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真の英雄          :約5500文字 :SF :コメディー :宇宙

作者: 雉白書屋
掲載日:2026/10/13

 地球滅亡を阻止するべく、全人類の期待を一身に背負い飛び立った宇宙船ホープ号と乗組員たち。

 彼らに託された任務は、地球へ刻一刻と迫る巨大隕石を破壊して、全人類の命を救うことだった。失敗すれば、家族や友人の命はおろか、人類の歴史が終わる。そんな途方もない重圧を背負いながらも、彼らは飛び交う流星群をかいくぐり、航行し続けた。そしてついに巨大隕石への着陸に成功し、その内部深くへ爆弾を打ち込むことができたのだった。

 これで地球は救われる――船内の誰もがそう確信し、安堵の息を漏らそうとした矢先、起爆装置に予期せぬ不具合が発生した。通信系統や制御回路を調べ、考え得る限りの対処を試みたものの、遠隔操作による起爆は不可能であると判明。残された手段はただ一つ。乗組員のうち誰か一人がこの隕石に残り、直接起爆装置を作動させなければならない。

 このあまりに非情な事実に、船内には重苦しい沈黙が漂っていた。

 いったい誰が残るというのか――。船長が改めて乗組員たちに現状を説明し終え、しばしの間が空いたあとだった。


「おれがやりますよ」


 乗組員の一人であるマシューが気だるげに手を上げた。

 全員の視線が一斉に彼へ集まる。マシューはへっと鼻で笑い、床に唾を吐き捨てた。普段なら誰かが咎めるところだが、口を開く者はいなかった。


「おれぁ、ずっと離婚協議中でしてね。ま、無事に地球に戻ったところで、希望も何もないわけですわ」


 マシューは肩をすくめ、冗談めかしてそう言った。かける言葉が見つからず、乗組員たちはただ黙って視線を床に落とすか、唾を飲み込むことしかできなかった。


「ただ……これだけは伝えてくれませんかあ」


 マシューは顔を伏せ、ぽりぽりと頭を掻いた。その指先はかすかに震えていた。


「息子に……愛してる……って……」


 語尾は喉の奥でかすれて消えた。

 ゆっくりと視線を上げたマシューの顔はやや紅潮しており、目元にはうっすらと涙が滲んでいた。


「……わかった。必ず伝える」


 船長は重々しくうなずいた。そしてマシューのもとへ歩み寄ると、その身体を両腕で力強く抱きしめた。マシューは一瞬、戸惑ったような表情をしたが、ゆっくりと腕を上げ、船長の背中に手を回した。それを合図とするかのように、他の乗組員たちも次々にマシューのもとへ歩み寄り、順に抱擁を交わし、背中を叩いていった。


「地球との通信が回復しました!」


 通信機器の前で黙々と作業を続けていた通信係が弾かれたように振り返り、声を張り上げた。


「映像をモニターに出します。ただし……回線がいつまでもつかは分かりません。おそらく、これが最後の通信になるかと……。こちらの状況はすでに地球側に報告済みです。どちらと繋ぎますか? 宇宙局本部でしょうか、それとも大統領府でしょうか」


「彼の奥さんとは繋げられるか?」


 船長が食い気味に訊ねた。

 通信係は一瞬返事に詰まらせたあと、静かにうなずいた。その目はうっすらと赤くなっていた。


「繋ぎます」


『あなた……?』


 モニターに映像が映し出された瞬間、全員の視線が一斉にそこへ注がれた。マシューは「おお……」と声を漏らし、吸い寄せられるようにモニターの前へ歩み出た。

 画面の向こうには、今にも泣き出しそうな表情の妻と、その膝の上に座る幼い息子の姿があった。


『あなた、話は聞いたわ……。ねえ、ちゃんと帰ってくるのよね……?』


「……すまない」


 マシューは声を絞り出すように答えた。

 妻は唇を噛み、ぎゅっと目を閉じた。やがて小さく首を振り、無理に笑みを浮かべた。


『私、あなたのことを誇りに思うわ。この子も……ほら、パパよ』

『うー?』


 息子はぱっちりと見開いた瞳で画面を見つめ、不思議そうに首をかしげた。何が起きているのか、まだ理解できないのだろう。その無邪気な仕草に、張り詰めていた乗組員たちの表情がほんのわずかに緩んだ。


