最終話 本当の自分
ラングレット侯爵が振り上げた刃が、ギラリと光る。
だが、その刃はレイリアの身体に触れることすらできなかった。
突然現れた誰かの腕が、彼女を守るように抱きしめたからだ。
一瞬の出来事だった。
誰かの肩の向こうで、ラングレット侯爵が顔を殴られてその場に倒れた。侯爵を殴ったその人は倒れた侯爵を踏みつけにして、レイリアの方を振り返った。
「無事か!」
ヴィンスだ。
では、今レイリアを抱きしめているこの人は。
そこまで考えて、レイリアは涙があふれそうになった。考えるまでもない。この優しい温もりを、レイリアは知っている。
「会いたかった。レイリア……!」
王子が震える声で言った。
その言葉は、嘘などではない。それが分かって、思わずレイリアも彼の腕にしがみついた。だが、ハッとしてすぐに手を離した。
「レイリア?」
知られてしまったのだ、レイリアが妊娠しているということを。
このままではきっと、彼は責任をとると言うだろう。それでは、ここまで逃げてきた意味がなくなってしまう。
レイリアは、慌てて立ち上がって逃げようとした。
だが、王子が素直に彼女を離すはずがなかった。
「逃げないでくれ、レイリア」
「離してください」
「ダメだ、絶対に離さない」
そんな二人の問答を、ラングレット侯爵を縛り上げながらヴィンスが呆れた顔で見ている。
その時だった。
──ズキンッ!
とんでもない痛みが、レイリアに襲い掛かって来た。
「くぅっ!」
思わず腹を抱えてうずくまったレイリアに、王子の顔が真っ青になる。ヴィンスも慌てて駆け寄って来た。
「どうした、レイリア」
「お腹が……」
「痛むのか!?」
腹の痛みはいっこうに治まらず、レイリアの額に脂汗まで浮かんできた。気を失ってしまいそうなほどの激しい痛みに、レイリアは思い当たることが一つだけあった。
「陣痛?」
ぽつりとつぶやいたレイリアに、王子の顔がさらに青くなる。
「う、う、生まれるのか!?」
慌てた王子が、レイリアを抱き上げた。
「離してください」
「バカを言うな! 私の子だ!」
「あなたの子なんかじゃなりません!」
レイリアが叫ぶように言った。いつの間にか、痛みは引いていた。
「あなたの子じゃ、ありません……」
もう一度、今度は消え入りそうな声で言った。
そうでなければならないのだ。なぜなら、王子はレイリアを抱いたことすら覚えていないのだから。王子は優しい。真実を知れば、きっと責任をとってレイリアと結婚すると言うだろう。望んでできた子ではないのに、そのせいで、愛してもいない女と結婚するなど。
レイリアが逃げてきたのは、自分のためだった。
だが、それだけではない。
彼女は、王子に幸せになってもらいたかったのだ。
嘘ではなく、本当に心から愛する人と結ばれて、幸せに生きてもらいたかった。
だから、レイリアはこの子を隠し通さなければならなかったのに。
そんなことを考えている間に、再び腹が痛み出した。
「いっ!」
痛みで叫び出しそうだったが、レイリアはなんとか堪えた。とにかく、王子から逃げなければ。
だが、王子はレイリアを抱えたまま、既に移動を始めていた。彼の前を先ほどレイリアの乗車を断った御者が走っている。
「急げ急げ、陣痛の間隔が短い。もう産まれちまうよ! うちのかみさんも、そうだったんだ! 初産だってのに、あっという間に産まれたんだ!」
そう言って、御者の足が速くなる。王子もそれを追いかけて走り出した。
「こうなったら、産婆の家に押し掛けるしかない! 先に知らせが走ってるから! 急げ!」
御者に案内されて、王子はレイリアを抱えたまま小さな家に転がり込んだ。レイリアは再び始まった陣痛に、意識が遠のきそうになっていた。
「しっかりしな!」
そんなレイリアを、初老の女性が叱りつけた。産婆だ。
「痛くても気をやったらだめだよ! 赤ちゃんが苦しくなるからね。ふんばるんだ!」
