第18話 沈黙で爆発するよ
「何だって?あの小さな女の子が家から逃げ出すって?どうしてだよ、理由もなく?」マサルは娘の言葉を聞いて、少し理解できなかった。
「どうして理由もなく?家族は彼女にとても暴力的で、お金を稼ぐための道具として使おうとしている!」
「まさか?あの金持ちの家でもそんなことがあるの?」
「パパ、彼らがキリカに何をしたか知らないでしょう。キリカさんも我慢の限界に達しただけ……気持ちは分かるよ。」
「わかった。全力でサポート。何が必要か?」
「車で送ってもらうのはちょっと面倒かも。できるよね、パパ?」
「もちろんだ、父はただ者じゃない。」
その夜、それぞれの家で、別々の会話が繰り広げられていた。
百合泉。セイナの家。
リビングのソファに、セイナは背筋を伸ばして座っていた。向かいには父親が新聞を広げ、母親はテーブルの向こう側で花を生けている。
「……それで、今夜はお友達の家にお泊まりしたいんですけど。」セイナはなるべく冷静な声で言った。
「どこのお友達?」父親は新聞から顔も上げずに聞いた。
「学校の友達です。クラスの……女子の家に伺います。」
「クラスの?名前は?」母親が手を止めた。
「……お伝えしても、ご存じないと思いますので。ただのクラスメイトです。」
セイナはうつむいた。自分が嘘をついていることが、ひどく居心地悪かった。でも——キリカのことを考えると、それどころではなかった。
「……勉強だけ?」父親がようやく顔を上げた。
「はい。期末が近いので。」
「まあ、たまにはいいでしょう。ずっと家に閉じこもっていてはストレスがたまる一方だし。」母親が意外にも賛成した。
しかし父親は黙ったままだった。セイナの心臓がドキドキと鳴る。
「……何時に帰ってくるんだ?」
「明日の午前中には。」
「……わかった。行ってこい。ただし——」
「はい。」
「他のことはするなよ。わかってるな?」
セイナはこくんとうなずいた。父親の言葉には、何かを察しているようなニュアンスがあった。でも、それ以上は追及しなかった。
松園。ハナルの家。
「ただいま。」
ハナルが玄関を開けると、リビングから母親の声がした。「おかえり。ご飯は?」
「あ、あの……お母さん、ちょっと話があるんやけど。」
母親がキッチンから顔を出した。父親はソファでテレビを見ている。弟の菅太は自分の部屋から顔だけ出してこっちを見ていた。
「どしたん?そんな改まって。」
「き、今日……友達の家にお泊まりに行ってもいいかな?」
「え?どこ?」母親は意外そうな顔をした。
「か、カガミの家。バ、バンドの……メンバーなんやけど。」
「ああ、あの元気そうな子?」母親の顔がほころんだ。「前に学校で会ったことあるわ。すごくしっかりしてる子やった。」
「う、うん。それで……今夜、その……色々あって。」
父親がテレビを消した。「何かあったのか?」
ハナルは少し迷ったが、思い切って言った。「バ、バンドのドラムの子が、家を出ることになって……か、カガミの家に匿うことになったんや。オ、オレたちも手伝わなあかんくて。」
「家を出る?」母親の顔が曇った。「どういうこと?」
「……家でひどいことをされてるらしい。け、警察沙汰になるようなことやなくても、もう限界やと。」
父親は黙ってハナルを見ていた。そして、ゆっくりと言った。
「……その子を助けるために、お前たちは動いてるのか?」
「う、うん。」
「わかった。行ってこい。」
「え?」
「困ってる人がいるなら、助けるのが当たり前だ。お前にはそういう風に育ってほしいと思ってたからな。」
母親も微笑んだ。「気をつけて行ってらっしゃい。何かあったら連絡しなさい。」
「お姉ちゃん、頑張れよ。」菅太が階段の途中で言った。「もし何かあったら、オレも力になるから。」
ハナルは胸が熱くなった。「……ありがとう。みんな、ありがとう。」
彼女は軽く頭を下げて、玄関を飛び出した。その背中を見送りながら、菅太はスマホを取り出して何かを調べ始めた。もし姉たちがトラブルに巻き込まれたら、自分が動く番だ。
ひばりヶ丘。深夜十時五十分。
三つの人影が、街灯の少ない道を歩いていた。セイナ、カガミ、ハナル——三人とも真剣な表情で、声を潜めている。
「無線機、繋がるか?」カガミが小声で聞いた。
セイナがポケットから取り出して、ボタンを押す。
「キリカさん、聞こえますか?」
——少しの間の後、ノイズ混じりの声が返ってきた。
『……うん。今、廊下は静か。多分、みんな寝た。』
「わかりました。予定通り、十一時に。」
『……気をつけて。』
三人は屋敷の裏手に回った。高い壁の向こうに、ぽつんと灯りがついている窓が見える。二階の角——キリカの部屋だ。
「どうやって登るんや?」カガミが壁を見上げる。
その時、物陰からマサルが現れた。カガミがこっそり呼び出していたのだ。
「パパ!ここや!」
マサルは黙って壁の下にしゃがみ、自分の肩をポンと叩いた。「オレの肩、使え。」
カガミは遠慮なくマサルの肩に足をかけた。セイナとハナルが支える。
「もう少しで——」
その時、二階の窓がそっと開いた。キリカの顔が見える。『早く!』
カガミは窓枠に手をかけ、よじ登ろうとした——しかし、その瞬間、屋敷の中から足音が聞こえた。
