第十九話:「強襲」
すぐそこに、正体不明のラストステージの入り口が見える。
残った面子は三人。挑戦資格を持つ者は既に二人となっていた。
アーチャーの徳永氏はフードをすっぽりと被り、少しだけ見える表情からは思いつめた様子が窺える。甲斐田氏の軽口はすっかり鳴りを潜め、書物を脇に挟み指で眉間を押さえていた。C氏は翼を折り畳み唇を噛みしめている。
強制ソロのラストステージ(彼らはそうと断定していなかったが)は予想以上に手強く、半数が実質戦死と変わりないという惨憺たる結果をもたらした。固い結束を誇り我が道を走り続けた彼らにとって、初めて直面するに等しい巨大な壁だったかもしれない。
だが負けた、負けるという事実以上にダメージを与えたのは、先行した二人が「壊れ」「折れた」ことだった。
A氏は未だトカレストに留まっているものの、東の果てで革命ごっこに興じ華麗な現実逃避にその身を浸している。B氏に至っては矢尽き刀折れたかはともかく心が折れトカレストから引退する有様である。最期の言葉が「ランダムマップ」であることは重要な情報ではあるが、それ以上は接触することも拒まれる按配だった。
「どうする……?」
しなびた翼をぶら下げ、C氏が小さく呟いた。B氏の敗退からもう三日経っている。B氏が見た情報を求め待機し続けていたが、もう戻ってこないであろうことを三人は自覚せざるを得なかった。
「どう……か。あんな、一つ提案があるんだが」
「言いなよ」
甲斐田氏とC氏が目を合わせずに続ける。
「俺たちより先にここに来た連中がいるだろ。……そいつらと、接触出来ねーかな」
「ああ……そうね、そうか、それはいいかもしれない」
「知りたいのはここがどんな場所なのか。で、ここ絶対に突破しないといけないのかってこと。仮にそうならそいつらが成功しているとは思えない。なら、どこへ何しに行った? とにかく情報が圧倒的に足りねーよ。それはもう、認めざるを得ない」
「うん……」
ナイトとディーバがチャレンジしてからどれだけ時間が経っているのか定かではないが、後乗りの彼らにとって先行した最初の挑戦者の存在は常に気になるものだったろう。自分達がクリアしてしまえばそれまでのことだが、躓いてしまった今、彼らの持つ情報を欲するのは自然な考えと言える。
つまり甲斐田氏は、時間を置こうと提案しているのだ。それを聞き、徳永氏がやはり目も合わせずに口を開いた。
「ネットに……そんなもんネットに転がってるだろ」
その殺伐とした様子から、言外に気に入らないといった意思が伝わってくる。
「あればそれで苦労しないが多分ねーよ、今までもなかった。元々の人数が少ないし、そうそう表には出さんだろ。直接当たってみないと、結局何も分からない」
「間違いなく先に来た奴らがいる。これ以上情報を求めるならもうそいつらしかいないよ。今は、拙速なことはしない方がいいと思う」
二人はそう徳永氏に語りかける。これ以上無謀な賭けに出て被害を広げるべきではない。何より今は、心を落ち着け状況を確かめるべきだ――。そう言いたかったのだろう。だが、
「それが間違いなんだよ」
徳永氏はそうして、二人を睥睨するかのように見た。
「情報はもう必要ない。情報を持っても意味がない」
「なんで? ランダムだからか?」
「それもある」
「それなら余計に情報が必要だろう?」
「ありえない」
そう首を振る徳永氏の手には、もう既に光の勇者の転職証が握られていた。
「ちょっと待てちょっと待て! 落ち着け、な? 今行っても先に行った二人と同じ目に遭うだけだって」
「そんなの問題じゃない」
「お前、何言ってるんだ?」
二人の反応に溜め息一つついた徳永氏は、ラストダンジョンの入り口を一瞥してから、諭すように語りだした。
「先に行ったAは一時間、Bも一時間でやられた。つまり情報のあるなしは関係ない。先入観なく行ったA、誤った対策を練って挑戦したB、どっちにしても結果はさして変わらない」
