことあんのか?」
答えないことを理解してか、セイレーンの声は物音と変わりない。一方のラビーナは自分をどこに"置くべきか"で戸惑っていることが、私にすら理解出来るほどだった。ラビーナは今高度20メートル程度、半端な位置から動けずにいた。
「……なんぞ用があるのなら言えよ。ついでに、今使った魔法が俺にも使えるのか教えてくれると、ありがたいねえ……」
セイレーンを仕留め損なったのは明白だ。そして、有翼のヴァルタンを殺った手応えもない。この状況、私なら撤退を選ぶ。完全防御に近いセイレーンを仕留めるのは容易でない。せめて一人は確実に殺すべきだった。ヴァルタンの位置も確認出来ない今、状況の不利は否めない。
ただ、それもこれも目的次第ではあるのだが。
しかし、何故自分はラビーナ視点で考えているのだろう。
私は一介のプレーヤーに過ぎない。
そして、映像にあるラビーナは、私の知らない存在であるはずなのに。
ほんの僅かな空白は、セイレーンが手に取る書物のページを一つめくったことで動き出した。ラビーナの視線は一瞬それに向けられたが、すぐに意識は他へと移っている。映像ではギンザーの色形が変化していくのが見て取れる。攻撃へ移るという明確な意思表示だ。しかし、
『ウ、ウエダロウ……アノ、トリハ……』
恐ろしくしわがれた声だった。喋るのも億劫に見えるほど、ラビーナの声には違和感があった。
「不快な声だな、マジ誰だテメーは。まあしかしよく見てるじゃねーか。多分当たってるし、俺もそう思う。つまりだな……」
上と下、ラビーナは完全に挟まれた。
もし攻めるというのなら、手近なセイレーンを仕留めにかかるのが定石か? それはない。トカレストのシステムで、その選択は自殺行為だ。何故なら、仲間の攻撃でプレーヤーが死ぬことはない。それを熟知するヴァルタンは、容赦なくセイレーンごと潰しにかかるだろう。
ではヴァルタン相手に空中戦を挑むか? それも自殺行為だ。相手の土俵、しかも対空砲付きの最悪の状況は死地に飛び込むが如き愚行でしかない。
『ア……ケ……イ……ア……』
聞き取れないラビーナの声に、セイレーンは一瞬怪訝な顔を見せたがすぐに切り替えた。書物を消し去り異様な太さを見せる杖に持ち替える。
「根拠は知らんが自信があると見た。ええやろ、暇潰しに相手したらあ」
と、言いながらも彼は密かにチャットを打っていた。
[お前今どこよ?]
返信はすぐにきた。
[えーっと、上、かな]
[それは知ってる。具体的にどこら辺よ]
[いや、咄嗟に飛んだんだけど、どうも飛びすぎたみたいで今雲の中なのよ。だからどこと言われても、上としか言いようがないね]
[パニくりすぎだろ……。まあ仕方ないとしても、俺一人でこいつの相手すんのか。はよ降りてこい]
[いやそうしたいんだけど乱気流に巻かれて簡単に降りられない。ってか雷撃が痛い。ほんと、飛びすぎたみたいだ。だってさ、さすがにあんなど派手な不意打ちされるとは思わないよ。不意打ちすんのは常にこっちだと思ってたし。いやあ、意外だねえ]
[……とりあえず、降りる努力をしてくれ。適当に繋いどくから]
[ああうん、了解。で、相手は誰? 目的は?]
[知らん。訊いてみる]
セイレーンは杖を肩にかけ、
「ところで、テメエのジョブはなんだ? 見たことないんだが、cpu専用の職か?」
ゆったりとした姿勢でラビーナに問いかけた。絶妙だなと私は思う。ゲームの住人にこの手の問いかけをすると彼らは混乱する。当然ながら、彼らにゲームであるという自覚はない。また、ここ以外の世界があるということも知らない。これらを自覚出来るのは唯一ロウヒぐらいのものだろう。
実際生気の感じられないラビーナの表情に僅かながら戸惑いが見えた。
「俺はセイレーンだが、そっちのは見たことねえんだよな……結構やり込んだつもりなんだが」
『シ、シラナイ……ソレモ、コレモ……』
「そう、珍しいから自慢していいと思うぜ。んで、目的はなんだ? なんで俺らを襲う? 何かストーリーに関係のあるイベントなのか? 勝ったらいいことあんのかよ」
少しの間が、妙に長く感じられた。思考するAIが目の前ではっきりと確認出来たからだろうか。
『……アァ、ソウカ……オリテ、コレナインダナ……』
ラビーナが俯き、セイレーンの舌打ちが聞こえ、ダークパープルの奇妙なオーラが肥大していく。
時間稼ぎはあっさりと失敗に終わった。目的なんぞ聞かにゃよかった――と、セイレーンは呟く。確かに、と私は頷いていた。状況を度外視し、ただ困惑させることを目的としていれば時間稼ぎは成功していただろう。
とはいえセイレーンの鉄壁の防御をどう崩す。
私はまた、ラビーナの視点で戦況を見守っていた。