キリカの顔が強張った。『……誰か来る。』
足音はゆっくりと、廊下を進んでいる。執事か、それとも——全員が息を殺した。
『……物音に気づいたのかもしれへん。』
キリカが小声で言う。カガミは窓枠にぶら下がったまま、動けなかった。
足音が近づく。止まった。ドアの前だ。
『……誰もいないな。気のせいか。』
執事の呟きが聞こえ、足音が遠ざかっていった。
キリカが小さく息を吐いた。『……今!』
カガミが一気によじ登り、窓の中に転がり込んだ。すぐにキリカが顔を出し、次にハナルを手招きする。ハナルは震える足でマサルの肩を踏みしめ、必死に手を伸ばした。キリカがその手首を掴む——引っ張り上げた。
「……セイナ、来い!」
セイナは一番冷静に、一番素早く登り切った。三人が窓の中に入った瞬間、キリカがリュックを背負い、窓の外を見下ろした。
「どうやって降りる?」カガミが聞いた。
「飛び降りるしかない。」キリカは覚悟を決めたように言った。
「バカ!危ないやろ!」
「オレが受け止める。」マサルが下から声をかけた。「おい、キリカちゃん、飛び込め!」
キリカは深呼吸を一つして、窓枠に足をかけた。そして——飛び込んだ。
マサルの腕が彼女を受け止めたが、勢い余って二人とも地面に倒れ込んだ。「いてて……」
「キリカちゃん!大丈夫か!」
「……うん。大丈夫。」
キリカは立ち上がり、自分の手足を確認した。擦り傷はあるが、骨は大丈夫そうだ。
「早く!」セイナが窓から顔を出して叫んだ。彼女とハナルも順番に飛び降りた。最後にカガミが窓枠を閉め——鍵はかけられなかったが、明日まで気づかれなければいい。
五人は無言で走った。屋敷の明かりが遠ざかるまで、ひたすら走った。
マサルの車が道端に停めてあった。全員が飛び乗り、エンジンが轟いた。
「シートベルト!」マサルが叫び、車は猛スピードで走り出した。
後ろを見ると、屋敷の灯りがどんどん小さくなっていく。誰も言葉を発しなかった。ただ、無事に逃げ切れたことへの安堵と、まだ残る緊張が車内を包んでいた。
車内の緊張を和らげるために、カガミはこっそりとピストルのポーズを取り、キリカに向けた。
「何をするつもりだ?」
「本当に大阪の人間なのか、ちょっと協力してくれよ。」
「誰がこんな子供っぽいゲームをするのよ!」
車内の温度が徐々に上がり、みんなも笑顔になった。多分、これがFAの存在意義なんだろう。
カガミの家。午前零時過ぎ。
玄関のドアを開けると、カガミの母がまだ起きていた。
「おかえり。無事か?」
「うん。母さん、ありがとう。」
カガミが振り返ってキリカを見た。「ここ、キリカちゃん。」
キリカは小さくお辞儀をした。「……迷惑かけます。」
「とんでもない。ゆっくり休み。部屋はもう準備してあるで。」
カガミの母はそう言って、キッチンへ向かった。温かいココアでも作るつもりだろう。
四人がカガミの部屋に入ると——ベッドの上に、アコが座っていた。まだ少し顔色は悪いけど、目はしっかりと開いている。
「……キリカさん。」
アコの声は掠れていた。
「アコ……」キリカは何て言っていいかわからなかった。
空気が一瞬で固まった。アコの目がキリカから外れて、床を見つめる。指がわずかに震えている——あの時のことを思い出しているのか。両親の前で自分の過去を暴かれたことを。
「あ、あの……アコさん、キリカさんが無事に帰ってきたよ。」ハナルが優しく言った。
「……うん。」
アコはそれだけ言って、何も続けなかった。
セイナがカガミと目配せした。四人は廊下に出た。
「……アコさん、まだあの時のこと、話せへんのかな。」カガミが小声で言った。
「無理もない。あんな形で自分の過去を暴露されたんだから。」セイナが答えた。
キリカは壁にもたれて、天井を見上げていた。
「……うちの親のせいや。」
「キリカさん——」
「事実や。」
キリカの声は静かだった。でも、その中に怒りと悲しみが混ざっているのがわかった。
「……キリカちゃん、もう戻る気、あるん?」カガミが思い切って聞いた。
キリカは顔を向けて、はっきりと言った。
「戻らん。あの家には、二度と。」
「でも、あんたはまだ十七——」
「十七でも、もう立派に自分で決められる。それに——」
キリカは自分のリュックを軽く叩いた。
「必要なもんは全部持ってきた。戻る必要なんてあらへん。」
カガミはうなずいた。「わかった。なら、ここにいればええ。ウチの親も承諾済みやし。」
「……ありがとう。」
その言葉は、キリカの口から出た。珍しく、素直な声だった。
セイナが時計を見た。午前一時。
「もう遅いし、今日は休もう。アコさんのこともあるし。」
「そうやな。」カガミがうなずいた。
四人が部屋に戻ると、アコはまだベッドに座ったままだった。ハナルがそっと近づいて、隣に座った。
「あ、アコさん、もう遅いから……休もっか?」
アコはうなずいた。でも、目はまだ開いていた。
顔を見合わせ、突然笑い出した。
「愛してるよ。チームメイトたち。」
(From Dandy:
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