「おお……名前は、名前はなんて言うんだ?」


 マシューは震える声で訊ねた。


『リックよ。ほら、リック。パパに手を振って』

『パーパ?』


 そっと肘を支えられ、リックは母親の顔を見上げながら画面に向かって小さな手を振った。

 妻は息子の顔を見つめ、小さく鼻をすすった。それとほぼ同時に、船内でも鼻をすする音が次々と響いた。乗組員たちは皆、顔を伏せ、肩を小刻みに震わせていた。


「本当にすまないと思っている。今まで君にしてきたこと、これからすること、そのすべてに対して……」


『あなた……』


「だからもう一度……もう一度、おれとやり直してくれるか?」


『……ええ、もちろんよ』


「ありがとう……」


 マシューは深くうつむき、何度もうなずいた。そのたびに、頬を伝う涙が床に落ちていった。


『あなた……あたし、すごく怖いわ。あたしたち、地球は大丈夫なのよね……?」


「大丈夫だ。おれが必ず地球を救ってみせる」


『あなた……うう……』


 妻はとうとう堪えきれず顔を歪め、泣き出した。それでも最後まで夫の姿を目に焼きつけようと、濡れた瞳を画面から逸らさなかった。

 やがて彼女は唇にそっと指を当て、その指先をモニターに向かって振った。リックもまた母親の真似をして、小さな手をぱたぱたと振ってみせた。

 マシューも力なく片手を上げ、二人に応えた。その直後、通信が途絶え、モニターは沈黙した。

 船内に重苦しい静寂が戻り、しばらくの間、マシューの嗚咽だけが低く響いていた。やがてマシューは大きく息を吐き出すと、指で乱暴に目元をこすった。

 船長はそっとマシューに歩み寄り、何も言わずに彼の肩を何度も叩いた。


「じゃあ、そろそろ、な……」


 船長は感情を押し殺すようにして切り出した。


「ふー……そうっすね。そろそろ誰が残るか決めてもらわないといけませんしね」


「……ん?」


「ははは、今ここで地球がなくなったら困りますもん。で、誰にするんです?」


「いや、え?」


「はい?」


 唖然とする一同を前に、マシューは不思議そうに首をかしげた。

 船長は額に手を当て、考え込むような仕草をみせた。


「いや、えっと……お前が残るんじゃないのか?」 


「はい。残りませんけど」


「え、お前やらないの?」


「はい。やりません」


「それは……なぜ?」


「え、分からないんすか? 妻とやり直せそうなんですよ」


 マシューは目を丸くし、唇を尖らせた。心底驚いた様子だった。


「船長、もしかして彼女とかいないんすか? じゃあ、無理もないかあ」


「いや、うん……それはほら、お前が犠牲になるって話だったから、向こうもああいう反応になったわけだからさ」


「え、どういうことっすか?」


「だから……え、お前、本当に分からないのか?」


「分かんないっす」


「おー……離婚を切り出されるわけだ」


「船長……それ、パワハラっすよ。ま、今は機嫌がいいんで見逃してあげますけどね」


 マシューはそう言うと、船長の肩をぽんぽんと叩いた。


「でも、気をつけたほうがいいですよ。そういうこと言ってると、いつか痛い目見ますからね」


 そう言ってマシューはウインクしてみせた。


「おー……いや、お前さっき謝ってなかったか? 『これからすることを……』って。あれは……」


「ああ、あれっすか。へへ、また浮気したり、腹が立ってぶん殴ったりすると思うんで、先に謝っておいたんですよ」


「おー、すごいな」


「すごいクズ」

「カス」


 船長は思わず息を漏らし、他の乗組員たちも口々にぼそりと呟いた。


「だ、だが」


 船長は咳払いを一つした。


「お前、さっき『おれが必ず地球を救ってみせる』とも言ってたよな? あれは……?」


「ああ、だって我々はチームじゃないっすか。誰が残ろうが、みんなで力を合わせて地球を救ったことに変わりないでしょ。誰か一人でも欠けてたら、ここまでたどり着けなかったわけですし」


「お前が残る側なら、立派な台詞なんだがな」


「あんたがいなくてもここまで来られたと思う」

「カス」


「じゃ、時間ないんで早めに決めちゃってください。よろしくお願いしまーす」


 マシューはそう言うと近くの椅子に腰を下ろし、悠然と足を組んだ。

 乗組員たちはその姿をしばし呆然と見つめていた。

 やがて船長は大きく咳払いをし、マシューに背を向けて乗組員たちと向き合った。


「みんな、聞いてくれ。この隕石を破壊するには、誰か一人がここに残らなければならない」


「フンフンフーン」


「……つらい決断になると思う。だが、地球にいる全人類を救うためだ。ここで我々の誰か一人が犠牲になれば、何十億もの人間の命が助かるんだ」


「フフン、フンフフーン」


「志願してくれる者がいるなら、今ここで申し出てくれ。もし誰もいなければ――」


「まだっすかー?」


 全員の視線が一斉にマシューへ向けられた。だが、当人はまるで気にする様子もなく、腕時計を確かめるように手首を指でとんとんと叩いてみせた。


「時間ないっすから。フフフーン」


「えー……それじゃあ、誰か残ってもいいという者は」


「嫌です」

「無理」

「あいつのために死ぬのは絶対に御免です」


 乗組員たちは間髪入れずに答えた。船長は目を閉じて何度か小さくうなずき、再び咳払いをすると、マシューに向き直った。


「あの、マシュー」


「フンフンフーン、んー?」


 マシューは後頭部で両手を組んで、椅子の背もたれに身を預けたまま船長を見上げた。


「お前、本当に残る気はないんだな?」


「残るわけないでしょ。馬鹿じゃあるまいし」


「馬鹿!?」


「リックって言うんですって。いやー、実は出発前に一度こっそり妻の家まで見に行ったんですよ。庭で一人で遊んでいましてね。馬鹿そうなツラしてましたけど、あれがおれの息子かあって思うと、なんだか感慨深いっていうか。ははは!」


