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エピローグ
私の第二の故郷、フィレンツェ
私が関西国際空港からパリへ飛び立ったのは1996年1月。
英語も満足に話せない私が渡欧を決心したのはヨーロッパ文化や歴史に興味があることはもちろんですが世界を知りたいという好奇心が私の胸をかきたてていたのです。留学を思い立った理由の一つに、入院がありました。
某百貨店の食品売場の販売員だった私は毎月の売り上げのノルマにストレスを感じ始めストレスのはけ口に強いお酒を飲み続けたのです。
挙げ句に急性アル中で私は生死の境をさまよったのです。
英語も話せない私が二年間のイタリア留学で感じた世界観を書いてみたいです。実は三十歳で留学したんです。