そう言ってレイリアを励ましながら、産婆は出産の準備をしていた。さらに近所から女性たちが手伝いにやってくる。
「さあ、こっちに寝かせて」
産婆の指示で、王子がレイリアをベッドに寝かせた。本当であればその場を去るべきなのだろうが、王子にはそれができなかった。痛みに苦しむレイリアの手を握って、もう片方の手で彼女の汗を拭う。その様子を見た産婆は呆れ顔を浮かべた。
「そのまま、手を握っててやりな」
「だ、だめです……!」
痛みに耐えながら、レイリアが叫んだ。
「この人は、父親じゃありませんから! 出て行ってください!」
この期に及んでも強がりを言うレイリアを、それでも王子は離さなかった。
「この子の父親が誰だろうと構わない。愛する君の子であることは間違いないのだから、私の子だ」
なんて無茶な理論だ、と。いつものレイリアなら言い返しただろう。だが、激しい痛みのせいで、これ以上はまともに言い返すことはできなかった。口から出てくるのは痛みを耐えるうめき声ばかりになってしまった。
「レイリア、がんばれ。がんばれ!」
そんな彼女を、王子は励まし続けた。
レイリアは、その王子の手を強く握りしめたまま、とうとうその時を迎えた。
「おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ!」
生まれたのは、美しい金髪の男の子だった。
「ほうら、お父さんにそっくりだわ」
笑いをこらえながら言った産婆が、赤ん坊をおくるみに包んでから、半ば無理やり王子に抱かせた。
小さな身体に肩をこわばらせながら、王子が赤ん坊の顔を覗き込む。その様子を、レイリアは半分眠ったような心地で見つめていた。
「……口元は、君に、よく似ている」
ぽろり。王子の瞳から、涙が零れ落ちた。
『瞳は落ちたりしない』と言っていた、幼い王子を思い出して、レイリアの胸がいっぱいになった。あの頃から、王子は何も変わっていない。
レイリアにとって、唯一無二の大切な友達だ。
そして、彼女の愛する人だ。
すべては嘘から始まったことだった。けれど、その中で育まれた感情も、絆も、それ自体に偽りなどなかった。
『愛している』
王子のその言葉も、嘘などではなかったのだ。
気づかないふりをして、意地を張って、逃げ出して。
どうしてそんなことをしてしまったのかと、レイリアは後悔していた。
もう一度、やり直したい。
そんな気持ちを込めて、レイリアは王子の手に触れた。王子は抱いていた赤ん坊を、今度はそっとレイリアに抱かせてくれた。小さな温もりを抱きしめて、レイリアの瞳からもポロポロと涙が零れ落ちる。
ふと、赤ん坊の目がわずかに開いた。
金の髪に、ラピスラズリの瞳。
この世で最も美しい色とともに、この子はこの世界に生まれてきたのだ。
「瞳の色も、エディと同じだね」
王子がハッとして、レイリアを見つめた。
「ごめん、ずっと嘘をついてて」
「いいんだ。私のために、ずっと嘘をつかせて、申し訳なかった」
二人して謝るのがなんだかおかしくて、レイリアと王子は、顔を見合わせて笑った。
肩車に失敗した、あの日と同じように。
いや。
今度こそ、嘘ではない。本当の自分のまま。
まっすぐに、愛する人と笑い合うことができた。
本当の自分を、愛する人が見つめている。
それが切なくて。
レイリアの瞳からポロポロと涙がこぼれた。
「レイリア……」
そんなレイリアの身体を、王子が抱き寄せる。
小さな赤ん坊ごと。
だいじに、だいじに。
「愛している、レイリア」
「私も。……愛してるよ、エディ」
ようやく、本当の気持ちを伝えあうことができた。
それが嬉しくて。
二人は顔を寄せ合った。
そして、初めてのキスを交わした──。
FIN.
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(いったん完結としますが、エピローグの投稿を考えております。引き続きブックマークしていただけますと、とってもとっても嬉しいです)