 マシューは鼻をこすり、声を上げて笑った。


「いやー、早く帰りてえなあ。『こら、リック! ママの言うことをちゃんと聞きなさい!』なんて、今から練習しちゃったりして。ははは! そうだ、宇宙局に売店ってありましたっけ? 帰りに適当におもちゃでも買ってってやるか。あー、早く抱きてえな。きっとすごいことになりますよ。何せ地球を救った英雄様ですからね。燃え上がっちゃって、燃え上がっちゃって、その勢いでもう一人作っちゃったりなんかして。ははは、さすがに二人目はちゃんと出産に立ち会わないとまずいですよね。あー、めんどくせー……ところで、まだ決まらないんすかー?」


「あ、ああ……」


「ずっと待ってんですけど! はあ、早くしてくれよな」


「その……もう一度だけ確認しておきたいんだが、本当に残る気はないんだな?」


「ははっ、何回聞くんすか! 馬鹿になっちゃったんですか?」


「い、いや……確認だから。もういい、わかった……おれが残る」


 船長は乗組員たちに向き直り、そう告げた。


「船長……」

「でも……」


 乗組員たちから戸惑いの声が漏れた。船長はそれを静かに手で制した。


「いいんだ。もともと、おれが残るつもりだった。船長として――」


「船長として当然の義務っすよね」


「……当然の義務だからだ」


「よっし、決まり! お疲れ様でした。みんな、撤収の準備だ!」


 マシューは勢いよく椅子から立ち上がり、ぱんぱんと手を叩いた。


「お前が仕切らないでくれるか?」


「船長……妻にもちゃんと伝えておきます。船長もよくやったと」


「ああ、はい。……“も”?」


「はい?」


「お前……まさか、自分の手柄にする気じゃないよな?」


「手柄なんて、ははは」


「いや、する気だろ」


「まあ……だってほら、さっき『おれが地球を救う』って言っちゃったじゃないですか。このままだと嘘つきになっちゃいますからね。そこは一つ、よろしくお願いしますよ。船長と違って、おれにはこれから家族との生活があるんですから」


「いや、いやいや……」


「え? だって最初に言い出したのは僕なんですから、僕に権利があるでしょ」


「じゃあ、お前がやれよ」


「だーかーらあ、話、聞いてなかったんすか? 妻とやり直せそうなんですよ。ここで死んだら意味がないでしょ?」


「おー……」


「早いとこお願いしますね。爆破が遅れて地球に破片でも落ちて、いきつけの店がなくなったら困りますもん。あの子、元気にしてっかなあ。出発前にも一度抱いたんですよ。帰ったら、また抱いてやらねえとな……あっ、そういえばツケが溜まってんだよなあ。どうすっかなあ……ねえ、船長。ちょっと金貸してもらえません? どうせもういらないでしょ?」


 船長はついに言葉を失った。ふと視線を落とすと、マシューが手を差し出していた。それが握手を求めているわけではないことは聞くまでもなかった。

 再び視線を上げると、マシューは笑みを浮かべたまま、「ん?」と何度も瞬きを繰り返した。

 そのときだった。通信係がふいにこちらを振り返った。


「あの、モニターの映像は消えましたが、向こうとの回線はまだ繋がったままなんですが……」


 その一言で、マシューの顔からふっと笑みが消えた。口を半開きにして「え、え」と何度も声を漏らす。


「それって、うちのと……?」


 マシューがそっと小指を立てた。通信係は無言でうなずいた。


「おー……」


 マシューはそれだけ呟くと、ゆっくりと天井を仰いだ。

 しばらくの間、そのまま彫像のように固まっていたが、やがて、きりっと表情を引き締め、口を開いた。


「さ、冗談はこのくらいにして、さっさと出発の準備をしてください。……何してるんですか。行けよ。さあ、早く行け! おれが残ります。さっさとこのクソったれの隕石をぶっ壊してやりましょうよ!」


 マシューはそう言い放つと、肩で風を切るような勢いで部屋を飛び出していった。

 その背中を見送った船長は、やがてゆっくりと通信係のほうへ向き直った。


「……本当にまだ繋がっているのか?」


「いえ、嘘です」


「よし、撤収!」

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