そういう問題じゃないし、結論を出すのは早い。二人は揃って反論したが、それに対し返ってきたのは全く別視点の理由であり、動機だった。
[――後になって、徳永さんはこの時の心境を詳細に語っています。あくまで簡易版なので省略して説明しますが、彼は自分達に絶対の自信を持っていました。その内二人が失敗し感情的になっていたのは事実であり、他のパーティーと接触するのも納得いかなかった。しかし一番の動機は"もう既に五人パーティーではない"というものでした。彼はこの五人で戦うのがただ楽しく、ただ面白かった。それが彼をトカレストに留まらせた最大の理由だったのでしょう。しかし、B氏の引退によりもう五人が揃うことがないと判明した時点で、慎重を期する理由がなくなってしまったのです。徳永氏は最後にこう振り返っています――負けた二人が戻り、もしまた五人揃っていれば、五人で勝つ方法を探していただろう――と]
二人の強い反対を押し切る形で徳永氏の挑戦は決まった。
そして彼はあらゆる理不尽を想定し最後の門をくぐったのである。
けれど……これから起こるのはアーチャー最後の戦い、二人目の英雄誕生の物語ではない。
不意として起きた一つの事件と、残された二人の物語である。
――私はこれから起きる出来事を知っている。そして、それが自分と関係があることも知っている。だから近藤はこれを見ておけと言ったのだろうか? しかし、見たところで何か意味があるとは思えなく、何より見たくもない映像が流れることを、あいつだって知っているだろうにと思う。
迷いながらも、私はただ漠然とした気持ちでモニターを眺めていた。とてもよく出来た悪夢を、知っているというにも関わらず――。
アーチャー徳永氏がラストダンジョンへと潜ってからも、残された二人はその場に留まっていた。甲斐田氏は失望と苛立ちを隠さず、C氏はただ顔をしかめて諦めの面持ちだ。鉄の結束を誇った五人組はもういない。しかし、憤りを感じつつも彼らは徳永氏が出す結論を見守るという選択肢を選んだのだ。
一時間、二時間、三時間経っても徳永氏の強制戦闘が終わることはなかった。既に先行した二人の記録は塗り替えているが、ランダムマップである以上運が良かっただけかもしれない。ここまでは。
荒涼とした空間が長い沈黙に包まれる中、静寂を破ったのはC氏だった。
「なあ正直、どう思う……」
「ん? まあそりゃトクの言いたいは分かるけどよ、お前納得出来てないだろ?」
「ああ、いやそっちじゃない。このタイム、もしかして可能性あるんじゃないのか?」
少し迷う仕草を見せた甲斐田氏だったが、最終的にはただ首を振り分からないとだけ呟いている。C氏にしても、願望を口にしただけでそれ以上続けることはなかった。
そしてまた、場が静寂に包まれる――そう思われた矢先のことだった。
甲斐田氏が転がる岩に腰掛け書物に目を落とそうとし、C氏が翼の手入れをしようとしたその瞬間、そいつは現れた。
そいつの接近に気付かず完全に不意を突かれた二人は、先制攻撃にすら気付くことが出来なかった。
黒い雷撃が縦横無尽に降り注ぎ、紫の炎が二人目掛けて投げつけられる。
さらに風の刃は「腐臭」を漂わせ地上すれすれを水平に走り二人に襲い掛かる。
完全な不意打ち。
強力な魔術の踊り狂うその様は圧巻であり悪夢であり、理不尽極まりない光景と断言出来る。
大量の塵と埃が舞う中、上空にはダークパープルの魔導着に身を包んだ少女の姿があった。その顔はどす黒く、大きな魔導着からわずかに覗く肉体には、生命感がまるで感じられない。しかし、目を見ればそれが誰だかすぐに分かる。私には、私だけには分かる。死に絶えた大きな瞳と所々崩れているにも関わらず妖艶な空気を漂わせるその存在は、私が誰よりもが知っている人物なのだから。
同時にそれは、私の知らないラビーナでもあるのだ。




